そう……それは昔むかし、遠い昔の物語――。

 この国の都が京へと移るかどうかという頃に、既に瀬野木の先祖は、
時の権力者達と血みどろの抗争を繰り広げていたと、鎌倉時代のものという古文書に記述が残されている。
 彼らは圧倒的多数の軍勢を前にしても決して退かず、あまつさえ致命傷を与え押し返してしまうほどの力を持ち、
それでいて吹けば飛ぶような人数の一族であったという。
 いつしか彼らは『背之鬼』と呼ばれ、恐れられるようになった。

 背之鬼(せのき)、即ち――背後に潜む鬼。

 人とは思えぬ飛び抜けた力を持ち、いつの間にか背後に忍び寄り、殺戮をして去って行く彼らにつけられた異名だ。
 彼らはそれぞれが一騎当千の強者であり、一夜にして千里を駆け抜け、風を起こし嵐を呼び寄せ、
大水で軍隊を押し流したり、果ては地震を起こしたりと、天候や自然現象を自在に操ったという。
そして計略の裏の裏まで読み取り、まるで相手の小賢しさをあざわらうかのように、
わずか一握りの軍勢が、それに数十倍する兵士達を蟻でも蹴散らすように蹂躪したのだ。
 彼らは卜占(ぼくせん)や風水の術を操った、陰陽師か風水師だったのだろうか。
いや、むしろシャーマン(巫術師)といった方が近いだろう。
別の古文書には、彼等は自然と融和し、語り合う者であったと記されているという。
もしかしたら、本当の鬼だったのかもしれない。人と考えるには、あまりにも彼らの能力は異能に過ぎるからだ。
 やがて権力者も、ただ潰すよりは利用した方がいいと考え、長い時間をかけて彼らを懐柔し、取り込むことに成功した。
それは獅子心中の虫になりかねなかったが、彼らは自分達にその矛先が向けられない限りは、主(あるじ)に忠実であった。
 いや。無関心なだけだったのだろう。
 時は流れ、権力者達も変っていったが、背之鬼一族は権力抗争とは無縁の場所にいた。
強大な力を持ちながら自ら手を出さず、ただ傍観するだけ。
 いつしか彼らは権力の後ろ盾となり、キングメーカーのような存在となっていった。
 背之鬼が否と言えば、誰も逆らえない。
 その一方で、彼らが是とすれば、浮浪民であっても一夜にして権力者になることができたのだ。

 そう。一介の農民の子が、天下人にまで昇りつめたように――。

 だが、時を経るにしたがって背之鬼の血も薄れてきた。
孤高の狼であったはずの彼らも人と交わり、長い権力のぬるま湯に浸かっているうちに、それに溺れてしまった。
一族の異能の発現は希になり、背之鬼の氏(うじ)は瀬野木へと変わった。
 それでも彼らが持つ、目立たず人に紛れるという力だけは確実に子孫に受け継がれていった。
このお影で瀬野木家は莫大な財を持ち、中枢権力に手が届くにも関らず、広く知られることが無いのだ。
 大政奉還が行われ、二つの大戦が終わってしばらくしてから、瀬野木家に一人の女の子が誕生する。
 亜美と観夜の母、叡美(さとみ)である。
 彼女は、ここ二百年内では稀なほど、いや、戦国の世以来では最も濃く背之鬼の血を現わした者だった。
彼女は“叡未”。未来を悟る力を持つ者だった。
今の夫を選んだのも、彼との間にできる子が、再び強い背之鬼の血を呼び起こすであろうことを感じ取ったからだ。
 こうして夫との間に四人の子をもうけた叡美だが、彼女にも、どの子が血に目覚めるかまでは見通すことができなかった。
 そして観夜は中学に入る頃に早々と背之鬼の血に目覚めたが、ほかの3人の子は覚醒の兆しは見えなかった。
叡美も観夜だけかと思いこんでいた。

 そのはずだった。

 ***

 ソファーに横たわるように腰を下ろし、クッションに身を委ねてくつろぎながら観夜は言う。
「あなたが完全に背之鬼の血に目覚めるとは、お母様にも予想外だったそうよ。
よほど悠司さんとの相性が良かったのね」
「そうですよ。悠司さんとのセックスは……雄一郎さんや、姉様よりも素敵ですもの」
 眼鏡越しにでもわかる情欲にうるんだ瞳が観夜を見つめる。
 部屋の中に手で感じ取れそうなほどの淫気が漂い始めた。
亜美の吐く息、視線、さり気ない仕草の一つですら、媚薬同然の効果を持っている。
この場に二人以外の人がいれば、間違いなく亜美を押し倒しているに違いない。
 だが、姉は平然としている。
 彼女は“魅夜”――夜を従える、魅惑の力の持ち主だからだ。
 魅夜は伝説の夢魔のように、夜になると恐ろしいばかりの魅力を放ち、誰も彼女の魅力から逃れることはできない。
そればかりか彼女が見る夢は、周囲をも巻き込んで、現実さえも変えてしまう力があるという。
 だから、“憑魅”の発する淫気にも影響されないのだ。
 確信にも近い思いを込めて、亜美……いや、“悠司”は言った。
「“観夜さん”は、“俺”を抱いたんでしょう?」
 観夜はわずかに表情を動かし、薄い笑みを形作って見せた。
「ええ」
 返事を聞いて、芯がキュンと疼いた。
 だんだんと亜美は思い出してきた。
 亜美が人の心をある程度支配できると気が付いたのは、家庭教師の雄一郎に抱かれてからしばらくしてからのことだった。
抱かれたいと強く願えば、雄一郎は必ず自分を抱いてくれた。
感じる場所を的確に刺激し、何度も絶頂へと誘ってくれた。
 やがて姉が雄一郎を誘惑して奪ってからは、疼く身体を慰めるべく、街角で男達を漁った。いや、男だけではなく女も、だ。
相手の体から発せられる独特の“匂い”で相手の体の状態を判断し、
体に触れて心をまさぐって、安全な人間のみを選んではセックスをした。
 だが、どれほど交わっても、満足できなかった。
 姉に導かれたセックスへの“渇き”は、堪え難いほどにまでなっていた。
渇きを解消するために亜美は、ますます多くの人を引き込み、セックスに溺れた。
 幼い頃から、名家の娘として厳格に育てられた亜美は、自分という存在を殺して生きてきた。
三年ほど前に亡くなった祖母は、観夜を甘やかされて育てられた娘と言い切り、亜美には物心がつく前から厳格な教育を施した。
亜美は、瀬野木のお家のためだ、と何度も繰り返し言い含められ、瀬野木の道具として育てられてきた。
家を守るためには、外の家と繋がりを持つ必要がある。だから、娘は重要な“道具”なのだ。
 自分もそのように育てられてきたのだと、祖母は言った。

