14.





 結局店を2日休んだ。
 馨はバイトがあると言っていたが、とても立って歩けるような状態ではなかったため、休ませた。幸運にも、普段の勤務態度が真面目なためか、特に咎められもしなかったようだ。

 2日間、色々話した。有也が中林を抱いたことや、馨がsakuraに連絡を取ったこと。
 お互い気になっていたことを率直に聞いて、それに対する正直な答えを得た。

 2つ体があることが納得できないほど繋がり合ったのに、有也は馨がますます愛しくなってしまい、彼を離すことができなかった。馨の一言、一挙手一投足が可愛くて、何度強引に抱いたか分からない。
 抱かれすぎた馨は、一人では歩くのもままならず、ベッドの上で置物のように横たわっていた。



「は?辞める?」
 
 2日休んだ後、有也は店の上階にある事務所を訪れ、ホストを辞めると告げた。
 そこにはVenus代表である兄の桐也がいて、パソコンに向かって何やら企画書を打ち込んでいるところだった。
 あまりに唐突な申し出に、桐也は火をつけようと咥えていた煙草を取り落とした。

「何で?辞めてどうするの?」
「どうするかは考えてない。でも、俺はもうホストとしてはやっていけない」

 幸いにも、ホストで随分荒稼ぎをさせてもらった。何らかの商売を始めるだけの元手はある。
 少し休んでもいい。時間だってまだあるのだ。

「ふぅん、勿体無いね。お前に辞められると正直痛いよ」
「何言ってんだ。Venusにはハルキもいるし、ナンバー1の哲也さんだって絶好調じゃん」

 自分一人、ホストを辞めたところでVenusは変わりはしない。

「まぁ、そうだけど」

 新たに煙草を取り出してライターで火を点ける。

 幼い頃から格好良くて憧れの兄だった桐也は今でもやはり壮絶に格好良いと思う。
 色気も、話術も、有也では遠く及ばないものを持つトップホスト。けれど彼も、大事なものを見つけてホストを辞めた。
 今はホストクラブ経営者で、時折店に顔は出すけれど接客はしない。家族を大切にする、一人の父親だ。

「お前が恋人をべたべたに甘やかしてるって話は有名だしな。近々辞めるって言うんじゃないかと思ってたよ」
「何で知ってんだ」
「ハルキだよ。アイツほんとお喋りだからな…まあ、それはともかくとして」

 桐也はキーボードを叩いた。同時にプリントアウトされた書類をまとめて、有也に渡す。

「本当は哲也に頼もうと思ってたけど、アイツは経営に興味はないらしい」
「何?」
「2号店。そろそろ出すつもりなんだ。お前、経営に回らないか?」

「え…?」

 独立やホストクラブの経営を、全く考えなかったわけではない。ホストの夢の一つだ。
 けれど、こうして目の前にある程度出来上がった話を持ち出されると、戸惑った。

「何人か使えるホスト連れてっていいよ。ああ、でも哲也は駄目だ」
「哲也さんは兄貴の下でないと働かないよ。あの人を使うのは無理」
「哲也以外で、それこそハルキなんかどうだ。アイツ賢いし、相当使えると思うけど」

 有也はしばし沈黙した。

「少し、考えたい」
「どうぞ。即決するもんでもないだろうしな」

 煙草を灰皿で揉み消すのを見届けて、有也はソファから立ち上がった。

「今日はどうすんだ。その顔で店に出るのか?」
「うーん…」
「可愛い彼女にぶん殴られたか?すっげぇ青あざ」
「まあ、そんなとこ」

 本当はこんな顔で店には出たくなかったのだが、何日も欠勤を続けるわけにもいかないし、早めに兄に会ってもおきたかった。
 桐也は苦笑する。

「ホストは天職だって言ってたお前を辞めさせる彼女に会ってみたいな。今度会わせてくれ」
「今度ね」

 軽くかわして、有也は事務所を出た。



 青あざが酷いので、やはり今日も休もうと思いながらエレベーターで店に下りると、sakuraがちょうど出勤してきたところだった。今日は珍しく同伴ではないらしい。

「有也さん」

 右手を挙げて有也に声をかける。一見普通を装っているけれど、その声は笑いで震えていた。

「おう」
「すげぇ青あざ」
「痛ぇんだよ。これが」

 帰るつもりだったけれど、何となくsakuraにつられて控え室に向かってしまう。

「店、出るの?」
「や、帰る。馨も待ってるし」
「ふん、ラブラブですね」

 仲が悪いはずの有也とsakuraが一緒に店に現れたことに、同僚ホストたちは驚きを隠せない様子で遠巻きに二人を見ていた。元々見られることには慣れているから、特に気にもせず、定位置のソファに腰を下ろす。

