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平成16年2月16日(月)

今日は、春が近いことを感じさせる陽気だった。
裁判所の裏手には広瀬川が流れている。
春になると、川と裁判所とを隔てる道路沿いには、それは見事な桜が咲くという。
ちょうど去年の今頃、弁護士が教えてくれたその話を思い出して、私は少し憂鬱な気分になった。

「第三弁論準備室」と書かれたその部屋は、TVで見る法廷のイメージとは異なる。
中央に大きな丸テーブルが置かれ、ぐるりと椅子が並べられている。
談話室のような雰囲気だ。

入り口正面に裁判長が着席する。
裁判長の左側には書記官一名、並んで被告代理人一名が着席し、 裁判長の右側には私の代理人である弁護士2名と私がそれぞれ着席する。
被告代理人の隣の席だけが空いていた。
今回も被告獣医師が出廷することはなかった。

予定より10分遅れ、11時10分に話し合いが始まった。
11月14日、前回私は「求釈明書」を提出していた。
争点を明らかにするためには、手術の具体的内容、 モニター使用の有無などの詳細を知る必要があったからだ。

今回は、私が提出した釈明書と被告側の回答書を元に、 争点を絞り込む話し合いをする予定だった。
そのため今までよりも長い40分の時間が設けられていた。

しかし、被告側代理人が平成15年12月中に提出すると言っていた その回答書が実際提出されたのは、今回の話し合いのわずか数日前だった。
私の側には、被告側が提出した回答書を検討する時間もなかった。

だが、私にとって、回答書が期限通り提出されなかったことは問題ではない。
裁判が長引く、ただそれだけのことだ。

問題は、釈明書に対する回答の内容だった。
私の提出した釈明書では「手術の具体的内容と手順」を回答するよう求めていたが、 被告の回答は、「○時○分手術開始」「○時○分手術終了」「○時○分酸欠」と言う、 カルテをそのまま書き写しただけのものだった。
これでは回答になっていないと訴えたが、被告代理人は、 「それ以上のことは答えるつもりはない」と言い、それが認められた。
私は、裁判とはこういうものなのか、と思うしかなかった。

麻酔の種類についても簡単な回答しかなかった。
私が「使用したのは、記述されている麻酔薬一種類のみなのですね」と聞くと、 被告代理人は、「あなたの質問には一切答える気はない」と言った。

被告代理人が、「あなたの質問には一切答える気はない」と言ったその表情と、 あの日「謝罪も保障も一切しない」と言った獣医師の表情が、私の記憶の中で重なった。
似ていると思ったその瞬間、胸のあたりにゴロゴロした塊が詰まっているような不快感を覚えた。

周りの声が遠くに聞こえる。
私の思考が、そのまま過去の記憶に侵食されてゆく気がした。
あの日のすみれの姿が頭から離れない。
涙が止まらなかった。

私は、獣医師と被告代理人の二人が似ているわけではないと思おうとした。
人はある種の言葉を人に投げかけるとき、同じような表情を作るものなのかもしれない。
見据えるような、威圧を込めたあの表情を。
そして私は、それに慣れゆかなければならないのだと思った。

11時17分、被告側代理人が部屋を出て行ってしまった。
話し合いが始まってからわずか5分足らずで退室しても、特に咎められることはなかった。

その後も被告代理人不在のまま話し合いは続いた。
裁判長から、すみれを解剖せず死因が明らかでないことなどから、 被告の過失を立証するのは難しいと聞かされた。
仮に、血液検査に異常はなく、手術直後にすみれは死に、摘出した子宮が、 病理検査の結果「子宮蓄膿症ではなかった」ことが分かったとしても。

私は死因を明らかにしなかったのではない。
獣医師に検案を拒否され、明らかに出来なかったのだ。

あの日、すみれの死を告知された直後
おそらく(●●●●)心筋梗塞だろう」
と言った獣医師に
私は、「推定ではなく、死因を特定するための検査をしてください」と強く求めた。
それでも獣医師は、「死因は心筋梗塞だ、今更検査する必要はない」と、 一切取り合おうとはしなかった。

私は11年前に父を亡くしている。死因は脳内出血だった。
私は当時、医者から「レントゲンに真っ白に写っている部分が血液だ」 と説明されたことを覚えていた。

獣医師が言ったとおり死因が心筋梗塞だったとしたら、せめてレントゲン写真を見れば、 何か分かることがあるかもしれない、心臓に血液の貯留を示す白い影が映るかもしれない、 私はそう思った。

しかし獣医師は、再度開腹することはおろか、レントゲンを撮ることすらも拒否し続けた。

そして、言った。

「覚醒したことは確認しましたね。覚醒したということは手術自体成功したということです。 だから保障も謝罪も一切しない」と。

あの日、すみれを予想もしえない形で失って、私たち家族は茫然自失の状態だった。
何をどうするのが最善かなど、考えをめぐらすゆとりなどあろうはずはなかった。

執刀した獣医師に検案を拒否されてしまえば、残された家族は限られた時間の中で 方々手を尽くしてでも検査施設を見つけなければならない。

裁判証拠が全てだという。
そして今、ここに残されているのは「解剖しなかった」という結果だけだ。

証拠が全ての裁判に於いては、 解剖して死因を明らかにしてくれる施設を見つけ出すことすら困難だという現実も、 一般家庭では、病理解剖施設を探すまでの間、生理分解が進まないように、 つまり腐敗してしまわないように亡骸を保つこと自体が困難であるということも 考慮されることはないのだ。

すみれを失った時の絶望と喪失感、 辛さを押し殺して真実を追究しようとしても糸口すらつかめないという現実が 重く私にのしかかって来る。
すみれの死因を調べてくれる施設を探し回り、 そして断られ続けたまま時間だけが刻々と過ぎて行った、あの憔悴しきった日々の記憶が甦る。

病理検査を断られ続けたときの焦燥感、 そして、前日まで柔らかなベッドで寝息をたてていたすみれの亡骸を、 凍て付く箱に横たえさせなければならなかった時の身を切られるような気持ち、 それらは全て裁判では意味を成さないことなのだろうか。

それでも、これが裁判というものならば、私はその現実を冷静に受け止めてゆこうと思う。
すみれを失い、仕事も失った私には、裁判で負けたとしても失うものなど何もない。

今の私に出来ることは「ペット医療過誤裁判」の現実を淡々と受け止め、 それを多くの人に知ってもらうことなのだと改めて思った。

帰り間際に、被告である獣医師が、また提訴されたと聞かされた。
今回も医療過誤だという。
こちらの原告は年配の方だと聞いて、ひどく胸が痛んだ。
きっと、心の支えにしていた家族だったのだろうに。

私は、被告獣医師に同じことを繰り返して欲しくない、 私と同じ思いを誰にもさせてはならないと思ってこのすみれ医療裁判を決意した。

提訴されても被告獣医師は診療を続けることが出来る。
被告である獣医師医療過誤で訴えられていることが公にされることはない。
そしてまた同じことが、同じ獣医師によって繰り返されてしまったのだ。

帰る道すがら、これから満開に咲き誇るのであろう桜を見上げたら、 私は暗澹とした気持ちに包まれた。
今回提訴を決意された飼い主を想うと涙がいつまでも止まらなかった。

訴訟経過文などの転用・転記はお断りします

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