あの日、伝えられなかった想いをあなたに

 その日、赤薔薇の花束が届いた。

 それを見た瞬間、あの赤いマタドール衣装に仮面を着けた男の派手派手しい姿が浮かんだ。もう条件反射だ。

 なんだかよく分からない理由で花を送りつけてくる男だ。もういい加減こっちの神経も麻痺してしまっている。ついでに母さんまで慣れっこになっているみたいで、スケート仲間に花屋がいるからの一言で納得してしまった。むしろ期待しているようにも見える。

 花束にはカードが添えられていた。


〈The love I have for you runs deeper than the sea and wider than the miles when we are apart. Happy birthday, my little Langa!!〉


 そっか、俺、誕生日だったんだ。カードがなければ気が付かなかった。

 帰宅した母さんから「お誕生日おめでとう」と財布をプレゼントされ、いつもより少し贅沢な夕食とケーキでささやかなお祝いをした。

  カナダでは、初等教育に入ったあたりで友達を招待しての誕生日パーティを開催することが多い。誕生日が真冬だったりすると、インドアジムを借りたりする。

 一度だけ、そんなパーティを両親が開いてくれたことがあった。でも、俺は馴染めなかった。父さんと母さんと俺だけの方がリラックスできた。

 それから毎年誕生日が来るたびに、父さんと母さんがお祝いをしてくれた。毎年、毎年、それはもう永遠に繰り返されると疑いもしなかった。

 子供だったんだ。永遠なんてどこにもないのに。

 父さんが死んで、祝ってくれる人は母さんひとりになって、初めてそのことを思い知る。

 ない。

「俺、誕生日なんだ。お前らプレゼントよこせよな」などとおちゃらけて宣伝するやつ以外、男子高校生は友人に誕生日アピールしたりしないし、他人の誕生日にいちいち興味も持たない。

 いや、もしかすると気にしていないの俺だけなのか?

 そういえば、暦の誕生日って何月何日なんだろう? 俺、親友の誕生日すら知らない。聞いたことあるかもしれないけれど覚えていない。今度ちゃんと教えてもらってスケジューラーに入れておいたほうがいいのかもしれない。


 カナダに居た頃は友達と呼べる友達はいなかった。

 でも、こっちに来て暦と友達になった。多分初めての友人だ。そして、それをきっかけに、歳が離れているから友達と言っていいのかどうか分からないけれど、ミヤ、シャドウ、チェリー、ジョーたちと親しくなって、暦以外の世界もぐっと広がった。

 おかげで初めて気付かされたことがたくさんある。

 俺、どこか普通の感覚とずれていたんだ。今更変えられないけど。


 一応、愛抱夢にお礼のメッセージを入れた。ついでに「愛抱夢の誕生日っていつ?」と質問してみた。

 即、折り返しでスマホの呼出音が鳴った。

「やあ、ランガ君。僕の誕生日は、5月1日だけど、どうして知りたかったの?」

 いつも俺ばかり貰っているし、何か返せたらと思って。母さんからもそう言われた。高いものは無理だけど」

「なんだ、そんなことか。もう君からは、一生分のプレゼントを僕は貰っているんだよ。一生かけても返せないほどの。返すことは無理だけど、君への贈り物は感謝の気持ち、君への愛という僕の自己満足なんだ。気にしないでほしい」

「俺、何もあげていない。言っていること、よく分からない。何か別の意味あるの? 日本語難しい」

「ははは、言葉通りで他意はないよ。迷惑だったら他を考えるからそう言ってくれていい。迷惑かい?」

「迷惑じゃない」

「安心したよ。でも、どうしても何か返したいというのなら、今度一度会って欲しい」

「? Sで会っているよ?」

「Sじゃないところでだ。ふたりだけでね」

「どうして?」

「世界を広げるためだよ。君にとってもスケート以外のことを知ることは必要だよ。僕もスケート以外の君をもっと知りたい」

「そうなんだ。Sでないのなら、どこで会うの?」

「それはこれから考えるよ。どうかな?」

「いいよ」

「それと、僕の誕生日前に予行演習ってことで、一度会ってくれないかな」

「予行演習?」

「口実だよ。あと三ヶ月近くは待ちきれない。僕の誕生日前に一度会いたいってことだよ」

「誕生日は?」

「もちろん、そっちが本番だよ」

「わかった」

「嬉しいよ。また連絡する。I love you」


 通話が切れてから、妙な既視感に囚われる。

 そうだ、あの日のことだ。

 これから外出しようとする父さんから少しばかり説教された。大したことではない。

 特に反発していたわけではなかったが、受けた言葉の意味を少し考え込んでしまい、ずっと無言になっていた。

「大丈夫だよ。お前はいつでも父さんの誇りだ。I love you」

 そう締めくくり、微笑みながら俺をきつくハグしてから父さんは家を出た。

 俺は黙り込んだまま一言も返せず大きな背中を見送った。単純に言葉を発するタイミングを失してしまったのだ。

 それが、父さんとの最後のやりとりになってしまった。

「I love you too」

  いつもなら、そう言葉にしていたのに。

 その想いは、もう届けることはできない。

 そんな心残りや喪失感とともにあの抱きしめられたときの優しいぬくもりが蘇る。ちりちりとした胸の痛みを伴って。

 ああ、俺はいつも失ってから気が付くんだ。

 スマホをもう一度取り出した。

 もう、後悔したくない。

 あの日、父さんに伝えられなかった言葉を。想いを。

 あなたに。

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