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平成16年11月25日(木)

今日は私側から「準備書面」を提出することになった。
これは本来の順調な流れではないようなのだけれど、前回被告側から出された「第一準備書面(反論)」の内容は、私が訴えていたことに対する答えには全くなっていなかったし、肝心の論点がずれているようにも思えた。

そのため、私が今まで一貫して訴えているのはこういうことなのだ、ということを今回改めて「準備書面」という形で提出し、軌道修正する必要があった。
軌道修正した上で、次回被告側から再度「反論」の書面を出してもらう必要がある。

前回被告側から出された「第一準備書面」は冒頭から唐突に、
「@診断ミスとA説明義務違反は、患犬の死亡との間に直接的な因果関係は認められない。だから原告の主張する過失の中で患犬の死亡との間に相当因果関係の有無を検討されなければならない過失はB手術中の過失C術後管理D救急義務違反の3点である」という書き出しで始まっていた。

人は日常コミュニケーションの大半を言語に頼って生活している。
通常「だから」は、前半部分で言った事柄が、「だから」の後に続く事柄の理由であったり原因になっているときに用いるものであるという概念がある。
したがって「だから云々・・・」形式で述べられた内容は、意図的に、あるいはたくまずして、話の結論として印象に残りやすいし理論が強化されてしまう。
「患犬死亡との間に直接的な因果関係は認められない」というだけのまっとうな理由が 例えば述べられていなくても、その前半部分に複雑な言い回しを用いれば用いただけ、「だから」以降に続く短い結論が、さもまっとうな理由付けによって強化されたような印象を受け手に残すように思う。これが書面でなく口頭であったならなおさらだ。

私には、全ては診断ミスから始まったという思いがある。そもそも診断ミスさえなければ、被告は緊急にすみれの子宮摘出手術を実施する必要はなかっただろう。
診断ミスについてはすでに病理検査結果を証拠として提出しているし、すみれが心停止した後、被告が5分も放置していた事実はカルテにも記されている。
私からしてみれば、診断ミスから救急義務違反まで5項目の全てが一連となってすみれの死に結びついている。

そこで「因果関係はない」と言われても、私は到底納得できない。
被告が「因果関係はない」と言い切るだけの理由も、そこには一切書かれてはいないのだから。 

今回は被告というよりも裁判長に、私の訴えを正しく正確に理解してもらうために、言葉を換え、具体的な過去の判例や獣医師に求められている「インフォームドコンセント」についても具体的な項目を挙げて、より分かりやすくまとめた書面を私の代理人は準備してくれた。
臨床に関しての記述は特に、文献などを調べ、理解し、そして消化した上でなければ一つの書面として書き上げる作業は困難だ。私の代理人が期日に間に合うように書面を作成するのはさぞや大変だっただろうと頭が下がる思いだった。
更に、私が司法側に理解して欲しいと切実に願っている現状、「死亡した動物を解剖するシステムが確立されていない」ということも今回の書面で初めて書き加えられた。

私が今回提出した書面でもっとも感動したのは、「被告の診断ミスと説明義務違反とすみれの死との間に因果関係が肯定される」理由として、私の代理人が、人間の「医療過誤訴訟における因果関係」について最高裁が判示した過去の判例を挙げてくれたこと、さらに裁判長がそれを聞き入れてくれたことだった。

人間の医療過誤訴訟における因果関係について今回挙げた最高裁の判示は次の2例だ。

@「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度な蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信をもちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」

A「医師の右不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば、患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との因果関係は肯定される」

この判例を出した時点で裁判長からもし、「これはあくまでも人間の医療過誤訴訟の判例だろう」などと言われでもしたら、私はひどく傷ついただろうと思う。
私の代理人が「もう少し過去の判例を探して見ます」と言った時にも、裁判長はそれを頷いて聞き入れてくれた。

私は自分が訴訟を起こして以来、この裁判はこれからどんな方向に進められてゆくのだろう?
裁判官は今どんな印象を抱いているのだろう?というような、分からないことに対しての諸々の不安が常にある。
原告である私が毎回裁判に出席していても、代理人を立てているためか、私が直接裁判長と話す機会も今までほとんどなかったし、私が裁判長の方を向いていても目が合うということはすら稀なことだった。

私は毎回、まるで「お邪魔させていただいている人」のような心持ちで、発言したいことがあっても隙を見て隣の代理人に小声で伝えるのがせいぜいだった。
代理人を立てているとはいえ、原告である私が同じ席についていながらほとんど発言する機会がないこと、また、同席しているにもかかわらず問いかけすらも私本人に直接ではなく、たいていが私の代理人を介してなされることに、私は今まで常にある種の違和感を覚えていた。
私の感じていたそれは、むしろ疎外感と言い換えたほうが近いのかもしれない。

