もやもやした気持ちのまま、夏休みに入る。
今年は、母親は夏期講習に南を参加させなかった。
春先から人が変わったように荒んでしまった次男に、何をしても無駄だと悟ったのだろう。長男の時もそうであったように、さっさと諦めてしまっていた。
することがなくて、南は1日中家にいた。昼も、夜も外に出る気にはならなかった。
視界にちらつくのは、あの日見た水沢の裸体。そして、初めて見た涙。
思い出すたびに後悔した。
どう考えても最初から和姦であったはずがない。水沢は被害者だった。それなのにどうして、あの時あんなひどいことを言ってしまったのだろう。
8月に入る頃には自己嫌悪の塊になっていた。せめて、あの暴言だけでも謝罪したい。二度と笑ってくれることがなくても、もう友達には戻れなくても。
そう思ったらいても立ってもいられなくなって、水沢の家に走った。
しかし、水沢はいなかった。
変わりに現れた水沢の祖母は、残念そうな顔で、南に告げたのだ。
「馨は、もうこの家を出て行きましたよ」
どういうことだと聞くと、彼女は淡々と語った。
水沢の両親が離婚問題で揉めていたこと。この度離婚が成立して、水沢は母親に引き取られることになったこと。
南は、何も知らなかった。
母方の祖母だという彼女は更に続けた。
「本当は、娘も、馨を引き取る準備は随分前にできていたんです。でも、馨がどうしてもここで中学校を卒業したいと言っていたから・・・。けど、今度は急に転校したいって言い出して」
目の前が真っ暗になった。
「あ、あの、連絡先を教えてもらえませんか」
「あなたは・・・もしかして南くんかしら」
「そ、そうです」
「馨が、これを」
そういって差し出されたのは愛想も素っ気もない白い封筒。
「もしかしたら、南くんが家に訪ねてくるかもしれないから、渡してくれって頼まれたんです。来なければおばあちゃんが捨てて、といわれてたんですけど、来てくれて良かった」
震える手で封筒を受け取った。
「連絡先は絶対教えちゃ駄目だと言うから、教えられないわ、ごめんなさい」
申し訳なさそうに彼女は頭を下げた。つられて頭を下げながら、南は信じられない思いで一杯だった。
この家に、本当に水沢はもういないのか。この家にも、この街にも。
「馨、よく南くんのこと話してくれましたよ。すごくかっこ良くて、大好きなんだって」
白い封筒の輪郭が霞んだ。
泣きそうになっていることに気付き、南は慌てて水沢の家を後にした。
帰り道、いつもの公園に立ち寄る。
毎日水沢と語り合ったブランコに、今は1人で腰掛けて、封を切った。
『南へ』
そんな書き出しで始まった手紙を、南は最後まで読むことができないかもしれないと思った。次々に溢れてくる涙で、拭っても拭っても視界がぼやけてしまうからだ。
『この手紙を受け取ったってことは、おばあちゃんに僕のことを聞いたんだよね。
何も言わずに、いなくなってごめんなさい。
今更こんなことを手紙に書くのは卑怯かもしれないけど、僕は南のことが大好きでした。
普通の男同士の友達に対する思いじゃないって気付いたのは、修学旅行で山口先生に無理矢理された時でした。
南はきっと、僕のことを汚いって思うと思う。
あの時、僕は南にそうされたいって思ってしまった。
だから、南の顔が見られなくなってしまった。
南、今までありがとう。
このまま一緒にいたら、南に好きだって言っちゃいそうだから、逃げることにしたよ。
大好きな南にこれ以上嫌われるのは辛いから。
卑怯でごめん。今まで本当に楽しかった。
大好きだったよ。僕のこと、嫌いでもいいから、覚えててね。
あんな奴がいたって、忘れないでね。』
「水沢・・・」
どうして言ってくれなかった、と思った。そして同時に、自分が水沢の立場だったら同じように言えなかっただろうとも思う。
けれど、こんなカタチで水沢の思いを知るのは辛かった。答えたくても水沢はいない。
やっと自覚した。あの時、水沢が保健室で山口に抱かれているのを見た時のあの不可解な激情。あれは、恋心ゆえだったのだ。
水沢が好きだ。そう自覚したら全てが納得できた。
水沢が山口に汚されたようで、腹が立った。水沢が泣いているのが辛かった。守ってやりたいとか、側にいたいとか、水沢を見るたびに思っていた。それは、決して同級生の同性に対する思いではなかった。
「俺もだよ、水沢・・・大好きだ」
呟くとまた泣けてきた。水沢はもう、ここにはいないのだ。
本当に水沢は卑怯だと思った。こんな別れ、忘れたくても忘れられるものではない。きっと、ずっと、水沢のことを忘れられない。
恋心を自覚する前に別れたなんて、なんて皮肉な話。なんて格好悪い話。
自分はまだまだ子供で、水沢を傷つけることしかできなかったけれど・・・もっと大人になれば、そう、あと10年もしたら、水沢を抱きしめることができるだろうか。
ちゃんと守って、頼らせてやることができるだろうか。
2度と会えないかもしれない、とは不思議なことに思わなかった。また必ずどこかで巡り合うだろうと、南は確信していた。
|
|