一、母体提供者はいかなる要望をも通すことができるが、子を為すことを第一義としなければならない。

 この身体に課せられた義務を、俺はたびたび思い出していた。
 排卵誘発剤の副作用──受精がなかった場合に起こる生理の痛みを味わうたびに、自分が女であることと自分の役割を再認識するからだ。
 同じ母体提供者の松田はいつのまにか自分のことを『あたし』と呼ぶようになり、仕草もどんどん女っぽくなっていったが、俺はまだ“俺”のままだった。

 ──俺はいつまで“俺”なんだろう?

 このまま“俺”でい続けるのだろうか。
 いつかは“私”に変わってしまうのか。

 先は全然見通せない。だから目の前にあることだけを見て、する。そしたらいつかは終わる。
 その“いつか”が俺の唯一の支えになっていた。

  ◇◆◇

 俺の母体提供者としての“活動”は3日に1人というペースで、そして1周しようとしていた。
 しかし、まだ妊娠はなかった。あれだけ精液を中に出されておきながら当たらないから、あのクジでもう運を使い切ったのかと自嘲する。
 定期的にやっていたがそれでも“お誘い”の回数は減らなかった。俺の決めた3日に1人というペースが遅すぎるというのだ。
「1日に3人ぐらい相手できるだろ?」
 とあるクラスメイトは言った。向こうにしてみれば俺が妊娠しようがしまいが関係ないのだ。とにかくセックスできればいい。
友達も顔見知りも、俺を見る目が変わった。もう俺はクラスメイトにとってクラスメイトなんかじゃなく、性の対象でしかなかった。

  ◇◆◇

「どうしたんだ?」
 校門を出たところで、今はあんまり会いたくないのに会った。
「別に」
 ほとんど無視する感じでその横を通り過ぎる。そいつは俺の後ろにぴったりくっつき、やがて横に並ぶ。
まだセックスしてない相手──つまりこれからすることになる相手のことを俺はなるべく考えないようにしていた。すぐ横にいるのはまさにその相手で、同時に 親友でもあった。
「そっか」
 キヨハルはいつも通りの俺の対応にいつも通り気分を害した風もなく、いつも通りに世間話を始める。
口から先に生まれてきたようなやつで、どこからか話題を引っ張ってきては俺に話すのを日課のようにしていた。今日もまた然り。
「でさ、そしたらあいつなに言ったと思う?」
 適当に相槌を打ちながら、俺はキヨハルの話とは別のことを考えていた。
 俺はTS法の定めるところによって、クラスメイト全員の子供を産まなくてはならない。
その中には当然キヨハルも含まれている。顔見知りと、しかも男とセックスするなんて誰が想像できただろう。
 これまで、名前と外面だけは知っていても中身は知らなかったクラスメイトの本性を見てきた。
 キヨハルも他のクラスメイトと一緒で、ケモノのように俺を犯すのだろうか?
 いつものにやけ顔から飢えた肉食獣のそれに豹変させて。前からか後ろからか俺を──
「どうした?」
 他の男とヤるときは、相手のことなんか考えたくもなかった。しかし、なんで俺は今回に限って考えてしまうのだろう。
 親友だから? それとももっと別の理由で?
「……別に」
 まさか卑猥な想像をしていたなんて言えるわけがない。変な素振りを見せると、あの事件の直後のように慰めと称して一発ギャグ50連発と、鬱陶しいまでの 一方的な会話要請をされかねない。
平静を装う。しかし内心はごちゃごちゃしていて、それを顔に出さないことが精一杯だった。

 思えば、キヨハルは俺が女にされてからも変わらずに俺に接していた。だが下心があるようには思わなかった。
なぜなら俺に対して一度も“お誘い”はなかったからだ。その素振りすらなくて、いつもにやけたような顔をして俺を見る、ただそれだけだった。
「どうしたんだ?」
 今度は俺が聞く番だった。キヨハルは急に立ち止まり、なぜか深呼吸をしていた。夕暮れ時の住宅街。あたりには誰もいない。夕陽を背にした黒い輪郭が俺を 見る。
「あの、さ。……聞いて欲しいことがあるんだ」
「なんだよ、改まって」
 近寄る。逆光でも左右されない距離まで来て──キヨハルからにやけた笑いが顔から消えていた。
無理して取り繕って引きつった──見たこともないような真剣な表情。
「いきなりこんなことを言うのもなんなんだけど、……ああ、ええと、これは笑い話じゃないからな、一応。…………おれ……おまえのことが、」
 ひとつ大きく深呼吸。

