──大きな部屋の中で食事をしている。
 ──向かいの席には弟が何か不機嫌そうに座って半分寝ぼけた眼で干物をかじっている。
 ──隣にはお母さんが向かいのお父さんに文句を言っている。また新聞読みながら食事をしているのをたしなめたのだろう。
 ──私は茶碗の中のご飯をモソモソと食べながら箸を小皿の海苔へと伸ばした。しかし、ふと気が変わって漬物に箸を寄せる。
 ──すると隣のお母さんが怒った。
 ──『迷い箸をするんじゃありません! 行儀の悪い女は嫌われますよ!』


 混濁した意識の中から『自分』が帰ってきた彼女は、バスローブをまとって背擦りの高い椅子に座っている。
気の利いた喫茶店の片隅に置いてあるような、インテリア然とした大仰な椅子だ。
 先ほどの女性が横を向いて座っている。何かの書類に眼を通しながら、大きなファイルに何かを書き写している。
 意識の戻ってきた彼女は火照った体をもどかしそうに動かして何かを確かめている。
 彼女は混濁していたが無意識に右手を上げて胸を触った。間違いなく乳房の感覚が手の中にある。そして左の乳房を触っている感覚もあった。

 その女性は手を止めて椅子の向きを代え、改まった表情でしゃべり始めた。カラカラと鈴を転がすような甲高い澄みきった声だ。
 綺麗な声だなぁ……

「ちゃんと聞いていますか?」

 やや強い口調に変わっているが顔は笑っている。仕方がないなぁ、とでも良いたそうな顔だ。何か手を煩わせているのが申し訳なくなってきた。

「はい、ちゃんと聞こえています……あれ?」

 今度はちゃんと声が出た、胸を触っていた手が喉に触れる、そして初めて気がついた。
 見事な喉仏と褒められていた喉仏が首から消えている。そして柔らかくてキメの細かい肌に覆われた細い首があった。
 自然と手が喉から離れ、自分の右手をシゲシゲと眺める。小さな手のひら、細長く繊細な指。手を返し甲を見れば、ほとんど毛が生えていない上に、やや伸び た爪が生えていた。

 ふと顔を上げると女性はまた何かをファイルに書き写している。
 何を書いているんだろう?と思ったのだけど、日本語ではない言葉で書かれているかのように思えるほど漢字が多くて、瞬間的には読めなかった。

「私の名前は宮里といいます。覚えてくださいね、あなたの担当になりました」

「あなた新しい名前は香織です。ご両親があなたにプレゼントしてくれました」

「今すぐには会えませんが、やがてこの施設から出て現実社会に復帰すれば家へ帰れます。まずはその新しい体に慣れてください。
そして、これからあなたが成すべき義務とそれに伴う責任、そして、それを行う上での重要なあなたの権利を説明します」

「いいですか? よく理解してください。あなたは不幸なのではありません。他の人よりちょっと変わった人生になるだけです。
そして、他の人には無いいくつもの権利を有しています」

 そう言って宮里──と、そう名乗った女性は右手の人差し指をピント伸ばして顔をかしげ、右目を軽くウィンクしながら言葉を続ける。

「その人が幸せだったか、それとも不幸だったかは死ぬまで分かりません」
「でも、不幸だと思って生きるより幸せだと思って生きたほうが良いでしょ?」

 宮里はそういって笑いながら、右手をポケットに入れて鍵を差し出した。鍵には小さなナンバータグが取り付けられている。

「今から言う番号は片時も忘れてはいけません。良いですね? 番号は2040640です。もう一度言います、2040640です。復唱してください」

「番号は……」
 そこまで言って今度は自分の声にびっくりした。ソプラノ歌手のような、透き通ったやさしい声が自分の喉から出ていた。しかし、素早く言葉をつなげる。

「──番号は2040640、ですね」

「はい、その通りです。その番号はあなたの認識番号です。TSナンバーといいます。あなたがその人生を終えるときまで付いて回ります。
その番号はあなたの権利を保障する担保になります。意味が分からないでしょうけど、今は理解しなくてもいいです。ただ、絶対に忘れないでください」

