俺はベッドに横になった。
「今日はマジで疲れた……」
本当なら、今日もいつもと変わらぬ1日のはずだった。
全てはこの体のせいだ。腹いせに自分の腹を殴ってみた。
「ぐはっ──!」
数秒の間呼吸が止まった。
『ご苦労さま』
「またあんたか。頼むからもう出てこないでくれ。いるだけで気分が……」
『心配しないで。午前0時になったらこの仕事も終わりだから』
あと3時間ぐらいか。なんだか待ち遠しいなぁ。
俺の中にいられると何もかも見透かされてる気がして落ち着かない。
「……もう寝るか」
俺は掛け布団にもぐりこみ、ライトを消した。
それから間もなく、俺の記憶は消え失せた。

『……そろそろね。3、2、1……』

ジリリリ──
翌朝9時、目覚まし時計が朝の訪れを告げる。
脊髄反射でそっちの方へ手を伸ば……んっ? 何だこれは。
ベッドの中に人が寝ている!? 俺はおそるおそる覗きこんでみた。
そこには、昨日鏡の前に映っていた少女(つまり今の俺だ)が横たわっている。
尻尾が無いこと以外は、体の特徴もそっくりだ。
そして俺と全く同じ服。
「まさか、魂が抜け出したのか?」
女の体に触れてみた。確かに皮膚の当たる感触はある。
幽体離脱とか言うやつではなさそうだ。
1人で考えても埒が開かない。俺はその女をゆすり起こした。
「んんっ……ふにゃ?」
「おい、お前は誰だ?」
「わたしぃ? 私はメグミ、高峰恵美」
「えっ? おいアンタ、まさか……昨日の!?」
「あれぇ? なんで私がこんな所に??」
「それは俺が聞きたい」
恵美と名乗る女は、自分の体を見まわした。
「うそっ! 人間に戻ってる!!」
とりあえず、当人も何も知らないってことは分かった。俺はベッドから飛び降りた。
「ほら、お前も来いよ」
俺が促すと、回りをキョロキョロしながら付いてきた。

リビングには既に真由と兄ちゃんがいた。
「おはよー、俊にぃ」
「おはよう。体の調子はどうだ?」
「普通だ。それより大変なことになった」
「どうしたの?」
真由が嬉しそうに尋ねる。
「別にいい事じゃないぞ。ほら、こっち来い」
恵美が家族の前におずおずと顔を出した。幾分緊張してるみたいだ。
「えっと……高峰恵美といいます……」
2人から驚嘆の声がもれる。
「マジかよ! 俊之が2人!?」
「どっちがどっちか分かんないよ!!」
「てか、同じだろ!!!」
さすがに驚くよなぁ……
「恵美さん、だっけ?今何歳なの?」
「『恵美』でいいですよ。今17歳だと思います」
「曖昧な表現だなぁ」
「なにぶん、昨日まで実体が無かったもので……昨日も、俊之君の中にいましたから……」
「なか? どういう意味だ、俊之?」
なんて言えばいいだろうか……
「コイツは、サキュバス、俺みたいな奴のナビゲーターだったんだってよ。俺もお世話になっ……なってないか……」
「ふぅん、何でもいいや。君、身寄りは居るの?」
恵美は少し深刻そうな顔をして、口をつぐんでしまった。
「父親が……いることはいます。でも会いたくないんです……」
「なら行くところも無いだろ。うちで暮らす?」
「お邪魔でなければ」
恵美はそう言って少し微笑んだ。こうしてうちに家族が1人増えた。

「ちょっと、武にぃ! もうこんな時間!!」
俺達の目線が時計に集まる。
「まだ慌てるような時間じゃない。俊之、今日は一緒に俺の仕事場まで来い」
「何でだよ。せっかくの日曜日だぜ」
「検査してみるんだ。昨日言ったろ? 『構造にも興味ある』って。サキュバスにしか罹らない病気があっても困るし」
でたよ、この生物オタク……
「あと恵美ちゃん、だったっけ。君も来てくれない? ちょっと調べたいことがあるんだ。って言っても健康診断ぐらいのものだけどね」
「分かりました。一緒に行きます」
「よし、じゃあ2人とも早く着替えてきて」
「恵美さんは私の服を貸してあげるね」

部屋に戻ってTシャツとジーパンをあさる。
背が低くなった分大きさも考えなきゃならない。
とりあえず小さめのを見繕って選んだものの、上着は胸のせいで腹が見えてしまうし、下は下で尻がつかえてなかなか入らない。
女の体って本当に動きにくい。
「遅いぞ、早く乗りな」
俺達は兄ちゃんのクルマに乗りこんだ。

