一筋の光もない闇の中、クライヴはいた。
 深い穴の中、膝を抱えてうずくまっている。
 (どこだ……)
 手足を動かそうとすれば、鎖が鳴り体中が痛みで苛まれる。
 どうやら、腕にも足にも体に至るまで拘束具が付けられている。
 両手首に嵌められた腕わのせいで腕も動かせない。
 どうすることもできないのでうずくまっているしかないのだ。
 体が重く、じっとしていても疲労を感じる。
 毒づいて、眼前を睨みすえる。
「ぐ…………っ」
 掌に赤い鮮血が散った。口の中が苦い。
 耐えがたい不快感を覚えて、自分のことだと認識したのに過ぎなかった。
 口からひきつけを起こしたような音が漏れる。
 腹に響けば凄まじい痛みが襲う。
 ああ、そのうち、この痛みも感じられなくなるのだ。
 そう思えば今はまだ余裕があるのではないだろうか。
 自らが立てる物音しかしない深い闇の底で、クライヴは笑い声を上げる。
 けたたましい声が響いても虚しいだけ。
 ゆっくりと、確実に近づく死の気配。
 なるようにしかならないのだから無駄な努力など意味をなさない。
 闇は自分自身、受け入れはしても恐るるに足りなかった
 はずなのにあのまばゆい輝きに触れたせいで、……光が闇を覆い尽くした。
   果てない強さと引き換えに大切なものだけを守る強さ。
 優しさを手に入れたのだが、己の中に弱さを抱え込むことになるとは、思いもよらなかった。
「ルシア……!」
 知らないうちに叫んでいた愛しいものの名。
 痛みと闘いながら、何度も名を呼んだ。
 焦がれて、自分の存在さえ変えてしまった彼女のことを。
 会いたい。美しい金髪に触れ、透き通る瞳を見つめたい。
 この場所には己一人だというのが分かっているのに呼び続けてしまう。
 手を伸ばしても何もなかった。虚しく叫ぶ自分自身がいるだけ。
 声が枯れて、うめき声しか出なくなった頃、ふ、と覚醒した。
(とんだ悪夢だな)
 顔を覆い、苦く笑う。
 荒い息を吐き出す。
 あまりにも生々しかった。
 残滓に襲われそうで、しばらくは茫然としていたが、ルシアが、
 そっと手のひらを握りこんでいるのに気づいて、ほっと息をつく。
「怖い夢でも見たんですか?」
 クライヴは微笑みかけるルシアを思わず抱きしめたが、境にあるものに気づいて腕の力をゆるめた。
(ああそうか……)
 ルシアは突然腕に捕われても、動揺することなく、ぽんぽんと背中を叩いている。
 いつの間にやら当たり前になっていたルシアがいるということ。
 時の理を捻じ曲げてまで、この時代に止めてしまったのだけれど。
 決して一方的な想いからではなく、彼女が選んだ決断だった。
 腹部に頬を寄せると、鼓動の音がしっかりと感じ取れた。
 ルシアと生まれてくる子供と築くささやかな幸せがほしい。
 性質の悪い夢のことは忘れてしまえばいい。
 暫く抱きしめていると今決して抱いてはならない欲が首をもたげてくる。
 髪ごと頭をかき抱いて、強く引き寄せる。
「クライヴ?」
 不思議そうに問う声。
「ルシア……お前が欲しい」
「……それって」
「お前を確かめたいんだ。この不安を消してくれ」
 ルシアが、瞼を伏せる。
 意味を感じ取っているのだろう。
 緩く首を振って、
「はい……優しくしてくださいね」
 ふわりと零れる笑みを浮かべた。甘い声に、身ぶるいがする。
 クライヴは、意味深に笑い、ルシアの肩越しに深い吐息をついた。
 安心したように、笑みを浮かべた。
 ルシアは瞳を閉じている。
 クライヴは、性急かつ執拗な口づけで誘う。
 最初から舌を絡め、吸い上げて、欲情を煽る。
 抑えきれない吐息を聞いて、ルシアの胸元をくつろげた。
 目にとまった赤く色づいた頂きを口に挟んだ。


「……っんあ」