 全ては瀬野木のお家のため――。

 こうして、『お人形さん』と陰口を叩かれる亜美の精神が形成されたのだ。
 やがて瀬野木の実質的頭首だった祖母が亡くなり、亜美はようやく祖母の呪縛から解き放たれたのだが、時既に遅し。
彼女の心はすっかり閉ざされてしまっていた。
 亜美が不特定多数の男と乱交を繰り返しているのを母親が黙認しているのは、
彼女に年頃の女の子らしい心が芽生えるかもしれない、という淡い期待があるのかもしれない。

 そんなある日、観夜が亜美の部屋を訪れた。
 あの、運命の日のことだ。
 姉に誘われるまま、亜美は古くから家に伝わる香を焚いて、心を宙に泳がせた。
初めての経験に、彼女はまるで幼児のようにはしゃぎまわった。
心の檻から解放された彼女の心は、観夜に誘われるまま光の世界に飛び込んだ。
 いきなり、視界が暗黒に閉ざされた。
 再び意識を取り戻した亜美は、自分の部屋ではない見知らぬ狭い部屋、つまり悠司のアパートにいたのだ。
 彼女は、彼こそがほんとうに自分に必要な人間であるということを、瞬時に理解した。理屈ではない。本能だ。
瀬野木の血が、悠司をそれと見分けたのかもしれない。
 悠司の精神に触れた亜美は、彼にゆっくりと溶けこんでゆく。
 彼女は悠司の全てを知った。彼の人生を、記憶を、思考を凌辱した。
 止められなかった。
 とてつもない快感だった。
体液という体液が全て流れ出してしまうような、脳に快楽物質が溢れトロトロに溶けてしまうような、
セックスの経験が豊富な彼女でさえ感じたことのない恐ろしいほどの快楽を味わった。
 やがて、悠司の精神の奥深くにまで潜り込んだ亜美は、自分が彼の心に囚われてしまったことを知った。
 だが、恐怖は無かった。
 それどころか、母親の子宮に戻ったかのような安らぎを亜美は感じていた。
 亜美は、自分が入ったことによって溢れ出た“力”を、そっと“外”に向かって送り出した。
“魅夜”が“それ”を受け取ったのを、亜美は知った。
 あとは、きっと姉がなんとかしてくれるだろう。
 そして亜美は、悠司の心の中で一時の眠りに就いた。

