「っ痛…」
「やっと起きたか、馬鹿永禮」
痛みで目覚めてみれば、自分を馬鹿にする言葉がまず聞こえてくる。
痛みを堪えて起きてみれば、隣にはα一人。
「…悪かった」
出てくるのは、謝罪の言葉だけ。
…守れなかった。
守らなければならない少女を。
θを守る。
それが契約内容だったのに。
それが、旅を共にするための条件だったのに。
(解雇されても、文句は言えないな)
目の前の少年は他人にも、特にθを守ることに関しては、完璧を求める。自分はそれに応えることが出来なかった。
覚悟を決めて、雇い主の言葉を待つ。
「動けるか?」
少しの沈黙の後、雇い主は口を開く。
「あ?…あぁ」
予想外の言葉に戸惑いながらも、自分の体の状態を確認してみる。
一番酷い腹部の傷以外は、どれも大したものではない。
その傷も、とっさに急所を外した為、動けないことはない。
「動けるなら、Σと共にθを取り戻してこい」
「…お前は行かないのか?」
意外だった。
彼なら、真っ先に妹の救出に向かうと思っていた。それこそ、自分が目覚めなくても。
放っておいて、動きそうなのに。
「今、俺が動いたら」
今まで焚き火を眺めていたαがゆっくりと自分に視線を合わせた。
「俺はあの男を殺すから」
いつもは迷いなんかない目が。
今は迷いでいっぱいで。
「θの目の前であの男を殺すことになっても、それでθが壊れることになっても、今の俺はあの男を殺してしまうから。…それだけは、θを悲しませることだけはしたくないから、俺は行かない」
自分の暗い望みと。
妹の変わり始めた心とを。
天秤にかけて。
自分の望みを押し込めて。
ふと、彼の手を見れば。
これ以上はないと言うほど強い力で杖を握っていて。
「どの位の傷を負わせてくれば、いい」
そんな彼は年相応に見えて、少し安心する。
「俺は、θと出逢ってまだ日が浅い。俺のイメージなんて、いくらでも作り直せる。だから、雇い主。お前の希望はなんだ?殺しはしないが、それ相応の怪我は負わせてやる」
「…真正面から斬り結んでこい。ぎりぎり、死なない程度にな」
無表情だった彼に笑みが浮かぶ。
いつも通りの、見慣れた、自信に満ちた笑み。
「請けた。θは無傷で連れ戻す。あいつは死なない程度に叩っ斬る」
剣を抱え、立ち上がる。
「Σも連れて行けよ。お前一人じゃ危なっかしい」
杖を自分の脇に放り投げる。
ちりん。
と涼やかな音が響く。
「了解。じゃぁ、行ってくる」
「あぁ」
立ち上がった自分を見上げ、いつも通り簡単な言葉で送り出す。
「…帰ってきたら、教えてやる。俺達のことを」
彼に背を向けて歩き出した途端に、そんな言葉が投げ掛けられた。
「まぁ、お前の脳味噌で理解できるとは思わないが。…知りたいんだろう?」
前半の馬鹿にした口調とは全く違う、真剣味を帯びた口調。
「頼むから、俺が解る様に説明してくれよな」
何を知らされるのか、全く検討がつかない。
もしかしたら、とんでもないことを告げられるかも知れない。
でも。
それでも。
(俺はココにいるって決めたしな)
好きな人がいる。
守りたい人がいる。
どんなことがあっても。
彼等が何者でも、
自分はきっとココにいるだろうと、思う。
雇い主の苦笑を背中に、θ奪還へと向かった。
「逃げても、構わない」
マリアとクレトはまだ戻ってこない。
二人きりで、彼はソファに座り、θはベッドに腰掛ける。
「怒られないの?お仕事、なんでしょう?」
彼の言葉に驚くことなく、θは不思議そうに尋ねる。
「何とでも言える。逃げないのか?」
「逃げなくても、来てくれるもの。だから、もう少しだけ、ここにいるの」
θの言葉は仲間への信頼感という軽い言葉では言い表せない、何かがある。
「…随分と信じているんだな」
「だって、私には信じることしか残っていないもの」
当たり前のように言われる言葉。
「お前は…」
「来たわ」
二人の言葉が重なる。
θの視線はドアに向けられ、ベルグの視線も同じ方向へと移る。
部屋に近付いてくる足音。
「私、帰っても良い?」
廊下が軋む音。
「あぁ、迎えが来たからな。だが」
ドアノブが回る音。
少し軋みながら、ドアが開き、
「θ!!」
