手でひさしを作り、空を見上げる。
 いいぶんに晴れた。これが雨だと、また、あの泥まみれの姿が見れるのだろう。
 アギルがイリの許に現れた時、遭難したかと思うほどの酷い格好は、思いのほか短時間に作られたものらしい。
 確かに、前日雨だった。だから自分はわざわざ、外に寝椅子を引っ張り出して、日光浴をしていたのだし、だから、洗濯物がーー実は洗うのは苦手なのを考慮外におき、溜まっていたのだが。
 あの、傑作だった格好は。
 荷物を埋め、それなりに埃まみれになったアギルは、あまりの酷い地図の出来にまず、水源の確保をしようと思ったらしい。適当な目印をつけ、さくさくと奥に入り込んだのはいいが、そこににわか雨。聞くとアギルの専攻は、建設一般。邑へ行くのに通り抜けた事はあっても、長時間の滞在をした事がなかったそうだ。平地に降る雨と、葉を経由して落ちる雨は違う。それに慌てふためいて、段差から落ち、ころんころんと落ち、どぶんと落ち、ーーお分かりだろうが、泥たまりに突っ込んだ。
 これで確実に水源が必要になったわけだ。
 勿論自分はわらった。だって絶対にかわいかった。どうせ、ころころと驚いた顔のまま落ちたんだ。とまった後、呆然とした表情で座り込んだんだ。何故か、妙に想像が出来て、笑うしかない。
(竜殿。)
 至極不機嫌にーーー、まあ、そうだろう、アギルは抗議したものだ。
(あれは、天の理というものです。)
 いや、ほんとに真面目な顔で。
(汚れたからこそ、竜殿の場所をたまたま見つけることが出来、その後の呪句の埋設も出来たんです。)
 そりゃもう、きっぱりと言ったその顔を、アギル自身にも見せてやりたかった。
「それで? それで、呪文を破かれて? それで、竜のしもべになって? 」
 いつもは、きりっと上がっている眉が途端にたれる。
(もしかして、竜殿は意地が悪い人ですか? )
 もしかして、もしかして、魂喰われてもいい奴じゃないかって思っていたのか?
 簡単な利害関係を頭に思い浮かべるーーー、違うな、自明の理として、面前にあった。だからそのまま行動する。
「悪かったって。久々に他の人がいてうかれちゃってさあ。」
 ……ああ、大嘘だ。
 少しばかり、自己嫌悪に陥りつつ、まだ埋めた荷物を掘り起こしているアギルに目を向ける。
 しかしまあ、何なんだろうねこいつは。
 それに気づいた訳でもなかろう、顔を上げ、イリを呼ぶ。
(竜殿、ありました。)
 片手で引きずり上げたのは、大の大人でもすっぽり入りそうなつづら。背負い紐が付いているので、そうと呼ぶかは知らないが。
「なにそれ、それ担いできたのか?! 」
 足で穴を埋めながら、器用に汚れないよう巻いてあった油紙を剥がしていたアギルは、きょとんと見返す。
(標準装備じゃないですか。)
 ホントかよ…。
 ちょっと恥ずかしいから、町入ったら、他人のフリしとこう。
(それより竜殿、まさかその格好で、町に入るなんていいませんよね? )
 却って言われた言葉に、自分の姿を見る。面倒だけれどもショートブーツはいて、暑いのに麻布の長ズボン、いいじゃない。
「何? 何か変?」
(上着をきちんと止めてください。)
「何で? こんなに暑いのに、久々に人間のとこ行くからって藍色の上着羽織ってきただろ。」
(だから、釦がついているんですから、とめてくださいってば。普通、肌を見せるのは非礼に当たります。ーーそれより、一枚だけなんて変ですね。せめて後一枚羽織ましょう。)
 この何十年か、他人とのーー竜と人間の接触は片手で足りる。森の中で独り悠々自適に過ごしてきたイリにとっては、暑けりゃ脱ぎゃいい、それだけだった。だからひっかけただけでも、首や腕を伝う汗を感じさせる上着を脱ぎたくてたまらない。
 勿論、アギルの台詞が一瞬重要な事に聞こえず、一瞬遅れて振り返った。