 悠司の体が亜美へと変化をし始めたのは、まさにその時だった。

 ***

「“俺”が亜美になってしまったのは、あんたのせいか」
「まあ。怖い台詞」
 観夜が口元に手を当てて怯えた振りをする。
「きっかけはそうかもしれない。でも、私に人の体をそこまで変える力は無いわ。
きっと、あなたと悠司さんが、そうなる運命だった……としか私には言えないわね」
「運命……ずいぶんと簡単に言うんだな」
「それが、“背之鬼”の宿命だから。血に目覚めた者が、普通の人生を送ることはできないわ」
 観夜が言った。
 あの夜、抜け殻になった亜美の体に別の“力”が入り込んできたことに、観夜は気づいた。
やがて彼女が見ている前で、みるみるうちに妹の体は青年の物へと変化をし始め、目覚めたのだ。
「驚いたわ。動かないと思っていたのに、目が覚めて、ここはどこだ? と言うなんて」
「ふぅ……」
 “亜美”はため息をついた。
「今度悠司さんに会った時に、しっかりと聞いておきます。姉様に何をされたのかを」
 だいたいのことは、由阿里と三人で交わっている時に触れた彼の心から読み取っている。
ただ、精神的にストッパーがかかっているのか、彼だけには自分の力が完全には通じない。
元の肉体が亜美だということも関係しているのかもしれない。
 あの夜、目覚めた“悠司”は、“魅夜”の放つ淫気に惑わされ、彼女を押し倒した。
 最初こそ情けなく精を漏らしてしまった悠司の肉体も、わずか一晩のうちに魅夜の思うままに逞しさを増していったのだ。
「憑魅より先に抱いてしまってごめんなさいね。
でも、雄一郎さんは亜美の方が先だから、おあいこということにしてくれるかしら?」
「あおいこ、ですか?」
 亜美は妖しい笑みを浮かべた。
 淫魔にも等しい“魅夜”が“彼”と交わったためか、悠司は並外れた絶倫となっている。
だから亜美は、何度でも彼を求めることができる。感謝こそすれ、怨む筋合は何もない。
 ただ、悠司として観夜を抱いたらどんな感じだろうとは思ったが。
「それとも試してみる? 雄一郎さんと一緒に、四人で。どう?」
「そうですね。お姉様が子供を産んだ後もまだその気ならば……」
 濃厚な淫気が室内にたちこめる。
 お互いに本気だ。
 この場に誰か他の人間がいたら、血まみれになり、皮膚が裂け、体中の水分という水分が枯れ果てても
セックスをし続ける性欲の権化と化してしまうだろう。
空気さえもが半ば粘液じみた媚薬と化していた。
 しばらくにらみ合った末、観夜の方が気を抜いた。
「ちょっとお遊びが過ぎますよ、姉様」
 亜美が文句を言った。額には薄く汗が浮いている。対して観夜は涼しい顔をしてまるで変わった所がない。
「あら。本気だったのに」
「雄一郎さんの赤ちゃんに悪い影響を与えたくありませんもの」
 今ならば、彼に感じた幼い感情が、恋心だったのがわかる。
 だが、初めて愛した男の子供を胎に宿しているのは自分ではなく、実の姉だ。
 欲しい。
 胸の奥が苦しくなるほど、自分の体に子を宿したい。
 同時に、男でもある自分が、男とセックスをして子を宿すという考えは、身震いするほどの嫌悪と、それ以上の愉悦があった。
想像するだけで、子宮が鳴く。秘唇に、じっとりとにじむ物を感じる。
 だが、もう怖くない。
 亜美は観夜に対して、最後の質問を投げかけた。
「私は都築悠司? それとも瀬野木亜美なの?」
「あなたがそうだと思った方よ」
 どこまでも澄んだ表情で答える。
「我思う、故に我あり。あなたはどこから見ても亜美そのものだし、遺伝的にも亜美のものでしょう?
瀬野木の血を引いた子供も産める。元が誰だなんて誰が気にするのかしら」
 観夜はお腹をさすりながら続けた。
「人間は日々変化している。数年もすれば、多くの細胞は入れ代わってしまうというわ。
昨日と今日でさえ、人は変ってゆく。寸秒たりとも、人は留まっていられないのよ。
それに、過去なんて誰にも証明できないでしょう?」
 過去は人の記憶にしか存在しない。
 自分のことでさえ、過去の事を事実として証明することは難しい。
しかも、移ろいゆく時の流れは、時として事実さえ変えてしまう。
まったく偽造されたとわからない写真やビデオなどの『証拠』を提示されたら、
人はそれを本当にあったこととして受け止めざるをえなくなる。
それほどまでに、過去とはあやういものなのだ。
 だから、肉体が変化して男が女に、女が男になったとしても、
それを証明する手段が何も無ければ誰も信じてはくれないだろう。
「そう……ですね。“私”はもう、瀬野木亜美なのですから……」
 亜美は目を閉じて深いため息をつく。
 人にはそれぞれ器がある。可能性ともいう。
 亜美となった今だからこそわかるが、かつての“自分”は、大きな可能性を持った人間だったようだ。
こんなことがなければ、あのまま怠惰な生活を送っていても、
それなりの地位につくことができる、人並よりは恵まれた人生が待っていたに違いない。
女性は男性のスケールの大きさに惹かれるというが、
悠司本人はそんなことには気がつかず、ただ無為に日々を過ごすだけだった。
今にして思えばもったいない話だ。
 思い起こしてみれば、“縁(えん)”はさまざまなところにあった。
悠司と亜美が融合した際に見た『可能性の世界』では、見逃していた縁も数え切れないことがわかった。
今からでも追いかけられる成功への可能性も、両手の数では済まないほどあったのだ。
 しかし、それらは全て潰えた。
 今の悠司は、ごく平凡な可能性しかないはずだ。
他の全ては亜美が悠司の本質――“魂”と言い替えていいかもしれないが、それと一緒に奪い取ってしまった。
今の彼は、その残滓――抜け殻のようなものだ。
 対して亜美は、人一倍、様々な才能に恵まれている。
 人を魅了する恵まれた容姿。
 優れた才覚。
 先祖から受け継いだ財力。
 どれか一つでもあれば御の字なのに、亜美は三つとも兼ね備えている。
 加えて彼女は、“背之鬼”の力にも目覚めてしまった。
 母親の“叡未”は、未来予知。
 姉の“魅夜”は、夜と夢を操る夜魔の力。
 そして亜美――“憑魅”は相手の心を読み、操る力と、まだ完全には使いこなせていないが精神憑依の能力がある。
これらに加えて、悠司から奪い取ってしまった豊かな可能性をも持っている。
いや、奪い取ってしまったというのとは少し違うかもしれない。なにしろ“自分”は悠司でもあるのだから。
 悠司を捨て去っても、誰もが不思議には思わないだろう。だが亜美は、彼と別れることなど考えてもいない。
 なにしろ、彼とは真に『一心同体』なのだから。たとえ肉体は二つであっても、悠司と亜美は、二人でひとつなのだ。
 それに、彼以外の男性に抱かれようという気がおこらない。嫌悪感が先に立つからだ。
悠司が相手であれば、亜美から溢れ出す愛情が嫌悪感を大きく上回る。
それに、今までの誰よりも体の相性がいい。無理に他の男を探すこともないのだ。
「本来ならば、背之鬼の血に目覚めた者が家を継ぐのが筋なのだけれども、あなたはどうしたいの?」
 張り出したお腹をさすりながら、観夜は言った。
「私は家を継ぐのなんか嫌です。お姉様みたいに、外に出たいわ」
「だったら、くだらない事業なんか、お兄様にまかせてしまいなさい。あなたは、好きなように生きるべきよ」
 瀬野木グループの社員が聞いたら激怒しそうな台詞だ。
