8.



 

 10年後。

「ちょっと、有也、有也ったら。何ぼーっとしてんの?」
 媚びるような高い女の声に、有也――南有也は意識を引き戻された。
「あ、ごめん」
「何考えてたの?すっごい遠い目してたわよ」
 遠い目と言われて有也は苦笑した。
 珍しく昔のことを思い出したのは、あの、水沢がいなくなったと知った日から今日でちょうど10年が経ったことに気が付いたからだ。
 あれから、有也は高校へ進学し、一流と言われる大学にストレートで合格した。
 けれど、その大学に通ったのはたったの1年。
 大学が思った以上に面白くなくて退屈していたところに、昔から遊び人だった兄に誘われてホストのバイトを始めたらついついはまってしまい、気付いたら大学に通わなくなっていた。今では立派に店のナンバー2だ。
 親は兄弟揃って水商売の世界に足を突っ込んだことに多少嫌な顔はしたが、言って聞く兄弟ではないので放置されている。
「ごめんごめん、ちょっと昔のことを思い出してた」
「何よそれー」
「ふふ、実らなかった初恋のことをね」
 女の腰に手を回しながら有也は目を細めた。
 別れてから10年。10年経って大人になったら水沢を抱き締められるだろうかと自問し、辛い時に受け止めてやれる、水沢に頼られるような大人になりたいと思ってきた。
 けれど、実際には10年経っても中身は変わっていないし、成長した点といえば女性の扱いが上手くなったことと、口が上手になったことくらいだ。
 10年も経ってしまえば思いは風化していく。あの時自覚した恋心は今も鮮明に思い出せるけれど、今、仮に再会したとして、同じように水沢に恋ができるかと問われればYESとは即答できない。何のために大人になりたいと思ったのか、どんな大人になりたいと思ったのか、25歳になった有也にはもう分からなくなっていた。
「有也でも振られることあるの?」
「んー?振られたのは後にも先にもあれ1回切りだね」
「いやな男〜。やっぱり夜の帝王・有也よね」
「あー、最近お日様浴びてないなー」
 水沢とともに過ごしたあの1年は、目を閉じて思い出すといつでも光に彩られている。こんな作り物のネオンやイルミネーションじゃなくて、本物の、日光。
 今、夜の世界に身を置いて夜の帝王とさえあだ名されているからこそ、より一層その思い出は眩しくて。
 眩しいからこそ、切ない。
「ね、有也、そろそろあたし帰るね」
「え?もう?」
「うん。明日ちょっと用事があってさ」
「じゃあ送るよ」
 店を出て、彼女に軽くキスをする。
「また来るね」
「待ってる。電話するから」
 彼女の乗ったタクシーが見えなくなるまで見送って、有也は煙草を取り出した。
 何か、疲れた。
 水沢のことを思い出したせいだろうか。自分のやっていることが急に馬鹿馬鹿しくなった。
 もちろんこの仕事にはプライドもあるし、好きでやってはいるのだけれど、一体何のために、何を目標として働いているのか。
 ふ、とさ迷わせていた視線が引き寄せられるように一点で止まった。
「あ、有也vv」
 店に向かってくる有也指名の女性が手を振っているが彼女ではない。それよりも、もっと向こう。








「水沢っ」









 有也は思わず大声を上げ、反射的に駆け出していた。







 










End





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