「あと、もう一つ、これはあなたの番号が書いてある紙ですが……」

 そういって宮里は一枚の小さな紙を取り出した。そしておもむろに取り出したライターで紙に火をつけた。
 ほぼ紙に火が回り全部燃え尽きたのを確認してから言葉をつなげた。

「たった今、あなたの認識番号を示した紙はこの世の中から姿を消しました。
もはやあなたの認識番号を外部から知るには、厚生労働省のデータベースに侵入するか、それともあなたを徹底的に調べるしかありません」

「あなたの体の一部に暗号化した認識番号を入れてあります。それは専用の機械で読み取らない限り、ただの模様にしか見えないものです。
いずれ時が来ればどこにあるか分かりますが……」

 宮里はニコっと笑って言った。
「今はまだ知らないほうが良いですよ」

 自分の体に自分でも知らない部分がある。そう思うと香織なんだか酷く気持ちが悪くなった。おそらくそれが表情に出たのだと思う。宮里はすかさずフォロー する。

「たとえば香織さん、あなたは自分の背中を自分で見たことがありますか? 耳の裏側は? うなじの部分の……」

 そういって宮里は自分の首筋に手を伸ばす。
「世の中の男性達が眺めて喜ぶ私たち女のうなじは……自分じゃ見えませんよね」
 と、言って微笑む。
 妙な違和感を感じて、それが『私たち女の……』と言った部分である事に気がつくと、何か自分が急に女なんだと思えるようになってきた。

「さぁ、とりあえず部屋へ行きましょう。その鍵を忘れないで持ってきてね」

 そう言って宮里は立ち上がった。香織は渡された鍵を握り締めて後に続く。自分の足で立ち上がって部屋を出る。
 するとそこは大きな学校のような病院のような、コンクリートで出来た大きな建物だった。窓の外には雄大な山並みが見える。
窓の下には学校のようなグラウンドがあり、体操着を着た女の子が沢山居て、笑顔で走り回っていた。
 まぎれも無く学校と言い切っていい施設だった。
 しかし、唯一学校に似つかわしくない所は、施設の周りを10m近い壁が取り囲み、等間隔で監視小屋のような物が並んでいる事だった。
壁の上には有刺鉄線が張られ、それは内側にせり出した形状だった。逃げられない……ふとそう思った。

「香織さ〜ん、早く来て」
 そういって宮里は香織をせかす。
「は〜い」と声を返しうしろを付いて行く。廊下を歩き階段で2階下のフロアに降りた。

 するとそこは左右に等間隔でドアが並んだ廊下だった。宮里は壁の番号を読みながら歩いていく。やがて24-38と書かれたドア前に立ち止まった。
宮里は微笑みながら空中で鍵を開ける仕草をする。
 あぁ、そうか。さっき渡された鍵はこの部屋の…そう思って鍵を見ると、ナンバータグには24-38と書いてあった。

 鍵穴に差し込み時計回りにまわすとドアノブごと回ってドアが開いた。
 入ってすぐに小さなキッチンがあり、その奥には組みつけのシングルベットが一つ、その隣にはクローゼットが二つと小さなテーブルと椅子が二つ。

「ここが私の部屋ですね」

 香織は無意識に言った。しかし、意外な答えがすぐに返ってきた。

「いいえ、それは違います香織さん"が"生活する部屋ではなく、香織さん"も"生活する部屋です」

 え?っと思ったけど、その意味がすぐに分かった。再びドアが開いてもう一人の女性──自分と同じかやや上の年齢と思しき人が入ってきた。

「あ! 新しいルームパートナーですね! 宮里先生! わ〜うれしぃ! 一人でつまらなかったの!」

 そう言って嬌声を上げる女性は私の手をとってこう言った。

「私は沙織よ、橘沙織。あなたの名前は?」

 相当嬉しいらしくハイテンションだった。何となく気圧される感じがしながら自己紹介する。

「香織……です。川口、香織……」

 香織と名乗るのに酷く違和感を覚えた。そして自分の本当の名前を──男だったときの名前を思い出そうとしたのだけど、何故か出てこなかった。どんなに考 えても出てこなかった。
 しかし、何でだろう?と考え込むより早く、沙織がさらにハイテンションで声を続けた。