 観夜は続ける。
「お兄様は凡庸にすぎるわ。“背之鬼”の血に目覚めたとしてもね。でも、あなたなら……」
「それは、“魅夜”としての意見? それとも“観夜”姉様としての御意見の、どちらなの?」
「私はいつでも、あなたの味方よ」
「でも姉様は、雄一郎さんを……私の初めての人を奪ったわ。だから……」
 亜美は正面から姉の顔を見て、きっぱりと言った。
「私は、あなたのことが嫌いです」
「仕方ないわよ。これは瀬野木の血の宿命ですもの。血の誘いには逆らえないわ」
 まるで月のように目立つお腹をさすりながら、観夜は薄く微笑んだ。
 だが、どこか違和感がある。薄寒ささえ感じる笑みなのだ。
 美しいのに、どこか、人間らしさが欠落している。
 それはまさしく、悠司と融合する前の亜美の表情だった。
 対照的に亜美は、心の中からほっとするような温かい笑みを浮かべている。
「いい人を見つけたわね」
「私……悠司にとっては迷惑ですけれど。人生が奪われてしまったのですよ?」
 眉をひそめて亜美が答える。
「それでも無事でいるのだから、悠司さんって本当に可能性に溢れた逸材だったのね」
「あれ――今の悠司は、元は亜美だった“私”の体に宿った写し身に過ぎませんけれど……」
「でも、彼の魂と遺伝子を受け継いでいるのでしょう?」
「ええ。姉様」
 亜美にはわかっていた。
 今の悠司は、あるべき可能性の一つである存在なのだ。
もちろん、彼にも多くの可能性、すなわち選択できる未来は残されてはいるが、
亜美と融合してしまった以前の悠司に比べれば、その可能性は驚くほど狭い。
 彼は、自分が守ってやらなければならないのだ。
「それから、雄一郎さんのことだけれど」
 観夜は不意に、自分の夫のことを語り始めた。
「あの人をあなたから取るつもりはなかったのよ? でも、そう……“魅夜”が雄一郎さんを選んだの。
あの人は、私よりもあなたの方が好きだったわ。それを、私が惑わせてしまったの」
 彼女の迷いは、亜美にもわかる。
 背之鬼の血のざわめきは、時として自分の意思をも裏切ってしまう。
亜美も、“憑魅”が目覚めている時は、完全に自我をコントロールすることができない。
 亜美でも悠司でもない第三の人格である憑魅は、いにしえの背之鬼の血の欲望のおもむくままに、行動する。
「“魅夜”は、私であって私ではないわ。背之鬼の血が命ずるまま、あの人を抱き、蕩かしてしまったの。
もし、私以外の人と結ばれることになれば、雄一郎さんはセックスに満足できず、その人を殺してしまうかもしれない……」
 観夜は、戦国の世の始めに百二十年間に渡って瀬野木の頭首を務めたとされる
瀬之木鬼右衛門(せのき・きえもん)以降で最も濃く背之鬼の血が出た者と言われている母よりも強く血が現れただけあって、
肉体面でも常人離れしていた。
彼女の側に寄るだけで温度が三度は下がるとまで言われているほどだ。
 実際の話、十円玉を紙の様に縦に4つに引き千切ったとか、百メートル走を5秒フラットで軽々と走り抜けたとか、
地上から学校の屋上までジャンプしたなどの信じられない数々の逸話は、亜美も漏れ聞いている。
 たしかに、この姉ならそのくらい簡単にやってのけるだろう。しかもそれで、五分の力も出していないのは明らかだった。
自分はそこまでの力はない。観夜は、自分の側に人を近寄らせないために、わざと人並外れた力を、ほんの少しだけ見せたのだ。
 なぜならば、押さえようとしても押さえきれない“魅夜”の血が、所構わず人々を魅了し虜にしてしまう恐れがあるからだ。
 魅夜によって強烈な快感を刷り込まれてしまった雄一郎は、恐らく一生、彼女から離れることはできないだろう。
 だが、彼が自我を失うほど観夜の体に溺れてしまわないのは、まだ目覚めていなかったとは言え、
亜美の処女を散らした時に力のある“背之鬼”の血に触れて、わずかではあるが耐性ができたからだろう。
今の悠司もまた、元が亜美の肉体であったから、観夜に隷属してしまわずにすんだのだ。
 これに比べると、亜美の力は抑制ができる。
 瀬野木グループをまとめるとなれば、精神を操る彼女の力は絶大な威力を発揮するだろう。
姉が亜美に家を継げと言ったのも、当たり前である。
 しばらくの沈黙の後、観夜が言った。
「私達は特異な運命を持って産まれたけれども、運命を変える力もあるわ。未来は貴方の手で開きなさい」
「私の運命は、あなたに変えられてしまったけれど」
 亜美が、悠司として少し皮肉を言う。
「罰とは言え、ここまで変わってしまうだなんて……」
「あら。普通は個人情報を抜いて追跡調査の対象とするだけよ?
悪質ならばそれなりの対応をして、見どころがあればグループの中に引き抜く。
言ってみれば、ネットワークを使った調査というところかしら」
 瀬野木グループの力をもってすればネットワークで個人情報を抜くことなど雑作もないだろう。
なるほど、面白い人材発掘の方法ではあるが、非効率的だ。だが、これで悠司がひっかかったのだから、有効な方法なのだろう。
「それに、罰というのも間違いではないわ」
「?」
 観夜は言った。
「あなたが違法に入手したソフト、どこのメーカーだか憶えていて?」
「ええっと……ピクシードリームだったかしら?
確か倒産した後は、全部のゲームの権利とスタッフの一部は、親会社のファンタズムに移籍したはずですけど」
 悠司と亜美の記憶を総動員して答える。
 観夜はまだ微笑んだまま、言葉を返さない。
「あっ!」
 唐突に気づいた。
 ファンタズムと言えば、雄一郎が勤めている会社だ。
 観夜はにこりと笑って言った。
「本当は、あなたの一部だけでよかったの。抜け殻になった悠司さんがどうなろうと、私の知ったことではないわ。
亜美があなたに憑いて、こんなことになるなんて想像もできなかった。でもこういう結果になって良かったわ」
 姉は自分が背之鬼の血に目覚めつつあることを知っていたのだろう。
さすがに一度でこのような結果になることは予想できなかったようだが、
人を人とも思わない冷血さに、亜美の背に、冷たいものが伝い落ちたような気がした。
 不意に、膨らんだお腹に手を当てていた観夜が仮面のような笑みを崩し、今までに聞いたことのない響きの声で言った。
「亜美……赤ちゃんが動いているわ。どう? 触ってみる?」
 亜美は思わず、姉の顔を見つめた。
 温かみのある声だった。彼女にこんな声が出せるとは思ってもいなかった。
「ねえ、どうなの? まだ、雄一郎さんを奪ったことに怒っているのかしら。
それとも……」
 すっと立ち上がって姉の側に寄り、亜美は彼女の膨らんだ下腹部に手を置いた。
子宮と羊水に包まれた胎児の心に、そっと精神の手を伸ばす。
「この子……女の子みたいですよ?」
「まあ、非道い子! どちらが産まれてくるのか、お医者様にも聞かないで楽しみにしていたのに」
 本気で怒ってはいない。観夜もまた、母となることで変わりつつあるのだ。
「ごめんなさい、お姉様。そんなこととは知らなくて……」
「知らないではすまないわよ? もう。こうなったら亜美に何をしてお詫びしてもらおうかしら……」
 亜美は姉の文句に耳を傾けながら、心の中で姉に感謝した。
 明日はきっと、今日よりもいい日になることだろう。
 そう信じたい。
 亜美はようやく迷いを振り切り、新しい未来に足を踏みいれる決心をした。

