塾の帰りに近道をしようと、少年はいつもは通らない公園に足を向けた。
母親に無理矢理参加させられた夏期講習は、遊びたい盛りの中学2年生の大切な時間を容赦なく奪っていく。
少年は早く帰りたくて――それこそ、やりかけのゲームや録画していたアニメの再放送のために帰途を急いでいた。
人気のない公園。錆びた遊具。手入れをする者がいなくて荒れ放題の藤棚。
夕暮れ時とはいえまだ十分に明るいはずなのに、なぜか他の場所より暗いような気がして、少年は思わず身震いした。
やっぱりやめようか――。
近道しても、短縮できる時間はわずか5分。たったそれだけのためにこの薄気味悪い場所を通るのも馬鹿らしいような気がする。
実際この公園はその手の話題に事欠かない。白い着物を着た長い髪の女性が手招きしているのを見ただとか、深夜に子供が1人でブランコに乗っているから声をかけたら、その子供には顔がなかっただとか。
中学生が信じるには少しお粗末な怪談ではあったが、そんなことが起こっても不思議ではない、異様な雰囲気がこの公園には確かにあった。
少年の足がぴたりと止まる。こんなに怖い思いをしてまで、5分の近道をして何になる?
けれど、その思考は、少年の自尊心をいたく傷つけた。
少年はクラスの中心的人物だった。クラス委員や生徒会役員になるような優等生では決してなかったが、とても目立つ――彼を中心に人の輪ができる、そんな存在だった。
中学2年生にして身長は175cmを越え、美形揃いの両親のいいところだけを受け継いだような端正な容貌。勉強もそこそこにできたし、何より明るくて快活、誰に対しても優しいというのが人気の理由だった。
リーダーシップもある。成績だけで選ばれたようなクラス委員よりも余程場を仕切るのが上手い。クラス委員が表向きのボスなら、少年は裏ボスだった。
そして、裏ボスというものはえてして表ボスよりも強いものである。
そんな風に周りに認められている少年。少年自身も、満更ではない――が。
もしここで、公園を通るのが怖くて別の道を通ったとクラスメイトに知れたら、一体どう思われるだろう?
小さな、幼い自尊心。たったそれだけのために、少年は足を踏み出した。
自分さえ言わなければ誰に知られることもない。けれど、それでは嫌なのだ。ここで道を変えたら、当分の間自分は意気地なしだという思いに苛まれることになる。
少年は歩いた。横も見ず、後ろも振り返らず、ただ前だけを見つめて。
足音が付いてくるような気がしたが、それは自分の足音が何かに響いているだけだと言い聞かせる。生ぬるい風が気持ち悪かったが、夏の夕方だから仕方ないと思い込む。
少年の足で1分もかからない狭い公園。もうすぐ出口、公園を出れば家は目前だ。少年は必死で自分を励ましていた。
意外にもこの少年、オカルト系はからっきし駄目なのである。
出口に1番近い遊具――トンネルと滑り台、のぼり棒などが複雑に組み合わさったような遊具の横を通り過ぎようとした所で、少年はぎくりと足を止めた。
かつん、かつんという小さな音とともに、子供の笑い声が聞こえたのだ。
幻聴ではない。風の音だと自分に思い込ませようとしても、現にその声は今も聞こえているのだ。
走って逃げようかと思った。引き返してしまってもいい。けれど、足は地面に縫い付けられたように動かない。
冷や汗が背筋を伝う。鳥肌が立つ。きっと、ひどい顔色をしている。
少年は震える唇を舐めた。ありったけの勇気を振り絞って、声を出す。
「そこに誰かいるのか!?」
声は、みっともなくも裏返った。返事はないが、笑い声は止んだ。
「だ、誰かいるのか!?」
もう一度叫ぶ。少しの間があってから、猫の鳴き声がした。
少年はもはや涙目である。笑っていたのは猫だったのか?
ああ、明日夏期講習で友達に会ったら、新しい怪談を披露してやろう。笑う猫だ。もちろん、怯えもせずに立ち向かった自分の武勇伝付きで・・・生きて帰れればの話だけれど!
「で、で、で、出て来い!」
ざく、と砂を踏む音がした。木陰になって良く見えないが、トンネルの出口には砂場があるらしい。
ゆっくりと立ち上がり、猫を抱いてこちらへ歩いてくるのは小柄な少年。ダサい黒縁の、度のきつそうな眼鏡をかけている少年は少なくとも人間。そしてどこかで見た覚えがある。
明らかに同年代と思われる少年をしげしげと見つめ、はて、どこで見たんだか、と思いを巡らせるより先に、相手の方が口を開いた。
「南くん・・・だよね?」
「何で・・・」
「あ、僕のこと分からない?」
少年は人懐こい笑みを浮べた。牛乳瓶の底のような分厚いレンズの下の瞳が、きらきら輝いている。
「僕、水沢馨」
「・・・あ!お前!」
ますます笑みを深くして、少年――馨は頷いた。
「この間転校してきた――」
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