「香織って言うの? ほんと? 私は沙織なの。織だけ一緒だね! 妹が出来たみたい!」
「宮里先生、本当にありがとう!」

 この女(ひと)のテンションにはなかなか付いていけない……ふとそう思った。
 共同生活するのかな? どうして?
 そんな疑問が頭の中をぐるぐると回る。
 しかし、結論など出る筈も無く、また考えるのが無駄だと気が付きもしなかった。そして宮里は、
「じゃぁ沙織さん、とりあえず身の回りのことは香織さんに教えてあげてね。お願いね」
と、そういって部屋を出て言ってしまった。

「あ、あの……」
 そういって宮里さんのあとを追おうとしたのだけど、私の意志とは関係なく沙織がテンション高く話をリードする。

「今日カプセルから出てきたんでしょ!」
「最初はびっくりするよね。でもすぐ慣れるよ、だって自分は自分だもん!」
「さぁ、こっちに来て。そんなバスローブ脱いじゃってさぁ!」

 そういって一思いに服を剥かれてしまった。キャッと声を上げ右手で胸を隠した。なんで咄嗟にその仕草が出たのか自分でも分からない。
 しかし沙織は一気に、
「うぁ〜オッパイ形良いじゃん! 羨ましいなぁ〜もぉ〜」
とか言いつつクローゼットから女物の下着を取り出した。

「こっちがショーツでこっちはブラジャー。わかるよね? とりあえず下を履こうね、何となく落ち着かないでしょ? ブラはね、こうやって……」

 そういって沙織が香織の胸を触る。それだけでゾクっと来る。
 まだ何か敏感になっているのだが、そんな事をお構いなしに沙織は続ける。

「肩ひもの長さをちゃんと調整しないと肩が凝るからね。あとでつらいわよ」
「肩こりが酷くなると頭痛がするからちゃんと調整して」

「そしたらね、これはフロントホックって言うタイプで前でロックするの。本当は後ろのほうが付けていて楽なんだけど、私は前でも変わらない気がするの。
オッパイにカップを被せるんじゃなくて、カップに落としてから持ち上げる感じでホックを絞めてみて?」

 言われるがままに自分の胸を収めてみる。ホックをパチンと絞めてみると、なるほど肩から首筋の引っ張られる感じがずいぶん楽になった。
「さて、下着姿で女がウロウロすると危ないからね、何か着ようか……」
と、独り言のように沙織は言うとクローゼットをあさり始めた。出てきたのはライムグリーンのワンピースだった。

「うん、これが良いよ。ワンピースって女っぽいよね。これは背中にジッパーがあるから、これを下までおろして足から入ってみて」

 そういって幼い子に服を着せるように沙織は香織の前でしゃがみ服を広げた。香織はされるがままに足を両方通し、服を持ち上げて腕を通した。
背中でジッパーを絞める音がする。そして腰にあるひもをギュッと絞めて結ぶ、と嫌でも胸の膨らみとウェストの細さが強調された。
肩を押されて鏡の前に立たされると、そこには少しだけ髪の伸びたワンピース姿の女の子が立っていた。

 これは……今の私……

「わ〜かわいい! お人形さんみたい! ねぇ! 中を案内するわ! 行こう!」

 そういって沙織はドアまで言って早く早くと手招きした。素足で出歩いても良いものだろうか、と思ったけど沙織も素足だったので香織そのまま部屋を出て 行った。

「早く! 早く!」
 沙織はそう言って香織を促す。いきなり外界に放り出された香織は段々と体が重くなっているはずだが、今は興味の方が勝っているのだろうか、沙織に付いて いく。

「あそこの扉が大浴場入り口、その奥は大きなパウダールーム、エチケットルームも一緒ね。こっちの階段を上がるとライフフロア。
生活に必要な物が一式有るわよ、食堂とか大きなリビングサロンとか」