 ***

 彼を家族に紹介した時は見ものだった。
 初めて彼を家に呼んだ時は、秋から冬へ移り変わろうという頃合だった。
 迎えに来た車に案内された時から悠司は想像を越えた世界に絶句し、言葉を失ってしまっていた。
いずれは義兄となるだろう雄一郎がかつてそうだったように、
悠司は見たこともない壮麗な調度類に囲まれて、カチカチに固まっている。
「ねえ、亜美ちゃん。この椅子って……どれくらいするのかな」
「さあ? 昔からある物ですし、知りませんわ」
 精一杯に磨いた革靴で踏んでいる絨毯がペルシャ製のアンティーク物で、
都心のマンションが買えてしまうと知ったらきっと歩けなくなってしまうだろう。
亜美の記憶が無くて良かったのか悪かったのか、判断に迷う所だ。
 やがて現れた家族に、悠司はバネでも仕掛けられたみたいに跳ねて立ち上がり、緊張しきって裏返った声で挨拶をした。
 苦虫を噛み潰したような父。
 全てを知っているはずなのに、何も言わずにこにことしているだけの母。
 いつの間にこんなやつと付き合っていたんだと呆然とする兄。
 姉に、ついに特定の恋人ができたと知って素直に喜ぶ弟。
 いつもと変わらない東雲。
 亜美が悠司を、個人的に家庭教師をしてもらっていた先生だと紹介し、
「私の……将来の夫です」
 と言った瞬間、悠司と亜美の父の二人が激烈な反応を示した。
「ちょっ、ちょっと亜美ちゃん!?」
「ゆっ、許さんっ!! どこの馬の骨とも分からぬ輩に、亜美を任せられるものか!」
「御主人様。調査報告書は昨日お渡しし、お読みいただいたはずですが」
 東雲が横から口をはさんだ。
「ああ、それで昨晩は騒がしかったのですね」
 弟の那岐(なぎ)が手を叩いた。
 まだ本宅で暮している那岐は、昨晩、家中が大騒ぎだったのを知っていた。
密かにセキュリティーサービスを悠司のもとへやり、
彼を捕らえようとしたのを母親が事前に察知して危うく止めたはいいのだが、
ヘリコプターは飛ぶわ、父親に雇われた某国の特殊部隊を呼び戻すのに別の特殊部隊が出動するなど大変な騒ぎがあったのだ。
 そんな騒ぎがあったとも知らず、昨晩はいつものホテルでいちゃいちゃしていた二人であった。
悠司が落ち着かな気なのも、実は昨晩、亜美にアヌスを攻められていたために尻の穴に違和感があるからだ。
 最後にはアヌスを責められたまま達して、射精した。
 亜美も“自分”をいじめることに興奮して、つい度を越してしまい、
結局二人とも、一睡もできずにこの場に望む羽目になったのである。
 腰をなかば浮かせている悠司をむりやり座らせ、耳元で囁く。
「まさか、私以外の人と結婚したいだなんて、思っていませんよね?」
 肩に置いた手に、ぎりぎりと力を込める。
「痛い痛い痛い、痛いよ亜美ちゃん! もちろん、俺は亜美ちゃん以外とそんな風になろうとは思ってないって」
「由阿里さんとも?」
「も、もちろん」
「梓さんや、琴美さんや、みるくちゃんや、野風さんや文絵さんや月子さんとも?」
「……どうして知っているんだよ」
 亜美が額にしわを寄せる。
 どうしてか今の悠司は、やたらと色々な女性に手を出して、深い関係を持っているのである。
以前の自分……悠司は、それほど性欲は強くはなかった。今の彼を、うらやましいとも思わない。
何人とも関係を持てば、いずれ泥沼に陥るのが関の山だからだ。一時期の肉欲で面倒を起こすなど愚かなことだ。
 だから、許せない。
「ああ……お父様が知ったら、どんなことになるかしら? きっと言葉では言い表せない、とても酷いことになるに違いないわ」
「亜美ちゃん、俺を脅す気?」
「脅すだなんてとんでもない。私は、悠司さんだけを想ってます。だから、約束して。私だけを見る……って」
 まだまくしたてている亜美の父親の方を、ちらりと見た悠司は、再び亜美の方を見て、ため息をついた。
「約束しなきゃだめかな?」
「だめです」
 寸毫の間も置かず、亜美が即答した。
「ねえ、亜美ちゃん……」
「甘えた声を出したってだめです。悠司さんの……浮気者」
 つい、と顔を逸らす亜美。
「あらあら、仲が良いこと」
 母の叡美が微笑んだ。
「でも、子供はまだにしてくださいね。せめて高校を卒業をするまでは。
できてしまったのならば天からの授かりものですし、仕方がありませんけれど」
「は、はあ」
 頭を掻く悠司。
 そんなことを言ったら深い関係にあるのを肯定したことになるでしょう、バカ!
とばかりに、背中から回した手で腰のあたりの肉をつかんで、ぎゅっとつねる。
 もちろん、それでも今晩の『行為』をやめるつもりは全くない。
 何しろ母親公認だ。