 指で愛撫しながら、口に含まれて声を発してしまう。
 甘えるように胸元に顔を埋めて、貪り続けるクライヴがどこか
 子供みたいで、年上なのに可愛いと思ってしまう。
 否、この人はもともと可愛い人ではないか。
 ルシアは、恍惚の中、うっすらと笑みを浮かべた。
 反らした首元に、這う指先と舌が、艶めかしく動く。
 どくん。心臓が、爆発しそうな勢いだ。
 胸元のふくらみに息がかかり、体中にクライヴの声が聞こえる気がする。
 答えを返すように、ルシアはクライヴの頭を抱いた。
 胸を押しつけることになるが、愛しさゆえに羞恥はどこかへ消えていた。
緩く、強く揉まれるふくらみ。
 歯を立てられて甘く噛まれ、しびれてくる敏感な肌。
 感じやすい体にしたのは、愛に不器用な黒魔術師。
 未だ瞳の奥に陰を宿している彼が、こうして触れ合うことで、
 少しでも孤独が拭えるのならば、喜んで身を差し出そう。
 クライヴの温もりを受け止めることが、ルシアの望みでもあった。
 想い合っているのだから、愛し合うことに躊躇いはない。
(この子が驚くかしら……?)
 両脚を抱えられ、足首から太ももまで順にキスが辿る。
 口を押さえて、堪える声。それでも防ぎようがなくて、
 ルシアは、潤んだまなざしでクライヴを見上げる。
「キスして……」
 軽く啄んで、離れる。
 唇が触れあうだけのキスから、段々と深くなる。
 吐息ごと奪われ、絡みつく舌が、ルシアの舌を誘い出す。
 落ちる滴を飲みこんで、互いの口腔を犯した。
 シーツを掴む指を捕えられ、クライヴの手を握りしめた。
 耳朶へ触れた唇で、びくんと背筋が反った。
 耳の裏に沿わせて舌が動き、耳朶を軽く噛まれる。
 快楽の淵に陥落してしまうのなんて、あっという間だ。
「っ……やぁ」
 いきなり、触れられた場所に身をよじる。
 なぞり、掬うように舐められて、熱く疼き始める。
 水音が響く。紛れもなくルシアから奏でられた音。
 肌が、快感ではなく羞恥で震えるようだ。
 早く、中へ入りたくて仕方がないはずなのに、
 ちゃんとこちらを感じさせてくれる。
 欲に駆られているのはルシアも同じ。
 クライヴが欲しい。
「……もう来て」
 ゆらり、指を差し伸べる。
 ルシアは、妖しく微笑んで、足を押し開いた。
「……聖女の面をかぶった女の本性か」
 手のひらが、きつく掴まれる。
 ルシアの脚をより大きく開いて、クライヴは膝を折る。
「っ……あ……はっ」
 鋭く突き上げられ、そのまま動きが止まった。
 どくん。
 意識が、一体になっている場所に集中する。
 荒い息。胸のふくらみが、手のひらに包み込まれ優しく愛撫される。
 指は、繋がった場所の真上にある芽を押しつぶす。
 じわり、広がる快感に、甘い声が、溢れ出す。
 ルシアの中で、クライヴが、跳ねて自己主張を繰り返す。
 じれったいほどゆったりした行為だとしても、普段以上に感じていた。
 クライヴが、覆い被さってくる。
 緩慢に、動きだした瞬間、自ら腰を動かしていた。
 足がもどかしげに、シーツを滑る。
ぴくぴくと痙攣していた。
 抱きしめられて、まさに抱かれているのだと嬉しくなって、ルシアもクライヴを求めた。
 キスの合間に言葉を交わす。
 甘い、刹那を埋めていく。
「……っ……好き……」
「……俺もそう言っているの伝わるだろ」
「あっ……ん」
 芽に、擦れて、首を仰け反らせた。
 胸の頂が、吸われる。
 幾分長い時間吸い上げられていた。
 疼く場所から、また、蜜がこぼれた。
「どうして……」
「出るかと思って」
「変な人……まだ出るわけないじゃない」
「……そうだな。できるのは今の内だから、思い切り楽しもうじゃないか」
「……クライヴ……っ」
