ある男が死んだ。
男は常日頃から遺言めいたものを用意しており、そこには自分の死後、
自分が関わった物事や身の回りの品々などをどのように処分して欲しいかが詳細に記されていた。
男の家族はその遺言どおり、男の遺した収集品の大半を、男の親友に引き取ってもらえまいかと頼み込んだ。
親友は、生前の男から冗談めかして遺品の始末を頼まれていたから、その申し出を快諾した。
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「おい。起きろ。おい」
「……んー?」
何かが彼の上に乗っている。
そいつはやわらかくて、あたたかくて、なんだか良い匂いもする。
少し重たいが、その重さは妙に心地よくて、このまま乗せて眠っていたい気分だ。
なのにそいつは彼のうえで彼を揺さぶりながら、
「おーい。起きてくれー。トゥワァーケェースィー」
彼を起こそうとする。
ちょっと間延びした調子をつけて、おかしな発音で彼の名前を呼んでいる。
懐かしい感じがした。
こんな風に、彼の名前を呼ぶやつがいたのだ。
たいがい、あいつはとても困ったときに、そんな状況にもかかわらず、ふざけた口調で彼を呼んだものだった――。
「トゥワァーケェースィー」
――と。
「起きろー。起きろってーのっ!」
べちん。
「いたっ!」
顔を叩かれた。
目を明けると、うえに乗っているものが見える。
女の子のようだ。
黒髪を肩のあたりで切りそろえている。大きな青い瞳が、子猫みたいに彼をじーっと見つめている。
「よっ。起きたか?」
女の子が、白い歯を見せて笑った。
「誰だ? 君は? 何で俺の部屋にいる」
「まあ、落ち着け」
女の子は彼のうえからおりると、そのままベッドに腰掛けた。
よく見れば、女の子が身に着けているのは彼のスウェットだ。
「何で俺の服を着てるんだ?」
「裸は寒いじゃないか」
「自分のを着ればいいだろう」
「ない。少し借りるくらいいいじゃろが。ケチじゃのうタケスィは」
「ケチとかそういうんじゃなくてだな……だいたい服がないってどういうことだよ。いや、だから、そもそも君は誰なんだ?」
「ふむう――」
女の子は、難しい顔をして顎に手を当てる。
「ワシはいったい何者なのか? ワシはどこからきてどこへ行くのか? それは永遠の謎じゃよー」
「おい、自分のことが分からん……のか?」
彼は――健史は、女の子の言動にひっかかるものを感じつつも訊ねる。
「さて?」
小首をかしげて、健史を見つめる女の子。
目鼻立ちが人形のように整っていて、少なくとも外見だけはとても可愛らしく見える。
「なあ、君は『どこか』から『きた』とかいったな?」
健史はさきの女の子の言葉を思い出して、質問の仕方を変えてみた。
「うむ。おそらくは……」
いいながら、女の子は天を指差す。
「それで『どこか』へ『行く』って?」
「見当もつきません」
「お前……馬鹿だろう?」
「お前に合わせたんだ」
しばらく、二人は無言で見詰め合う。
「間違いない。お前、鞠生だな?」
「おう」
死んだ親友が、一週間後、目の前に現れた。
とびきり可愛い女の子になって――。
****
「――で、気がついたら、ここにいたと?」
「はぁーい。そうですぞー」
妙に神妙な態度で、鞠生は肯いた。
ベッドにちょこんと正座する姿は、なんとも可愛らしい。
鞠生の話によると、鞠生は自分が死んだことをちゃんと分かっているらしい。
死んだあと、自分の通夜やら葬儀やらを一通り眺めていたというのだ。
そのあと不意に『どこか』に引っ張られたような感じがして、一度はその『どこか』に行ったのだという。
『どこか』に行ったあとの記憶はほとんど無くて、気がついたら健史の部屋にいたそうだ。
