結界の張られた魔方陣の部屋では、既にルシアが待っていた。
クライヴが授けた愛用の杖をしっかりと握り締め、前方を見据えている。
淀みのない瞳。
結界の張られた部屋は、魔術を使うのには本来不都合な部屋だ。
ある程度力が制限されてしまう為、本来の力を発揮できないのだ。
魔力を抑え、他の部屋への影響を防ぐことができるので
今回の魔術勝負には最適なのだ。
魔力の及ぶ範囲は結界内のみ。
条件に関しては同じだが、魔術師として並々ならぬ力量を持つ
クライヴと、まだ修行して二ヶ月にも満たないルシアでは、
明らかにルシアが不利だ。クライヴは、制限された上で、まだ力を抑えなければならない。
あくまでこれは、ルシアの力試し&クライヴの暇つぶし
の意味合いのゲームだから、通用するのだ。
最初は、退屈すぎてやってられるかという意識しかないクライヴだったが、
今は遊びとはいえ彼女と一戦を交えることに喜びを感じている。
有意義な時間を持てたことに感謝すら覚えているのだ。
楽しくて笑い転げてしまいそうだ。
表面上には出ないが、クライヴはそんな衝動に駆られていた。
怜悧な美貌に最近は甘さが加わった気がする。
ルシアは、今日も今日とてクライヴに見惚れていた。
というより、勝負の前にも拘わらず、彼がじっと見つめてくるのだ。
見つめられたら自然と視界に入ってしまう。
目を逸らしたくても逸らせない。
クライヴは、ルシアの姿を焼きつけようとしていたのだ。
カシャン。
杖を振る。
開始の合図をクライヴに知らせた。
クライヴは、口元を歪ませて剣を宙に掲げて空を切った。
ルシアの目の前に、剣の切っ先を突き出してくる。
挑戦的な眼差しは、俺に勝負を持ちかけたことを後悔するなよと語っていた。
触れるか触れないかの距離で剣を下げる。
息を飲んだルシアが、焦燥に駆られて呪文を唱え始めた。
(少しは強くなったって、認めてくれる?)
瞳を閉じて呪文を唱え始めたルシアの動向を見守るクライヴ。
杖から放たれた魔法が、クライヴに向かってくる。
緑と赤の入り混じった、風と炎を合わせた魔術。
焔を纏う風は、クライヴの体に触れる寸前で掻き消された。
彼が、腕を宙に一度翳しただけで。
防御壁を張るまでもない。
ルシアが、クライヴを睨み据える。
クライヴが、剣を一閃すると稲妻が、ルシアの頭上に下りた。
ルシアは杖を翳したが、受け止めきれず衝撃で転倒してしまった。
「ルシア」
クライヴが駆け寄ろうとした時、ルシアは杖を支えに立ち上がっていた。
手を顔の前で振って、大丈夫とアピールする。
力は加減していても、与えるダメージは大きいようだ。
たとえゲーム感覚のお遊びでも、闘いとなれば血が騒いでしまう。
また傷つけてしまうだろう。
逡巡しているクライヴを見透かしたのかルシアは、
「クライヴ、私は怪我くらい構いません……死にさえしなければ。
私が少しでも強くなってるか、見極めてください」
熱くなっているルシアに冷静さを取り戻させなければと
考えるクライヴもまた、彼女の熱気に当てられていた。
「……俺に火をつけてお前も性質が悪いな」
「クライヴに火をつけることができるのは私だけでしょう」
「俺に攻撃しなければ、お前も反撃されることもなかったろうに」
クライヴは攻撃されたら反撃するよう意識に組み込まれているのだ。
「だってこれは勝負ですもの」
ルシアは不敵に笑った。
「そうだな」
クライヴも彼女に負けないほどの不敵な笑みを返す。
ルシアは杖を持ち攻撃態勢に入った。
自分が馬鹿なのは自覚していた。
クライヴの闘う姿が見たかったのだ。
普段は、見せない顔を知りたいと思ったから、
ルシアは、勝負等無謀なことを申し出たのだ。
魔術が上達したのか、見極めてもらうのなら、勝負など
せずとも魔術を使って見せればよいだけだ。
あえて勝負を選んだのは、クライヴの闘う時の様子が知りたかったから。
魔術を教えてくれる時には、見られない、
歓喜に駆られて夢中になった彼を目にすることができて
ルシアは無性に嬉しかった。
予想通り、どんな時より彼は、輝いている。
愛し合っているときよりも、楽しそうなのは悔しいけれど
性(さが)なのだろう。
闘うことは本能なのだ。
命を落さない限り、怪我くらい些細なことだ。
少しでもこの時間を共有したい。
ルシアも闘うことに魅入られてしまっていた。
炎と風の合成魔術は使うのをやめた。
消耗する割りに威力は弱いことに
薄々気づいていたのだが、奇跡に期待していたのだ。
何度も使っていたら、一度くらい大成功するのではないかと。
そんな目論みも失敗に終わり、分不相応な行いだったのだと諦めたのだ。
中途半端な力技をクライヴが見抜いていないはずもない。
一番得意の炎に切り替えて魔術を使うことにした。
お互いの詠唱の声が静寂の中に響く。
同時に繰り出された魔法は、相殺しあう。
威力が弱い方が、強い方に弾かれてしまうのは当然で、
ルシアは、まともにくらう前に、すんでのところで避けた。
荒い息を吐き出す。
ルシアは、疲労を感じていた。
まだ、まだ駄目と気力を振り絞り立ち向かうけれど
爪先で踏ん張らないと立っていられない有様で。
クライヴは闘いの時間を過ごすことで、幾分冷静さを取り戻したらしい。
消耗していく姿をクライヴはこれ以上見ていたくないと感じていた。