 いやらしく笑い、クライヴは、腰を揺らす。
 子供がいることを忘れるくらい夢中になっていた。
 求め合えるのなら、激しい行為でなくてもいい。
いたわることも愛なのだろう。
 お互いの存在を感じられるのならば。
 二人が、感じた想いはひとつで。
 さらなる高みを目指して、シーツの波間を漂い続けた。
 やがて、奥に熱い飛沫が放たれた。
 キスをしながら、瞳を閉じた二人は共に笑みを浮かべていた。  
   
 ふと、目を覚ましてみると指先に一筋の光があった。
 約束の証が形を取ったものだ。
 ルシアは、毎日毎夜、飽きるほどリングを見つめている。
 クライヴと永遠を誓い、授かった小さな命。
 劇的に生活が変わっていく中で、未来を考える。
 青い光が照らし出す未来を。
 この小さな命はいわば、時空間のハーフ。
 時を越えて巡り会った二人の子供は、いろんな可能性を秘めている気がした。
 考え事に耽っていると隣りから、静かに問いかけられた。
「どうかしたのか?」
 繋いだ手に安堵を感じる。
 注がれる眼差しに不器用な優しさが見え隠れしていた。
 子供ができたことをクライヴが素直に喜んでくれて、嬉しいと思うことができた。
「楽しくて仕方がないんです」
 うふふと笑うと微笑み返す。
 さりげなさがクライヴらしいとルシアはしみじみ思った。
「体は大丈夫なのか……優しくできただろうか」
 不安げな様子に、笑みがこぼれる。
 今更、聞く辺りずれているが、気にかけてくれているのは伝わる。
「ええ、信じられないくらい満たされました」
 ぎゅっと抱き寄せられ、頭を抱えられる。
 額に降りたキスがくすぐったくて、頬を染めた。
「もしも、この先予期せぬ何かが起きたとしても、
 俺はお前とこのお腹の子を守るから」
 クライヴはルシアの腹部に手を置いた。恐る恐る撫でる。
「……はい」
 ルシアは、瞼を伏せた。
 優しい仕草とは裏腹に苦味を帯びた声音だった。
 不安を煽るような台詞は聞きたくないのが本音だけれど、
 クライヴは、先ほどの夢が現実になることを恐れているのだ。
 馬鹿だと笑うことはできなかった。
 それほどまでに思いつめられてしまったのだから。
 彼は弱いけれど、やはり強いのだ。
 同じ夢を見て、自分が正気でいられるかは分からない。
 瞳を閉じたクライヴの髪を撫でて、胸元に寄り添った。
「……おやすみなさい」
 側にいるから安心して眠って。
 私も、貴方を守るわ。
 さらさらと零れた髪が首筋をくすぐる。
 その頬に口づけて、ルシアも眠りに身を任せた。
「クライヴ……?」
 先に目を覚ましたルシアは、違和感を感じ、
 隣りに横たわるクライヴを揺り起こそうとした。
 何度名を呼んでも、彼は瞳を閉ざしたままルシアの声に応えない。
 胸に手を当ててみると心臓の音が聞こえる。
 小さく開いた口から、吐息を吐き出している。
 ルシアは先ほどのクライヴの言葉を思い出して、不穏な予感に自らを掻き抱く。
「クライヴ……目を覚まして! さっきまであんなに愛し合っていたでしょう。
 微笑んで眠りについたのではなかったの」
 ぽろり、頬を伝う涙は、熱くて瞼がじんとする。
 それから、七日が過ぎてもクライヴは目を覚ますことはなかった。
 ルシアは彼の手を握り、空いている方の手で十字を切っている。
 言い知れぬ恐怖から逃れるために。
 クライヴに黒衣を着せかけ、銀の髪も綺麗に整えたけれど、
 氷のように鋭利な美貌が、人形のように見えてルシアは泣いた。
なぜ、あなたは帰ってこないのと、心でつぶやき続けていた。
 
 
16.命の花   18.女神の星冠

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