「反対にある階段を上がるとスクールフロア。ここから出るまでに色々と学ぶことが多いでしょ? そういう事はこっちね」

「ここの大きくて厳重な扉は……」
 よっこいしょと言わんばかりに力を入れて、沙織は扉を開いた。
「女一人で空けるにはちょっと重すぎるのよね、このハッチ……」
 
 そう言って扉を開けると香織の瞳に眩いばかりの光が目に飛び込んでくる。

「はい。どう? 久しぶりでしょ、太陽の光! あんまり日に当たってると色黒になっちゃうからね♪」

 沙織は太陽の下へと歩き出した。香織もフラフラと後を付いていく。陰の部分から日向へ出る直前で足が止まった。
 このまま出て平気なのかな?
 香織は一瞬そう思った。でも、太陽ならいつも見ていたから……一瞬、ボールを追い掛けてグランドを走るシーンが香織の脳裏に浮かんだ。
 それは何となく他人の記憶のような自分の物でない感じだった。ドラマのワンシーンを思い出すような状態とでも言えばいいのだろうか。
 しかし、今現実に香織の見て感じている世界はリアルな物だ。降り注ぐ陽光、肌を撫でる風、砂埃の臭い。
 あぁ、これが外の世界!

「沙織さん、ありがとう……」

 香織の不意に口を突いた言葉が沙織を更に喜ばせたようだ。喜色満面と言った笑みを浮かべ嬌声を上げている。

「さぁ、次いこ! こんどは……」
 そう言って沙織は香織の手を引いて建物の中へと小走りに歩いていく。しかし、建物に入ってすぐにアクシデントが起きた。
まるで操り人形の糸が切れるように、香織は意識を失って倒れ込んだ。沙織の顔から血の気が引いていく。

「香織! 香織! しっかりして!! 誰か来て!」

 すぐ近くの扉が開いて白衣の女性達が集まってきた。沙織は涙目になって立ち尽くしている。
やがてそこに宮里もやってきた。香織のそばにしゃがむと、ハンディー型の機械を香織の額へとかざす。

「軽い眩暈ね……沙織さん、香織さんを外へ出した?」

 無言で頷く沙織。宮里はやおら立ち上がって沙織に近付くと右の頬を目がけて平手を入れた。勢いで吹っ飛ぶ沙織。

「あなた、何をしたか分かっていますか? 香織さんはまだ外界との接触を避ける段階ですよ。この子に何かあったら……」

 今にも泣き出しそうな沙織は消え入るような声で「ごめんなさい ごめんなさい……」と呟いている。
宮里はため息を一つ付いて、周囲の白衣をまとう女性達に指示を出し、香織をメディカルルームへと運んだ。

「間に合うと良いのですが……」
 宮里の顔には明らかに動揺の色があった。

 2時間ほど経って香織は目を覚ました。すぐ隣には右頬を赤黒く変色させた沙織が座っている。反対側に安堵の表情の宮里。そしてその隣には老いた男性の医 師が立っていた。

「香織さん…だね。気分はどうじゃ? 顔色も戻ったし、心配なかろう」
「沙織さんも気を付けないさいね。あなたは明るく行動的なのが取り柄だけど、時々軽弾みな事をする。
女性は男性に比べ繊細で弱い部分があるから、次から気を付けなさいね」

 沙織は目にいっぱいの涙をためて震えていた。香織は段々状況が掴めてきた。
 私が外に出て倒れたこと、沙織がひどく叱られたこと、そして……小刻みに震える宮里が明らかに隣の老医師を恐れていること。
 老いた医師は隣の宮里を見上げ何か小声で話をしている。宮里が軽く頷いて胸のポケットから何かを取り出した。

「香織さん、良く聞いてね。あなたは今朝生まれた赤ちゃんと一緒なのよ。あなたの体はまだ外の世界に出るには弱すぎるの。
初めて外の世界に出る時は外界の様々な……そう、ばい菌とか紫外線とか、そういう強い刺激に対抗出来ないと死んでしまいますからね」