勝負という名を借りた不毛な遊びにけりをつけなければ。
ルシアをいたぶっても楽しくも何ともない。
「気がすんだだろ」
クライヴは憂えた顔だ。
「……嘘でもいいから攻撃を受けた振りをしてくれてもいいのに」
悔しそうなルシアにクライヴは、腕を振り上げて、
証明するように左肩の生地に穴が開いていることをルシアに見せた。
「一撃与えられたな」
フッと笑うクライヴにルシアは、目を瞠る。
信じられないことを確かめるように、クライヴの方に歩いてきて、傷を受けた左腕に指先で触れた。
「本当だ」
ルシアは、自分が彼に攻撃を与えたことを実感していた。
「よくやったな、さすがに防ぎきれなかった。
ほんのかすり傷だが、確かにお前の攻撃は俺に当たったんだ」
「……そうですよね」
ルシアは戸惑っている。
本当にクライヴに一撃を与えられた。
「もう茶番は終わりにしようか。
これ以上続けたら余計手荒な真似をしてしまいそうだ」
真実味が伝わってきてルシアはぞくりとした。
怪我をしても構わないと思っていたが、やはり恐怖を覚えたのだ。
クライヴは、よほど闘うことが好きなのだろう。
けれど今のルシアの力では、彼の満足する勝負はできない。
もっと実力をつけなければ。
「ルシア、お前はこの先魔術は使うな」
ルシアは、困惑した。
クライヴの低い声が、恐ろしく感じられた。
「……え」
「最初は気まぐれで魔術を教えたつもりだったが、
今は柄にもなく少し後悔しているよ。
自分が魔術を使えるようになったのが面白かったお前はのめりこんでいく。
黒魔術は危険だと言い聞かせたろう。
認識はしているとは思うが、はらはらするんだ。
俺の目には自分の限界も考えず魔術に没頭しているように見える。
魔術師にならずともお前は俺の側にいればそれでいい。
引き返せなくなる前に、魔術師もどきからは足を洗え」
一気に捲くし立てたクライヴにルシアは、瞳を揺らすばかり。
「私、あの……」
「お前は何の為にここにいる? 俺の物であるなら意に従うべきだ」
クライヴの口調は、淡々としていた。
卑怯な物言いだ。こんな言い方しかできない自分を自嘲する。
「……はい、クライヴがそう言うのなら従います」
ルシアの声は不自然なほど震えている。
「……ルシア」
クライヴはそっと抱きよせた。
「俺じゃなかったら有能な黒魔術師に育て上げただろうに」
魔術を教えた師としてよりも、男としてルシアのことを
見つめていたクライヴは、魔術を使う必要性のなさを彼女に分からせたいのだ。
「クライヴ?」
「折角僅かの期間であれ程までに腕を上げたのに魔術を止めろというのは酷だし
勿体無いとも思うんだが……お前が無茶をして消耗するのは
見ていられないし、許容できない。
自分の愛しい女が疲弊して傷ついていく姿を黙って見て見ぬ振りができるわけないだろう!
お前は、魔術を使う必要などないんだ」
哀願にもとれる切ない響き。
「私、傷ついてなんかいないわ……」
ルシアから漏らされた呟きは、クライヴの耳に酷くあどけなく届いた。
きっとこれは最後の抵抗。
「何の為に魔術を使う。単なる暇つぶしか」
棘のある台詞とは裏腹に子供をあやすように優しかった。
ルシアは、勝手に溢れてくる涙を止められない。
ふるふると首を振る。
「違うわ。ここにいるって……魔術師ライアン・クライヴの傍に
存在してるって実感したかったの。
最初は退屈しのぎだったけれど……」
一旦言葉を途切れさせたルシアは、口調を変えて続きを話し始めた。
「楽しかった……って言ったら怒られちゃうかしら。
あなたも不謹慎なのだから同じですよ?
生きてるって強く感じられたの。魔術って結構気力も使うし
神経を集中させないと使えないでしょう。
何かにここまで夢中になれたのは初めてだったから。
充実した日々を過ごせてクライヴに感謝です」
語尾にハートマークが飛んでいそうだ。つまり口調が弾んでいるのだ。
お茶らけているがルシアの本心なのだろうか。
生真面目の度が過ぎるクライヴは、半信半疑だった。
「お前を振り回しているな」
「自覚がある分、ましです」
言いきったルシアにクライヴは悪魔の笑顔になった。
「負けた場合のことを覚えてるんだろうな」
「な、何でしたっけ」
「惚けたつもりか。まあいい、体に思い知らせてやる」
くくくっと不気味な声を上げたクライヴにルシアは大げさに身を震わせた。
抱きしめる腕が強くなり、ルシアは体をくねらせる。
逃げ惑うように反らせた体は、強引な男の腕に捕まえられてしまうのだ。
「ルシア」
「……ゃっ」
に明らかに感じている顔で抗うルシアにクライヴは煽られる。
引力に逆らえるはずもない。
互いに欲しているのに、つれない素振りで相手の反応を窺がっているだけ。
「……クライヴ、お願いがあるんです」
クライヴは、微妙な加減でルシアに刺激を加えてゆく。
次第にくたっと体から力が抜けていくのにほくそ笑んでは、
じれったい愛撫を続ける。
「何だ」
耳たぶに唇をつけて直に息を吹きかければ、
震える指先がクライヴの袖を掴んだ。
「魔界に連れてってください」
10.君の瞳に映るもの 11−2
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