第19章


「面影があるから、懐かしく感じるんだ。
 似ているけど似ていない。だから、安堵するというか」
「ジャックさん……」
「君の本題を話しなよ」
 ジャックは、ぐい、とグラスを飲み干した。
「もしかして、もう一杯君も欲しいかな」
「いいえ、滅相もない」
「ははは。遠慮しなくていいのに」
 涼しげな様子で、新たなワインを注ぐジャックに、
 ディアンは、もうこれ以上引き延ばせないなと思った。
「息子にしたいって、本心で仰ったんですか」
「ああ」
「では、どうやったらなれますか」
「とりあえず、他人行儀な呼び方をやめて
 お父様、もしくは、父上、もしくは、お父さんと呼んでくれたら」
 三パターンのどれかだったら、貴族の子息らしく、
「お父様」
 しかないなと、呟いたら相手はあろうことか笑ってきた。
 どれだけ、頑張ったと思うんだ!
「か、顔真っ赤なんだけど! いやいや嬉しいよ。
 君が僕の息子になってくれるならこれ以上の喜びはない」
 肩を大げさな仕草でばんばん叩いてくる伯爵に、この酔っ払いがと
 罵りたい気持ちをどうにか抑えた。
ちなみにディアンの酔いはとっくに醒めている。
「どうして僕の息子になりたいの。嬉しいけどちゃんと気持ち聞かせてもらいたいな。
 きっと誰かの為を考えてのことなんだろう」
 やはり、この方にはかなわない。全部、筒抜けだ。
「……ごめんなさい。でも、俺はあなただから父と呼びたいと感じました。
 大好きじゃないと、頼みません」
 きっぱり言うと照れたような顔をする。
 よしよし、と頭を撫でられた。
 淡いランプの光に照らされて栗色の髪が、自分と同じ色に輝いていた。
 頭を撫でられる行為は、リシェラのとは違い、明らかな子ども扱いだったが、不快じゃなかった。
「もっと早く言ってくれてもよかったのに。ずっと待ってたんだよ。
 とっくに君の郷里のご両親には承諾得ているし」
 あの両親なら、断るはずもない。
 ほんの少しの寂しさがあったけれど、ジャックの息子になることで縁が切れたわけではない。
 ぎゅ、と両手を握られて、がばっと抱きしめられた。
「ジャ……お父様」
 背中に回された腕の力強さ。意外に彼は豪快だった
 実家の父親と違い、長身痩躯で若く、父というよりやはり兄のようだ。
「早く正式な手続きをすまそう。君にも署名をもらって、王室に養子縁組の申請をしなければ」
 ジャックが取り出した書類に、ごくりと唾を飲む。
「本当にいいんですか。俺、欲に塗れてますよ」
「僕の憂いを君なら晴らしてくれるかなって思うし」
 きょとんとする。
「君は権力に屈しないで、意地でも大好きな人と一緒に生きてほしいんだ。僕にできなかったことを」
 耳元でささやかれた言葉は、彼の願いが込められていた。
「はい。必ず」 
 力強くうなづいた。ディアンの中で大きな決意が生まれていた。
「戦で勝利して帰還した際に、爵位を叙爵する旨のお話を頂いていたのです。
 あの際は、昔のジャ……お父様と同じくお断りしたのですが」
 ジャックは驚いたように目を瞠った。
「僕より複雑だったろうね。平民だった君がいきなり貴族として
 姓をたまわり、屋敷と領地を賜るなんて考えられなかったんだろうが、
 今は、状況が違う。伯爵家の一員となってディアン・トリコロールって名前もある。
 ちゃんと本当の名前になるんだから、大丈夫だよ。
 今までの生き方に誇りと自信を持っていれば何のことはない」
「ありがとうございます」
「元々爵位を下さるつもりだったんだ。国王は許可してくれるだろう」
「さあ、もうお休み。これからは色々正直に話してね? 」
 はいと言うしかなく、これから受けるひやかしという名の応援に、戦々恐々の気分だった。
 手渡された書面に名を記して、明日の朝ジャックに提出しよう。
 宿題じゃないんだからと、自らに突っ込みを入れた。
   ディアンは、学園の帰りにいつも通り王城に立ち寄った。
 リシェラを部屋まで送り届けた後、家老のギブソンを探した。
 広い王城内を右往左往していると、奇異な視線を感じる。
 東の塔をさまよっていた所、折よくギブソンを見つけた。
