あのときの絶望が蘇る。
なにもかもを失ったあの日。
恐怖と絶望、それを通り過ぎたあとの狂気と怒り。
夢で何度も繰り返した記憶が、白昼夢となって襲い掛かってきた。

 
 

Another story [3]



 
郊外にあるこの古城は王族の避暑目的に使用されている。
王宮のように豪華絢爛とまではいかないが、部屋も調度品、飾られている絵画や美術品。絨毯からカーテンに至るまで高級感に溢れる素晴らしい品ばかりだ。
その部屋の真ん中に据えられた、ゆったりとした上質の安楽椅子に座る女性もこの国で一番の、最高級の人で。
「なんという顔をしているの。シエル」
柔和で優しげな微笑を浮かべシエルを見つめるその姿はいつもと変らない。
「・・・まさか・・・貴女が」
「わたくしが、なに?」
ずっと待っていた。
伯爵の地位を継ぎ、女王の番犬を勤め、その権威を翳し、権力を誇示しながら、仇が訪れるのを待っていた。
本来の自分を捨て、悪魔に魂を売り渡してまでこのときを待ちわびていたというのに。
こんなすぐ近くにいたというのか。
一番初めにシエルを庇護してくれた女性。爵位と権力をシエルに与えてくれた女性。シエルを子飼いとし密命をくだしていた女性。
彼女には感謝していた。感謝してもし尽くしきれないと思っていた。敬愛さえしていたというのに。
「ファントムハイヴを・・・滅ぼした・・・」
血塗れの部屋。
バラバラになった人体。
炎に飲み込まれ消炭のようになった骨の欠片しか残らなかった家族。
「あの惨劇を引き起こしたのは貴女なのか!」
怒りが湧き上がる。憎しみが全身を貫く。
ずっと待ち望んだ真相への入口を見つけた今、ようやくという喜びよりも燃え上がるような怒りが強い。
「仕方なかったのですよ」
焦りも後悔もない穏やかな色を瞳に宿したままの答えに、シエルは瞠目した。
今、なんと云った?仕方がない?あの惨劇が?あの残酷なまでの殺戮が?
いつも見守ってくれていた祖母。明るく美人だった母。温和で優しかった父。穏やかで親切だった大叔父。
元気で手がかかるけど可愛かった弟は、まだ10歳だったのだ。
そんな何の罪もない、大事で大切な家族をあんな無惨に殺しておいて仕方がない?
「女王!!!」
叫んだ声が部屋に響き渡る。それは悲鳴に近かった。
ぐらりと傾きそうになるのを両足に力を入れぐっと耐え、それでも荒ぶる呼吸は抑えようもない。
肩で大きく息をしてどうにか冷静さを取り戻そうとしているシエルに憐憫な視線を注ぎ、そのまま視線をその背後に向けた女王は、綻ぶような笑みを浮かべた。
シエルを通り越した視線の先、その背後にはいつものように執事が佇んでいる。
「お前を待っていました。セバスチャン・ミカエリス。ファントムハイヴ家の悪魔」
女王の言葉にシエルの頭に昇った血がスッと引いた。
確かにセバスチャンは悪魔だが、それを知っているのはシエルだけのはずだ。
この数年、女王の番犬として動くシエルの補佐をする人間離れした執事の存在を知っていたとしても、普通それが悪魔だと誰が考えるというのか。
このご時勢、せいぜい超能力者だと思うくらいだろう。
それなのに女王は『悪魔』と云った。
問いかけではなく、揺ぎ無い真実としてセバスチャンをそう呼んだのだ。
「私はファントムファイヴ家の悪魔というわけではありません」
応える声は焦りも驚きもない。そして悪魔であることすら否定しないものだ。
そうだ、セバスチャンの云う通り、『ファントムファイヴ家の悪魔』ではない。
『シエルの悪魔』だ。
「130年前からファントムファイヴ家の執事をしているというのに?」
「130年前にもファントムファイヴ家で執事をしていたというだけです」
ああ、やっぱり悪魔なのね。
軽い応酬のあとうっとりとした声色で女王は呟いた。
「年老いた権力者が望むものはいつの時代も変らない、というところですか」
表情に変化はないが、声にはほんの少し呆れたような色を乗せている。
金と権力を手に入れた人間が最後に望むものは『若さ』と『永遠の命』。
「まさかそんなことで・・・」
シエルは呆然として呟いた。
老女王は自らの望みを叶えるために悪魔の力を必要とした。
その悪魔を手に入れるために、ファントムハイヴ家を滅ぼしたというのか?
なぜ?なんのために?意味がわからない。
悪魔が欲しいなら自ら召還すればよいだけである。ファントムハイヴに何の関係があるというのだ。
「お前はよく役立ってくれました、シエル。いえ、シエリ」
詩絵里。
それは数年前に捨てた名前だ。
弟になり代わって、男として伯爵家を継ぐと決めたときに捨てた、家族と一緒に死んだことになった姉の名前
「どういうことだ」
すべてを知りたいと思った。
なぜ、どうして、家族が惨殺されなければならなかったのか。自分に与えられた役割はなんだったのか。
女王から授かった伯爵という称号はただの道化のためのものだったと、もう既に役目を終えたというのなら、シエルはもうシエルである必要はない。
シエル・・・シエリは女王を正面から睨みつけ、低い声で問うた。
「そうね。上手に踊ってくれた褒美に教えてあげましょう」
動じない老女王は謳うように云った。喜びに溢れた楽しげな声で。