「今は少し落ち着いてますが、もし急に気分が悪くなったり立ち眩みしたり……」

 そう言って老医師に視線を移すと、その医師は宮里に立ち替わり言葉を続ける。

「急にお腹が痛くなって下血を始めたら……女の子にしかない穴があるじゃろ、そこから下血を始めたらこのボタンを押しなさい」

 そう言って宮里から何かを受け取ると香織の前に手を出した。小さなコイン状の円盤だった。真ん中にはボタンを示す赤い○が描かれている。

「この真ん中の赤い○を強く押すと、この施設のどこにいてもあなたの所へ2分以内に誰かが駆けつけます」

 そう言って老医師はコインを香織へ手渡した。香織はじーっとコインを見つめる。

「あなたにはまだ使命があります。大事な使命です。自分の命は大切にして下さい。まだ見ぬ子にその命を分け与える使命を果たすまで……」

 そう言って宮里は香織の頭を撫でた、まるで我が子を大切にする母親のように。
 向かい側の沙織はばつの悪そうな笑みを浮かべてそれを眺めていた。

「さて…」
 そう言って老医師はベットサイドを離れた。宮里もそれに続いた。木製のドアが閉まると部屋の中は静寂に包まれる……香織は沙織へと向き直って、言葉を選 ぶように話し始めた。

「沙織さん、叩かれちゃったの?」
 無言で頷く沙織。
「もしかして、私のせいで?」
 今度は沙織は首を横に振った。そして両手で口を隠すように覆って泣き声混じりに喋り始める。

「違うの。私が悪いの。あなたの……」
 そこまで言葉を繋いで一気に涙が溢れた。
「香織の体がまだ無理だって忘れてたの。まだ、アレが無いから……ごめんなさい」

 そう言ってボロボロと泣き始めた。香織はアレって何だろう?と疑問に思ったのだけど沙織に聞ける状況でもなく、ただ、どうして良い変わらなかった。

 しばらく涙を流していた沙織だが、何かを思いだしたように立ち上がって香織の手を取った。
「香織、立てる? 部屋に戻ろう?」
 香織はゆっくりと体を動かしてベットサイドへ立ち上がった。まだ軽くフラフラする。
沙織は香織を後から抱きかかえるように歩き始めた。

 ドアを開けて廊下へと出る。そこには知らない女の子達が心配そうに眺めていた。
遠巻きに見ていた女の子の中から明らかに年上の女性が──既に女の子ではなく女性といった容貌の人が近付いて来て香織の手を取った。
「大丈夫?」

 沙織はまるで叱られるのを恐れる子供のような顔で女性の顔を見上げている。女性は軽く笑みを浮かべると沙織の頭をげんこつで軽く叩き、
「もっと気を付けなさいね」と言って笑った。
「香織さんね? 今日来たばかりの川口さん」
 そう言って笑みを浮かべる。

「はじめまして……ですよね。私は野沢、野沢雅美よ。24号棟の棟長なの、よろしくね」

 香織は食い入るように雅美を見ている。均整の取れた顔立ち、腰まで伸びた美しく長い黒髪、こぼれ落ちそうな黒い瞳に吸い込まれそうなほどだ。
 そしてハッと気が付いた。
 この施設のここに居るという事は……この人も男だったんだ……

「さぁ、ここで立ち話しても仕方ないわ。部屋へ行きましょう。沙織さんよろしくね」

 そう言って先導するように歩き始めた。沙織は香織の肩を抱きながら耳元で囁く

「24号棟一番の美人よね、雅美姉さま。素敵だわ……」

 うっとりするように見つめる沙織の視線は、男が女の見つめるそれとは全く違う類の物であることに香織は気が付いた。

 エレベーターでフロアを下りていく。メディカルルームは随分上にあるらしい。階数表示3Fで止まってドアが開いた。雅美は廊下を歩きながら沙織に確かめ る。
「たしか8号室だったよね」
 そう言って24-38の前に立ち止まると、肩から下げた小さな鞄の中の鍵を取り出す。ガチャリと音がしてドアが開いた。
何の躊躇もなく部屋に入る雅美。不思議な違和感を感じていたものの、それを言い出せぬまま香織は部屋に入った。沙織に背中を抱かれたまま。

「この部屋が多分一番良い景色よね。出世部屋って呼ばれてる位だから良い所へきっと行けるわよ」
 意味深な言葉と、射抜くような視線の笑顔を残して雅美は部屋を出ていった。

 香織はベットに座って深く息を吐いた。沙織はクローゼットを空けて中を整理している。
さっきまで、ここからワンピースを出した時までは綺麗に整理されていた中がゴチャゴチャになっていた。
 不思議に思ってその様子を香織は眺めていた。沙織はそれに気が付き作業を続けながら香織に話しかける。