 リシェラの共でもないのに王族の居住エリアに近寄るのは、ご法度だったので、
 家老の地位にある彼をここで見つけられて安堵した。
「……ディアン」
「ギブソン様、お会いできてよかったです」
 嬉しくなって駆け寄ると胡乱げな眼差しをされて、きょとんと目を瞠る。
「探していたのか。用があるなら、前日に確認してくれれば、
 予定を調整したが」
「すみません……少し急いでいるもので」
 早口でまくしたてると、
「落ち着きなさい」
 肩にぽんと、腕を置かれた。
「他の場所で話そう。どこかいいかな」
「では、私の部屋でいいですか。少し歩きますけど」
「構わない。どちらにしろ私は城の中を駆けずりまわっているのでな」
 からからと笑って、老紳士は、ディアンの後についてきた。
 ディアンの私室は東塔の真ん中あたりの階層にある。
 王族の居住エリアからは少し離れている。
 できれば、リシェラの私室に近い場所に部屋を賜りたいが、そんなこと口にできるはずもない。
やましい気持ちはなく、彼女を守りたい気持ちからくるものであってもだ。
 どちらにしろ、現在はトリコロール邸に暮らしているので、
 王城からさほど距離を隔てていることにはならないかと内心独りごちる。
 最近、脳内で思考しながら、行動することが多くなっていた。
「どうぞ」
 鍵を開けて部屋の扉を開け放ち、ギブソンを中に誘う。
 伯爵家で暮らしている為、普段はこの部屋を使うことはない。
 ディアンもここに入るのは久しぶりだった。
「す、すみません……」
 椅子の埃りを確認し、ギブソンに勧める。窓を開けて、空気の入れ替えをした。
「トリコロール伯爵家での暮らしはどうかね」
「とても、よくしていただいてます」
 よどみなく答えるディアンにギブソンは、すっと目を細めて笑った。
「そうか」
「少し、お待ちください」
 ディアンは廊下に出て、使用人用の調理場に向かった。
 ティーポットにお湯をもらい、急ぎ部屋に戻る。
 王宮内をむやみやたらに駆けるのは厳禁だ。
 いつかは、リシェラと共に追いかけっこなんてしてしまったのだけれども。
「お待たせしました」
「わざわざ良いのに」
「いえ、お忙しいのに、部屋まで来ていただいたんですから」
 作り付けの戸棚から、茶葉の入った瓶を取り出し、2つのカップに手際よくわける。
 沸かしたての湯を注いだら仄かな香りが漂った。
 安物のお茶だが、仕方ない。貯めている給金で少しいい茶葉でも買おうか。
 伯爵が小遣いをくれようとしたが、断り続けている。彼はかなり不満そうだ。
 大歓迎で受け入れてくれたが、一応働いている身で親から小遣いをもらうなど。
 生家が貧しかったので、ろくに小遣いをもらったためしがない。
 今では仕送りをしているくらいだ。
 いい茶葉が手に入ればリシェラをこの部屋に招いた時に、もてなせるな。
 ディアンは、自分で想像して勝手に赤くなっていた。
(何考えてるんだ……浮かれすぎだろう)
 カップを上品な仕草で傾けると、ギブソンは匂いを嗅ぐような仕草を見せた。
「気持ちがこもっているな」
「は……ありがとうございます」
 一口飲んで、ディアンの方に向き直る。
 今から、厚かましく不遜な相談をしようとしている。
 緊張で、喉がカラカラに乾いてきて、ディアンは一気に茶を飲み干した。
 喉は潤ったが、舌と口内が痺れて仕方ない。
「よほど話しにくいことか」
 眇めた目。ギブソンはメガネをポケットから取り出したチーフで拭いた。
「トリコロール伯爵家に正式に迎えていただくことになりました」
「王女付きの近衛騎士としてふさわしい身分だな」
「驚かないんですか」
「きっとそうなるだろうと思っていた」
「恥知らずとは思われませんか。
彼は快諾どころか大歓迎の勢いだったんですが、
 今になって怖気づいているんです。
いいのだろうかと」
「国王に養子縁組を申請する書類が、届いたら即座に許可のサインがいただける。
 ディアンのことは大層気にかけておいでで、恩賞のことも本気だったのだぞ。
話がずれるが、あの戦ではお前のほかに、ライアン将軍が侯爵の受爵を受けている。
 死後であるのが残念な限りだが」
 墓に刻まれているのだ。
 話がライアンに及ぶと、ずきりと胸が痛んだ。
