9


「……よろしくお願いします」
 そう言いながら、ルカは武器を手に取る。右手には愛用のナイフを、左手にはみなひめを握りしめ、久女を睨みつける。
「……ほう。それはローザ様の」
「あの娘の作った武器に頼るのは、個人的にとても嫌なのですが」
 久女の台詞を途中で打ち切り、強い口調で言う。
「これも使わなければ貴方に勝てる見込みは薄そうなので、使わせていただきます」
 そして精神を集中させ、みなひめを発動させる。久女はルカの手から離れたそれが宙に浮かんでいく様子を黙って見ている。
 一時の沈黙。そして、
「始めましょう」
 その言葉が、合図だった。

 ぽぴん
 紙一重で避けられたナイフが結界にあたる。場にはそぐわない平和な音が、辺りに響く。
「流石ですね」
 ルカのその言葉に、久女は冷たく答える。
「……お前の本気は、こんなものではないはずだ。本気を出せ。俺はつまらない闘いは好きではない」
 ルカはそれを聞き、笑う。
「奇遇ですね。私もつまらないことは嫌いなんです。もっとも、私の場合それは日常生活全てにおいて言えることではあるんですが」
 先程のように逃げられないようにルカはみなひめの範囲を狭くし、そして久女に向かい再びナイフを投げつける。だが、
「……ふん。避けれないのなら受け止めればいいだけだろうが」
 その言葉通り、久女の手にはルカのナイフが納められている。
 久女はナイフを無造作に投げ返し、見えないはずの結界の一つに触れる。そして、ルカを見ながら言う。
「たしか『南の島のお姫様の歌』は、強度に問題があったはずだ」
 ルカは表情を変えない。久女は続ける。
「限界以上の力を与えれば、それがどんな力であったとしても結界は破れる」
 させまい、とでも言うようにルカはまたナイフを投げつける。が、それも久女に叩き落とされ、カラン、と小さく音を立てるだけに終わる。
「つまり、俺でもこの結界を破ることはできる」
 久女は結界を殴る。殴りつける。その振動で、空気が震える。ルカは表情を変えない。ナイフも投げず、その姿を見る。
 一瞬の沈黙の後、ぽぴん、という耳慣れた音が、今までの数倍のボリュームで鳴り響く。
「……どういうことだ」
 久女が呟く。結界は崩れることなく、その場に存在し続けている。
「流石に、うるさいですね」
 ルカが顔をしかめる。
「こうなるであろうことは予想していましたが、これを使っている間は左手はこの位置に固定しておかなければなりませんし。耳栓などと言った都合のいい物の持ち合わせはあいにくありませんし。……まあ、仕方がないことなのでしょうね」
 久女はルカを見る。ルカは小さく笑い、言う。
「問題があるならば、改良すればよいだけのことです」
 その言葉に、久女も笑う。
「なるほど。……しかし、よくあの方の作った物の改造なんかできたものだ。下手にいじると何が起こるかわからんとあの石鼎でさえも手を出さないというのに」
「改造なんて、してませんよ」言いかけた言葉をルカは飲み込む。これ以上の情報を相手に与えるつもりはない。
 ルカはただ結界を形作るときに精神を集中させ、「固い結界」を想像しただけであり、特別なことは何もしていない。その方法ですら、自分で見つけてはいない。ローザの書いたであろう説明書を読み直している時、書き加えられていた小さな文字に気がついただけだ。「基本は『イメージ』することだよっ☆」と読めなくもない汚い文字に。
「全く、あの娘は何がしたいんでしょうか」
 思わず漏れた呟きは、久女には聞こえなかったようで、「どうした?」などと声をかけてくる。
「いえ、別に。こちらのことです」
 そして、再びナイフを構える。
「続けましょう」


 10


「……行け」
空中の円からそれは二体同時に這い出してきた。
……違う。それが第一印象。目の前の二体は今までの鉱物体とは明らかに違っていた。以前の凸凹の茶に対してこれは灰で直線的。関節もはっきり分かるし、その仕草は無生物的に角張っており……。
「機械……?」そのものだった。
「知ってんのか」
「何で、こんなものが」
彼の中の常識としては科学と魔法とは同時にはありえないもので、今までのこの世界からでもそれは当然のものとしてとらえて来た。
「基盤概念はラティス様から頂いた。それから自分で呪を練り上げた」
 ―ラティス―この存在に初めて不安を覚える。
「名前はまだない」
しかし今は、その黒いレンズが自分の姿を捉えたことを知った。
「が、自信作だ」
地を鋭く蹴り出したそれら。
「(……速い!)」それは今までの砂人形とは比べ物にならない。
「(……けど)」
自虐的な恐怖の中、さっきから怒鳴っているそれを知っていた。