聞き慣れた声。
部屋へと足を進める永禮とΣにベルグは銃を向ける。
「簡単には、返せない」
「それなら、無理矢理奪うまでだ」
ベルグの手が銃の引き金に掛かった瞬間、永禮が動く。
銃を撃たれる前に。
こちらから一太刀。
殺らなければ、殺られる。
それは本能に近い感覚で。
この男の実力は知っているから。
可能な限り早く片を付けたい。
敵の懐に入り込み、下から、一気に斬り上げる。
肉を斬る感触。
剣を持つ手に嫌な感触が残り、血の匂いが部屋に溢れる。
未だに好きになれない瞬間。
好きになってはいけない瞬間。
「…っ!」
カシャン。
と、銃が落ちる音が響く。
斬られた傷を片手で押さえ、ベルグはソファに座り込む。
「θ、こちらに来てください。…一緒に帰りましょう」
視力の無いΣはある程度の状況は理解しているが、今の永禮の表情、ベルグの傷の状態を知ることは出来ない。ただ、躊躇いがちにθに手を差し伸べる。
「…」
θが歩き出す。
永禮が安堵の溜め息を漏らす。
が。
「…大丈夫?」
ソファから床へと血が流れ落ちる。
その上に座り込み、ベルグを心配そうに見上げるθ。
「…汚れる…」
彼女の白い上着が赤く染まり始める。
それを咎める様に、ベルグは声を絞り出す。
「構わないの。…ベルグは、大丈夫なの?痛くないの?」
θの真剣な表情と、心配そうな声に永禮もΣも彼女を呼ぶことが出来ない。
「…大丈夫だ…、だから、逃げろ…。帰れ」
傷口に手をやる少女を仲間の元へと押し出してやる。
「…逃げてくれ」
その言葉はθにしか聞こえないような小さな声で。
θは小さく頷いて、立ち上がった。
「θ、帰るぞ」
永禮の差し出した手を、取る。
部屋を出て行くその瞬間、ベルグを見つめる。
ソファに座り込んで、傷口を押さえていて、痛みに耐えている様に見えた。
足を止めそうになったが、そうしたらきっと永禮もΣも困ってしまうからと、θは静かに歩き出した。
そして。
ドイルの一角にある宿屋に待機していたαは。
血だらけで戻ってきた妹に驚き、永禮とΣを問い詰め、妹の血ではないと解ると、心底安心した様に妹を抱きしめた。
Σがθを浴室へ連れて行くその間に、永禮は見てきた状況を説明し、αは満足気に、しかしどこか複雑な表情を浮かべた。
そして、更に二時間後。
それぞれの部屋に戻り、ベッドに寝転ぶ。
「痛っ・・・」
傷の痛みを抱えながら、
永禮は一人考え込んでいた。
あの時、あの男に銃を向けられ、本能で斬り結んだが、銃が落ちた時の音から考えて弾が充填されていなかったと、気付いた。
つまり、彼は故意に自分たちに空砲の銃を向け、斬られるように仕向けた。
初めから、θを返すつもりでいたということだ。
「あの男…」
一度本気で戦った相手だ。
自分がどの位の腕なのか、あの男は理解しているはずだ。
それなのに、何の躊躇いも、恐怖もなく、自分に斬られた。
「…くそ…」
言い様のない敗北感を覚え、天井を睨む。
そして、
「誰だ?」
外に人の気配を感じて、起きあがる。
鈍い痛みに襲われる。
それでも、剣を抱える。
ドアが、そっと開く。
「…入っても良い?」
「θ…。どうした?」
珍しい来客に、剣を置き、部屋に招き入れる。
「あのね、聞きたいことがあるの」
ソファに座るでもなく、ただ立ち尽くして、不安そうに永禮を見つめるθ。
「どうした?」
永禮はベッドに座り、θに視線を合わせる。
「…ベルグ、死なないわよね?…大丈夫、よね?」
そう問い掛けてくる少女は本当に不安そうで。
「…あぁ。死にはしないさ。一応考えて斬ってきたし。第一、悪運強うそうだからな、あの男は」
その不安を消してあげたくて。
考えて斬る場所を決めたこと。
一応手加減したことを伝えてやる。
「…良かった…」
自分の言葉に本当に安心した様に微笑むθを見つめ、永禮は複雑な心境になる。
この少女は、敵であるあの男を『特別』に思っている。
それは、あまり歓迎出来るものではないが。
θの微笑みを見ていると、真正面から駄目だとも言えず。
暫くは自分の中だけに留めておこうと、永禮は思った。
少女の変化。
それが、彼等の旅にどんな影響を与えるのか、
まだ、
誰も知らない。