大バカどものクリスマス

 ジョーこと南城虎次郎のイタリアンレストランSia la luce (シアラルーチェ)では、クリスマスツリーを彩るLEDライトが静かに明滅していた。オーナメントの飾り付けも全て済ませ、店内はすっかりクリスマスムード一色だ。

 十二月二十五日、誰もが知るクリスマスだ。その日は土曜日。二十四日のクリスマスイヴに続いてクリスマスランチ、クリスマスディナーと売り上げアップを狙えるイベントなのだが、今年の二十五日は一日まるまる貸切にした。スケート仲間で集まってのクリスマスパーティをやろうという話で盛り上がっていた。一肌脱がないわけにはいかないだろう。まあスポンサーの当てがあるというのも大きいが。


「ランガのやつ都合がつかないんだってさ。まったくクリスマスくらい予定入れるなってんだ。まさか俺に内緒で彼女と、とかいうんじゃないだろうな」

 暦がぶつぶつ言いながら下唇を突き出した。

「ランガに彼女? ないない。そーんなわけないだろ」

 ププッと笑いながらも、実也は携帯ゲーム機から目を離そうとしない。

 それに関しては実也と同意見だ。容姿が容姿なのでモテることはモテるだろう。だがエスコートなんて、からっきし駄目そうで気が利かないランガは、交際がはじまったとしても、あっという間に振られるタイプだ。俺が保証しよう。

「だよな。そういえばチェリーとシャドウは?」

「そろそろ来る時間だ」

 カランカランというドアベルの音とともに和装ピンク髪の男が扇で口元を隠しながら入ってきた。薫だ。

「お、来たなスポンサー」

「誰がスポンサーだ! 勝手に決めるな、この単細胞ゴリラ」

「年に一度の書き入れ時を捨てても俺は、皆のため場所と料理と労力を提供するんだ。大赤字は勘弁だぞ。お前も協力して当たり前だろうが! がりがり亡者はどうせがっぽり金溜め込んでいるんだろう」

「ボケナスには理解できないだろうが、資産運用は高度な知略が必要なものなんだ。わかったか。知性欠乏類人猿め」

「んだとー? この拝金眼鏡」

 睨み合うふたりの額がぶつかりそうになった、そのタイミングでドアベルの音が再び店内に響いた。花屋のエプロンをつけた男が入って来た。素顔を晒したシャドウだ。

 ふん、と薫はそっぽを向いた。

 腹立たしいが仕方ない。今日のところは引き下がってやろう。

「打ち合わせに来たぞ。仕事中だから十五分だけだからな」

 シャドウは店内に入るなり、いきなりしゃがんでクリスマスツリーを支えるツリースタンドを覗き込んだ。

「どれどれ。コーカサスモミの水揚げは問題なさそうだな」

 自分が届けたモミの木をチェックしながら「今のところ、どんな予定になっている?」と訊いてきた。

「基本会費制にするつもりだ。そのほうが気兼ねしなくて済むだろう。もっとも遠慮するやつなんていないだろうがな」

 薫とシャドウの前にコーヒーを置く。

「それでいつものメンバーなのか?」」

 シャドウがコーヒーにクリームを垂らし顔を上げた。

「岡店長は夜の部だけ顔を出すそうだ。あとランガは不参加だ」

「ランガが? どうしたんだ?」

「あいつさぁ、都合が悪いっていうんだ。予定が入っているんだって」

 暦は不満そうな表情で氷だけになったグラスをガチャガチャとかき混ぜている。

「なんの予定か訊かなかったの?」と実也はゲーム機から顔を上げた。

「なんとなく追求できなかった。ランガはいつも自分からは言わねえんだよな。こっちから訊けば隠したりしないで何でも答えてくれるんだけど」

「じゃあ訊けばよかったのに。暦が遠慮するなんて珍しいね」

「少し怖くて躊躇しているうちに訊きそびれた。ま、まさかあいつとの予定入れているんじゃないか、とか変なこと想像しちまって」

「あいつ?」

「あいつっていったらあいつだよ、あ、愛抱夢だ」

 メニューや食材などの予算見積もりのメモを配りながら「それはないな」と否定しておいた。そうだ、それはあり得ない。なぜなら、

「愛抱夢にも声をかけたんだ。少し遅れるけど顔を出すって言っていたからな」

「げっ、あいつ来んのかよ!」

 暦は両手でダンッとテーブルを叩き、勢いよく立ち上がる。その弾みで椅子が大きな音を立て転がった。はぁーとげんなりとした表情で暦はため息をつき、椅子を起こしている。そんな赤毛の少年に薫が苦笑した。

