「……今は、やめたほうがいいんじゃないかしら」
ドアの前にしばしたたずんでいたリザが、嘆息した後にこちらに言って寄越した。
そしてそのまま、部屋に入るのを諦めたようにリザはきびすを返して行ってしまった。
ハボックはタバコをくわえたまま、まいったな、と呟きドアにもたれかかった。
中からはどたんばたんという物音に混じり、罵声や何やらなまめかしい水音がもれてきている。面白くない。
ハボックはどんどん深くなってゆく眉間の皴と不機嫌を隠しもせずに廊下を行き交う者達を威嚇し続けた。
やがて、ぴたりと物音がやむ。ん?と耳をすませたハボックは、息をきらした少年の声が何事かを部屋の主に怒鳴るのを聞いた。
と思った次の瞬間には、
どごん!
とハボックの体ごとドアが勢いよく開いた。自然の法則として、ハボックは壁に激突する。
「痛っ!!」
「あ、わりっ!…てなんだあんたかよ」
鼻息荒く飛び出してきたのは鋼の錬金術師。謝りかけて、相手がハボックだと気付いた途端に不機嫌になった。ばたんとドアをしめて、よろよろと壁から体を剥がしたハボックの足を蹴る。
「いてえっ!やめてくれよ鋼の大将!」
思わず涙目になったハボックに、エドは怒りの矛先をむける。
「うるせぇ!大体あんたがほったらかしたりいじめたりするから俺にとばっちりがくるんじゃねーか!」
エドに怒鳴られ、う、と思わずハボックは苦い顔になる。涙目で腰をさすりながら、エドがオートメールの拳でハボックの腹をなぐる。
体格差があるとはいえ鋼の拳にハボックはそのばにしゃがみ込んだ。
「いっでぇぇぇ!」
「るせーよ!あのな、まだ大佐が襲い掛かってる相手が俺なだけありがたいと思えよ!これで他の誰かとかにしかけたりしてたら誰がお前のフォローすんだ!」
言われ、思わずだまりこむ。ロイは最近、ハボックとのことでイライラしたり悩んだり凹んだりしたときに率先して「浮気」するようになった。
その対象は今のところこの鋼の錬金術師で、彼はハボックとロイとの関係を知っているだけになるべく(あくまでもなるべく)ロイの誘惑を受けないよう気をつけて(実際のところ大体いつもロイの手管に陥落するのだが)、ちゃんとロイの話をきき、ハボックを擁護してやるのも忘れないのだ。どれだけ浮気されてもエドのおかげでハボックはロイと仲直りできてきた。
「…わりぃ」
叱られた大型犬のようにしょぼくれたハボックに、エドはようやく怒りを静める。
座り込んだハボックにあわせしゃがみ込んだ彼は、ぽんぽんとハボックの頭を撫でる。
「寂しいみたいだぜ。もっと構ってやれば?ま、あの人意地っ張りだし素直に寂しいっていえねんだろーけどさ」
「…寂しいならあんだけ大量の仕事ださなきゃいいのに」
ハボックは思わずため息をはく。ここ数日自分は確かに仕事以外でロイに関わっていなかった。
だがそれは、ほかならぬロイ自身がいいつけた仕事だった。
おかげでここしばらく寝不足続き、自室には眠りに帰るのみの生活が続いていた。ハボックの目のクマに気付いたエドが苦笑した。
「あんたあほだなぁ、じぶんちより大佐んとこのがここから距離近いんじゃねーの?」
「あ」
「寝不足で通常業務に支障が出るから泊まらせてくれって皆の前で堂々と宣言できる大義名分じゃん」
「…」
「あんたがそう言うのまってたんじゃねーかなー」
「…まじか…」
そこまで頭がまわっていなかった。うかつだった。
この数日間、自分は堂々と彼と通勤できる機会を逃していたのか!
さらにがっくり肩を落としたハボックにエドは笑う。
「ほら、今からご機嫌とって仲直りしちゃえよ、お膳立てしといたからさー。んで、今度飯奢りね」
にかっと笑われ、つられてハボックも笑い、今度夕飯を奢ると確約する。よっこらしょと腰を浮かせかけたエドは、あ、と思いついたようにハボックの顎をつかむ。
「忘れてた、おすそ分け」
「は?…んむっ」
その言葉の意味を尋ねるより早く、ハボックの唇はエドのそれに塞がれていた。ちゅ、と音をたてて離れるそれは軽いキス。
呆然としている彼にエドはにやんと笑い、
「何なら今度隅々までおすそ分けするけど?」
とちらりとシャツに隠れていた赤い鬱血を見せてまたハボックの唇に軽くキスをした。いきなりのキスに驚いて言葉を失ったハボックに、エドは
「さっさとご機嫌とれば?じゃねー」
と言い残し、さっていった。
nextpage→