3
かくして一行は『チェシャ猫回路』をすすんでいった。相変わらず聞こえてくるのは微かな川の音だけ。その上、日光も届かないため昼夜の区別がついても具体的な時間まではわからなかった。ただわかることは一行がローザの家をでてからすでに一日が経過しているということぐらいだった。苔の上の朝露がほんのわずかな朝日を反射してきらきらと輝いている。
「どれくらい歩きましたかね〜」
来た道を振り返り誰にとも無く深駆がつぶやいた。
「途中、何度か休みましたが、それでもかなりの距離を歩いたでしょうね」
大木に寄りかかり、水を飲みながら答えるルカ。
「んにしても、大して進んでないような気が・・・。むしろ、同じところを回っているような・・・」
「気のせいでしょう。森だから、似たような風景が続いてそう見えるだけです」
あっさり否定されちょっとへこむ。
「ねぇねぇ〜、ル〜カ〜ちゃ〜ん」
へこんでいる深駆をよそに早朝から元気な咲。この人に疲れというものはないのだろうかとちょっと感心してみたりする。
「なんです?」
「お水ちょ〜だい」
「嫌です」
「そこをなんとかぁ」
「だめです」
「干からびちゃいますですよ?」
「勝手にどうぞ」
「・・・がめついでするぅ」
「なんとでも」
ぷぅっと頬をふくらませてみせても、ルカは無視をした。
これ以上ねだっても無駄だと諦めたのか、咲はうらめしそうにルカをながめた。それを見ていたヴィルはルカの前に立ち、
「俺たちも喉が渇いた」
『俺たち』という言葉に、勝手に深駆も含まれていることにツッコむべきかどうか迷ったが結局やめた。
「どうせその水は持参物じゃないんだろ?」
ルカは水を飲む手を止めてヴィルを見上げる。
「山の中に住んでたあんたなら水を得るくらいたやすいだろ?」
三人の視線がルカに集中する。
「・・・仕方ないですね。まぁ、ここからはチームワークも必要になってくるでしょうし。・・・あまり好ましくないことですがね。」
そういいつつすっと立ち上がり、少々太めの苔のはえた木を選び、幹にノックをするような形で音の違う場所を選び出す。そこに大型ナイフを二本、深く突き刺した。ナイフを抜くとそこから勢いよく、とはいえないが、水が出てきた。
「味の保障はできませんが、ないよりはましでしょう」
わ〜いと咲が水を飲む。保障できないとかいいながらも、なかなかおいしかった。続いて深駆、ヴィルが水分補給をすませ、再び一行は歩き出した。
途中、深駆は何気なくもと来た道を振り返った。
「あ・・・」
そこには道はなくただの森しかなかった。
「咲殿、咲殿!!」
「どしたの?」
「み、道がっ!」
咲は振り返り、やはり道はなかった。
「そんなに慌てなくてもいいんじゃにゃいですか?どうせ戻るつもりはナッシングですしぃ」
「でも」
うろたえ気味の深駆に咲は微笑みながら
「だって、ぬーちゃん。『チェシャ猫回路』だよ?」
あ、そうかと素直に納得した深駆だった。
それからだいぶ経ったころ。時刻的にはおそらく昼すぎ前後。苔の上の露はすでに蒸発してしまっていた。
「あの〜・・・」
深駆が自信なく口を開く。
「度々で申し訳ないんすが、さっきも通りませんでした?ここ」
またかといわんばかりに、ルカがあからさまにため息をついて振り返る。
「ですから、ここは森・・・」
それから先の言葉はでなかった。ルカの視線は深駆のうしろにむけられたまま動かない。
不振に思い、残りの三人も視線の先を追う。
「あ・・・」
そこには、少々太めで苔の生えた、そして、ナイフらしきものでつけられた二本の傷のある木がたっていた。その傷からはいまだに水があふれている。
「どうやら、あなたの言っていたことは正しかったようですね」
「『迷子』ってやつですかぁ。素敵〜。るる〜ん♪」
なぜかはしゃぐ咲。あぁ、もういいや、とそろそろ咲のペースについていけなくなってきた深駆。そんな二人をよそに
「さて、どうしますか?」
「どうするもこうするも・・・」
ヴィルは元の道を振り返る。道はすでに消えていた。
「どうにもならんだろ。進む以外にな」
「しかし、それでは同じことを繰り返すだけでしょう」
ルカは少女に手渡された水晶のかけらをみつめ
「これのとおりに進んだつもりだったのですが・・・。私の地理勘がズレているのか、それともこういう仕掛けなのか」
少女はいたずらを仕掛けた子どものような笑みを浮かべていた。彼女の目の前にある桜色の大きな水晶には一人はしゃぐ人、気落ちしている人、口論をする二人が映し出されていた。
「や〜っと気づいたぁ。このままだぁれも気づいてくれなかったらどうしようかと思ってたけど〜」
ローザは別の水晶に視線を移す。それには四つに区切られたスクリーンがあり、それぞれに人影が映し出されている。
「あの人たちもスタンバイオッケーみたいだしぃ。そろそろ始めよっかな」
本気狩棒を片手に腕まくりをし、
「んじゃ、まずは〜。誰かを『へびりん』のところに送らなきゃいけないんだけどぉ。だ〜れ〜にし〜よ〜お〜か〜な、おっしょ〜さ〜ま〜の〜い〜う〜と〜お〜りっ!」
