1.
「それにしても――」
 本日何枚目になるか分からない答案用紙に向かいながら、レオンはため息混じりに独りごちた。
 終業のベルは、とっくの昔に鳴り終わっている。休日前ということもあり、家へ帰る生徒たちの足取りも軽く見える。
きっと、頭の中は週末の計画でいっぱいなのだろう。
 そんな中、レオンはただ一人教室に残り、黙々とペンを走らせていた。
「――どうしてこういうことになったんでしょうね?」
「自業自得、でしょ。ほら、口を動かしてる暇があったら、ちゃっちゃと手を動かす」
 レオンの呟きを、監視役であるアメリアは軽く一蹴した。
 表情こそ、いつもの穏やかな笑顔なものの、眼鏡の奥に潜む瞳は笑っていない。
 きっと、彼女の心中は――いや、やめておこう。想像するだに恐ろしい……
 レオンは、思考を再び問題へと向けた。

◇ ◆ ◇ ◆

 そもそもの発端は、午後の授業でのことだった。
「レオンくん、レオンくん!」
 色とりどりの花が咲き誇るなか、暖かい日差しに包まれ、夢心地にいるところを――
 事実、本当に夢のなかにいた訳だが――とある声に呼び止められたのだ。
「もうテストの時間、終わってますってば!」
 一気に現実へと引き戻された。
 慌てて顔を上げると、声の主である級友のカイルが、困ったような、それでいて、心底同情するような表情で見つめている。
 当然というか何というか、答案用紙は真っ白。
 廻りの失笑が耳に届くにつれ、もう一度あの花畑へダイヴしてやろうか、などという、極めて後ろ向きな思いが、レオンの胸中に広がった。
 せめて、氏名だけでも書いて提出を――と思ったが、それはやめておいた。
 回答の代わりに、よだれで埋め尽くされた答案を出したところで、火に油を注ぐだけだろう。
 そんなどうしようもない生徒を、教師であるアメリアがみすみす見過ごすはずもなく――
 レオンは、めでたく補習授業を受ける身と相成ったのだった。

◆ ◇ ◆ ◇

「――55点。残念ながら一歩及ばず、ね。はい、やり直し」
「またっスか……」
 アメリアの言葉に、がっくりとうなだれるレオン。
 そんなレオンの姿を見ながら、アメリアは、人差し指を口唇に当て、うーん、と小首を傾げた。
「レオンくん、基礎学力は充分あると思うんだけど……もう少し問題文をじっくり読まないと、ね」
 レオンの弱点。それはまさに「ケアレスミスの多さ」にあった。
 分岐問題に、これでもか、というほどあっさりと引っ掛かる。
 ○×問題に至っては、問題文もろくに読まずに飛び込んで、すべて逆を選んでしまう始末。
 そのせいで、悔し涙を飲むことも多々あることだった。
「さぁ、気合い入れて! ファイト、ファイト!」
 いつの間にか、アメリアの顔つきは幾分緩んできていた。
 不合格を繰り返しながらも、投げ出したりせずに、真面目に問題に取り組んでいるレオンを見直したのか。
 それとも――ただ単に呆れているだけなのか。
「……ねぇ、レオンくん?」
「何スか?」
 アメリアの問いに、ひたすらペンを動かせつつ、レオンが答える。
「レオンくん、よくあたしの授業を選択してくれてるよね。どうして?」
 必修科目こそあるものの、基本的には、授業の選択は生徒の自主性に委ねられている。
 そんな中、レオンはしょっちゅうアメリアの授業を受けていた。
 ――もっとも、その割には、今日のような失態を晒してしまうあたり、レオンらしいといえばレオンらしいのだが。
「そりゃあ……俺、ノンジャンルは苦手だから克服したいし……それに……」
「それに?」
「あ、な、なんでもないっス! なんでもないっスよ、あは、あははは……」
 思わず動揺してしまうレオン。アメリアは、眉をひそめながら、変なレオンくん、とだけ呟いて、窓の外へと視線を移してしまった。
 そんなアメリアの姿を横目で確認すると、レオンは冷や汗を拭うそぶりをしながら、安堵のため息をついた。

『「アメリア先生の笑顔が見たいから」――なんて、本人の目の前で言えるかよッ!』

 ――などと、胸中で呟きながら。


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