「そう、悪くはないな」
敵と己の人形とのやりとりを眺める男。
「上半身のバランスはなかなか、脚力もある。柔軟性は天然だろうか」
 敵は二体の人形の攻撃を確実に避けている。動く人形を創造する彼だから、その体のひねりや反りからでも大体の身体情報は把握できる。
「でもまぁ、戦力外」
 その腕力は知れているし、動きも無駄ばかりで反撃につながらない。避けると言うよりは逃げるだ。
でも、奴は左右を敵に取られた空間で逃げ続けている。
何故……読んでいる?違う、そんな技量は奴にはない。
見えている?
……まさか、自分でさえ、あれに動きを与えた自分でさえ、広い視野で眺めている自分でさえ、動いたことを知るのがやっとだ。
 じゃあ、なんで

 森に破壊音が轟いた!
意識をそこに戻すと人形の片方が崩れるところだった。
向こうの敵の眼光に舌打ちする。

 だがな、

その光景に笑みが漏れる。残った一体は破壊音と吹き飛ぶ欠片と素人の油断とに紛れて、死角からその爪を、五本の刃を敵に向けている。奴に気付く余地はない。攻撃の時間も終わったばかり。

 やっぱりお前は……

 再びの破壊音!
その光景に目を疑う。そこには胸から上が吹き飛んだ人形、裏拳の敵は反らした顔に血が一筋だけ。
向こうの敵の眼光。……焦りを感じる。
「なぜ、まだ時間は、」理解できぬ現状につい敵に聞いてしまう。
「……グローブをはめて、始めのグーから溜めは始まる」
 先ほどとは全く違う語の気配に気付く。
「左右のスタートをずらせば、当然だ」
 瞬間、それを解して焦りが増す。
「死ねと言われて死んでやるほど、俺は優しくない」
 ……違う。言った深駆に今度は彼が抱いた不安。
「行くぞ」
 一足飛びで間合いを無くす深駆。次を召喚する時間はない。
「くっそ」ローブの中でナイフを構える。
 その接近を見極める。ナイフで確実に急所を突くために。
 敵の注意は俺全体にある。潜めた右手の意には気付いていない。
まだだ……もっと……今!
 意を決してナイフを抜いた瞬間に恐怖した。
  見られている!?
その腕を深駆は難なく掴んだ。
なぜだ、奴は気付いていなかったはずだ。
 そのままで、ふところへ滑り込む。
 気付かないふり?違う、やつは完全な素人だ。
「らぁ!」乾いた怒声と共に腹に圧力。

  まさか、単純に見えていたとでも?

 衝撃と共に飛ばされた今でさえ、ろくな答えはでなかった。

……動かない。思いっきり蹴り飛ばしたとはいえあれで終わりってのはないだろう。
 枯葉の上で微動だにしないそれを知り、深駆は思う。
「……お前は何なんだ」それがいきなりそのままの体勢で言った。
「?」意図の読めぬ問い。
「仲間の前でさえ自身を偽っていたとでもいうのか」
「……?」これも分からん。
敵はこれに無意識下の彼を察す。そして、長い長いため息。
「お前、死ぬ気じゃなかったのか」少し意地の悪い、少年的なその音に深駆は安心した。
「どういう意味だ」そして同じ音で答える。
「戦る直前までは、やる気ねぇ面してただろって話だ」
投げやりな問いに少し考えた。
「……良心」
「は?」
「だから、良心が死ぬのを許さなかった」
多少戸惑いながらもそのまま伝えてみる。
「なんだよそりゃ、くだらねー」思いっきり笑われたが、
「……『死』なんて大した事じゃねぇよ」
それだけじゃないような何かも垣間見る。
「俺も始めはどうかなって思ったよ。なんか邪魔っぽかったし」
「だな、邪魔だった」倒れたまま、嬉しそうにそれは喋っている。
「いっそ消えるのも悪くないと」夢落ちも視野にあったしな。
「まずまずの判断だ」
「でも、良心が甘えるなって」
「は?」
「人様に迷惑かけんなってさ」
「なんだよそれ」
「やつが言うに、自分が死ねば。ルカさんは自分を独りにしたのを悔やむ。咲殿は敵のことばかりだった自分を恨む。ヴィルさんは落ちそうになった自分をほっとけばあるいは……って自分を責める」

『皆が苦しむのは全部お前のせいだこの自己中野郎』

「……ってさ」言って少し後悔。うん、こりゃ……匂うな。
 彼は目を見開いたまま何も言わない。
「……殺せよ」ゆっくり言ったのがこれだった。
「俺はもうどうでもいい。それにお前も解ってんだろ。俺達のこと」言ってその視線をこっちに遣る。
「……『石鼎』に『久女』にキャサリン……いやキャッスルか」確かにその意味をつかんでいた。
「そう、もう一人は『蛇笏』さんだ」
 学生の敵である。四人そろってかっこつけたペンネームしやがって、中途半端に出るか出ないか心配な大きさの活字で記されやがって。覚える身にもなってみろってんだ。タイムマシンがあったら川東と室生を消した次ぐらいに高浜ごと存在を葬ってやりたいと思っていました。

けど……

「おい、どこ行くんだよ」背中に声をぶつける彼を殺すのは、
「君は……『キャサリン』だ」
 良心も自分も認めなかった。


















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