「ごめんね、すぐに片づけるから。一日4回 雅美姉さまが各部屋を巡回するの」
「それで、少しでも整理整頓が出来ていなかったり掃除が出来ていないとね……」

 沙織は中身を抱えて外に放りだしそれを乱雑にまとめてクローゼットに押し込んだ

「この状態で残されるの。次に見回りが来るまでに片づけが出来て無いと大変よ」

 視線を天井へと泳がせながら肩をすくめてアヒルみたいな表情になる。

「クローゼットなら衣装止め、キッチンなら水止め、そして……」

 沙織は香織の座っているベットを指さして、

「ベットが整理できてないと寝床止めってお仕置きなのよ」

 香織の顔から血の気が一気に失せていく。自慢では無いが物を片づけるといった類のセンスは、香織の男時代には全く欠如していた。
片づけるより捨てる方が早いという父親の影響が強いのだろう。恐れの色を目に浮かべて沙織に聞いた。

「沙織さん、お仕置きで止められちゃったら、どうなる……の……??」

 最後は消え入りそうな声だ。沙織はう〜んという表情で答える。

「衣装止めなら身につけて良い着衣は無し、水止めはキッチン使用禁止、寝床止めだと床で寝るようね」

 フワッと意識を失いそうになる香織は必死で意識を繋ぎ止めた。そしてその経験があるか沙織に尋ねる。

「私? 私は一回だけ有るけど……寝床止めだったけど」

 そう言って沙織はペロっと舌を出して笑った。

「雅美姉さまに一晩ご奉仕で許してもらえたわ」

 そう言ってあっけらかんと笑った。
 ご奉仕って、やっぱり……
 上手く考えがまとまらずイメージだけがグルグルと頭の中を廻り始める。

 クローゼットを片づけながら沙織は話し続ける。

「やっぱりね、片づける、整理整頓するって女の仕事なのよね。だから徹底的に躾けられるんだって。それが当たり前だって体に教え込むんだってさ」

 そう言いながら、さっきまでゴチャゴチャだったクローゼットが綺麗に片づいていた。

「これでよし!」
 パンパンと両手をはたいた沙織は、鏡を見て叩かれた頬の腫れが引いているかを確かめると、おもむろに着替え始めた。
今まで着ていたブラウスを脱いで下着姿になった沙織を、香織は足元から舐めるように見つめた。
 自分に負けず劣らずスレンダーな体、香織よりもやや小振りながらバランスの良い胸、そして何より肩のラインが綺麗な後ろ姿。香織の口から無意識に言葉が 漏れる

「沙織さん、凄く綺麗……」

 沙織はビックリして振り返ると困惑したような表情を浮かべた。Tシャツで隠していた胸回りを露わにして微笑んだ

「ホントに? 香織はホントにそう思う?」

 香織はその笑みの意味が判らず、同じように笑みを浮かべて頷いた。

「うれしぃ……」
 沙織は実は泣き虫らしい。香織はやっとそれに気が付いた。
 沙織はショーツだけの姿で香織に近付いて、横に座った

「ねぇおねがい。さおりって呼んで、お願いだから」

 そう言って沙織は香織の肩を抱いた、香織は黙って頷いた。
 沙織は嬉しいそうに額を香織にくっつけて言った

「仲良くしようね」

 "ナカヨクシヨウネ"香織はまだ言葉の意味を理解できていなかった。
 しかし立ち上がった沙織はTシャツを着ると、引き出しからエプロンとショートパンツを出してドアへと歩いていった。

「どこへ行くの?」
 香織は脅えたような声で聞く。
「大丈夫、夕食当番だから行ってくるね。まだ少し休んでいて」

 そう言って嬉しそうに部屋を出ていった。
 香織は言われるがままにベットに横になって毛布を被った。カプセルから出てきて、部屋に案内されて、倒れて目を覚まして……そして沙織を見つめてしまっ た。
 順番に出来事を整理していたが段々眠くなっていった。窓の外は夕暮れ時の空が赤く光っている今日はもうすぐ終わるのだろう。香織は漠然とそう思ってい た。
 しかし、沙織の残り香があるベットで眠りに落ちる寸前に香織は気が付いた。
 沙織はどこで寝るんだろう……

 その答えが出る前に香織は眠りに落ちた。


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