杖はへこむ少年の上で止まる。
「よぉっし!ぬーちゃんに決定!!いざ、特訓開始〜」
少女は呪文を唱えた。
二人の議論はいまだに答えが出ていなかった。咲はいつの間にかはしゃぐことを止め、おとなしく銃の整備をし始めた。深駆は退屈しているあぎの相手をしていた。咲殿が静かだと周りがものすごく静かに感じるとつくづく思いながら。
「あ〜・・・。飽きたです〜」
銃の整備に飽き、咲が深駆からあぎを奪い取ったそのとき、突然大地が揺れだした。
「な、何事っすか!?地震!?」
わけがわからず、とにかく状況だけでも理解しようとしたが、予想外に地震はすぐにおさまった。が、今度はどどどっと地響きがなり、いきなり深駆の足元が崩れだした。
「なっ!!」
何が起きているのかさっぱりわからず、ただこのままでは落ちるということだけは理解できた。
(やばい!やばいっ!!)
腕をのばし陸を掴もうする。何とか触れることはできたが、その瞬間、触れた部分から崩れだした。
もう掴めそうなものは何もない。都合よく、背中に翼でも生えてくれたらと願うが、叶うはずもない。これはドッキリで、実は下には透明なガラスか何かがあるのではと考えてみるが、考えるだけ空しいことだった。
裂け目の奥から吹き上げてくる微かな風が余計に恐怖心を煽る。
身体が自由落下にはいろうとしたとき、誰かに服をつかまれ、陸に投げ出された。振り返ると、自分のいたはずだった空間にヴィルの姿があった。
「あ・・・」
助けなきゃ。そう思っていても、足がすくんでしまい、体が動いてくれない。身体が宙に浮いていたときのあの感覚がいまだに体内に残り、震えがとまらない。
「ヴィンちゃんさん!」
咲は片手に握っていたあぎを投げ出し、あぎがヴィルの手首をつかむ。というよりも、絡みつく。ヴィルの手首に何ともいえぬ感触がひろがるが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
ルカはほぼ放心状態の深駆に駆け寄る。
「だ〜いじょ〜ぶで〜すかぁ〜、ヴィ〜ンちゃ〜んさ〜ん」
やけに緊張感のない声で呼びかける咲。
「ああ、なんとか。あまり生きた心地はしないがな・・・」
「今ひきあげますから〜」
うんしょこらしょ、とあぎを引っ張る。咲の想像ではあぎがロープの役割となって、引き上げればヴィルも一緒に上がってくるはずだった。しかし、不定形生物のせいか、あぎをいくら引けどもヴィルが上がってくる気配はない。あまつさえ、あぎのお腹の部分(らしき場所)がみるみる細くなっていく。そして、
『ぷつん』
なんとも小気味よく、かつ不吉な音とともに、ヴィルとあぎの上半身は裂け目の中へと吸い込まれるかのようにその姿は小さくなっていった。
「あ・・・」
咲は残されたあぎの半分を見つめ、裂け目を見つめ、
『ぽい』
投げ捨てた。
その様子を後ろから見ていた深駆は、
「そりゃないだろ・・・」
いろんな意味で後悔した。
4
「あっれ〜?」
桜色の水晶をみつめながらローザは首を傾げる。
「おっかし〜なぁ〜。ぬんちゃんをご招待したつもりだったのにぃ」
水晶には落下していく青年と以前よりサイズが小さくなった生物が映し出されている。
「ま、いっか。うん、こんなこともあるさ☆むしろこっちのほうが『へびりん』好みで良かったのかもぉ。さっすがローザ☆何て下僕想い〜」
物は考え様とでもいうか、本気狩棒を振り回しながら、自分で自分に惚れる少女だった。
一方。
『あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああの野郎ぉぉぉ!!』
「耳元で叫ぶな。うるさいぞ」
腕に絡みついたままのあぎにヴィルが言う。
『なんでそんなに冷静なんだよ!?落ちてるんだぞこのままじゃ死ぬんだぞまだ阪神の優勝セールいってないのにすんげぇ未練たらたらってか未練たらたらで死にたくない死んだら咲のやつ五代先まで呪ってやらぁぁぁぁ!』
五代?俺のときは末代だっただろっと心の中でツッコむ。
「・・・いつになく饒舌だな。ついに狂ったか。・・・いや、元からか?・・・」
『この状況で落ち着いてるあんちゃんのほうがクレイジーだっての!それに「元から」ってなんだよ!!』
「いや・・・外形が・・・」
『・・・知ってまっか?・・・そういうのを差別っていうんだよ!!』
「キャベツ?」
『典型的!!もっとまともなボケはしきらんのか!?』
こんなやつに指摘されたくない、と内心で思いつつ、ヴィルは着地の仕方を考えはじめる。五分五分の可能性であることは極力したくない。当然のことながらチャンスは一度きり。失敗すれば死ぬ。死ぬ?そうなると二度とあいつに会えなくなる。それは嫌だ。死が怖い云々よりも何故かあいつに会えなくなるのが怖かった。
ようやくヴィルも焦りを感じだした。死へのカウントダウンはすでに始まっている。遠くで地面が見えだした。
(どうする?・・・どうすればいい?)
