「いらっしゃいませ、何をお探しでしょうか」
「ええっと・・・フレッシュマン用のスーツを探しているんですが」
店員の問いに極力わざとらしくないようにそう答えた。
しかしながら今更フレッシュマンというのもなんだか変な感じがする。ある意味女になったことを自覚したときより違和感がある。
職場に『入社』した時、知っていることを知らないふりをしないといけないな。なんか気苦労が増えそう・・・
「あの・・・お客様?」
「あっあ・・は・・はい」
どうやら余計なことを考えながらぼぅっとしてしまったらしい。店員が怪訝な顔をしてこちらを見ていた。
「こちらなどどうでしょうか?」
そういうと店員はいかにもといったダークグレイのスーツを差し出した。僕はそれを体にあってがってみた。
「どうかな、似合うかな?」
僕は杉田に意見を求めた。
「いいんじゃないか。でもせっかくだから試着してみたらどうだ」
杉田に促され店員に尋ねる。
「ああ、そうだね。すみません、これ試着してもいいですか?」
「いいですよ。お客様のサイズを教えてください」
当たり前といえば当たり前のことを忘れていた。服のサイズがわからない。どうしよう。そんな時、杉田が助け舟を出してくれた。
「あの、すいません、せっかくだからオーダーメイドで作ってもらえますか。人生でただ一度のことですから」
ナイス、杉田!これならサイズがわかって他の物を買うときにも役に立つ。素直に杉田に感謝した。
「それではこちらにどうぞ」
店員に案内され試着室に入る。
「あの、服は脱いだ方がいいですか?」
「そうですね、出来れば脱いでいただいた方がちゃんと測れますよ」
やっぱそうだよなと思い服を1枚づつ脱いでいく。しかし変な感じだこ。
んな綺麗な人と二人きりでしかもこんな格好でいるのに全然変な気が起きない。
それに加え、鏡に映った下着姿の自分の姿が改めて自分が女になってしまったと実感させた。
「それでは腕を上げてください」
店員に言われるがまま腕を上げる。ほどなく店員が手にしたメジャーを僕の胸に巻きつけた。ひんやりしたメジャーの感覚がブラ越しに伝わってくる。
「あ・・・」
思わずゾクゾクとしたものを感じ、小さな声を出してしまった。しかし店員はそれに気づく様子もなくてきぱきと自分の仕事を続けた。
バストに続いてウエスト、ヒップと測っていく。そして5分もしないうちにすべての採寸が終わった。
その後、生地やデザインを選びスーツのオーダーは終わった。
「はい、それではご確認ください」
「はい、これでお願いします。出来上がりはどのくらいかかりますか?」
店員はカウンターに掛けられたカレンダーを確認し僕に答えた。
「そうですね、大体一週間ぐらいで出来上がります。出来上がりましたらお電話を入れさせていただきますので、少々お待ちください。
それではこちらが控えになりますので受け取りの際にお持ちください。ありがとうございました」
僕はその控えを受け取るとバッグにしまった。と同時にさっきのことを思い出した。
「そうだ、忘れてた。ストッキングが電線しちゃったので一足ください」
「そうですか、少々お待ちください」
店員は売り場からひとつ選ぶとすぐに戻ってきた。
「こちらでよろしいでしょうか?」
店員に聞かれたが僕にはどれが良いかわかるはずも無いので店員に言われるがまま首を縦に振った。
ストッキングの代金を支払いそのまま試着室を借り、すぐにストッキングを穿くことにした。
理恵が穿くところを何度か見ているのでつけ方は判っている。しかし、見るのと実際に穿くのではかってが違う。
何度がやり直しを繰り返して何とか穿くことが出来た。
初めて穿くストッキングはとても暖かかくスカートだけの不安感から幾分開放された。
しかし一方では次第に女らしくなっていく自分に心の中でため息をついた。
スーツを買ったからあとは仕事用のPCだ。僕と杉田は婦人服売り場を後にし、家電売り場へと向かった。
「うーん、やっぱり今時CPUは1テラぐらい無いと厳しいかな?」
「そうだな、欲を言えば1.5ぐらい欲しいだろ」
売り場に着くと杉田とPCのスペックとにらめっこしていた。だがなかなか決まらない。
予算的にはだいぶ余裕があったのだがデザインという特殊用途なためなかなか希望に沿う物がなかった。
「じゃあ、これにこのボードをつけたらちょうどじゃないか」
「そうだね、じゃあそれにしよう。すいません、これは在庫ありますか」
店員に確認すると在庫は・・・・あった。すぐに購入すると自宅に発送するように頼んだ。
一通り買い物を終え、ちょっと遅めの昼食を取るためにデパート内のレストランに入った。
「さて、これで買い物も終わったかな。あとは夕飯の材料ぐらいかな? あ! 忘れてた、携帯も買わなきゃ」
それを聞き杉田が口を開いた。
「そうだ、忘れてた。夕飯の材料なら要らない。せっかく出かけるならと思ってレストランを予約しておいた。
それに、携帯ならたしか近所のショップの方が安かったな」
「あは、準備が良いんですね杉田さん。それじゃ携帯もとりあえず今日はいいか」
少し皮肉が入った僕の言葉にも杉田は上機嫌でうんうんと頷いた。
「ところで"あれ"は買ったか?」
「"あれ"?」
僕には何のことかさっぱりわからなかった。すると杉田は僕の様子を察したのか顔を近づけ小声で話した。
