平成16年10月4日(月)
前回の裁判から今日まですでに3ヶ月以上。
今年の夏は裁判所に一度も足を運ぶことなく、なんの進展もないまま過ぎてしまった。
13:40分
第三弁論準備室に被告を除いた全員が席に着くと、被告代理人から反論の書面を渡された。
私は、「第一準備書面」と書かれたその書面のページをめくるまでもなく
「書面を作成するのに3ヶ月は必要」だったことに妙な納得を覚えた。
書面は全部で3枚。
私側が今までに提出していた何ページにも渡る訴えや、証拠書類、文献に対する
全ての反論をまともにしようと思ったら、
私はたとえ被告側が必要とした「4分の1年」を費やしたとしても、
ここまで短くまとめることは絶対にできない。
仮に私に法律の知識があって、その持ちうる限り知恵の全てを総動員したとしても、だ。
1ページ目は、事件番号や原告被告の名前、表題や日付、
裁判所名と被告訴訟代理人弁護士の名前などがA4用紙のおよそ半分を占めている。
3ページ目はだいたい5〜6行の文字が並んでいたから、
「反論」として書かれている部分は正味A4用紙2枚分だ。
私は、意図的に、あるいはそうでないにしろ、相手の訴え一つ一つに反論しなくても
済む方法があることをはじめて知った。
話を真正面からそらすのではなく、論点をちょっとずつずらしてゆく方法も。
私がそれらの方法を知ったからと言って、それを活用する機会はないのだけれど。
裁判では、本人尋問を除いたほとんどが書面でのやり取りになる。
話し合い当日使用する書面の類は、できるだけ呼び出し期日の前に、
あらかじめ裁判所と相手方に送付することになっているのだと聞いた。
話し合い当日に書面を提出したからといって特に罰則はないらしいのだが、
現実には呼び出し当日その場で書面を手渡されても、限られた短い時間の中では
書面に目を通すのがやっとの状態だ。
常識的に考えれば、30分にも満たない時間の中で、「話し合いの核」となる書面に
目を通しながらでは、肝心の話し合いが順調に進まないであろうことは容易に想像できる。
呼び出し期日の前に、あらかじめ相手側の言い分をおおよそ把握してから話し合いに臨むのとでは、
当然のことながら裁判の内容も進行の度合いも違ってくるだろう。
私はもう随分も前から「被告側はあらかじめ書面を送付してくれるはず」などとは
思わないことにしていた。
だから「反論」の書面が当日渡されたことに対しては
今更がっかりしたり、怒りを覚えるということはもうない。
いすれにせよこの枚数なら、なるほど今この場で手渡されても、書かれていることの全てに目を通して、
おおよその主張を把握するのに時間をとられることもないだろう。
現時点で私側の訴えている被告の過失は今のところ大きく分けて5項目ある。
1、 診断ミス
2、 説明義務違反
3、 手術中の過失
4、 術後管理
5、 救急義務違反
これら私が被告の過失として訴えている5項目は、今後増やす可能性はあっても
減らすことはない。
今日私が受け取った書面は、これら私の訴えに対する被告側の「反論」だ。
いや、正確に言うと私だけが、これら私の訴え「全てに対しての反論」なのだ
と思い込んでいた。
私は一通り書面目を通して、「こちらの訴え全てには答えていない」こと
さらに「論点が微妙にずれている」ことに疑問を感じた。
「裁判」を「キャッチボール」にたとえると、私はそのルールをこう思い込んでいた。
原告の手元には「訴えA」から「訴えE」まで5つの球があるとする。
原告が、「訴えA」の球を投げたら被告はその球を必ず受けなければならない。
被告は「訴えA」という球を受けたらそれを「反論A」という球に変えて原告に返さなくてはならない。
そのようにして次は「訴えB」「反論B」・・・とやり取りが続いてゆくもの
なのだと私は思い込んでいた。
どうやらそうではないらしい。
定かではないのだが、私の見たところ、原告の投げた「訴えA」の球を
被告は受けずに済む方法があるようなのだ。
それは受け手である被告が「そもそも球は投げられていなかった」ことにしてしまうこと。
たとえば原告がAからEまで5つの球を順番に被告に投げたとしても
受け手である被告は「訴えAの球が投げられたことは認識していない」として受けないこともできる。
あるいは受け取るのに不都合な球、AやCをはじめから除いた「B、D、Eの3つの球を認識した」と
前置きしさえすれば、受けやすい球だけを受け、返しやすい球だけを「反論」として返すことも
できるようなのだ。
あるいはこういうことも出来そうだ。
原告の投げた「訴えA」を被告側は故意に、もしくは誤解から、原告の投げた「訴えA」を独自に、
都合よく「認識」したとして受けてしまう。
「原告の訴えAとは微妙に違う球」にもかかわらず
「自分の受けた球はこれだと認識した」ことにしさえすれば、
「原告の訴えAとは微妙に違う球」に対する反論を「反論A」として原告に投げ返すことができる。
当然のことながら「原告の訴えAとは微妙に違う球」に対して
「反論A」を返されても原告にとってそれは「見当違いな反論の球」でしかない。
むしろそのようなやり取りは、原告にとって時間のロスにしかならない。
肝心の「球のやり取り」つまり、話し合いを一時中断せざるを得ないからだ。
なぜなら原告はいちいちその「認識」は間違っていること、
被告が投げた反論は見当違いの球なのだということを被告と「審判」、
つまり裁判長に指摘しなければならなくなる。
私は裁判で争うための「ルール」を知らない。
それは、全くと言ってもいい程だ。