「ーー本気? ああっ、本気だな、このやろう。そんなの着たら熱射病になるだろう! 大体もう一枚なんて持ってないぞ! 」
 高らかに自分の有利を示すように両手を振る。服どころか路銀さえも持っていない事を今更知らしめるように。
(大丈夫です。予備の服がありますから。)
 けろりと、荷物の中からアギルが着ているような厚手の服を引きずり出す。
(これも紺ですし、重ねてもそんな変にはならないでしょう。……竜殿? )
 いつのまにか、隣から消えてたイリを、探す。
「釦とめるから、勘弁してください……。」
 大股で五歩以上離れた木の後ろに隠れてしまっているイリを不思議そうに眺めたが、大概心の広い学士は鷹揚に頷いた。



「あづういー、あづぅういー。」
 宣言通り、何が入ってんだそれ、と聞きたくなる背負子を背負い、その癖微塵も足取りが重くならない人間に遅れて、てろりよろりと竜が続く。
(竜殿、そんなにあついのでしたら……。)
「脱いでいいか? 」
(いえ、何か食べに行きましょうか。)
 馬鹿かこいつ、そんな目で見られているのはわかる。分かるが……。
「腹に何か入れたら、消化する活動で発熱するだろう。いやだぞ、暑いのは。」
 我侭な子供を見るような目で見返すアギルを、苛立ちのまま見返す。
(しょうがないですね。瓜を食べさせてもらえるところが、あったのですが。)
 冬装備ともいえそうな厚手の長袖長ズボンで、大きな荷物を担いでいる癖に、見える所に少なくとも汗をかかない学士は、頭振った。
(井戸で冷やしてあって、きんっとひやっこくてあまかったんですけど、竜殿が……。)
 さっきの事を考えれば、少しばかり酷い事を言っても良い筈だとイリを目に入れれば、『待て』と言われた犬並みの状態だった。
 流石に、だーだーと涎は垂らしていないが、絶対にそれを手渡してくれる筈だという、純粋だけの期待で凝り固まっている。
(うぅ……。)
 アギルであっても、ひるんだ。
 そうというより、ひるまなければならない。
 あれはーー、イリは、家畜としての一個下のランクでなく、アギルの主人としての絶対的なものの筈だ。その付属物として貶められたからには、見えないがはっきりとしたレッテルが張られているのだ、『イリの』と。
 自己存在を立証する人物が、落ち着きのない犬みたいな性格なんて…。
(ーーさっさと行きましょう。)
「え? えっ、だって、……。」
(おごりますから、さっさと行きましょう! ええ、さくさくと! )
 その家に向かって歩いていくアギルの背に、華やいだ気配と、「やっぱなー、アギルも暑かったんじゃないか」とか、「そんなに急いで子供みたいな奴だなー」とか、認識したら泣けそうな台詞が聞こえたが、幻聴の所為にしておく。
 ーーそう、今日は暑いし。
 イリに対して、餌で釣るような事は、絶対に慎む事にした下僕だった。



 大人が手を広げて三人分。大体真ん中に占める広場を貫くようにして、馬車も通れる舗装された道が走っている。
 大体辺境と言わないまでも、都から離れているのに中々に整備された村だ。
「で、どこ、その家は。」
 どこぞのおのぼりさんみたいに、きょろきょろと周りの景色を見ていたイリが、焦れてアギルに問い掛ける。しかし、建物を捜しているというのとは、少しばかり違う。
 その違いは何だろうと、少しばかり自分より背の低い相手を観察する。
(誰か、捜しているんでしょうか。)
 建物を見ている事は見ているのだが、それより、人の姿を見掛けたら、そっちに意識をやってしまう。そう多くはない人とすれ違ったのだが、その度に相手を見極めようとするかのように、凝視する。
「……約束してないから、捜してないよ。」
(そう、ですか? )
「はやく! うり! 」
 竜には見えない。子供の苛立ちだ。
 子供なぞ、これまでアギルの周りに居なかったものだから、少しばかり目を見開いて、思わず笑ってしまった。



