8.




 中林から情報を引き出すために、自分の体を使った。

 馨と再会してから、彼以外の人間を抱いていないから、正直勃つかどうか不安だったけれど、男の体なんて単純だ。快楽と刺激さえあれば、勃つ。いっそ、心の伴わないセックスでは快楽が得られないような仕組みになっていればいいのに、と有也は思う。
 
 心底疲れた。

 以前は、こうではなかった。少なくとも、馨と再会するまでは。
 自分の体を使って営業することに何の躊躇いも覚えなかった。

 けれど、今は。



『あっ…ぅんん…』
 
 悩ましい喘ぎ声。柔らかい女の肢体が組み敷く有也の下で蠢いていた。
 それは、明らかに男である馨とは異質で、有也に強烈な違和感を覚えさせた。

『有也、もっと…』

 高みを求める中林に応えながら、何度も後悔した。もっと、他にやり方はあったに違いない、と。
 だから、sakuraに甘いと言われるのだ。

 そして、結局自分の体を使って得られた情報は、彼女の言う山口が、自分の知る山口と、どうやら同一人物である、ということだけ。
 無駄骨という他なかった。

 冷静に考えれば同僚でもない彼女が、PTA会長だからと言って山口の素行を知るわけがないのだ。奇妙な接点を見つけて焦ってしまったけれど、最初から得られる情報はたかが知れていた。

『山口先生のこと、知りたいの?』
『えぇ…。昔、お世話になった先生だと思うので』
『碌な世話じゃないと思うけど…調べてあげるわ』

 煙草の紫煙を燻らせながら、中林は嫣然と笑った。
 それだけが、とりあえずの成果だ。



 鉛のように重たく沈む心を励まして、マンションの玄関を開けたのは昼前だった。
 馨は、今日は教授と会う約束があるとかで大学に行くと言っていた。
 ストーカーがうろついている時に外に出したくはなかったけれど…卒業がかかっているのだから仕方ない。それに、今は馨がいない方がありがたいと思った。

 後ろめたい。
 とりあえず、馨が戻ってくるまでに風呂に入って中林の匂いを落としてしまいたい。馨に気づかれたくないのもあるけれど、何より自分が不快だ。
 そうして、少し眠ろう。少し眠れば、もう少し頭もはっきりするだろうし…。

「有也、お帰り」

 いないはずの馨がひょっこりとリビングから顔を出し、有也はぎくりと固まった。

「馨…大学は?」
「もう行ってきたよ。今日は遅かったね。何か食べる?」

 屈託のない笑顔で…否、馨が隠し事が異常にうまいことを知っている有也は、そう見えるだけで実際はそうではないことに気づいている。
 馨は眠っていない。元々、精神的に追い詰められることがあると極端に眠りが浅くなる馨だ。目の下にはうっすらと隈が浮かんでいた。笑顔は、空元気というやつだ。

 ひどい罪悪感に苛まれた。眠れないほど怖い思いをしている馨の側にいながら、別の人間を抱いた自分。
 この場で土下座して、全部白状しようかと思った。

 けれど、有也がそうするより、馨の表情が固まる方が、一瞬早かった。

「…馨?」
「あ…ご、ごめん。僕、ちょっと用事思い出した。大学行かなきゃ」
「え?馨?」
「ご、ごめん有也」

 馨はソファに無造作に置いてあったかばんを掴むと、有也を押しのけるように飛び出してしまった。

「馨!」
「す、すぐ帰るから!」

 慌てて捕まえようとした有也の手は空しく宙を切った。



 有也はため息をついて、シャワーに向かう。
 浴室の鏡で見た自分の体には、首から鎖骨、胸元にかけてたくさんのキスマークが散っていた。

 有也はその瞬間、馨が逃げ出した理由を思い知る。



 




 

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