130年前に役割が途絶えたといっても『女王の番犬』『裏社会の秩序』として、裏で君臨していた伯爵家のことは勿論知っていました。
それはただの知識として。それはただの歴史として。なんの感慨もなく、ただの事実として。
興味を覚えたのは随分経ってからのこと。

襲撃を受けて殺害された伯爵夫妻。
火を放たれた屋敷から連れ出され行方不明になった10歳の息子。
数ヶ月後に少年が戻って来たときには傍らに従っていた美貌の執事。
少年の帰還と同時にいつの間にか再建されていた伯爵邸。
不可解で不思議なことは更に拍車をかけていく。
爵位と役目を継いだ少年の子供らしからぬ驚くべき有能さもさることながら、執事の人間離れした有能さ。
常識では説明できない出来事の数々。
挙句に謎の死を遂げた、当時の女王の死の現場にいたという少年伯爵。
ふたたび行方不明になったのち、また何事もなかったかのように現れ、そして三度の失踪。
生きて自らの意思で執事と共に去ったというのに、知人に届いた死亡通知。
そしてその後、数年にも渡り伯爵の名を騙った少年が、教会を転々と訪れていたという報告。
どの教会からの報告も、少年の容姿は消えた伯爵と同じもので、そしてそれは何年経っても変らなかった。
成長しない少年の消息が途絶えたのは、失踪からかなり経ってからのことだという。

金も人脈も手段も女王という立場を最大限に利用して、少年伯爵について、彼の執事について調べ尽くした。
有能な人材、博識な有識者に密命をくだし、長い年月をかけて調べさせた結果。
『執事、セバスチャン・ミカエリスは悪魔であった可能性が高い』
信じられないことに、それが導き出された最終結論だった。

「本来、悪魔というものは簡単に召還できないものなのですよ」

それなのになぜ。
少年伯爵シエル・ファントムハイヴは悪魔を手に入れることが出来たのか。
偶然なのか、才能なのか、理由はわからない。
だが、彼の血を継ぐ者であれば、その何かを受け継いでいる可能性があるのではないだろうか。
130年前と同じように血の惨劇が起き、子供がひとりだけ生き残ったとしたら。
何が起こるのだろうか。

「まさか」
シエリは世界が揺らぐのを感じた。
そのために?悪魔を召還させるために、惨たらしく殺害した家族を、最後のひとりに選ばれたシエリに見せつけたというのか。
女王の願いを叶えるため、ただそれだけのために。
「女王の番犬としての仕事ぶり、しっかり観察させて貰いました。やはりその執事は悪魔ですね」
満面の笑みを浮かべ断言する女王は正気のようで正気には見えない。
だいたい悪魔を呼び寄せるために家族を殺された者が、諸悪の根元である女王の望みを叶えると本気で考えているのだろうか。
馬鹿馬鹿しいの一言に尽きる。
最高権力者として長い間、国の頂点に君臨し続けて価値観が狂っているとしか思えない。
「だとしたらどうだと?私が貴方の望みを叶えるように悪魔に願うとでも?」
死を願っても生を願うことなどありえない。
憎しみを込めた視線を向けても、女王の態度はなにも変わらなかった。
「シエリ、貴方と悪魔の契約は数年前にすでに成されているはずでしょう?今更願いを追加することなど出来るの?」
出来るはずはない。
仇を見つけだし復讐を果たすまでシエリと共にありその身を守る。
その代償がシエリの魂だ。
魂は一人ひとつ。新しい契約は望めない。
だとしたらどうやって女王は望みを叶えるというのか。
「貴女の望みはわたくしの死かしら?わたくしが死んだ瞬間、契約は終わり貴女も死を迎える。そのとき新しい契約者がいたとしたらどうかしら。わたくしのためにわたくしの望みを叶え、悪魔に自らの魂を与えてくれる者が」
「・・・なにを馬鹿なことを」
女王の言葉を聞いたシエリは、心底呆れて吐き捨てた。
悪魔と契約することは難しい。そう言ったのは女王自身ではないか。
ファントムハイヴ最後の生き残り、シエリが死ねば悪魔と契約することが出来る人間はいなくなるということだ。
女王が死んで、シエリが死んで、そのあとで誰が女王の復活と永遠の若さと生と引き替えに悪魔と契約するというのだ。
女王が信じる悪魔を使役できるファントムハイヴの血を引く人間はいないというのに。
シエリがあざ笑うように女王の愚かさを指摘すると、女王は目を細めて笑った。
「さあ、シエリ。おまえの望みを叶えなさい」
シエリの望み。
家族を惨たらしく殺害した相手を見つけだし復讐を遂げる。すなわち仇の死。
今まさに死が襲いかかろうとしているのに女王には怖れも戸惑いもない。
「その瞬間、この者が私の望みを叶えてくれるでしょう」
その言葉が合図だったかのように、隣室に通じる扉のノブが小さく音をたて、細く開いた。
 



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別の物語

 








■なかがき

またもやすみません。終わらないあげく本家シエルは未登場に。
次こそは(^^;)
ちなみに、少年伯爵の後半の設定は拙宅の『Road to the end』なので、完全オリジナルです。





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