暗闇に包まれたアパートの前は、頼りなくたっている一本の街灯の光だけが頼りだった。
そのアパートの前で、なにやら言い合っている二つの影。
「おい、大丈夫かよ。なんだってあんなに飲んだんだよ?」
「うるさいな。俺の勝手だ」
影の正体は、一人は長身の少年。
ついで肩を貸してもらっている頭半分ほど身長の劣る少年の二人だった。
背の低い少年は、ふらふらともう一人の少年から離れると、アパートのとある部屋のドアの前に立つ。
「世話をかけた。じゃあな」
「んだよあっさりしやがって。明日なんかおごれよこのクソヤロー」
そんな暴言を吐かれても少年は気にも留めず家の中へと消えていった。
もう一人の少年も、だるそうに自分の家路についた。
「・・・・・」
部屋に入るなり、少年は棚の中を漁りだした。
掻き分ける乱暴な手に押されて、薬や体温計が音を立てて零れ落ちるが気にしない。
いま自分が欲しいのは酔い覚ましだけだからだ。
「…あった」
念願の酔い覚ましを発見し、箱から薬を出しながらそのままベッドへ腰を下ろす。
「藤也には迷惑をかけたな…」
一谷藤也。それが、先ほど酔って足元もおぼつかない自分を送ってくれた友人の名前だ。
そして自分の名前は宮代京太。近くの高校に通う、ごく普通の学生だ。
そう、普通だった。その夜までは。
酔い覚ましの錠剤を水も使わずに飲み込んで、学生服から着替えもせずに横になる。
当然、そのまま目蓋が重くなり、やがて眠りについた。
「……」
白い光が、眠たい目蓋を射す。さっぱりとした空気。
それから時折聞こえてくる鳥の声に朝だということが分かった。
「…む」
反射的にポケットに入れておいた携帯の時計を見る。時刻は7時45分。
頑張れば遅刻しなくも無い。
しかし二日酔いで痛む頭、しわになっている学生服、加えて気が立つまでの空腹。
これらを抱えての登校は少なくとも1時間はかかるだろう。
よって遅刻決定。
むくりとだるい上半身を起こす。ふと気がつくと、Yシャツの首筋や背中が湿っていた。
「寝汗をかいたのか…」
と、呆っとした頭でブレザーを脱ぎ、Yシャツに手をかける。洗濯という行動まで増えてしまった。
「・・・・・?」
なんだかいつもより胸がきつい気がする。
腕も細くなった気がする。
そうこうしている内に、Yシャツのボタンがはずれ、そして京太は目の当たりにする。
柔らかそうに膨らんだ胸を。
「・・・・・・」
いやいやいやいや。どうにも夢を見ているらしい。
何だって胸が膨らまにゃならんのだ。女じゃあるまいし。
オレは男。よって胸が膨らむなんて未来永劫ありえない。
漫画のようにぐにりと自分の頬を引っ張った。思ったより痛かった。
「・・・・」
夢は覚める気配を見せない。というか、今が現実に思えてしょうがなくなってきた。
「────な、まさか」
頭は冷静になろうと一生懸命だというのに体は焦ってベッドから転げ落ちた。
「って…」
ふと下半身を見る。ベルトが緩んだズボンが、半分脱げかけていた。
ぶるんぶるんと頭を振り、今この状況を全存在をかけて否定するように、乾いた笑いをあげた。
「女になる夢をみるなんて…はは、ははは……」
そして確かめた。生まれたときから死ぬまで一緒の、漢の証の存在を。
「────」
鏡に映る自分の変わり果てた姿を見て、京太は呆然とした。
はだけたYシャツ一枚。トランクスはズボンと一緒に脱げてしまった。
鏡に映るのは、どこをどうみても、女だった。
白い肌、大き目の膨らんだ胸、細い腰、何も無い股間、すらりと伸びる太もも、細い足首。
目の前にいるのは自分の顔の名残を残した女だった。
「え? 京太今日来てねえの?」
今は二時間目の授業が終わった後の休憩時間だった。
藤也は、隣のクラスの友人、水崎夕から京太が欠席していることを聞いた。
「そう。先生にも連絡が行ってないみたいだから、アンタなら知ってると思って」
「…ふーん。二日酔いで動けねえと見た」
ぼそりと発した当夜の発言を夕はしっかと聞き取る。
「やっぱり、藤也、また京太に要らないことしたでしょ…!」
眉を吊り上げて迫る夕に、藤也は引きつった顔でまくし立てた。
「いや別に酒飲ませただけだって! しかも最後のほうは自分から飲んでたぜ、あいつ」
「んなことはどうでもいいのよ!! なんだって酒なんか、もう!」
「だって飲んだことないって言うから」
「ボケっ!!」
夕は拳骨で藤也の頭を打撃した。
「・・・・・」
ベッドにへたり込んだまま、京太は深いため息をついた。
時はもう夕方。窓から見える太陽が沈みかけていた。
あれから、もう一度寝なおしたり、意味も無くぐるぐると部屋の中を歩き回ったり、
5回ぐらい頬をつねったりしたが、朝から胸も股間も相変わらずだった。
最早これは現実として受け入れるしかないのか。
ていうかこれからの身の振り方をどうすればいいのか…
「どうして、女になったんだ…」
再び、ため息。
その時、部屋の中にインターホンが鳴り響いた。
ピーンポーン────
「!」
ぎょっとして、反射的に背筋を伸ばしてドアの方向を見る。
「おーい。京太ーいるんだろー」
ピポピポピーンポーンとやかましい連打音とともに、聞き覚えのある声。
「藤也───」
助けを求めようとして、…やめる。
今この姿を見られるわけには────
「ったく寝てんのか?勝手に入るぞー」
ガチャッ
「!!!!?」
しまった、と血の気が引く。昨日の夜から鍵をかけていない。
「───っだ、やめろ入ってくるな藤也!!」
叫んでも遅い。扉が苦もなく開き始め、
「────っ…!」
────とっさに目の前の玄関と居間の間にある中戸をバタン、と力の限り閉めた。
見えなかったが、それと藤也が入ってきたのは同時だったと思われる。
「藤也!? 何で来た!」
緊張のあまり声が上ずる。
すでに進入してきた藤也は、こちらの扉に向かいながらなのか、声がだんだんと近づいてきていた。
「何って、夕が様子見に行けってうるせーんだもん。好きできたんじゃ…って何閉めてんだよ。開けろよ」
ガチャガチャと両手で押さえているドアノブがまわされる。
鍵もついていない扉は今にも開きそうだ。
「なんでもない、俺は大丈夫だ! だから帰れ! はやく!」
膝ががくがくする。どうしたらどうしたらどうしたら…!