一般向けの本には載っていない「ルール」や「反則にならない方法」はたくさんあるのかもしれない。
だから裁判では大抵、それを熟知した弁護士を代理人として立てることになるのだろう。
特にこの裁判では、そういった専門知識がなければ争うことすら出来そうもない。
私は弁護士を探していた当初、何人もの弁護士に断られ続けた。
有料の相談をすることすらも、だ。
「実際のところペットの裁判は金にならないから」と断られたことがあった。
それは事実なのだろう。
弁護士はボランティアではない。
その人は私に、事実を事実として教えてくれたに過ぎない。
けれど、私はその一言で心底くじけてしまいそうだった。
しかし、あの時諦めなくてよかった。
始めは「相談だけなら」という条件付きだったけれど、
私の話を聞いてくれて、最終的には弁護を引き受けてくれた私の代理人2人には
本当に感謝しなければならない。
「裁判は時間が掛かる」「進行が遅い」という話はよく耳にするし、実際私もそうだと思う。
けれども、その原因の全てが裁判所にあるというわけではない、
ということもまた私はこの裁判を通して感じている。
たとえ裁判所が、裁判の迅速化を図るために工夫を凝らし、
できるだけ間が空かないように次回の呼び出し期日を設定してくれようとしても、
私には、一方の、あるいは双方の諸々の事情や思惑が絡んで年月ばかりが費やされているように思えてならない。
ある晩、私は突然の激しい頭痛と嘔吐で病院に運び込まれた。
最近のことだ。
運び込まれた直後は、あまりに激しい痛みと吐き気で、
医者から問診された項目や説明も今ではよく覚えていないし、
おそらくそれに対してまともに返事をすることもできていなかったと思う。
記憶に残っているのは、いつだったか同じ病気で芸能人がドラマを降板した、という話と、
長期間強いストレスにさらされていたということはないか?と質問されたことだけだ。
私はここ最近、長期の休暇も取っていたし、
何よりも「ゆったりした気持ちで過ごすこと」を意識的に心がけていた。
実際、好きなことだけしてのんびり過ごしてもいた。
それまでの毎日と比べたら、ストレスの度合いには雲泥の差があると自分では思う。
そんな矢先の出来事だったので、ここまで来ると、
私にはストレスに対する免疫が少なすぎるのではないか、とすら思えてくる。
点滴と薬で症状は大分落ち着いのだけれど、くも膜下出血の疑いもあるとのことで
精密検査を受けなければならなくなってしまった。
私は最近、3月に手術で摘出した「好ましくない細胞」が、他の場所に転移していないかどうかの
定期検査を受けたばかりだった。
その結果もまだ出ていないのにまた検査を受けなければならないのか、と思ったら
弱音は吐きたくないという思いとは裏腹に心底やるせなくなってきた。
「盆と正月が・・・」という表現があるけれど、今の私はその真逆だ。
すみれの事故に直面するまでの私は、自分で言うのもおかしいけれど、
それまでの人生の大方を平和に過ごしていたし、順風満帆とまではいかないまでも、実際それは
「自分は恵まれている」という、今にして思えば、思い上がりにも似た感情を持つほどだった。
特に当時は自分の店を出す準備も着々と進んでいて、
毎日すみれ達を連れて出勤することを心待ちにして過ごす幸福な毎日だった。
私がすみれの死に関連して直面するあらゆることに、前もって
「過剰な期待はしないでおこう」と思うようになったのは一体いつの頃からだったろう。
事あるごとに私は、「期待してはいけない」「聞き入れてもらえないのは普通のこと」
「風当たりが強いのは当たり前」とあらかじめ自分に言い聞かせることが、
今ではすっかり習慣になってしまった。
けれど、それは諦めの気持ちからでは決してない。
絶望すること、傷つくことに、私はもうすっかり疲れ果ててしまった。
すみれの死に関連して突きつけられるたくさんの現実、この裁判を進めてゆく
その過程のひとつひとつに。
これ以上絶望しないで済む私にとって唯一の方法、それが
あらかじめ、「期待してはいけない」と自分に言い聞かせ続けることだった。
人はその一生涯の全てを安穏としてだけ過ごすことは出来ないのだろう。
「幸せ」は長くは続かない。今はそれを痛いほど感じている。
けれど私は、「不幸」もまた、そう長くは続かないと信じているのだ。
人がその一生涯の中で与えられる「幸せ」や「不幸」の分量に大差はないのだと
私は思っている。
違いは、その人にとって一生分の「幸せ」や「不幸」が、
小出しにされるか、一まとめにくるか、それだけなのだと。
世間を見渡すと、見るからに幸せそうな人もいればそうでない人もいる。
その時々感じる幸、不幸は本人の心持ち次第、というのも勿論あるし
間違いではないと思う。
それでも私は、一生の終わりには誰もが公平に、
人生の幸、不幸の帳尻が合うようになっているように思えてならない。
私は、「つらい」と感じるその瞬間、瞬間に
「繭玉の中にただひたすら身を縮めて、
今苦痛に感じるすべてのことをやり過ごせたらどんなに楽だろう」と心の底から思う。
こんな苦痛を味わうのはもうたくさんだ、と。
けれどもし、私の今の状況が今までの幸せと帳尻を合わせるためのものだとしたら、
私はこの現実から目をそらして逃げ出すわけにはゆかない。
私は、だからこれからも前に進まなければいけない。乗り越えなければならないと思う。
今を乗り越えてこそ、またいつか幸福と感じられるその日を
大手を振って迎えることができるのだと、私はそう信じているから。