 彼は、常に自分をかばってくれた。
将軍であることを驕らず、皆の盾になることを選び行動した。
 自分よりも常に相手のことを思いやる人物だった。
 死を覚悟した彼から、未来を生きよと、告げられた時どれだけ泣いただろうか。
引きこもっている一か月の間に、記した書物は、ライアンを筆頭に仲間の活躍を称える文章であふれている。
 いつかお披露目する日が来れば、真実を知ってもらえるはずだ。
 かなり独りよがりな文章になっているのは置いといて。
「いつか、私が書いた書物を読んでいただけるでしょうか。
 内側からの事情が分かると思うんです」
「ああ、楽しみにしている」
 ディアンは、照れながら頷いた。早速城内の自室から持ち帰ろう。
 修正作業をしておかなければ。リシェラ様と過ごす時間が減ってしまうけれど。
 考え事に耽りそうになり、はっとなる。
 多忙のギブソンを引きとめていては申し訳がない。
 失礼ではあるが、ディアンは自分が先に椅子を立ち、頭を下げた。
「お話聞いていただきありがとうございました」
 目上の者には謝罪より、素直に礼を言うのが一番だと学習しているディアンだ。
「大変だろうが、頑張るんだよ」
 優しい言葉を駆けられて、もう一度深く頭を下げる。
 白髪混じりの背中は、すっと伸びて老紳士に相応しい威厳を放っていた。
「ディアーン! 」
 王城の中央エリアから、城外へと出ようとしていると、
 後ろにメイドを連れたリシェラが、駆けてきた。
 妙な呼ばれ方をしたなと苦笑して、立ち止まる。
 くるりと振り返れば、息を切らしているリシェラと彼女をとがめるメイドの姿があった。
「リシェラ様! 城内をばたばたと走るのはお止め下さいませ」
「メイ、何か御用なの」
「お忘れ物ですよ」
 リシェラは、メイドから頭上にラインストーンが散りばめられたカチューシャを渡されていた。
 つけようとするメイドから、素早く受け取り自ら、頭にはめる。
 赤く燃える髪の上で、王女の証がきらめいていた。
 学園ではつけることはないし、リシェラは王城以外ですることを好まない。
 王女であることを誇示しているようで嫌なのだという。
 王城でも、見ることも稀なのでディアンは、貴重な姿に見とれていた。
 一礼して踵を返したメイを見送りリシェラは、はにかむように笑った。
「やはり、お似合いです」
 ディアンの言葉に、リシェラは瞳を瞬かせ、くるりとその場で回って見せる。
 長いドレスの裾が軽やかに、翻る。髪の色のこともあり妖精のように感じた。
「その姿でいらっしゃるということは、国王陛下にお会いするんですか? 」
「プライベートのことでもあるんだけど公式でもあるから……。
 ディアンのことよ? 先ほどから伯爵も謁見の間でお待ちなの」
 ついてくるように促され、ディアンはリシェラの後をついて歩く。
 小柄な彼女の後ろを歩けば、長身が一際目立つ。
 まるで守らねばならない存在として初めから位置づけられていたかのようだ。
 浸っていられるのも一瞬で、すぐに二人きりではなくなった。
 リシェラの先を先導するギブソンがどこからともなく現れた。
 開け放たれた扉の先には、正装をしたジャック・トリコロールが長椅子に座り
 ディアンと目が合うと、小さく微笑んだ。彼の隣に腰を下ろす。
 向かいの長椅子には国王と王妃夫妻がいて、こちらを見ていた。厳しい目ではなく温かなまなざしだ。
 リシェラは、裾を捌いて、国王夫妻と同じ長椅子に腰を下ろした。
 玉座から対面するのではなく親しげに話すという雰囲気だ。
 低めに設えられたテーブルにはお茶が用意されている。
 ディアンとリシェラが席に着くと見計らったようにメイドが、
 やってきて給仕を始める。バスケットに乗せられたクッキーも配られた。
「ディアン」
「は、はい! 」
急に名を呼ばれ声が上擦る。
(落ち着け、落ち着け! )
「何だか悔しいな……先に恩賞として受爵の話を持ちかけたのは私なのに」
「あなた、ディアンが困ってますわ」
「……私も息子のように感じていたのだがな」
「恐れ多くも有難きお言葉です」
(これは、まさか陛下が、焼きもちを焼いてらっしゃる!?