 案の定、ようやく口を閉じた父親が物凄い視線で悠司を睨んでいる。
目からレーザー光線が出せるなら、1ミクロン角に細切れにされているだろう。そして父親は吠えた。
「ゆ、ゆ、ゆっ、許さん! 私は許さんぞ! まだ亜美は子供じゃないか」
「あら。あなたと初めてセックスしたのは、私が十六の時でしたわ。
翌年には洵彌(じゅんや)が産まれたものですし、ちっとも早くないですわ。今時はこれくらい普通ですよ」
「セ、セックスだなんて、亜美にはま、まだ早すぎるっ!」
「十六歳の乙女に、いきなりバックから挑んだばかりか、
色々な体位を試して、次の日の御昼まで私を寝かして下さらなかった方の言葉とは思えませんわ。
お尻の処女まで持っていったのは、どなたでしたかしら?」
「む、むぅ……!」
 母親は全てをわかった上で、からかっているのだ。
 何しろ、ほとんど化け物じみた(実際に化け物なのだが)洞察力の持ち主だ。
何も言わずとも、母親には全て筒抜けだ。
 自分が、『亜美になってしまった都築悠司』であることも――だろう。
 今年で四十六歳になるとはとても思えない。年齢不詳という点では、姉に優るとも劣らないだろう。
観夜が大人びて見えるので、並ぶと母娘ではなく姉妹だと言われるほどなのだ。
蝶よ花よと育てられたからなのか、常の言動はともすれば亜美より幼さを感じさせることもある。
 ふと隣の悠司を見ると、妙に上半身を倒して腰を引き、緊張した顔をしている。
 勃起しているに違いない。
 この無節操め! “私”はそんなに節操無く誰にでも欲情したりなんかしなかったぞ、という思いを込めて、
亜美は悠司のわきの下をつまむと、十円玉を曲げるくらいの力で“軽く”捻った。
いくら手加減したとはいえ、痛みは想像を絶していたことだろう。
「うぎゃぅっ!」
 声を上げて悶絶した後に、悠司は慌てて自分の手で口をふさぐ。
だが、ジンジンと沁みるような痛さが亜美に捻られた部分から悠司を責めたてる。
「今日は御泊りになるのね?」
 叡美が言う。この場を取り仕切っているのは、彼女だった。
「あ、はい。その予定です」
「では、悠司さんと亜美は、一緒の部屋でよろしいわね?」
 母親がしれっと言ってのけた。父親が絶句して、思わずパイプを取り落とす。
その顔を見て、亜美は父親が自分はまだ処女だと思われていることに、初めて気がついた。
優に三桁にのぼる男とセックスしているだなんて、とても言えるような状況ではない。
 東雲も母には伝えていても、父には何も知らせていなかったのだろう。
 だから、婿養子は辛い。
 きっと今、隣にいる男も同じ思いを味わうことになるんだろうと思うと、気の毒な気がしてきた。
「もちろんですわ」
「亜美。良い旦那様を見つけたわね」
「はい……お母様」
 母にはきっと、自分達の子が背之鬼の血を強く受け継ぐことがわかっているのだ。
悠司と亜美の魂が混じりあった自分からは、さぞや血の濃い子供が産まれてくるだろう。
 子供を、産む。
「あっ……」
 亜美は股間が熱くなるのを感じた。
 子を孕むのは、何よりも確かな女の証だ。
期待する心と共に、すっかり変わりきってしまった自分が切なく、苦しい気持ちもまたある。
この矛盾する心が完全に解消することはないだろう。
 複雑な思いを抱いたまま、悠司を家族へ紹介する会合は終わった。
あとは晩餐があるのだが、さすがにこれ以上、悠司に精神的な負担をかけるわけにはいかない。
幸い、父親と兄は仕事で晩餐には出ないが、あの母親と弟、そしてずらりと並んだメイド達を前にして
食事がまともに喉を通るはずがない。
 悠司を自宅へと案内しつつ、亜美はそっと悠司に囁いた。
「先生。今日は……朝まで眠らせないでくださいね?」
「勘弁して欲しいな。昨日だって、ずっと眠らせてくれなかったじゃないか」
 しかし亜美は、涼しい顔をして言った。
「先々週、乃々弥(ののみ)さんと三日間も御泊まりしてきた人の台詞だとは思えませんね」
 悠司は愕然として立ち止まった。
「……だから、どうして知ってるんだい!?」
「私は、悠司さんのことならなんでも知っているんですよ? あなたが小学校三年の時に、三度もおねしょをしたとか、ね」
「うわ。俺でも忘れていたのに! この分だと、もっと怖いことまで知られていそうだな……」
 だって、“私”は“あなた”なんですもの。
 亜美は天井を仰ぐ悠司の腕を両手で抱きしめ、豊かな胸の間ではさんで熱い吐息を彼の耳に吹きかけながら囁いた。
「だ、か、ら。今日はたぁっぷり、私を愛してください……ね?」
「わかった。降参降参!」
 この日、彼が一睡もできなかったのは、言うまでもない。

