互いに、一言も口をきかなかった。 口もききたくないほど怒っていたとか、そういう訳ではない。何を話していいか分からなかったのだ。 普段、馨に対しては際限なく優しい有也が、初めて本気で怒ったからかもしれなかった。 一言も口をきかないまま有也のマンションに連れ帰られ、一言も口をきかないままベッドに放り出された。 「あの…有也」 さすがにそれはどうかと思い、馨はおずおずと口を開いた。 嫌ではない。有也に抱かれるのは本当に幸せなことだと思っている。どんな形であれ、有也に求めてもらえるのは嬉しい。 でも、こんななし崩しみたいに抱かれるのは嫌だと思った。 「何?」 「…怒ってる?」 「…怒ってないよ」 返答に要した微妙な間に、ああ、まだ怒っているのだな、と馨は悲しくなる。 「ごめんね」 「悪いと思ってるの?」 「…」 「悪いと思ってないなら謝らなくていいよ」 苦笑混じりの優しい声だった。決して突き放すようなそんな響きはなかった。 「お前が、自分で決めて実行したことだもんな」 「有也」 「ものすごく、sakuraを呼んだって言うのが気に入らないけど、仕方ないよな。俺じゃ駄目だったんだから」 「ちが…」 そうじゃなくて。有也が駄目だとか、頼りなかったとか、そんなのじゃなくて。 言いたいのにうまく言葉が出なかった。 「でも、sakuraを呼ぶのが最善だと思ったんだろ?」 畳み掛けるように言われると、頷く他はなかった。 「…有也の重荷になりたくなかったんだ」 「重荷?」 「自分のことは、自分で解決したかったんだ」 「山口に関しては、俺のことでもあったよ?」 「でも」 山口が現れるたびに苦しむのは、きっと有也もだと思ったから。 「僕が決着を付けたかったんだ」 10年越しのトラウマは、そう簡単に乗り越えられるものではないと知りつつも。 有也は苦笑した。 「…頑固だね。…そんなところも、好きだけど」 ちゅ、と軽い音を立てて、馨の頬にキスをする。それが、有也の叩いた方の頬だとはすぐに気が付いた。 「痛かった?ごめんね」 「僕も…殴っちゃったから」 「うん、あれは痛かった」 赤くなっている有也の頬に触れてみるとわずかに熱を持っているようだった。 「痛そう…ごめんね」 「馨のほっぺたの方が痛そうだよ」 有也の撫でているのは反対側の頬。山口に殴られた頬。確かに、ひどく痛んでいた。その上を、慰めるように撫でる有也の手が往復した。 抱き締めて欲しくて、抱きついた。すぐに望みは叶えられ、有也の広い胸に抱き込まれた。 優しい手つきで頭を撫でて、耳や首を甘噛みされる。その一つ一つが嬉しくて、心地良かった。 「有也」 名前を呼ぶと手を握ってくれた。見下ろされて微笑まれると、頬が体中の血が集まったように熱くなった。 こうなってしまうと、もう抗うことはできない。 するすると服を脱がされていく間、羞恥心に馨は有也の顔を見られないでいた。 同時に恐怖もあった。誰にでも感じる淫乱と山口が評したように、有也にもそう思われているのではないかと思ったから。 「んんっ!」 突然、深く激しいキスに思考を奪われた。 「余計なことは考えないで。今は力抜いて、ただ俺に抱かれてて欲しい」 「んぅ…」 「お前は俺のなんだって感じさせて」 無性に泣きたくなったから、泣いてしまった。有也は少しだけ困ったように笑ったけれど、行為をやめるつもりはないようだった。 もっとも、セックスの最中に馨が泣いてしまうのはいつものことだったけれど。 「馨」 ただ名前を呼ばれるだけでこんなに切ない気持ちになる相手を他に知らない。 「俺は馨のものだよ」 「でも、でもさ」 肌蹴られた胸元に散るキスマークに、馨は心臓を締め付けられるような気がした。 嫉妬。 ならばどうして他の女性を抱いたのだ。 「でも、何?」 馨は無言で首を振った。言えない。 「言って。言わなきゃ言うまで苛めるから」 「やっ、やだ」 「なら言って」 声の響きはどこまでも優しいのに、有也は逆らうことを許さない。馨にとって、有也は独裁者だとぼんやりと思った。 「教えて。俺の体を見て、何を思ったの?汚いって思った?」 「違う!」 汚いなんて思えるはずがない。他人が付けたと分かっているキスマークでも、有也の体を淫靡に飾り立て、よりセクシーに見せていた。 細身だが筋肉のついた体を、いつも美しいと思う。 「汚いなんて…」 「じゃあ、何?」 「っ」 ちゅぅ、と右の乳首に吸い付かれて、馨は声にならない悲鳴を上げて仰け反った。 「可愛い、馨。本当に可愛い」 あっという間に乳首は硬くしこって立ち上がる。有也の右手が下肢を割り、性器を下着越しに撫でた。 この体を、愛撫を、他にも知っている人がいる。 「どうして」 「え?」 「どうして違う人を抱いたの…?」 独占欲を露にした自分を我ながら醜いと思った。だけどどうしようもない。苦しくて仕方がないのだ。 誰にも渡したくないから山口と一対一で決着を付けようとしたのに。 「有也は僕のなのに…」 口にした途端、有也が襲い掛かってきた。 「あとで、ちゃんと全部話すから。ごめん…今は抱かせて」 「ひぁ…」 滅多に聞くことのない余裕のない声。性急な愛撫。 おかしくなってしまうのではないかと思うほど責め立てられた。 死ぬ、と思った。 「愛してる、馨…俺はお前だけのものだよ」 「あ、あぅ…」 何か言おうにも言葉にならなくて、みっともない喘ぎだけが口を突いて漏れた。 |