「好きだ」

 今なんて言った?
 俺のことが好き──?
 キヨハルが俺を?
 どういうことだ?
「なに言ってんだ。俺はおと────」
 俺は男なんだぞ──とは最後まで言えなかった。驚きで半分以上思考が止まっていても、自分が女であると思ってしまうほどに刷り込まれていた。
「本気か?」
 あんな前置きをされておきながら、俺はまだ冗談だと思っていた。そして笑えない冗談だった。
唐突すぎたのもあるが、それでなくても今日の俺は機嫌が悪い。下腹部にわだかまり続ける生理痛はほとんどのことを不快にさせる。こんなときに聞きたい話 じゃなかった。
 こんなときじゃなければ──どうだというのだろう。
 それっきりキヨハルはなにも言わなかった。
 俺も何か言おうとは思わなかった。

  ◇◆◇

 深夜にさしかかる頃には、生理痛はひいていた。しかしまた明日あの薬を飲む。明後日からはまたこの痛みを味わうことになる。
もう十数回繰り返してきたことだが、一向に慣れる気配がない。
 ベッドの上に寝転んで明日の予定を頭の中に思い描く。出てくるのはやっぱりキヨハルの顔だった。明日の相手の顔。そういえば返事をしなかったなと思い出 す。
「はい」か「いいえ」を答えるところまで気が回らなかった。なんの前触れもなかったんだから当たり前だが。
 俺はもう男じゃない。だから男のキヨハルと付き合うことに問題はない。だが──
 俺はキヨハルのことをどう思っているのだろう。
 あれからキヨハルのことが頭から離れない。いつになく真剣な顔といつものにやけ顔が交互に浮かぶ。
 顔の次に浮かんだのは明日の予定のシミュレーションだった。今日告白された相手に明日“要請“する。
「はい」でも「いいえ」のどちらでも結末は変わらない。キヨハルが俺を犯す。
制服を脱ぐか脱がされるかして、キヨハルの手が薬で敏感になった乳首をこね回して、なにもしないうちから濡れそぼったあそこを舐められ、準備のできたそこ にペニスを──
「なんだよ、これ……」
 想像が止まらない。俺が犯されるイメージだけが頭の中を巡る。あそこが疼いた。じんわりショーツが湿って熱を持っていた。薬を飲んだときのように身体が 火照った。
「んっ……くっ……」
 火照った部分に手を伸ばす。軽く触れただけで思いがけない快感を得て声が漏れた。
自分の左手をキヨハルの手に、自分の右指をキヨハルのペニスだと思い込んで手を動かす。
ショーツをずらし、直接いじる。湿った音が静かな部屋に響く。
「はっ……あっ……んはっ……」
 疼きが止まらない。すればするほど“本物”じゃないことに苛立ちと切なさを覚える。
膣内に指を突っ込んでも、クリトリスを擦っても、乳首を痛いほどに摘んでも、やっぱりそれは紛い物でしかなかった。
「あっ、あっ……! もっと……強くぅ……」
 だから本当に犯されているように強く強く思い込む。想像の中のキヨハルを激しく動かす。俺の“中”が壊れるくらいに突かせる。
今、俺はキヨハルに犯されている。腰の辺りを両手でしっかり掴まれ、腰を強く深く打ち付けられている。
「はっ、あはっ、はっ、はっ、あっ、んっ!」
ペースが上がり一際奥まで突き刺されて、熱い液体が放たれる──
「んん、ん〜〜〜〜〜ッ!!!」
 本当に注がれたかのように下腹部に熱を感じる。どくどくとまだ射精されている。キヨハルの精液が俺の膣内に──

  ◇◆◇

 イっても、心も身体も完全には満たされなかった。たった今オナニーしたばかりだというのに、まだあそこは疼いていた。
まるであの薬を使った直後のように俺の身体は男を求めていた。
「どうしたの、私……」
 口をついて出たのは、“女の俺”。快感の余韻の中、今の行動について女として──本当の自分として考える。
 男を、キヨハルを求めているということは、薬の効果じゃなく俺自身の意思でキヨハルを欲しがっていることになる。
思えば心を占める清晴の割合もずいぶんと大きくなってた気がする。思い出すのはキヨハルの顔。いつものにやけ顔。想うだけでまた疼いた。胸の奥も熱い。
「…………これは、そうなのかな?」
 一緒に帰っているのだってそうだ。嫌いな相手と帰るやつなんかいない。嫌ならすぐに突っぱねることだってできたはずだ。
「──キヨハル」
 その名前を口にするだけで、ただ心の中で念じるだけで、身体中がかあっと熱くなった。
そしてキヨハルのことだけしか考えられなくなってしまう。
 ここまで材料が出揃っているのだ。だから答えはこれで合っている。

 俺は、どうやらキヨハルのことが好きなようだった。


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