022:足枷 -1-
それからは決して逃れられない。「おい、セ…」
ゾロはサンジの偽名を呼びながら、少々乱暴に扉を開いた。
しかし室内は既に暗く、廊下からの仄かな明かりに照らされた右側のベッドの布団は、規則正しく上下に動いていた。
――もう、寝てんのか。
叩き起こして話を聞くことも考えたが、ゾロはそうしなかった。
「あのガキは色んな事を知ってるよ。ただし酷く臆病だ。上手くやるんだね」
くれはの言葉がゾロの脳裏をよぎる。
溜息をつくと、ゾロは扉をそっと閉め、自分のベッドに横になった。
「…」
サンジはすうすうと寝息を立てて眠っている。
まるで子どものように無防備な眠り方だ。
――こいつのどこが臆病なんだ。
ゾロには、くれはの言葉の意味がよく分からなかった。
確かにサンジは大分情緒不安定で秘密持ちだが、尊大でキックの鬼で、とても臆病なようには思えない。
今とて、つい先日出会ったばかりの賞金稼ぎの前で熟睡している。
臆病といえば、それはウソップやチョッパーのことだろうとゾロは思った。
そういえば、あの2人は結構良く似ている。普段は実に臆病だが、どうもそれだけではない気配がする所は特に。
――そういや、こいつはあの魔女と何の話をしてたんだ。
明日の朝、それとなく聞いてみるか。――“契約”の事と一緒に。
ゾロは目を閉じると、一瞬で浅い眠りに落ちていった。
見た目以上に広大な隠れ家の一角、一目でそれと分かるピンクの豹柄の扉。
「…ドクトリーヌ、起きてる?」
「長話はごめんだよ」
「ええと、あの、セイって人のことなんだけど」
「入りな」
扉を開けたのは、先ほどまでとはまるで別人のような姿のくれはだった。
体の表面をピッタリと覆う艶消しの黒革スーツにブーツ、そして腰の左右に下げられたダガー。髪はまとめあげられ、行動の邪魔にならないようしっかりとピンで止められている。
まるで今から何処かへ侵入を試みんばかりの格好である。
しかしチョッパーはそれを意にも介せずくれはの部屋の中に滑り込んだ。
「あの人、何かの病気?」
部屋に入るなり、チョッパーはおずおずと尋ねた。
「どうしてそう思うんだい」
「…おれ、ドクターとドクトリーヌの弟子の医術師だよ」
それに、獣の民だよ。人間よりずっとずっと鼻がきくんだ。そう言って、チョッパーは背中に隠していたカルテを差し出した。
「あの人、ドクターと知り合いだったって言ってたんだ。…っていうことは、ここに来たのはずっと昔ってことになるよね。だってドクターは…。…で、どのくらい昔なんだろうって思ったんだ。セイさんの見た目と、ドクターの没年から考えると、多分13,4年前なんじゃないかな、って。その頃、ドクターはまだ王室付きの医術師だったはず。そんなドクターと知り合いだったっていうことは、あの人、何かの病気にかかってたんじゃないかって思ったんだ」
一息にそう言って、チョッパーは言葉を探すように視線を彷徨わせた。
「…えっと、それで、ちょっと注意してセイさんのこと見てみたんだ。もしかしたら、今でも病気なのかなって思って。…そしたら…」
「そうしたら?」
くれははそのカルテを受け取り、ぱらぱらとめくっていった。
「匂いが他の人と違うんだ。それに、見た目と匂いが一致しない。さっきお茶を入れるときに手に触ってみたんだけど、明らかに見た目と感触が違った。それに、体温も随分高かったし」
次第にくれはの表情が曇っていく。
それは何人かの人物のカルテだったが、その中の一つのカルテを目にした時、くれはは天を仰いだ。
「おかしいな、と思って、部屋に戻ってからドクターの資料を探してみたんだ。10数年前に、ドクターの患者で、子どもだった人のカルテを。…守秘義務、破っちゃったけど」
――サンジ・セイレン・バラティエ。
それは10数年前のサンジのカルテだった。
「何だかねぇ」
――偽名、そのまんまじゃないかい。
「もしかしたら、セイさん、魔法で姿を変えてるんじゃないかな。そのカルテの中の誰か…」
「チョッパー」
「はい!」
くれははカルテを放り出すと、チョッパーの首根っこを摘まんで持ち上げた。
「ど、ドクトリーヌ!?」
「それ以上詮索しない事だよ」
「どうして!」
「関わったら、戻れない」
「…え?」
呆けた表情のチョッパーを容赦なく部屋から放り出し、くれはは扉を閉めた。
「どういうこと、ドクトリーヌ! ドクトリーヌ!」
何度も何度も扉を叩くが、返事はなかった。
チョッパーはうなだれ、一緒に放り出されたカルテを拾ってとぼとぼと廊下を自室へ向かって歩き出した。
けれども長い廊下を歩くうち、チョッパーの瞳には強い光が宿り始めていた。
「…おれは、医術師なんだ」
――医術師は、病気の人を助けるのが仕事なんだ。たとえ相手がどんな人でも、病気なら助けるんだ。
ドクターは、そのために、命をかけたんだから。
「おれは、医術師なんだ」
チョッパーは一つの決意を胸に、薄闇の中を歩いていった。
そして、ドラム入国2日目。
誰もが胸のうちに想いを隠したまま、城砦都市の一日が始まる。
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