「そう嫌そうな顔するな。今は俺たちと同じようにスケートを愛するひとりのスケーターだと思ってやれ」

 虎次郎もフォローを入れることにする。

「それにスポンサーとして当てにしているんだ。そのおかげで酒を飲まない暦や実也の会費は食べ放題飲み放題でランチ、ディナー合わせて五百円ポッキリにした。これは決定事項だ。ただし準備や片付けは手伝ってもらうからな」

「やったね!」

「あとは大人の会費だな。とりあえず飲み代込み三千円でいいか? 足りなかったら後でスポンサーが穴埋めしてくれるだろう」

「俺はスポンサーになることを了承したわけではないぞ!」

「お願いします!」「します!」

 暦と実也が両脇から薫の腕をガシッと掴み、つぶらな瞳をうるうるさせて、じとっと見つめている。

 諦めたように薫は、ため息をついた。

 ふたりともよくやった。スポンサー決定だ。

「それにしてもなんでランガは参加できないんだ? 俺の花屋に生木クリスマスツリーの注文があって届けたんだけどな。これより小ぶりなやつだ」

 想像はつく。

「当日は母親とふたりでクリスマスを祝うのだろう。そもそもクリスマス当日に恋人同士で高級レストランデートとか友人と集まってどんちゃん騒ぎなんて日本だけの習慣だぞ。イタリアだってクリスマスは家族や親戚と家で過ごす連中がほとんどだ。俺の修行したリストランテはクリスマスは休みだったからな」

 もちろん虎次郎だって、そんなことイタリアに渡ってはじめて知ったことだった。

「え? そうなのか?」と暦が目を丸くする。

 薫が少年たちにクリスマスについて補足説明を入れた。

「お前たち忘れているみたいだが、そもそもクリスマスは宗教行事だ。キリスト教徒が多い欧米と、ほとんど無宗教な日本じゃ受け止め方が違う。ランガはカナダにいたころ、毎年、家族でクリスマスを祝っていたんだろう。なら今年も二人、いや三人で過ごしたいんじゃないのか。寂しくても諦めろ」

 暦は、はっとした顔で目を伏せた。

「そうだよな」

「しょげるな。せめて俺たちで楽しく盛り上がろうぜ。ランチとディナーの二本立てだからな」

 暦の背中をポンと叩いた。


「メリークリスマス!」

 クラッカー音が店内に鳴り響いた。

 ここは日本だ。キリスト教徒の国のクリスマスなんて気にしなくてもいい。日本式で楽しく盛り上がろう。

 手分けしてテーブルに料理を並べた。クリスマスランチだからブルスケッタやピザやパスタを中心に少々軽めのメニューにしてある。訳あって急遽アルコールは、提供しないことになった。クリスマスディナーまで酒は我慢してもらおう。