普段使わないような頭を必死に働かせる。ある程度の怪我は仕方がない。着地後に動ける程度のものなら。しかしどう考えても、無傷どころか生きて着地する方法が思い浮かばない。
(側面の土に刀を突き立てて・・・。いや、このスピードなら刀が折れるだけで無意味か・・・)
地面はみるみる近づいてくる。
ヴィルは辺りを見回す。
(何か・・・何でもかまわないから!)
そのとき、視界の中に今だ叫び続けるあぎの姿がはいった。そして、思い出す。自分が落ちるときのことを。
(こいつ、たしか・・・)
「おい!」
『あああぁぁぁぁ、あ?なんでっかぁ?!』
「お前!俺を助けかけたとき、たしか伸びたよな?!」
『おうとも!俺は不定形生物ぜよ!!』
「この両側面、届くか?!」
『もち!で、何故に?』
「俺がお前を下に投げるから、俺の合図で広がれ!俺が無事に着地したら下でお前を受け止める。できるか?」
そう尋ねつつも、すでにヴィルはあぎを腕から引き剥がそうとしていた。
『いやだー!そんっな恐ろしいことできるかぁ!お願いだから一人にしないでぇ〜』
「うるさい!生きたいのなら、頑張れ」
あぎを下に向けて投げつけた。あぎは叫び、かつ悪態をついた。
「いまだ!」
ヴィルの言葉に反応し、あぎは体をのばし、左右に広げた。
その直後、ヴィルはあぎの体にのめり込み、左に跳ね返された。そして再び、わずかな落下。
(この速度なら・・・!)
底の砂が肉眼で見え、そして、着地した。
「う・・・」
全身、とくに足にかなりの衝撃がはしる。上を見上げると、地上からあぎのところまでだいぶ高さがあった。
「おい。いいぞ」
痛む両足を何とか動かし、落ちてくるあぎを受け止める。
『さっすがあんちゃん!素敵!ほれやした!俺は一生あんちゃんのお供をいたしやす!』
それだけはやめてくれとヴィルが言おうとしたとき、べちゃっと何か柔らかいものが降ってきた。
ヴィルはそれを拾い上げた。手に広がるその感触には覚えがあった。
「これ・・・お前の?」
あぎの半身だった。
「親切な飼い主だな。わざわざ落としてくれるとは」
そういえばっと思い出す。
(むこうは大丈夫なのだろうか・・・。ルカのやつがいるから問題はないと思うが・・・)
『あんちゃん!』
突然呼ばれ、わずかにビクッとする。
「な、なんだ」
『何ボヘーっとしとりますねん。まわり、まわり!』
あぎに促され、あたりを見回す。そこには無数の目。しかも何故か
「・・・嬉し・・・そうだな・・・」
別の意味で気味が悪かった。
暗闇の目がこちらに寄ってくる。ヴィルは後ずさった。
「んまぁ、ぬぁんてかわゆいのかしらぁ♪」
おかまだった。おかまの集団だった。それも、決してきれいなおかまではなく、明らかに男だろっという感じの。
「ハンサムボーイに見たことないキュートな動物ぅ♪」
「ぜひ『蛇笏』様にお見せいたしましょぉん」
「だめだめぇん!『蛇笏』様なんて呼んじゃっ」
「そうそう。『へびりん』って呼ばなきゃっ!お仕置きされちゃうわよぉ」
「まぁ、こっわ〜いtc」
「『いやいや、あんたらのほうが怖いから』」
異口同音にツッコむヴィルとあぎ。おかまたちはそれを完全無視し、勝手に話を進める。さすがおかま。
「このまま逃げるか。俺たちとは関係なさそうだしな。極力、殺生は避けたい。それに・・・」
『それに?』
「カマは苦手だ・・・」
『同感』
「じゃ、満場一致ってことで・・・」
ヴィルはそろそろとその場から逃げ出す。
「そういえば!『へびりん』、人を探してたわね〜。もしかしてその人なのかしら?」
「たしかに!そんなこと言ってたわね〜」
「何でも、初めの人と変わったとか。誰だったっけぇ?」
「えっとぉ、たしかぁ・・・『ヴィーちゃん』」
その言葉がヴィルの耳にはいり、ピタッと止まる。
(『ヴィーちゃん』?)