 少しばかり、中心部から外れた所にある共同の井戸から、色艶のいい丸々とした瓜を選んで、ぱかりと割って貰う。
 想像した通り棚も落ちていなく、みずみずしい中身は、食べる前から涼しさを感じさせる。
 どうやら、瓜を割って貰ったご婦人もイリの知人でないようで、世間話の域からはみ出ない事をのんびりと交換している。
 他の人と比べれば、アギルは気温に左右されない体質とはいえ、井戸の上に屋根があるのは有り難い。水場で、陰と風があれば、夏場でも氷を張らせる事が出来る。気化熱の応用だ。それに、三つ井戸が並んでいるのをカバーしているのだから、屋根にそれなりに重みがある筈。
 それをはっきりと調べたくて、目線が上に行ったまま落ちてこない人間に、呆れた声で竜が呼びかける。
「アギル、瓜くっちまえ。ぬるくなるぞ。」
(え…、ああ、そうですね。)
 気もそぞろに瓜に手を伸ばし、しゃくしゃくと良い音を立てる相手を呆れたように見る。
「この造りくらい、教えてやるからさー。食ってる時はそれに集中しろよ。」
 ぴたり、と手を止めた学士は、目で問い掛ける。
「手を貸してはないが、ーーまあ、知ってるくらいはな。ここ森に近いだろ? 冬が近づくと、枯れ葉が舞い込むんだよな。鳥も多いし。」
 あら、と、瓜を分けてくれたおかみさんが微笑んだ。
「良くご存知ですね。おばさんたちから、よく聞かされてましたよ。つるべを落としても、水より葉っぱを掬い上げてたようなもんだったって。でもここは、どんなときでも枯れない重要な井戸だから、手放すことはできなくて。」
「森の水源によってるからな。」
「まあ、良くご存知で。それで、前回この森の竜がおいでなさったときに、この覆いの作り方を教えてくだすったんですよ。」
 ぺたりと、柱に手を当てて何かを懐かしむように女の人が笑う。
「井戸の場所を教えてくだすったのも、その竜だったらしいんですよ。ーー私が小さいときによく話を聞いて、会ってみたかったんですよ、ホントに。」
(どうしてですか? 竜殿、どこかおかしくないですか。)
 この村は、竜の庇護を受けていると知っている身には不思議だろう。アギルが一日で、イリの住処を突き止めてしまったからの思い込みもあるだろう。
 苦笑いを浮かべていたイリは、しかたなしに話を繋げた。
「へえ。ここの森に竜ねえ。ここに滞在してたら、会えるかな。」
「無理ですよ。ここの主は滅多に出てきてもらえないんです。あったことがある人は、もうやしゃ孫も出来てるほどの年齢で、それも小さかった頃の話でそうですよ。」
「そうか。無理か。」
「それに、竜は子供が好きでねえ、大人はあまり構ってもらえんそうですよ。それはそれは善い男でねえ。あった子達は、男も女も兄と慕うほど魅力とか。」
「あはははは、それは羨ましいな。」
(竜殿、耳が赤くなってます。)
 そらぞらしいイリの笑いに、意識しないまま正確につっこみを入れる学士に向かって、イリは鼻を鳴らす。
 不思議そうに二人を見比べたおかみさんは、にっこりと笑って、言ってしまった。
「あんたら旦那さん方も、竜にまけんほど見映がいいとおもいますけれどね。」
「あははは、ありがとう。『その』竜に会って見たかったよ。」
 段階的に、引き攣っていく笑いに、ますます不思議そうな顔を造り上げていく、おかみさん…と、アギル。ーーちょっと、待て。何を人事のように。
 イリが、変人と思われるのを防いでくれたのは、何時の間にか、女の人のスカートを握り締めていた男の子だった。本当に免れたかは定かでないが。
 ふと目に留めてしまったイリは、嬉々として膝を折り、目線を合わせ、にこりと笑う。
 意図していなかったろうが、庇うように子供の肩に置かれた母親の手は、自分を宥めるようにその子をさする。
「ああ君は、この人の息子かな?」
「だれ? 」
