ちちち・・・ちち・・・・
「う・・・ん・・・・朝か」
『恵』になって2日目の朝がきた。小鳥のさえずりと朝日が降り注ぐ絵に描いたような心地良い朝だ。
気が昂ぶって眠れなかった一昨日の夜とは違い、昨夜は疲れのせいか、それとも気分が落ち着いたせいかは判らないが良く眠れた。
だがその一方で僕はなんともいえない違和感というか喪失感を味わっていた。そう、男性特有の朝の生理現象の『あれ』がないのだ。
「そうか、女になったんだよな。それに・・・昨日風呂場で・・・なにやっているんだ僕は・・・はぁ」
僕はため息をつくとベッドから起き上がり洗面台へと向かう。洗面台の鏡を覗き込むとまだ眠そうな美少女がこちらを見つめていた。
女になったことをより実感し更にため息をつく。
「あーあ、いつになったら男に戻れるんだろうな」
そうぼやきながら身支度を整えていると部屋のインターホンが鳴り響いた。
「あっ恵? 起きたかい? 朝食の準備が出来たから一緒に食べよう」
「はーい」
僕は気のない返事をするとパジャマのままキッチンへと降りていった。
ダイニングテーブルにはすでに朝食が並べられていた。
狐色に焼き上げられたトースト、ふんわりとやわらかそうなオムレツ、色とりどりのサラダ、そして香り高いコーヒーどれもが起きたばかりの僕の食欲を刺激し
た。
「おはよう恵、よく眠れたかい?」
エプロン姿で嬉しそうにカップにコーヒーを注ぐ、初めて会った時の雰囲気とはまったく違う杉田がそこにはいた。
その姿を見て僕は思わず動きが止まってしまった。
「ん? どうした」
「いや、あんたのその格好があまりにもギャップがありすぎて・・・」
「ああ、これか。久々というより・・・・はじめて恵と一緒に朝食を食べるからつい気合が入ってしまってな。変か?」
「いや、もうどうでもいい」
「そうか、じゃあ冷める前に食べよう」
目の前の料理に手を伸ばす。・・・・うまい。
手術後、お世辞にもおいしいとは言えない病院食しか食べていないことを差し引いてもそれはおいしかった。
「これは杉田さんが作ったんですか?」
「ああ、そうだ。なんせ1人暮らしが長かったからな。ところで・・・恵、『杉田さん』とか他人行儀な呼び方はやめてくれないか。
一応親子なんだから。それに昨日娘になるって言ってくれたじゃないか」
「いや、確かに言ったけど・・・・あれは場の勢いで・・・じゃあ杉田さんはなんて呼んで欲しいんですか」
「うーん・・・・そういえば娘とろくに会話していなかったな。なんて呼んでいたんだっけ・・・ははは」
「あははは・・・」
いつのまにか2人で笑っていた。その姿はまるで本当の親子のようだった。
僕たちは朝食を食べ終わると身支度を整えるためそれぞれの部屋へと向かった。
部屋に戻りクローゼットを開ける。下着とパジャマだけをとりあえず選んだ昨夜とは違い外出するためそれなりの格好をしなければならない。
だが当然のことながらそこに今まで自分が着ていたような物はなく10代の少女らしいものばかりだ。僕は悩んだが仕方なく出来るだけシンプルなデザインの
シャツとスカートを手に取った。
10分後何とか身支度を整え玄関へ行くとすでに杉田が待っていた。
杉田はシンプルなグレイのジャケットを着込み、見ようによっては往年の俳優のように様になっていた。
「じゃあ行こうか」
ガレージに止めてある車に乗り込むと僕たちは街に出かけた。
車が幹線道路に差し掛かった頃、車を走らせながらいつになくまじめな表情で杉田が話し掛けてきた。
「恵一君、朝食の時はすまなかった。ちょっとばかり浮かれすぎたようだ。いきなりあんなこと言われてもピンと来ないよな。
君は娘の代用品じゃないんだから。ただ、少なくとも私は君のことを家族と思っている。だから、もっと気軽に接して欲しい」
「杉田さん・・・」
僕は杉田の言葉に返す言葉がなかった。僕はまだ本当の彼を理解してなかったのかもしれない。
「ただ、その姿で『恵一』と呼んだら周りに怪しまれる。だから便宜上『恵』と呼んでいいか?戸籍上君は『杉田 恵』なんだし」
僕は少し考えたがそれ以外に選択肢がないように思え、首を縦に振った。
「じゃあ決まり、君の名は『杉田 恵』だ。だけど君は君だ無理をして『杉田 恵』になる必要はない。
もっとも心も恵になってくれたら私的にはうれしいが・・・ね」
そう語る杉田の顔はやはり朝食をとっていた頃のそれに戻っていた。
・・・前言撤回、やはりこの男ただの親馬鹿か?
そうこうするうちに車はデパートの駐車場に滑り込んでいった。