その呼ばれ方には覚えがあった。あの生意気な少女が呼んでいた名前。
はっとして振り向くと、おかまの視線が自分に集中していた。明らかに獲物を見る目で。
『あんちゃん!ここは俺に任せて先へ急げ』
「あぁ、じゃあ、そうさせていただく」
『え?ちょっ・・・待て!』
あぎがすかさずヴィルの首に巻きつく。
『普通さぁ、「いや、俺も一緒に戦う」とか「お前を置いてなんて行けない」とかいわな〜い?』
「あぎ?」
『なんでっか?』
「お前、さっき俺に一生ついてくるっていったよな?」
『・・・はて?いいましたっけ?』
「俺についてきたいなら、男を見せろ」
『いや〜、今度性転換する予定なんで』
「なら、女の練習だ」
ヴィルは首に巻きついていたあぎを引き剥がし、手にしていた半身と合体させ、
「行ってこい!」
おかま集団のど真ん中に放り投げた。
「あ、ヴィーちゃん、ひどっ!」
水晶越しにヴィルたちの行動を見ていたローザ。
「あ、でも褒めるべきなのかなぁ?ま、どっちにしろ―――」
少女とは思えないような不敵な笑みを浮かべ
「逃げても無駄だよ、ヴィーちゃん。だってその先には『へびりん』がいるんだもん」
おかま集団をあぎに(強制的に)まかせたおかげで、かなりの距離を逃げることができた。今はおかまの姿も見えなければ、やつらの黄色い声も聞こえてこない。
久々の一人だった。咲と出会ってからというもの、一人の時間というものがなかなかなかった。だからといって、今更咲を恨むつもりは毛頭ないが。
「あいつ・・・。追いついてこないな」
後ろを振り返り、
「死んだのか・・・?」
ちょっと後悔する。が
『だ・れ・が・死ぬかー!!』
土の中からあぎが現れた。その姿はボロボロで、体中に返り血をあび、そして、
「お前・・・、それ・・・」
いたるところにキスマークがあった。
『本っ気で死ぬかと思うたぜよ!さっきの落下のほうがまだマシやわ!!』
「それで、あいつらは?」
『もち、全員処刑!全滅!!おさらば!!!』
「おぉ、よくやったな。それでこそ男だ」
本当に感心したヴィル。こんなやつでもやるときはやるのだ。
『そしてー!あんちゃんも処刑!!』
あぎがそう叫んだとき。
「のぉ〜っほほほほほほほほほほほほほほほほ!さすがは、ローザの選んだ人物なだけあるわね」
「誰だ!?」
暗闇からやや高めの声の持ち主が姿を現す。体型は美しく、チャイナ服チックで脚の部分に深くスリットがはいっている。胸までの長くまさに『縦なめ横さら』の漆黒の髪。そしてやっぱり、
「『カマかよ!!』」
またしても二人同時にツッコむ。ちょっと深駆がツッコむ気分がわかってきたヴィルだったり。
『っていうかさぁ』
「もっとまともなおかまはいないのか・・・」
今度はタッグで。
「失礼ね。あたしは『だこ・・・』」
高い声が急に低く、男声に変わった。おかまは『ちょっと待て』と手でしめし、口臭スプレーのようなものを口にやる。そして、こほんっと軽く咳をし、
「あたしは『蛇笏』。だけど、それじゃあまりにもあたしに似合わないから『へびりん』って呼んでね。テヘッ♪」
元の高い声で、ぶりっ子のするような『テヘッ♪』をする蛇笏。あー、もう、付き合いきれん、とヴィルとあぎ。
そんな二人を見て
「あ〜、今『こんなやつと付き合いきれん』って思ったでしょっ」
内股でぷんぷんと怒る。その姿の可愛くないこと。
「あぎ〜」
ヴィルはあぎに視線を合わせ、意味深げな笑みで語りかける。
「俺が今何を考えているか、わかるか?」
後ずさりをするあぎをヴィルはがしっと掴む。
『いやだー!いやいやいやいや!さっきは俺やったんだから、次はあんちゃんの番だろうがよ!』
「うんうん。さっきも戦えたんだよな?じゃ、今度もできるよな?」
嫌がるあぎの首を掴み、
「行ってこい!」
放り投げた。