ちなみに全裸で寒かったので、その辺にあった洗濯物からシャツとスウェットを借りたという。
「待て。じゃあ、お前いまシャツとスウェットしか着てないのか?」
「そうですぞー」
「下は?」
「貴様のパンツは無駄に大きかったですぞー」
「無駄とかいうな。いや、もう赤い雪男の真似は分かったから」
「正確には赤い雪男の子供なのですぞー」
鞠生が馬鹿みたいなのは普段どおりなので、健史はむしろ安心する。
「おい、そんなことより腹がへったのですぞ。タケスィなんか作れですぞ」
「俺を起こした理由は、それだな?」
「もちろんですぞー」
健史は深い溜息をついてから、
「分かった。準備する。その間に何か着ろ、その、何か穿け」
「バカめー。貴様のパンツは大きいからずり落ちちゃうのですぞー」
「紐でくくれるスウェットのとかあるだろうが」
鞠生は急にうつむくと、
「……ごわごわ…するんだよ」
「知るか」
まともに付き合う気が失せたので、健史はさっさと台所にいってしまう。
****
「おい。できたぞ」
健史が適当に作った炒飯をもって部屋にもどると、鞠生は布団にすっぽりくるまって、ベッドのうえに転がっていた。
「何してる」
「見て分からんですか。まったくタケスィはバカですね。寒いのです」
また微妙に口調が変わっている。これもいつものことだから健史は気にしない。
「服は着たのか?」
「着た」
「でも寒いのか」
こくこくと頷く鞠生。
体が小さくなったせいで寒がりになったのかもしれない――などとおもいつつ、
「ほら、食い物もってきたぞ」
「このグズめ。遅いです」
布団から這い出しながら、鞠生は文句をいう。だがその顔をみれば、にこにこと満面の笑みを浮かべている。
このようにふざけた態度ばかりとるところも健史の知っている鞠生らしいのだ。
黙っていればそこそこの美形であるし、頭もかなり切れる。
しかし、基本的に真面目にしていることがない。
おしゃべりなお調子者というわけではないのだが、口を開くと、くだらない馬鹿馬鹿しいことしか言わない。
そういう奴なのだった、鞠生は。
鞠生という名前でたまに誤解されるのだが、彼は男だ。だがそれも生前のことだから、「男だった」というべきか。
とにかく鞠生は、頭が良くて尚且つ変人であった。まわりからの評価は総じて『痛い奴』と決まっていた。
テーブルの前に正座して両手を合わせ、
「いただきます」
鞠生は一礼すると、健史の作った炒飯を食べはじめた。
黙々と食べている様子を見ると、よほど空腹であったらしい。
それでもガツガツと貪るような食べ方は決してしないところが、これまた鞠生らしい。
鞠生はいわゆる『おばあちゃん子』で、鞠生のおばあちゃんはとても行儀にうるさい人であったという。
そのためなのか、鞠生の立ち居振る舞いはどこかおっとりとした印象を見るものに与える。
普通であれば『育ちが良さそう』とか『上品』と思われてもよさそうなものなのに、
日頃の言動のせいで『とろい』とか『鈍臭い』とか好ましくない受け取り方しかされないのだ。
なかには鞠生を本当に『頭の弱い子』だと誤解するものさえいた。
もっとも、そんなのこと鞠生本人はまったく気にしていないし、健史も気にしなかったのだが。
皿の上の炒飯が半分くらいになったところで、鞠生はようやく言葉を発する。
「もー、うまいですぞ坊主? こいつはまったく堪えられませんなー」
「誰が坊主か」
「貴様じゃよー?」
「ああ、分かった。分かったから大人しく食え」
「はーい」
もぐもぐ、もぐもぐ、ごっくん。もぐもぐ、もぐもぐ……。
幸せそうな笑みを浮かべながら一心に食物を摂取するさまはまるで小動物のようで、
見ているうちに、つられて健史も笑顔になってしまうくらいに微笑ましいのだった。