 ある程度皿が空になったところで時計を見る。そろそろ時間だ。

「適当に食べたら、クリスマスアクティビティだぞ」

 暦が最後に残ったピザの欠片を口に放り込み首を傾げた。

「アクティビティ? 何だそれ」

「ゲームというか、まあ遊ぶだけだ。皆スケボー持ってきたな。俺たちのサイコーの遊びはなんだ?」

参加者全員が一斉に拳を上に掲げ、声を揃え返してきた。

「スケート!」

「よし! 」

「それで俺たちにボード持ってこいと言ったのか」

 シャドウは口の中に残る肉をコーラで流し込んだ。

「でもどこで滑るのさ?」と実也がソースで汚れた口元を拭いながら訊いた。

「そんなものSに決まっているだろう」

「じゃあ愛抱夢がSを開放してくれたのか? そういえば、あいつまだ来ていなかったな」と暦は店内をぐるりと見回した。

「やつとはクレイジーロックで落ち合うことになっている。その後もう一度皆でこの店に集まり夜の部がスタートする。それが今日の予定だ」

 このスケジュールは、もちろん薫と共有している。

「では、いざクレイジーロックへ出発だ!」

「ウォーー!!!」

 店内に雄叫びが鳴り響いた。


 クレイジーロックには、打合せどおり先に到着した愛抱夢とスネークがSを開場して待っていた。そして、もうひとり……。

「ランガ!」

「暦!」

 親友の姿を認めると同時に暦とランガは走り出していた。

「Happy Holidays、暦!」

「何言っているんだよ。メリークリスマス!」

「日本ではキリスト教徒でなくても気にせず『メリークリスマス』で構わないぞ」

 追いついた薫がアドバイスをした。

「そうだったね。じゃあメリークリスマス!」

 そしてランガはチラッと暦の後ろにいる実也とシャドウに視線を移した。

「メリークリスマス! 実也、シャドウ」

「メリークリスマス!」ふたり声を揃えて返す。

「よかった。ランガ、来れたんだね。今日は予定があったんじゃないの?」

「ジョーとチェリーが色々調整してくれたんだ。サプライズだから内緒だって言われたから黙っていたけど」

「そうか。良かったのか?」とシャドウが腕を組み、ぬっとランガに顔を近づけた。

「そうだよ。母さんと過ごすつもりだったんだろ? 無理していないか?」

「大丈夫だよ、暦。母さん、クリスマスを空けるために昨晩は夜勤で、今日も深夜勤にシフト組んだんだ。だから今は仮眠をとっている。俺がいると、どうしても一緒に起きていようとするから助かったよ」

「じゃあ、夜はパーティに参加できるのか?」

 ランガは首を横に振った。

「クリスマスディナーは母さんと……父さんと三人でという約束だから。皆と滑ったら夕食までに家へ戻るよ。ごめん暦」

「まあ、そこは残念だけど気にすんなよ。何よりクリスマスにお前と滑れるなんてサイコーじゃないか。すげー嬉しいサプライズだぜ」

「俺もみんなと滑れるなんて、ほんとサイコーのクリスマスだよ」

「ランガ」虎次郎が声をかける。「お前の分の料理、愛抱夢の車に運んでおいた。カナダのクリスマス料理と違うだろうがイタリア料理もうまいぞ。なんせ俺が作ったんだからな。イタリアのクリスマス菓子パネトーネも入れておいた。料理は余ったら冷蔵庫に入れて明日くらいまでに食べ切ってくれ。もっとも、お前なら残りそうもないな」

「ありがとう、ジョー。おかげで母さん、クリスマスディナーのことで悩まなくて済んだから、ゆっくりできている」

 視線を感じて顔を向ければ、赤いマタドール姿に仮面をつけた男がこちらを見ていた。男の方へと歩いて行く。

「よっ、メリークリスマス、愛抱夢」と手を挙げ彼の真正面に立った。

「メリークリスマス、ジョー」

「ランガのピックアップご苦労さん」

 愛抱夢の口元にフッと笑みが浮かぶ。

「構わないよ」

「久しぶりだな愛抱夢」と背後から薫の声がした。「メリークリスマス」

「やあ、メリークリスマス。チェリー」

「お前、俺たちからこの案を聞かされなかったら、抜け駆けしていただろう」

「それはどうかな。クリスマスアクティビティとして、父親と一緒に滑るスノーボードは、ランガくんにとって毎年の恒例行事だっただろうことなど容易に想像ついたさ。でも具体的にどうするかまでは考えていなかった。それでも、なんとか叶えてやりたいとは思っていたよ。だからお前たちからの提案は渡りに船だったさ」

「ランガを自宅に送り届けたあと、店には顔を出すんだろう?」

 一応確認する。

「せっかくだからね」

「お前と飲むのは初めてだな」

 薫の声は心なしか弾んでいる。確かに酒を共にしたことはない。そもそも愛抱夢と交流を持っていたのは彼がアメリカへ留学する前のことだ。成人してからの付き合いはほとんどなかった。当然、一緒に酒を飲むなんて機会など持ちようがない。