 そんな風に思っていただけていたのか)
 ちら、と視線を交し合う国王夫妻は傍から見ても仲睦まじげだ。
「国王陛下、恐れながら、私などが彼のような優秀な青年の
 後見をつとめるお役目を頂き、この上ない喜びを感じています」
 ジャックは、対面に坐している国王の目をしっかりと見ていた。
 国王が、カップに口をつけたのを筆頭に皆が各々カップを傾け始める。
「あなたしかいないと思ったのだよ……。結果ディアンもあなたを信頼し
 養父(ちち)として、慕っている」
 恐る恐るジャックを見れば、とても誇らしげな表情をしていた。
「ディアンは、少し頼りないところもありますが、とても優しくて立派な青年です。
 私も彼ならばと思い、正式に養子縁組をする決意をしました」
 小さくうなづいて、こちらを見てくるジャックに
「はい。陛下が仰った通り、養父となってくださったジャック・トリコロール伯爵を
 とても信頼し、お慕い申し上げています」
 真面目に言ったのに、周りからくすくす笑いが漏れ始めていた。
 やたらとからかわれてばかりの気がする。
 戦場から帰って時間がたち腑抜けたのだろうか。
 気づけばリシェラまで、口元に手を当てて笑いをこらえているではないか。
 穴に埋まりたい。穴に住むという小さな生き物と仲良くなれそうだ。
 ディアンは、俯き加減になった。
「素直でいいわねって」
 優雅に微笑みながら、涙をレースのハンカチで拭う。
 王妃陛下も意地が悪いのではないだろうかと疑ってしまう。
「可愛がりがいがあるなあ……。ディアンは、このままでいいからね! 」
「お、父様!? 」
 王妃の後に発言したのが、ジャックだったのが驚きだが、
 フォローしてくれるどころか同調している。
 咳払いした国王が、話を本題に戻した。
「このように、戦にも出ておりながら擦れることなく過ごしている
 ディアンは伯爵家の養子となるに相応しいと思う。
 純粋すぎるのが、難ではあるが」
 思わずリシェラと目を合わせてしまう。
不敵な笑みを浮かべている様さえ可愛らしい。
 書類に国王印を押し、テーブル越しにジャックに渡される。
 ジャックは目礼した。大切な宝物のように書類を押し抱いている。
 それを見て、ディアンは、改めて幸せな気持ちで胸が高鳴った。
「あの、呼び方なんですけど、父上でも構いませんか? 」
「いいとも」
 がしっと握手を交わす二人。
 会談はほのぼのとした空気のまま終了した。
 王城から、帰る時は馬車に乗った。
 馬車は王室が手配したものだ。王家の紋章があり、室内は
 とんでもなく豪奢だった。馬で来ようとしたジャックだったが、
 王家が、それを許さなかったのである。
伯爵家に対する敬意と貴族であることの自覚を促したのだ。
 それは表面的な捉え方で実際は伯爵への心づくしの対応だった。
 ディアンは、ふかふかの座席に腰を落ち着けた。
 楽しそうに目を細める養父に、笑みを返してこれからの日々に思いを馳せた。
 



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