「仲直りしたわけだ。目の前で殴り合うから、内心ひやひやしたよ」
「嘘つけ、面白がってたくせに」
「ばれた?だって有也さんおかしいんだもん」

 くすくすとsakuraは忍び笑いを漏らす。

「黙れ、朝倉sakura」
「えー?ちょっと良くない?朝倉sakura。今度から苗字付けようかな」
「勝手にしろよ」

 sakuraは何がおかしいのか一頻り笑った後、有也に向き直った。

「で?山口の始末についてはちゃんと考えたの?」
「…」

 2日間考えた。どうすれば、馨の前に、2度と現れないようにすることができるのだろうと。
 その結果、得た答えをsakuraに告げてみる。sakuraなら、それが有効か無効か判断してくれるはずだ。
 もちろんsakuraの意見を丸呑みして従うつもりはないけれど。

「不本意だけど、中林さんに頼もうと思う」
「へぇ?ああ、あの人PTA会長なんだっけ」
「よく知ってるな…。少し、上から圧力をかけてもらう。ちょうどいいって言っちゃ駄目だけど、少し前にアイツ、中学生にセクハラしてるらしい」
「ふうん。不祥事でやめさせちゃうってこと?」

 有也は首を振った。

「仕事辞めさせたら、野放しになる。辞めさせずに、見張ってもらう。中林さんから学校の上の方に圧力をかけてもらって素行を監視してもらうようにする」
「へぇ?中林さんはOKなんだ」
「うん。あとは、個人情報を掴んで軽く脅しとく」

 sakuraは苦笑した。

「とことん甘い男だけど、まあ、及第点かな。人知れず闇に葬る方法だって人脈だって、アンタ持ってるだろうに」
「人の道は踏み外したくない」

 馨と一緒にいるために、手段は選びたい。逆に馨が、有也と一緒にいるために手段を選べなかったから。人の道さえ踏み外そうと思ったというから。
 止めるのは自分の役目だ。

「個人情報なら、免許証押さえといた。これで多少脅せると思うけど、使えば?」
「お前なら押さえてると思ってたよ」
「あと一応軽くボコっといたよ。完璧でしょ?」

 住所や電話番号などが記載されたメモをsakuraから受け取る。これで、山口の件は片付いたと思っていいだろう。

「それで…有也さん、これからどうするの?」
「ん?」
「本カノがいるのにホスト続けるって難しくない?水沢は彼女じゃないけど」
「難しいなあ…。辞めようと思ってる。さっき兄貴にも話してきた」
「代表、何て?」
「経営に回らないかって。2号店出す計画があるらしい」

 sakuraはしばし黙った。

「…マジで?」
「うん」
「へぇ!いいじゃんそれ!」
「いいか?」
「うん、いいよ、経営に回りなよ。俺、一緒に行ってやるよ。有也さんと働くの楽しそうだ」
「たのしいかな…って、えぇっ!?」


 思いもよらない発言に有也は素っ頓狂な声を上げた。
 大体、今回の一件で多少歩み寄ったとは言え、お互い気に入らない相手だ。一緒に働くなどという言葉が、sakuraの口から出るとは思わなかったのだ。

「一緒に行く。2号店で働く。よろしくな、有也代表」
「ちょっと待て、まだ決まったわけじゃ…」
「有也さん苛めて遊ぶの、楽しそうだなーっ!」

 本音はそこか、と有也はがっくりと肩を落とした。
 まあ、何にしてもsakuraは使えるホストだ。連れていく価値はあるかもしれない、と有也は思い直す。
 まだまだそんな話があるというだけでほとんど白紙状態の将来だが、sakuraの言葉で少しだけ現実味を帯びてきたような気がした。
 
 有也の中で、ホストクラブ経営に向けて何かが動き出した。





 

end.

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