■シーソー
□□ホロホロ
- …今日は会えるかもしれねぇな。
オレンジ色の輪っかを指でくるくる回しながら、オレは壁にもたれて畳に腰を下ろした。
たった今一段落ついたところだった。今日で『炎』に来てから五日目。
それというのもSF後、民宿『炎』開店に向けて早速準備するとかで、
無理矢理アンナに手伝わされているからだ。
同じく巻き込まれているのはオレとピリカと蓮、そして元・花組の三人。
大人しく従ったのは、花組――今は『炎』の仲居候補がいるからと言い切っていい。
その中に、いつかの夜に抱いた女がいる。一度だけだったが、すべて覚えてる。
あいつの顔形はもちろん、それを支える細い首筋、
強く握れば折れてしまいそうなしなやかな腕、か細い指、
鎖骨の下に膨らむ胸、薄桃色の先、肋骨が微かに浮き出たへその上、
その横のくびれ、そして下にすらりと伸びる白い脚。
自分でも驚くほど鮮明に思い起こせる。
この部屋があいつと寝たとこと似てるのもあるんだろう。
またあいつに会える。そう思うと、ガラにもなく胸が高鳴り、今日までの体の疲れが癒えていく。
しかし会うといっても夜にはピリカもここで寝るし、あいつは他の二人と一緒だろう。
さてどうしたものかと考えてたら、
「失礼します」
あいつが、やってきた。
あまりに唐突だった。手で弄んでいた輪っかを落とした。頭に描いていた像が、重なる。
けど、いくらリアルに思い出せても、目の前にいるのとでははっきりした違いがある。
まだ仲居らしい格好はしていなく、『炎』に来てから髪型はいつも通りで、あのときと同じ浴衣を着ている。
そう、あのときと、同じ―――。
細かいとこをいちいち重ねちまう。気が先走るのが自分でわかる。
「なんだ?」
考えもクソもなく、オレの口はただ目的を聞いていた。
会いに来た、と言って欲しかった。だから、次の言葉を聞いてがっかりした。
「……掃除、だけど」
「あ、そう」
心情そのまま、みたいな声が出ちまった。
「それなら思わせぶりにしないでオレが部屋にいないときにやってくれ!」
と、心の中で自分勝手に叫んだ。でも、二人きりになれたのには変わりない。
- 「なら、オレも手伝ってやるよ」
「あ、ありがと」
………?
あいつの態度によそよそしさを感じたのはこのときが最初だった。
オレの善意の裏にあるやましさを感じ取ったふうには見えない。
…いや、単に照れてんだけだ。
オレは、何か怖くなってその感覚を振り払うように立ち上がった。
掃除を始めてから数分、オレ達は何も喋っていない。
あいつは常に背を向けて、表情が窺えない。
意図してるのか、たまたまなのか。初めはそんな邪推をしたが、あいつのことを
適当に手を動かしながら眺めているといつの間にか、オレの心は和んでいった。
背伸びして蛍光灯の笠にハタキをかけている後ろ姿が、たまらなく可愛く、いとおしくオレの目に映った。
そう、いとおしくて―――。
「や…!」
気付いたら、抱き締めてた。
いや、ホントは掃除を建て前にしてんじゃねぇか、と思ったからかもしれない。
ぱたりとハタキが畳に落ちる。あのときと同じ感触、匂い。けど、反応は思ってたのとは違った。
「…ぃやっ!」
まるで危害から逃れるかのごとく、体から絞られた力ではねのけられる。
力自体は強いもんじゃなかったが、予想外の返しにオレはそれ以上の力で制することができなかった。
照れてんだけだ、ってもんじゃない。オレを見たあいつの顔は、恐怖してた。
オレが、あいつにとって「危害」として見なされた表情。
そのまま後じさりして背を向けたと思うと、出口に向かって逃げていった。
ほんの少しの距離、オレはその背を目で追ったが、襖に遮られた。
タン、と乾いた音。オレには何かが断ち切れたみたいに聞こえた。
部屋の隅に置いた、あいつから貰った髪止めを、ただ呆然と眺めた。
二つ並んだそれらは、大きく見開かれた目に似て、オレを嘲っている。
無性に気分が悪くなった。みぞおちに重くどろどろしたものが流れ込んでる気がした。
オレは無意識のうちに髪止めを拾って、その目をつぶすように髪止めを手首にくくりつけた。