「わあったよ、なんか知らんがそんなに言うなら帰る」
フ、とドアノブから力の抜ける気配。
ほっとする。今日の藤也がやけに物分りがい──
「なあんちゃってーーー!!」
「あ」
安心して無意識のうちに抑える力を緩めてしまったドアノブは、そりゃもう綺麗に開いたさ。

藤也の反応は、まあ、当然のごとく凄まじかった。
俺が宮代京太であることを認めさせるのに様々な努力をしまくったことはもう思い出したくない。
時刻は8時。窓の外はいつの間にか真っ暗だった。

「あー、なんというかー、…俺はどうしたらいい?」
「それは俺が聞きたい」
何とか落ち着いて向かい合った俺たちは、ぐったりしている。
なにはともあれ、こうして秘密を共有する仲間が出来た。
「…藤也、こんな事があって急で悪いが、────頼む。元に戻るのに協力してくれ」
深く頭を下げる。
そんな珍しいを通り越して今までの京太にはありえない行動に能天気な藤也も焦る。
「…いや、そりゃ協力でも何でもするけどさ…。原因とか心当たりあるのか?」
「……朝起きたらこうなっていた。さっぱりわからない」
早速壁にぶつかり、解決策は見つかる気配を見せない。
会話が途切れてしまい、二人の間に重い沈黙が流れる。

藤也はふと、京太の白い足に目が行く。
今の京太は、ワイシャツにトランクス一枚、などと気遣いが微塵も無い格好をしている。
透けて見えそで見えない胸。惜しげもなくさらしている生足。
とどめに、半端なく可愛らしい顔の京太。
あの、無口で無愛想でクールな京太が。
今では儚い雰囲気を漂わせるとんでもない美少女になっている。
…笑い飛ばしてしまえばそれまでなのに、藤也にはそれができないでいた。
表面上ではできても、心の中では、────何故かドキドキしている自分がいるのだ。

藤也は自他共に認めるナンパ師である。かわいらしい女の子には目が無い。
顔もいいので、当然もてる。経験だって豊富だ。
そう。俺が好きなのは女の子。
目の前の少女は女ではない。中学からの長い付き合いの親友の男だ。
そりゃ小柄で多少女顔だったが、こいつは根は俺なんかよりずっと漢らしいのだ。
(なんなんだよ…)
しかし、いくら思い込もうとしてもどうしても気にかかってしまう。
もやもやと、…変な感情がわいてきてしまう。
(・・・・・・あ〜〜〜!!)

「……京太、そんなカッコしてると風邪ひくぞ」
とりあえず気になるその杜撰な格好をどうにかしてもらうことにした。

京太は、一瞬ああ、という顔をして、
「…悪いな、見苦しい格好だとは思うが、…少し体が熱くて、つい」
こんな格好のままなのだと、京太はさして気にするでもなく言った。
…体が、熱い。
なんですかそのちょっと妄想しちゃうような発言は。
もしかしてそういうことなのか? いやどうせコイツのことだから何気なく言ったんだろうけど。
俺はすでにモヤモヤと何かが渦巻いてしまうわけで。
変な妄想が広がるたび、

こいつは男なんだ
こいつは男なんだ
こいつは男なんだ
こいつは男なんだ

壊れたラジオのように言い聞かせる────

「…藤也? どうした、調子でも悪いのか。疲れただろうし、帰ってもいいが…」
意識していた京太の声が骨に直接響くように聞こえる。
綺麗な、女の声が──
「・・・・・! じゃ、じゃあ、かか帰るわ、また明日も寄るからじゃな!」
この場から自分を無理やり引き剥がすように、もう京太の顔も見れず、藤也は逃げるように京太の家を後にした。

「どうしたんだ、あいつ…」
最後はタコのように真っ赤な顔だった。
「…それもそうか。男が女になったんだもんな。動揺もする」
藤也の心境は露ほども分かってもらえていなかった。
その時、京太は静かになった部屋に響く、間抜けな腹の音を聞いた。
「…そういえば朝から何も食っていなかったな」
服を着替えて、夜の外へ出る。
幸い、ズボンや厚着をしていれば男の宮代京太に見えないことも無かった。
今は春も半ばで少し暑くなるが、贅沢は言ってられない。
「これなら、学校にも行けるかもしれないな」
食料を求めて、近くのコンビニへ向かう。
京太のアパートはへんぴな所にある。だから、周りも基本的に人通りが少ない。
よって夜はあまりで歩きたくなかったのだが────

「よーお、宮代くんじゃねーの?奇遇だねー」
ため息をつく。
なぜなら、こういう輩がたまにうろついているから。
しかもよくない知り合いとかが。
詳しく言うと京太に喧嘩を売ってきた他校、同校の不良で、こてんぱんに返り討ちにあったヤツらとか。
京太は小柄に見えてケンカはなかなかに強く、そこらの不良には遅れをとらない。
藤也とタッグを組んで死線をくぐりぬけた事もしばしば。

後ろを振り向くと、そこにはあまり友好的ではない雰囲気丸漏れのにやにやした2・3人の男どもがいた。
「だめじゃん、こんな時間にさー、夜遊びはよくねえんじゃん?」
黙っている京太に近づいてくる、茶髪の男。
確か、前々からつっかかってきていた他校の3年生。
────だった気がする。
「・・・・・」
京太は相手にしている暇は無いとばかりに踵を返す。
「無視してんじゃ、ねえよ!!」
見かけどおり、キレやすい茶髪は背中を見せる京太に殴りかかった。

それを、流すように振り返りながら避ける。
何の考えもなく大振りに殴りかかった茶髪は、避けられることで隙だらけの姿をさらした。
そこへ、すれ違うように腹へ右手のこぶしを入れた。
「げっ、」
腹を抱えて膝を突く茶髪。
これで茶髪が立つことはしばらく無い。
にやけ顔を引っ込めた後ろの2人が、敵意をむき出しに京太と向かい合う。
一気に間合いを詰めようと、京太が飛び出そうとした瞬間、
「っ!?」
がくん、と何者かに足首を掴まれることによって阻止された。
瞬時に目を向けると、そこには動けないはずの茶髪が腹を押さえつつもにやりとした顔で京太の足首を掴んでいた。
「く───」
京太の目の前を黒い影が横切り、しまった、と思ったときには腹に白くて重い衝撃。
茶髪に気を取られている間に、前の一人が潰すような蹴りを入れた。
衝撃で後ろへ飛ばされ、倒れたまま動けなくなる。
咳き込むと、腹に鈍痛が走った。
「───ぁ、ぐ、あ」
今までに無い痛み。そこで京太は気づいた。

自分は女になっていたのだと。

当然、力がおちている可能性もある。
だから倒したと思った茶髪は動くことができ、いつもなら多少は耐えられる腹筋も弱くなっていたわけだ。

なんという油断。京太は痛みに耐えるように歯を食いしばる。

襟首を誰かにつかまれ、立たされる。
「あー、痛てえ…宮代、オマエまじムカつくよ」
殺気立っている茶髪。
形勢逆転。優勢になったことで優越感に浸った笑みを見せる3人。

────自分はここで死ぬかもしれない。
気を抜けば意識がなくなってしまいそうな、ぼんやりとした頭で思う。
そこへ、
「おい、通行の邪魔なんだよ、どけ」
場にそぐわぬのんびりとした声がしたのであった。


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