今日はやけに室内が冷ややかだ。
その原因となっている存在を、ブレダとフュリーは書類の影から恐る恐る見た。
朝から所用で不在のファルマンと自分の部隊を引き連れ街に出ているハボックを心からうらやましいと思いつつ、双方の口からは重い重いため息が漏れる。
そして、その視線を受けている中尉は、眉間の皺を朝から絶やさず、黙々と机に向かっている。
今日は護衛すべき大佐が外出の用事を持たぬ為か、ほとんどこの司令室を出ない。
時折席を外す以外は、常よりまして黙々と書類作成やブレダやフュリーが確認を願い出た書類を確認したりを続けている。
その書類の束が辞典くらいの厚さになったので、そろそろ隣の執務室にこれまた珍しくさぼりもせずにこもっている大佐の下へ運ぶのだろう。
それにしても。
「あのー……中尉」
フュリーがブレダと顔を見合わせ真剣な顔で頷きあい、ブレダの、行け、という合図に緊張をみなぎらせたフュリーが恐る恐るわれらがホークアイ中尉に声をかけた。
「何かしら?」
ホークアイはすぐに顔を上げる。その美しい薄茶の瞳がしっかりとフュリー軍曹を見つめた。
その反応速度は実際のところ、常日頃よりもコンマ7秒ほどは遅れていたのだが、それに気付く二人の存在は、片や執務室、片や街で不在であった。
眉間の皺をそのままに見つめられ、フュリーは思わず席をがたっと立ってしまう。
「す、すいません、あの中尉、お昼とられていませんよね……? 朝からずっと、どこか調子が悪そうに見受けられるのですが、大丈夫ですか? もしよければ、僕にまわしていただける仕事があればやりますので、少しお休みになってこられたらと思って」
目だけで会話したブレダとの結論を必死に口にすると、普段からあまり表情を崩さない彼女の美しい顔がふと軽く驚いたように歪んだ。
だがそれも気付けぬほどに一瞬のことで、フュリーが見たのは困ったように苦笑するホークアイの顔のみだ。
「ありがとう、フュリー軍曹。余計な気を遣わせてしまってごめんなさいね。でも気にせずに自分の仕事に集中しなさい。お昼を抜いたのは、お腹がすいていなかったからと、気がついたらお昼の時間が過ぎていたからよ。わかったかしら?」
幾分血の気が引いて青く見える顔をきりりと引き締め、彼女はそれ以上の干渉をフュリーに許さなかった。
フュリーに出来たことは、はい、と敬礼をして、席につくことのみだった。
と、その時。
がちゃっ。
執務室と司令室を隔てる扉が不意に開き、中からこもりきりだった部屋の主が現れる。
「大佐。いかがされました?」
すぐに反応してホークアイは立ち上がろうとする。それを見たロイは手で立つのを止め、
「いいから座っていたまえ、中尉」
と有無を言わさず彼女を座らせてしまった。
それからぐるっと室内を見渡し、今一度ホークアイに視線を落としたロイは、その黒い瞳をムム、と不満げに尖らせた。
「中尉、体調が良くないのではないか?」
さすが大佐、とブレダとフュリーは心の中で賞賛を送る。
腐っても大佐だ。いつも迷惑ばかりかけられるが、ちゃんと部下の状態を瞬時に察することができる。
このまま上官命令で休ませろ!
とひそかに麗しいもう一人の上官を按じている二人が大佐にエールを送ったのだが、ホークアイは少し困ったように沈黙してからいつものように
「いえ大丈夫ですから、おかまいなく。それよりも大佐、こちらは期限が迫っている書類です。今丁度持っていこうと思っていました。ただちに取り掛かっていただけますか?」
「う、うむ。だが、中尉……」
「私が大丈夫だと言ってるのですから大丈夫です」
きっぱりすっぱり言われてしまい、さらに大量の書類を手の上に載せられ、ロイはそれ以上何も言えなくなり口をつぐんだ。
しばらく何か言いたげに彼女の目を見つめていたのだが、やがて諦めたように軽くため息をつき、
「無理はするなよ。これは命令だ」
「そう思われるのであれば、私が定時で帰宅できるように急ぎの書類を仕上げて下さい」
「む。努力しよう」
パタン。
ロイはすごすごと執務室へ戻っていった。
その姿に、声援を送っていた二人も顔を見合わせて肩をすくめる。
上官でさえ有無を言わせなくされるのであれば、もう自分達ができることは何もない。
心配だが、いざとなれば自分達が彼女を助ければいいだろう、と結論付け、二人は再びそれぞれの書類に目を落とした。
と、その時。
「ハボック少尉、ただ今帰りましたーぁ」
ガチャ、と扉が開く音がし、金髪に空色の目を持つ、マスタング大佐の護衛のもう片方がのんびりした声で帰還を告げた。
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