走ること1時間、小高い丘の上に兄ちゃんの職場はあった。
重々しいゲートの横に『国立生命化学研究所』の表札が見える。
研究所の中はイメージとは違って清潔感があった。すれ違う人は皆、兄ちゃんに深々とお辞儀していく。
「初めて来たよ、兄ちゃんの職場」
「そうだったっけ?」
構内を何分も歩いて、やっと目的の部屋らしき所へついた。
兄ちゃんがドアを開けて俺達を招き入れる。

「すげぇ……」
「なんて広さなの……」
ざっと百畳はありそうだ。小学校の校長室より格段にでかい。
「改めて、俺の職場へようこそ。俺がここの副所長、宮下武史だ」
「えっ、なんで隠してたんだ!?」
「聞かなかったから言わなかっただけだよ。親があんなので、普通の生活が送れるのもおかしいだろ?」
「でも、まだ25歳じゃん!」
「それは彼が天才だからよ。はい武史、お茶が入ったわ」
奥の方から秘書のような人が出てきた。
(国家公務員にも秘書がつくのか?)
「せめてここでは『副所長』って呼んでくれ。仮にも部下なんだから……」
俺はこの女性を知ってる。高校時代兄ちゃんの彼女だった人だ。
家にも何度か遊びに来たことがある。名前は……忘れた。
「そうか、紹介してなかったっけ。俺の婚約者で秘書の、牧野絢音さんだ。来月俺達が結婚したら義姉になる女性だ」
「あら、あなた達双子? 昔行った時はいなかったわよね?」
「片方は弟の俊之で、もう1人は高峰恵美さん。瓜二つだけど全くの別人だ。似過ぎてるから遺伝子を調べてみようと思って連れてきたんだ」
「へぇ〜、別人なんだ。しかもこの子があのマセガキ」
絢音さんは俺の両頬をつねってくる。小学生の頃と同じように。
そうだよ、俺はこの人が苦手だった。てっきり忘れてた……
「俊之、お前は絢音と器具を回ってくれ。俺は恵美ちゃんの遺伝子サンプルを取りにいくから。じゃあ行こう」
「あ、はい」
「はいは〜い」
「……痛かったんですけど」
「ゴメンゴメン!じゃあ、私達も行こうか」
俺はしぶしぶ付いて行くことにした。

男ばかりの家庭に育った俺は昔から女が嫌いだ。ある1人を除いて。
なよなよした口調や態度を見ているだけで虫唾が走ってくる。
6回か7回告白されたこともあったが全員断った。
そんな俺が今や女なんだから、運命とは皮肉なものだ……
「はぁ……」
「どうしたの、ため息なんかついて。可愛い顔が台無しよ」
「ほっといてください……」

所内には恐ろしく巨大な装置がゴロゴロあった。
俺はそのうちの一つに入れられて、レントゲン写真とかを撮られた。
そうかと思うと、今度は密閉になった部屋に1時間座らされた。
その後も、訳のわからない検査が延々と続いた。
「とりあえずこれで終わりよ。さっきの部屋で待ってて」
その後待つこと30分。絢音さんは、結果でも見ているのか戻ってこない。
そうこうする内に絢音さんが入ってきた。
「さて、次が最後の検査よ」
「えっ? もう終わったんじゃ?」
「いいえ、とっておきのが残ってるわ……」
さっきとは明らかに目つきが違う……
これはかなり危機的状況だ、きっと何かが起こるぞ……
俺の本能が警鐘を鳴らした。

絢音さんの脚が、1歩また1歩とこちらに向かって進んでくる。
それに合わせて、俺も1歩また1歩と後ずさりする。
7〜8歩下がった時、背中に何かがぶつかった。
「あっ……」
遂に、窓際に追い詰められてしまったのだ。万事休す。
ケンカなら勝てるだろうが、女を殴るのはプライドが許さない。
「やっとつかまえた……」
絢音さんは俺をじゅうたんの上に押し倒し、Tシャツをまくし上げた。
なんとか押さえていた胸が露わになる。
「大きくて綺麗なおっぱい……」
「ほ、本当にやめてください! あなたはレズですか!?」
俺は両手で乳房を隠して言った。
「レズぅ? 私は変態じゃないわ。あなたは男の子でしょ?」
「第一、婚約者だって……」
「どうでもいいじゃないそんな事。折角女の子になったのに勿体無いわ」
絢音さんは俺の腹の上に乗っかってきた。
両腕も膝で押さえられてしまったので、抵抗する術も全く無い。
今度こそ万事休すだ……


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