4.


 

 ものすごくたくさん眠った気分で目が覚めた。こんなにいい気分で起きるのも珍しい、と、夜に生きる男は思う。
 とはいえ、時刻はすでに昼を過ぎているのだけど。

 そういえば、昨日・・・否、今朝か。
 10年前の親友で、初恋の相手にたまたま出会った。

 ただ懐かしくて後を追い、声をかけた。
 彼にとって、10年前のことは決して綺麗な思い出ではないだろう。声をかけない方が優しいかもしれない、とは思ったが、どうしても止められなかった。
 自分にとっても綺麗なだけの思い出じゃないけど、会えて嬉しかった。

 何を話そうと思っていたわけじゃない。実際には何を話していいか分からなかった。
 でも、あの相変らずの黒ぶちのだっさい瓶底眼鏡を目にし、忘れかけていた思いが蘇った。

 初恋の相手、水沢馨。

 その初恋は、自覚すると同時に終わった。否、相手に逃げられて自覚したと言ってもいい。
 そんな中途半端で間抜けな始まりと終わりだったから、思いはぶすぶすと燻り続けていたようだ。表面上、すっかり忘れたような顔をして。

 そうでなければ、家に連れ込んだ理由が付かない。思い出話がしたいならそこいらのファミレスでも良かったはずだ。何もこの、自分の聖域とも言える、自宅に連れ込まなくても良かった。
 なのに、結構強引に自宅に連れ込んで、挙句の果てに肩を抱いて耳を嘗め回してキスまでして。自分の浅ましさに情けなくなる。
 結局、忘れられなかったのだ。

 馨は怒っていた。『からかうな。知ってる癖に』と。
 馨が自分を好きだったというのを知っていてからかったつもりはない。そうではなくて、本当に純粋にいとおしかったのだ。だから、抱きしめてキスをした。

 キスがあんなに心地良いものだとこの歳になって初めて知った。
 けれど、唇を離した時、馨の表情は恐怖と嫌悪に彩られていて、愕然とした。

 本当は抱いてしまいたかった。けれど、それではきっと中学生だった馨を犯した男と同じになってしまうだろうと思って、引き下がった。
 体だけが欲しいわけじゃない。それだけなら、馨よりもっと適した相手がいる。そういう商売をする人間だっているのだから。
 体が手に入らなくても、心が自分のものにならなくても、せめて友達というポジションに戻りたいと思った。
 それは10年振りに感じた執着だった。

 けれど。

「って・・・やっぱりいなくなってるし」

 苦笑する。
 寝室はもぬけの殻だった。

 キスした後、潤んではいたが、どこか軽蔑したような馨の目を見て、慌てて鍵のかかる寝室に押し込んだ。
冷静を装って、『顔色が悪いから少し寝た方がいい』とか何とか言って。
 けれど、実際馨の顔色はあまり良くなかった。
 馨はあっさり頷いて寝室に消えた。
 対する自分はと言えば、酒でも飲まなきゃやっていられなくて、ウイスキーの水割りを何杯か飲んで、ソファで眠ってしまったようだ。

 で、起きたら。

「いなくなってるとは思ったけどな」

 こんなにも何の形跡も残さず、馨は消えてしまっていた。
 予想通り。だって馨は10年前、手紙一つを残して逃げ出した奴なのだから。

 それが悪いとは言わない。卑怯とも言わない。
 でも今回は相手が悪かった。

「誰が同じ手2回も食うかって」

 有也はカーテンを開けて、眩しい日差しに目を細めた。

「お前の居場所なんか、ちゃんと見当付けてんだ」

 何のために、抱き締めたい気持ちを押し殺してまで馨の近況報告に付き合ったか。
 自分が何らかのアクションを起こしたら逃げ出すだろうという予想があったからだ。
 10年前は逃げられても追いかけることができなかった。だから、同じ手は食わない。今度は捕まえる。

 10年越しで再燃した思いは結構しつこそうだ。




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