「さすが、その手の権威といったところだな」
シエルは黴臭い書庫いっぱいに収まった書物を見回して、興味深げに呟いた。

 
 

Road to the end [1]



 
決して華美ではない、どちらかといえば質素な部類に入る教会の前に馬車が止まった。
こちらは質素ではない、それなりの階級の人種が乗る二頭立ての馬車である。
その馬車からゆっくりとした所作で降り立ったのはひとりの少年。
彼は少し振り向き御者に一言、二言、何かを云った。少年の言葉に御者は恭しく頭を垂れたあと、手綱を操って走り去っていった。
教会の扉の前に残ったのは貴族然とした少年一人だ。
彼は扉を開け教会内に足を踏み入れた。
内装も外見同様質素であるが、きちんと手入れされたその場所はシーンと静まり返っており静粛な空気を醸し出している。
「やはりあまり良い気分ではないな」
少年は小さく呟いた。静まり返った教会内でも聞き取れないほどの声で。

神への信仰はすでに拒否した。
今は己自身さえも神を拒絶した存在だ。
だが、今なら思う。悪魔が存在するのだから神もまた存在するのだろうと。
ただその存在は無慈悲で人間ひとりひとりになど見向きもしないというだけのこと。
教会も、神に仕える神父も牧師も、人間の信仰に寄ってある種のパワーを持ち得ているだけなのだ。
この教会はその最たるもの。神の名の下の信仰の力で奇跡を起こしている。

「なにか御用ですかな」

祭壇に近づくでもなく椅子に座り祈る様子もなく教会内を見回す少年に、柔らかい声が問いかけた。
同時に奥にある扉から一人の男が現れる。老齢で穏やかな雰囲気を纏っているが、身のうちから何か強い力が漲っているような不思議な男だ。
服装や発した言葉から見るとこの教会の神父であることは一目でわかる。

「シエル・ファントムハイブと申します」

少年は敬意を込めた様子で軽く頭を下げると、ゆっくりと神父に近づいて、一通の手紙を差し出した。
神父はその手紙を受け取ったあと、封の蜜蝋を見て瞠目した。

「これは・・・」

同じ役割を持つ、その道ではかなり有名な教会からの紹介状である。行った事柄について情報交換の手紙の遣り取りはしていたが、このようなことは初めてだ。
神父は驚きはしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ、シエルと名乗る少年を奥の部屋へと案内した。


*


「エクソシストの中心的な教会だとお聞きしています」
「はい、その通りです」

悪魔に憑かれた人間から悪魔を払う。
その重要な役割をこの教会は担い、過去に多くのエクソシストを輩出して来た。
同じく悪魔祓いを行う教会から紹介状を携えて来た少年を見つめ、神父は重々しく尋ねる。

「で、ファントムハイブ伯爵は何をお知りになりたいのですか」

紹介状には彼が王室に関わりの深い貴族であること。そして紹介元ではその情報を持ち得ないため、紹介状をしたためたことが記されていた。だが、その情報が何かとまでは書かれていない。文章の雰囲気から読むと、その情報は決して在りえない内容であるらしいことはわかっていた。

「悪魔祓いとはその言葉の通り、憑かれた人間から悪魔を払うことだと理解しています」
「はい」
「その方法は詳細に記録として残されているとお聞きしました」

過去に行った悪魔祓いの詳細が記述されている資料はある意味門外不出の資料である。
悪魔祓いを行う教会はその役割を人々に公にはしないため、信者はもとより教会関係者も、上層部の者以外は悪魔祓いを主とする教会があるということをほとんど知らない。現実的に悪魔の存在を知らしめて人心を無駄に恐怖に陥れる必要はないという教会側の意向によるものだ。
その状況でこの教会を訪ねてくる少年の真意を読み取ろうと神父は彼をじっと見つめた。

「私が知りたいのは『悪魔を払う方法』ではありません」

神父は視線を逸らさず軽く頷いた。
それが目的ならば彼が今まで訪問した教会にも情報はある。わざわざこの教会まで足を運ぶ必要はない。
もっとも詳細で尚且つ広範囲な情報が欲しいというのなら別だが。

「私が知りたいのは『悪魔を消滅させる方法』です」

隻眼の蒼い瞳が揺ぎ無い力を放って神父を見据える。シエルの言葉に神父は驚きのあまり息を詰めた。
深くて重い沈黙が流れる。
少し責めるような探るような視線を向けても少年の眼は少しも揺るがない。凛として神父を見つめたままだ。
沈黙を破ったのは神父の長く細い溜息だった。
凝り固まった体からいったん力を抜き、すぐに背筋をピンと伸ばしてシエルを真正面から見据えた。

「なぜそのようなことを伯爵はお知りになりたいのですか?」

シエルは薄く笑って目を伏せた。長い睫がそのまろやかな頬に小さな影を作る。
再び目を開いたシエルは内緒話をするかのように囁くような声で答えた。

「私の意志ではありません」
「・・・と、云われますと?」
「とある人物に調査を仰せつかって情報を集めているに過ぎません」

『誰か』とは云わない。
しかし、少年とはいえ爵位を持つ貴族自ら調査に赴く必要があるほどの人物といえば、かなり位の高い人物であることは予想できる。
そして、彼が王室に関わりが深い人物であるという紹介状の記述を信じるのなら、その人物はこの国の。
無意識に神父の喉がゴクリと鳴った。
それならば彼が紹介状を持って訪ねてきたという不可解な事実に説明がつく。

「エクソシストとは・・・」

神父は噛み締めるように一言一言を紡ぎだす。

「神の御名において行いますが相手は人外の者・・・悪魔です。人間の力だけでは到底及ばない。神のご加護を信仰の力によって最大限に引き出し、それでも尚敵わず命を落とす者もおります。どんなに高位のエクソシストでも対する悪魔の位が高ければ高いほど手こずり命がけです。我々人間には祓うことが精一杯です。消滅させることなど無理というもの」
「では消滅させた事例はないと?」
「・・・悪魔祓いの結果、悪魔は取り憑いた人間から去ります。私達には悪魔がいなくなったことがわかるだけです。祓ったのか、もしかして消滅させることが出来たのか・・・その判断はつけかねます」

悪魔を消滅させることが人間に出来るとは到底思えない。だが、去った悪魔が消滅しなかったのだという証拠は何処にもない。
そのような状況だからこそ『悪魔を払った方法』の記録はあっても『悪魔を消滅させる方法』などという記録は何処にもないのだ。
どの教会でも同じ回答を得ているはずなのに、それでも紹介状を携えてまで訪ねて来たということは。

「もし宜しければ」

大きな蒼い瞳が神父の瞳を見つめる。ある決意と強い意思を乗せて。
続く言葉は予想した通りのものだ。
神父は暫くの沈黙のあと、ゆっくりと頷き、小さな伯爵を地下の書庫へ案内した。
 



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最後への道 -シエルの旅-

 








■なかがき

少し長くなりそうです。(拙宅レベルでの『長い』ですが:笑)
気長におつきあいください(^_^)





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