翌日。 「最近はお父様もアリューシャも、心ここにあらずといった感じねえ」 よく晴れた昼下がり、窓辺で紅茶を楽しんでいた母が苦笑した。 大貴族の家の一人娘である母は、苦労を知らずに散々甘やかされて育った。そのせいか、母は非常に世間知らずで、おっとりとしている。 兄様に言わせると、「あんな育てられ方をして我侭でないお前の母は奇跡みたいな人物だ」そうだ。誉められているのかは不明だが、兄様は母に好印象を抱いているらしい。 「お父様は相変らず何か企んでいらっしゃるみたいだし」 まるで、子供の悪戯か何かのように父の陰謀を笑う。父が何度、兄様を殺そうとしたか、知らないわけではあるまいに。 そんなこと、きっと母にはどうでも良いのだろう。 父の陰謀が明るみに出たら、母もただでは済まされないだろう。もちろん、僕も。今家族3人無事に暮らしていられるのは、兄様の情けによる。 「母様、何を呑気な…」 「仕方ないわよ。お父様は、昔からああいう人だったのだもの」 夢見る乙女のような顔をして、母は無邪気に笑う。 「あれが生きがいなのよ」 「生きがいって…」 命を狙われる方はたまったものではないというのに。 「でも、今回ばかりは、もう駄目かもしれないわね」 それはとても小さな呟きで、ともすれば聞き逃しそうな呟きだった。 「母様、それは?」 「お父様ね、今度は大掛かりな企みをなさっているみたい。成功するとは私にはとても思えないのだけれど…ね。多分、今回の企みに関しては、陛下にも庇い切れないと思うわ」 今まで、父は何度も皇帝暗殺を企てた。その度に、それは失敗に終わっているのだけれど、父の罪が問われたことは一度もない。 兄様は全て分かっていて、父を許しているのだ。 事件が明るみに出る前に処理してしまう。それができなければ証拠不十分で片付ける。 そうやって僕たちは庇われてきた。それが、今回はできないということは。 僕はこの、いつまでもお姫様然とした母が、陰謀の全てを知っていることに驚きを覚えた。母は、何も知らないと思っていた。 「母様は、分かっていて父様と結婚したんですか」 「そうよ」 「分かっていて、止めないのはなぜですか」 「私が止めて、思い留まるような人じゃないからよ」 歌うように、母は言う。 「それで、いいんですか?」 「いいの。だって、そんな彼が好きで、結婚したのだもの。とっくの昔に、彼と一緒に死ぬ覚悟はできているわ。後悔なんて、したことない」 驚く僕に、母は笑いかけた。 「アリューシャは?」 本当に寂しそうな笑顔だった。まるで、これが今生の別れになるとでも思っているような。 否、思っているではなく、そうなるのだろう。 「アリューシャは、後悔しない?」 「僕は…」 母の言葉を反芻するうちに、兄様の顔が浮かんでは消えた。 「お父様を止めるのはもう無理よ。それよりも、会いたい人がいるんじゃない?」 |