けれども今回は違った。話し合いの前半、裁判長から和解勧告がなされた。
私には、はじめそれが「和解勧告」であるということが分からなかった。
裁判長はその時私に対して、「話し合ってみる気持ちはありますか?」というような柔らかい感じの物言いで、それは私が本で読んだ「和解勧告」のイメージとはかけ離れていたものだったし、なにより突然話しかけられたことに私は動揺してしまった。

「【被告と話し合う意思があるか?】ということは、つまり、話し合いによって【和解する気持ちはあるか】ということなのだろうか」と私が困惑しながら返答に躊躇していると、 「ではまず被告側の考えから聞きましょう」ということになり、私と代理人は一時退室した。
その間控え室のような小さなガラス張りの部屋で待機しながら、私の代理人があれは和解勧告だったのだということを教えてくれた。

私は被告側代理人の話が終わるまでの間、不安になって何度も時計を見た。
私たちが部屋を出てから10分はゆうに超えている。今までの裁判が10分位で終わっていたものだから、私にはそれがとても長い時間のように思えた。
20分近く経ってようやく私たちが呼ばれた。

私には、和解勧告に対しての先入観があった。
それは「【和解勧告】=和解するよう説得されるもの」というものだ。
だから私は「私も被告代理人と同じだけの時間を掛けて和解するよう説得されるのだろう」と心して部屋に入った。 私は和解する気持ちにはなれない理由を自分の言葉で裁判長に伝えたいと思った。
私は頭の中で、裁判長に伝えるべきことを何度も反芻した。
私は、どうしてもその場の雰囲気に萎縮してしまう。きっと自分の気持ちを上手に伝えることは出来ないだろう。
けれどそれでもかまわないと思った。

私は実際、裁判長の目を見て「すみれの事故があってから今日までの間に、被告が、非を認めないまでも例えば話し合いの場に来るなり、ほんの少しでも誠意が感じられたら、私は和解を考えることもできたかも知れません」と言うのが精一杯だった。
そう言った後、私はうつむいてしまった。
とても訥々とした話し方だったと自分でも思う。

私は代理人から、裁判というものは被告が代理人を立てて争っていれば、裁判の場に被告本人が出てこなくても、それは「被告に誠意がない」ということにはならないのだ、というようなことを聞かされていた。
だから、私の言ったことは裁判の場では、「和解できない理由」にもならないのかもしれない。
誰も納得してはくれないのかもしれない。
けれどもそれが今、一番裁判長に伝えたい私の本当の気持ちだった。

何を言われるのだろう、これからどんな風に説得されるのだろう、と私は不安な気持ちでいたのだけれど、裁判長から「ではこのまま判決まで」と意外な言葉が返ってきた。
裁判長の表情は柔和に見えた。
少なくとも、面倒臭そうであるとか、仕方なくという風ではなかったし、静かに聞き入れてくれたような印象を受けた。
ましてや私の言ったことに対して「そんなことは和解できない理由にならない」などと言われることも全くなかった。

私が読んだ裁判に関する数冊の本には、「裁判官は和解で終わらせたがる」というようなことがその理由も含めて書かれていた。実際でも裁判の現状はそういう傾向にあるのかもしれない。
けれども、私の印象として今日の和解勧告は、どちらかというと「慣例に従っての和解勧告」という感じだった。
私が第三弁論準備室に入ってから和解不成立に至るまで、ほんの数分だったように思う。

和解が不成立に終わり、直後被告代理人が呼ばれ、このまま判決まで裁判を進めることが説明されるとすぐに通常の話し合いに戻った。
裁判長の持っている疑問点、今後私側が準備したほうがよい証拠類についてなどが話し合われた。
今回私側が提出した書面の内容に対して裁判長が受けた印象を、短い言葉の中からではあるけれど垣間見ることもでき、おおむね順調に話し合いは進んで行った。

ただ最後の最後、次回の日程を決める段になって、裁判長の挙げた日程ではどの日も、午前でも午後でも都合がつけられないと被告代理人が言い出した。
次回は被告代理人が反論の書面を提出することになっている。
被告側は前回それを準備するのに4分の一年を費やした。

被告代理人いわく、今回も前回同様「書面を作成するには被告との打ち合わせや調査等が必要」ということで、裁判長の挙げた日時では、どれも具合が悪いのだという。
これに関しては私にはどうにもできない事なので「またか」と思った次の瞬間には諦めがついた。去年も12月は裁判がなかったし、どの道今年はこれで終わりだろう。
次回被告側の書面が書きあがるのは初夏の頃だろうか、と思ったら少し憂鬱になった。

その時裁判長が、年内12月中に次回の裁判を行うこと、被告側代理人は12月のいずれかの日時を指定するように、と言った。
それはとても静かな口調で、けれどとてもきっぱりした響きがあった。
一瞬の間を置いて被告代理人は無言のまま手帳をめくりはじめた。

被告代理人が手帳のページをめくるその音すらも、私には聞こえてきそうな気がした。

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