 ところが愛抱夢は、そっけなかった。

「ああ、すまないねチェリー。今回、酒は遠慮しておくよ。残念だが」

 なるほど、そういうことかと思う。

「おい、付き合い悪いぞ。そうはさせるか。何がなんでも飲ませてやるからな」

 飛びかかりそうな勢いの薫の肩を掴んだ。放置すれば愛抱夢の胸ぐらを掴んで締め上げることくらいしそうだ。

 振り向いた薫に軽くウィンクをして目で伝える。彼は眉を寄せ渋い顔だ。流石に気づいたらしく、ため息をつき吐き捨てた。

「ふん、勝手にしろ。ここまで骨抜きにされていたとは、お前も焼きが回ったもんだ」

 そのまま背を向けヒラヒラと手を振りながらスケート仲間たちのもとへと向かっていった。

 やれやれと頭に手を当て嘆息する。この幼馴染は拗ねていることを隠そうともしない。

「なあ愛抱夢。さっき、お前は渡りに船って言っていたけど、俺たちの提案がなくてもSを開けてふたりきりで滑ることも可能だっただろうに。本当はその方が好都合だったんじゃないのか?」

 ふと疑問だったことを訊いてみる。

 愛抱夢は軽く首を傾げ、しばし思案しているようだった。やがて虎次郎の方へ顔を向け口を開く。

「まあ問題ないよ。おそらくこれがベストだった。この方が僕とふたりだけで滑るよりランガくんは喜ぶだろうし、何より僕も幸せそうな彼の笑顔を見ることができるんだから」

 虎次郎は目を見開き愛抱夢の顔をまじまじと見た。目元が仮面に覆われた彼の感情を読むことは難しい。それでも口元に浮かぶ穏やかな笑みから仮面の下の表情を想像することは難しくなかった。あのときの彼の顔が脳裏に蘇る。

 ——お前らは特別だからな。

 虎次郎の口から笑いを含んだ吐息が漏れた。

「お前、ランガの母親が出勤したあと、どうせ家から連れ出すつもりなんだろう?」

 愛抱夢は質問には無言だったが、口角がスッと上がった。

「気がついているのは俺と薫くらいだ。皆には黙っていてやるから安心しろ。だがランガが暦に報告するかどうかは知らんぞ」

「ランガくんは隠すようなこととは思っていないだろうな。でも自分からベラベラ喋らないよ」

「だろうな。今回の諸々の件、一つ貸しにしておいてやる」

 愛抱夢は「ふむ」と顎に指を当て考えるような仕草を見せた。

「借りはなるべく早く返しておきたいのだが、僕は何をすればいいのかな?」

「そうだな。近々三人だけで飲もう」

「君とチェリーとで、か。いいだろう」

「よし決まりだ。さて、そろそろ滑るか。皆待ちくたびれている。一斉によーいドンの掛け声でいいな」

「ああ構わない。今回スタートシグナルの点灯も無しだからね」

 ふたり並んで、ワイワイガヤガヤと騒々しく盛り上がっているスタート地点へと向かう。

「ねえ、スネークも滑ろうよ。みんなで滑った方が楽しい」

 スネークに言い寄るランガの声が聞こえてきた。

「いえ、私は……」

「そうだよ。今日は負けないから。必ず勝つ!」と実也が勝気に宣言する。

「おう! シャドウ様のリベンジだ」

「なんで滑らないんだよ。さては怖気づいたな」と暦が追い打ちをかける。

 後退りしながら、スネークは助けを求めるように愛抱夢の顔を見た。

「忠、折角ランガくんから誘われたんだ。滑ったらいいだろう」

「はい」

 虎次郎はパンパンと手を叩いて皆の視線を自分に集めた。

「そろそろ、はじめるぞ。今回、一番でゴールしようが賞品、特典など一切ない。ビリでも罰ゲームはない。なのでパーティに響かない程度、程々にな」

「おう!」

 一斉に拳が振り上がった。

 まあ、そうはいってもスケーターなんて人種は大バカものだ。いざスタートすれば本気になることなど目に見えている。

 虎次郎は全員スタート体勢にあることを確認した。

 さあ本日のメーンイベント、クリスマスビーフをはじめるとしよう。

「レディーゴー!」