「君は女の子だろ。わかるだろ」
あ・・・あれか。しかし買いにくいものだな。"あれ"とはつまり『生理用品』のことだ。
夕食の材料が要らないとなるとほかに買う物もないつまりそれ単体で買うしかないのである。
何かのついでに買うならともかくそれ単体で買うのはまだ男の意識を持つ僕にとって罰ゲーム以外の何者でもなかった。
昼食が終わり勝負の時が訪れた。売り場という名の戦場に僕は足を踏み入れた。色とりどりにパッケージされた生理用品が僕を待ち構えていた。
"夜用"、"多い日用"、"羽つき"いったいどれを選べばよいのかさっぱり判らない。・・・そうだ、僕はもともと既婚者だ。
妻の・・・理恵がどんなのを使っていたのか思い出せば・・・ってそんなの覚えてないって。
もう、自分の考えに自分で突っ込みを入れるほど僕はパニックになっていた。
まるで初めてコンドームを買った中坊の頃のようだ。すると一人の女性が売り場に現れた。
悲しい男の性だろうかこんなところで女性と出くわし思わず背を向けてしまう。
だがその女性の真似をして買えば良いんじゃないかという考えが頭をよぎり勇気を出して売り場に戻った。
結局、その女性と同じ商品を手に取りレジに並ぶ、それを手にして並んでいるだけで恥ずかしさが際限無く湧き出してくる。
しかし午後ということもありレジは混み合っていて僕の順番が来るまでかなり待つことになった。
「恵、ずいぶん時間がかかったな。それに顔も赤いぞ」
「もう、恥ずかしいに決まっているでしょ。こんなの買うの初めてなんだから」
僕は半分ふてくされた顔で杉田に不満をぶつけた。杉田は笑いながら平謝りするばかりだった。
「笑うこと無いじゃないですか。それじゃあ・・・・もう絶対に『お父さん』って呼んであげないですよ」
すると、即座に杉田の顔から笑いが消えうせた。
「すまん、俺が悪かった。もう笑わないから機嫌を直してくれ。じゃあこうしよう今晩の夕食なんでも頼んでいいからさ」
この男は・・・しかし『夕食何でもあり』という誘惑の前には勝てなかった。
「はいはい、わかりましたよ。もう怒ってないですよ。ところでまだ夕食には早いんですけどどうします?」
壁に掛けられた時計に目をやるとまだ午後3時をまわったばかりだった。
「どうするか?これといって見たい映画も無いし・・・じゃあドライブにでも行かないか?」
少し悩んだがほかに時間をつぶせそうなことが思いつかなかったので僕は杉田の提案に首を縦に振った。
駐車場に着くと杉田の車を探した。
「えっと・・・この辺りだったよな・・・・あった」
平成15年式スカイラインクーペしかも赤。こんなクラシックカー目立つよな。そう思いつつ車に乗り込もうとした、その時、僕は意外な人物を見つけた。
「理恵・・・」
それは妻の(妻だった)理恵の姿だった。平日の昼間だからおそらく仕事の買出しだろう。
荷物を抱え会社の車に積み込むところだった。しかし、以前の理恵らしからぬその表情に僕は心を締め付けられた。
今の理恵には以前のようなはじけるような明るさがまるで感じられなかった。
「理恵・・・すまない」
自然と涙がこぼれる。
「杉田さん・・・いま理恵に・・会ったらだめですか。あんな理恵、見るに耐えない」
杉田に今の気持ちをぶつけてみる。しかし淡い期待は裏切られ予想どおりの答えが返ってきた。
「だめだ、彼女は君の知り合いかもしれないが彼女にとって今の君は他人でしかない。すまない、今は耐えてくれ」
杉田の目にもうっすら涙が浮かんでいた。そして僕の肩を抱きしめた。僕はそのまま杉田の胸で泣いていた。
小一時間たっただろう理恵は荷物を積み終えると駐車場から出て行った。そして僕は・・・
「すみません、わがまま言って」
「いや、いいんだ、当然の感情だ。君がわびる必要などない。それより此処じゃ何だな・・・どこかゆっくり話せるところに
行こう」
僕はただ頷くだけだった。
車は街を抜け郊外の曲がりくねった道に入った。今では珍しいレシプロエンジンが独特の音色を奏でていた。
「あそこに公園がある。あそこに停まろう」
杉田はそう言うと山の峠近くにあるその公園の駐車場に車を停めた。
車のエンジンが止まると平日の公園は訪れる観光客も無く、ただ静かだった。そんな沈黙を耐えかね先に口を開いたのは僕だった。
「さっきはごめんなさい、取り乱して・・・」
「いや・・・いいんだ、さっきも言っただろ、君がわびる必要は無いって。
あの状況じゃ私だって同じだったはずだ。それに・・・今朝も言っただろ君は家族だって」
杉田のその言葉に一度は止まった涙が再び溢れ出してきた。
「ありがとう・・・もうしばらくこうしていてもいいですか」
「ああ・・・」
僕は杉田にもたれかかっていつまでも泣きじゃくっていた。
数時間後・・・
「ありがとう・・・もう大丈夫」
「いや、礼を言うのはこちらかもしれない。こうして娘にしてやれなかった事を君にしてやることで私も救われるのだから。
だから・・・もっと頼ってくれてかまわない。恵・・・」
お互いそれだけ言うと何も言わず山を下り、レストランへと向かった。
レストランでも特別に何も話さなかった。料理の味もほとんど覚えてはいない。だが、お互い終始笑顔の楽しい食事だった事は鮮明に覚えている。