 ***


 そして月日は流れ……亜美の卒業式を間近に控えた二月。

「亜美は、本当にエッチだね」
「あふぅん……だって、悠司さんの……がいいんですもの」
 つい半年ほど前に引っ越した悠司のマンションの中で、声を押し殺しながら玄関のすぐ脇の脱衣所の、
わざわざ低くしつらえられた洗面台にお尻を乗せ、抱きつくような姿勢で亜美は悠司に貫かれている。
「俺の何が、だって?」
 悠司が挿入を止めて耳元で囁く。
 相変わらずいい性格をしているわね、と亜美は心の中でつぶやく。
一瞬、あそこをねじってあげようかしらという衝動がわき上がるが、すぐにおさまる。
 亜美と悠司が融合してから、二年半あまりが過ぎていた。
 彼女はこのまま、紫峯院付属の女子大学に進学することが決まっている。
周囲は国外留学や国立大学への進学を薦めたのだが、彼女は自分で付属大学に進むことを決めたのだ。
 彼の就職先と大学は、目と鼻の先の距離にある。昼休みに食事にだって誘える距離だ。
彼の浮気を防止するには、目の届く範囲内にいる必要がある。
だがそれは口実で、悠司といつでも会えるというのが最も大きな理由だった。
亜美は昨年から、彼の会社の役員名簿に名を連ねている、立派な経営者の一員でもあるのだ。
 悠司が就職したのは株式会社ファンタズム。瀬野木一族の親族企業で、いずれは義兄となるだろう雄一郎も勤めている会社だ。
もっとも、彼とは既に、ある意味で“兄弟”なのだが。
 目の前にいるのがかつての自分であるかどうかなど、既にどうでもよくなっていた。
 誰だってずっと同じ存在でいることなんかできない。人は変わり続ける。
過去を悔やみ続け、懐かしんでいては貴重な「今」を浪費するだけだ。
 それに、なによりも彼とのセックスは格別だ。まるで自分専用にあつらえたかのような気持ちよさだ。
 自分の思うようにできない、唯一の男性。
 そしてかつての自分自身であり、分身でもあり、他人である人。
 一日も離れていたくない。離さない。
 しかも、男と女の両方の感覚を味わうことができるのは、悠司が相手の時だけだ。
悠司と触れ合っている時は自分は、男としての快感と、女としての悦びの両方を同時に味わえる。
自分が一緒の時だけ他の女とベッドを共にする事を許すのも、失ってしまった感覚を感じることができるからだ。
 いや、これは究極の自己愛なのかもしれない。

(私ってナルシストだったのかしら?)

 亜美が物思いに耽っていると、悠司は腰をぐいぐいと押しつけて恥骨を亜美にこすりつけてくる。
子宮口がぐいっと中へと押し込まれる、この密着感がたまらない。
亜美は、ほぅ……と熱い息を吐いて、思索の森から現実に舞い戻ってくる。
「や……いやです。悠司さんの、いじわる……」
 悠司の胸に顔を埋めるようにして、亜美はつぶやく。
 彼の部屋でするセックスも、またいいものだ。懐かしい生活臭も味わうことができる。
失ってしまった男としての人生を惜しむ気持ちは、まだ自分の中に残っている。
 だが、亜美はその感情さえも快楽の餌にしてしまう。
「何が意地悪なのかな?」
 彼が求める台詞はわかっているのに、なぜかすぐに口から出てこない。
 口ごもりながら、亜美はようやく悠司が望む台詞を口にした。
「悠司さんのぉ……おちんちんが……いいのぉ」
 恥ずかしくて、耳元まで真っ赤になってしまう。まるで無垢な少女に戻ってしまったようだ。
「ね? 悠司さん。もっと……奥まで激しく突いて。私の中に、いっぱい出して下さい」
「うん。じゃあ、いくよ?」
 熱い塊がいったん引き、そして亜美の中、奥深くへ突き進み始めたその瞬間。

