とたんにふわっと煙草の香りが漂う。
「あ、おかえりなさいハボック少尉」
とフュリー。
よ、と軽く手をあげて彼に目だけで挨拶したブレダ。
そして、やはり軽く見上げただけですぐに目を書類に落とし、
「お帰りなさいハボック少尉。帰還の報告を大佐にしてさしあげて」
と淡々と告げた中尉。
「ほーい。んでも、その前に」
体力勝負の仕事をしてきたのだろう、上着を脱いで黒いシャツ一枚になっているハボックは、煙草をピコピコ動かしながら、片手に持っていた上着を自分の席に無造作に投げ、もう片方の手に持っている紙袋とカップをそのままに、長い脚のストロークで奥のホークアイ中尉の席の前に立った。
「……何かしら、少尉」
「中尉にお土産です。ちょうど作業してたところの斜め前にカフェがあって、新作があったのでこれなら食べるかなって思って」
怪訝な顔で見上げたホークアイの鉄面皮にひるみもせず、にっこり笑って見せたハボックは手の大きな紙包みから、コトン、とグラスをホークアイの手元に置いた。
そのグラスを満たしていたのは。
「まあ、綺麗ね」
手元を覗き込み、思わずホークアイは頬を緩める。
窓から差し込む日の光を浴びてキラキラ震えるそれは、
「時期ですからねぇ。イチゴのムースの上にイチゴの果肉入りのジュレがあしらってあるんス。さっぱりしてて食べやすいっすよ。おい、フュリー、わりぃけどコレ適当に配ってくんねぇ? 大佐にはその黒いのな。あ、中尉、んで、食べたらこれね」
紙袋には他のメンツの分も何か入っているらしい。
呼ばれて駆け寄ったフュリーに紙包みを押し付けておいて、ハボックは手にしていたカップをそっとグラスの隣に置いた。
とたんにふんわりと立ち上る、甘い香り。
「チャイっすよ。たっぷり砂糖入ってます。さっぱりしたもん食ったら、糖分しっかり補給してくださいね」
「……ありがとう。いただくわ」
何か言いかけたホークアイは、結局何もいえず、ふ、と本日一番の笑顔を浮かべて渡されたスプーンをとった。
ホークアイに拒絶する暇も与えずにスマートかつ穏便に食べ物と飲み物を与えたハボックに、ブレダは内心、おお、と賞賛を送る。
その手口はひどく鮮やかだった。
そして首を傾げる。
彼は朝から街に出ていたはずだ。ホークアイの不調は知らないはずなのである。
とすると、この行為は偶然の産物なのか???
どうなのか、と親友を見上げた時に、思わず、ピシ、と固まってしまう。
スプーンを口に運ぶホークアイを見下ろし、今まで見たことがないくらいの微笑みを浮かべている親友をそこに見たからである。
確かにおいしそうにムースを食べる彼女の姿は自分達をも安堵させたが、この微笑は。
ある一つの仮説がブレダの中で組みあがる。
そしてそれがあたっているということを、半刻後に思い知ることになったのだ。
ハボックが買ってきたスイーツは、それぞれの好みにしっかり合ったものだった。
甘いものが実は好きな大佐にはガトーショコラに生クリームを添えて。甘いものが得意ではないブレダには甘みを抑えたコーヒーシフォンを。
そしてフュリーにはたっぷりフルーツが乗ったカスタードタルトを。
体力勝負の仕事をこなしてきたハボック自身には、とろりと甘いティラミスを。
それぞれが仕事の手を休め、不意に訪れたティータイムを満喫した。
それから三十分後。
変わりなく黙々と書類を作成していたホークアイが、ふと動きを止めた。
「? 中尉?」
ぴたりと、まるでぜんまいが切れたように微動だにしないホークアイ。
どうしたのだと、声をかけたブレダは、ひどく緩慢な動きで顔をあげたホークアイの顔にあっと息を呑んだ。
何かを絶えるように目をこじ開けている彼女は、ゆっくりとペンをスタンドに戻した。
その瞳は、まっすぐに一方に向かっている。
そろそろとその視線を辿ったブレダは、その先に予想通り、ハボックの空色の目を見つけたのだ。
ハボックはいつの間にはゆっくり立ち上がっていた。
その目はひどく静かで、煙草をゆっくりともみ消し、トレードマークが消えた口元はかすかに優しい微笑の形をとっていた。
「少尉、あなた」
「軍の中で女扱いされないようにって頑張るその姿は見ていて本当に好きだけど、どうしようもないことってあるんスよ、中尉」
「だからって」
ふらりと立ち上がりかけたホークアイはそのままバランスを崩す。
倒れかけた彼女にあっと息を呑んだブレダとフュリーの目の前で、すばやく彼女に走り寄ったハボックがその華奢な身体を受け止めた。
「ちょっと休んだほうがいい。大佐には俺からいっときますよ」
くったりと力が完全に抜けたその身体を軽々と抱き上げ、ハボックは静かにそう囁いた。
何がなんだかわからずに硬直している二人を尻目に、ハボックはそのまますたすたと出口に向かう。
「お、おいハボ」
「ん? ああ、わりぃブレダ、ちょっとこの人仮眠室に連れてくわ。大佐に言っといてくんない?」
「い、いいけどよ、どうしたんだよ中尉」
「あー、うん。この人強情だろ? どうせ昼も取らずに青い顔してたくせに大丈夫だとか言っただろ、違うか?」
「そ、その通りですハボック少尉!」
見ていたのかと思うくらい的確に当てたハボックに、フュリーが尊敬の眼差しを向ける。
ハボックは苦笑して、だからな、と肩をすくめた。
「こーゆー状態の時に喉を通る食いもんと、あまーい飲み物。にちょっと細工したりして」
「……は、ひょっとして薬盛ったのかよ!? 」
「あったりー。痛み止め配合した睡眠薬。目覚めた頃にはすっきり元気になってるはずだぜ」
「い、痛み止め?」
聞き捨てならない言葉にブレダが眉をひそめる。
その様子に、青ざめた顔で寝息を立て始めたホークアイを優しく見下ろし、ハボックは軽く笑った。
「おう。そろそろだと思ってたんだ。この人、周期ヒトよりちょい短いから」
「周期ってお前」
「病気じゃないってつっぱねるけどしゃーねーよな? 大事な身体なんだし、少しくらい女である自分に甘えてもいいと思うんだけどよ、俺は。あ、とにかくちょっと仮眠室行くから。じゃっ」
バッタン。
取り残されたブレダは、どういう意味かわかっていないフュリーをそのままに、盛大に固まった。
周期、痛み止め、女。
それはすなわち、あれか、生理痛ってやつか。つーかそれしかねぇだろ。
「ってかおい、何でお前が周期把握してんだよ」
そういえば二人の非番が重なる日が時々あるという事実に、聡いブレダはたどりついてしまい、再び盛大に固まった。
どうしよう。知ってしまった。
そして、あの鷹の目を一人の女性に還元できる親友を、心からすごいと思ったのだ。
コメント:友人をしてエロと言わしめたハボ。きっとハボは恋人の生理の周期も熟知しているに違いない。つらいんだよね、あれ。
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