 きょとんと大きな目で、イリを見返すのと同時に母親の手が離れる。誰が見ても危害を加えられる風景でなかったし、当人である子供もそれを望んでいるようだった。
「人見知りしないいいこだな。」
 そっと伸ばされた手の平に、ちょっと荒っぽく髪を掻き撫ぜられて、気持ちよさそうに目が細まる。そのまま、脇下に手を差し入れて、勢い良く抱き上げた。それと同時に、イリは立ち上がったので、感じた勢いは確かに目をまん丸にする程だったろう。
 そのまん丸はへにゃりと崩れて、笑いになった。イリにされたようにーーこの子の場合両手だったが、ぐしゃぐしゃにその人の髪を掻き撫でる。
「わんわん。」
「そうか、目も良いんだな、君は。」
 それはそれは嬉しそうに、その子の頬を指の腹で撫でてやる。その姿を見ていると親子は言い過ぎでも、歳の離れた兄弟のように見える。もしくは、馬鹿ッぷりを発揮した飼い主か。
「無邪気なお連れさんですね。」
(ええ、竜殿とは思えないほど。)
 ちょっと悲しそうな目で見る女の人に、少し喉が焦げ付く。
 喉を指差し、ぱくぱくと口を開く。
「ごめんなさい、もしかして、喋れないんですか? 」
 喉の古傷を覆っている布をさすり、こくりと頷く。
「じゃあ、もしかして、薬師のばあさまが言っていた、森の竜を捜している人って言うのはあなた? 」
(ああ、怒られたかたですね。)
「是非とも寄っててくださいな。学士さんが竜に会うというので、それはそれは心を痛めてるんですよ。」
(はあ…。)
 その会話を耳に引っ掛けて、子供を担いだままイリは、こちらを見る。
「あの人はねえ、竜を慕ってらっしゃるからねえ。機嫌を損ねるようなことをするんじゃないかと……。旦那さんを見れば、そんなことないと分かるのにねえ。是非寄ってって、誤解を解いてらっしゃいな。」
「竜を? そんなものより、そこらの人の方が、親切にもしてくれるというのに、可笑しい人だ。」
「そんなことを言わないでください。ばあさまは、竜に会った人なんですから。」



(探していた人なんでしょう? )
「何が。誰も探してないって言ってるだろ。」
 ずかずかと先んじるイリに、少しばかり早足になってアギルが付いてくる。
(そうですね、竜殿は、その人を探してないかもしれませんね。探していたのは、終わったことの方でしたか。)
「うるさいな。」
 昼日向の大通りを、ぶつぶつを気炎を上げている余所者と一言も洩らさない余所者が連れ立っているのだ。土地者の目がこの二人に集まっているが、そんな事には頓着せず、どこかに向かって突進していく…ように見える。
(妹さんなんでしょう? )
 とっても聞きたくない事を頭の中に放り込まれ、鼻の上の皺を増やす。
 便利だからと言語能力を繋げた事を後悔した。耳を塞げばいいような言葉も、「自分」であるアギルの言葉、遮れるものでない。
(竜殿。)
「まだ何かあるの…。」
 腕をとられ、とめられたーーように見えるが、地味に肘関節をキめられ、動けなくさせられたイリは、戦闘用反射で、ざっと何かを覚めさせられた気がした。
 例えば、周りの視線とか。
(ここですよ。)
 迷いなく指し示された先を見れば確かに、薬屋。古びた概観は、記憶にあるそれと酷似している。そう風情が疲れ果てていない時期のと。
 なんで、知ってる。
 この里には両手の指を折る位の薬屋がある。なんせ、イリの弟子達の傍流だ。弟子というよりは、素質ある遊び仲間の子供に、いろいろと吹き込んだだけなのだが。
 残さず薬師になった旧友達の中から、どうしてここが分かったのか。
(行くんでしょう? )
 告げた言葉は、アギルにとって当たり前で。そのまま引き摺り込んだ。
 周りを取り繕う暇なく、意志と関係なく。



 
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