 キーンコーン。

「先生……先生?」
 呼び鈴に続いてドアをコンコンと叩くノックの音がし、女性の声が室内に響いた。
 悠司はびくっとしてドアの方を見た。急速に萎えてゆくペニスが彼の感情を如実に表わしていた。
亜美は体を捻って彼の方を見て言った。
「悠司さん? あれだけ言ったのに、私の他に、まだ関係を持っている人がいるんですね」
「あー……。うん、ごめん」
 素直に認められて、亜美は拍子抜けする。そこが憎めないところだが、追求を止めるつもりはもちろん無い。
 ドアの外から別の女性の声がする。
「あら。あなたは誰? 悠司の何なの?」
「先生の恋人です!」
「先生ですって? ほーっほっほっ! 尻の青いガキが何を言ってるのやら。
あ・た・しっ! が悠司のスイートハートなの。
あなたなんて行きずりに引っ掛けただけの、どうでもいい小便臭い小娘なのよ!」
「こっ、小娘って何よ、この、塗り壁メイクのケバ女! それにスイートハートだなんて、いつの時代の婆ァよ!」
「きーっ! 誰がケバケバのババァだって? この尻デカの乳臭い小娘がっ!」
「キーキー言うんじゃないよ、猿みたいに顔真っ赤にしてさ!」
「あなた方は、悠司さんの部屋の前で何をやっているんですか?」
 また人が増えたようだ。
 悠司はすっかり萎えてしまったペニスを亜美の中から抜き取ろうとした。
「ダメです。ねえ、悠司さん。外の方なんか放っておいてぇ……ね?」
 亜美は脚を巻き付けて腰の動きを制する。
「でも、ほら。他の部屋の人にも迷惑をかけるし」
 名残惜しそうにしながらも、悠司は亜美の脚に手をかけて外してゆく。亜美もそれには抵抗しない。
「あ、それ合鍵! いつの間にそんなものを作ったのよ!」
「私は先生から頂いたんです。これは、秀海(ひでみ)だけに渡すんだよって……きゃあっ! 言っちゃったぁ♪」
「惚気てるんじゃないわよ、ほら、とっとと貸しなさい」
 悠司は慌ててトランクスを探してはき、ズボンを手繰り寄せた。
 ひとしきり渡すの渡さないのという騒ぎがあってから鍵穴に乱暴に鍵を差し込む音がした。
確か、チェーンロックはしていなかったはずだ。
「秀海ちゃんって……まだ中学生だったでしょう?」
 じと目でみつめる亜美の視線に、悠司の身体はたちまち強ばってしまう。
「いや、四月から高校いち……じゃなくて、ほらもう体は大人……とか、そういうんじゃないよ?
でも、なんで亜美が秀海ちゃんの事を知っているんだ?」
「それは……」
 亜美が答えようとする前にドアが開き、玄関でひとしきり騒ぎがあってから、
四人の女性が倒れこむようにして、一気に室内に雪崩込んできた。
「あー! 先生ったら他の女の子とエッチしてたあ! ……って亜美お姉さま!?」
「まったく。あたしという恋人がいながら!」
「あの……恋人は私……です。きゃっ、言っちゃった! 恥かしい……」
「誰が恋人だって? ふん、だ! 悠司の恋人はこのボクだよっ!」
「じゃあ私は愛人でいいや」
「あたし、二号さん!」
 次から次へと入ってきた女性は、なんと合計七人。これで終わりかと思ったら、由阿里が呆れた表情で突っ立っていた。
彼女の背後には、亜美直属のメイドである浦鋪かおりが私服で、
バスケットを手に持ったまま困ったような顔をして亜美の視線から顔を背けている。
つまり、亜美も含めると合計十人の女性がいることになる。
「つんちゃんはいいとしても……悠司さん、これを説明してくれる?」
 由阿里が目を釣り上げて祐司さんに迫る。
つんちゃんというのは、由阿里が亜美につけたあだ名で、由阿里は“ゆありん”だ。
今では実の姉妹のように仲が良く、悠司と三人でベッドを共にすることも珍しくない。
「あっ……。亜美様……」
 悠司の部屋に押し掛けた人の中で、眼鏡をかけているレディス・スーツをパリっと着こなした女性が
亜美の顔を認めて、申し訳無さそうな顔をする。
彼女は、悠司の身辺調査を頼んである調査員の女性だ。
こんな人にまで手を出していたとは。道理で最近、悠司の身辺調査の定期レポートが妙に身奇麗なわけである。
 まず誰から話をしていいものか困惑している悠司を見て、亜美の頭の中に嫌な予感が頭をかすめた。

(ちょっと待って。これって……)

 観夜の笑みが見えるようだ。
 なんとなく亜美にも状況が飲み込めてきた。
 そう。

『ハーレム・エンド』

 これは、ギャルゲーによくある、複数の女性達とエンディングを迎えられる状態のことだ。
どうも悠司は亜美と会っていない間、せっせと他の女性達とも関係をもっていたようだ。
無節操だが、実際、毒気の抜けた悠司は元々それなりに見栄えも良かったことから、かなりもてていたようである。
 それ以上に、亜美にはこの事態を招いたのが自分であることが、痛いほどよくわかっていた。
さっさと悠司を婚約などで縛ってしまえば、さすがの彼も、それ以上女性と深い仲になることはなかったはずだ。
 元が男であったという意識のために、彼との結婚を迷っていた自分の失態である。
それに裏で姉が暗躍していたのも、ほぼ間違いのないところだろう。
 だが彼女達は互いに反目はしあっているが、悠司を憎んではいないようだった。
その証拠に、いい争いをしながらも場は奇妙になごやかなのだ。
 まあ、少しくらいは浮気も許してあげよう。

(他人に乗り移って別の体で悠司さんを味わうのも新鮮だし、ね……)

 狭い部屋に押し掛けてきた九人の女性達の対応に追われる悠司を横目で見つめながら、
亜美は、こういうのもいいかな? と思った。
それに、この女達にはもう絶対に追いつけないアドバンテージも自分にはあることだし。
(でも、悠司さんは『私』なんだから……絶対にあなた達なんかに渡さないわよ)

 亜美は、新しい生命を宿しているお腹を庇うように手を添えて、そっと立ち上がり、
作業デスクのパソコンに開いたままになっていた開発中の『ヴァーチャル・ラバーズ7』のウィンドウを閉じて、電源を切った。


           「ヴァーチャル・ラバーズ」


              HAPPY END…?


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