許し許されること

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 レストランのメニューを睨め付けながら、フリックはこれからどうしたものかと思い悩んだ。そもそもふたりで会話をしたことがない。解放軍に関することならいくつか言葉を交わしたが、それにしたってふたりきりというわけではなかった。間にマッシュやビクトール、クレオを挟んでいた。普段ならば気にしなかったろうが、ふたりで話してこいと言われたせいで妙に意識してしまう。
(一体何を話せばいいっていうんだ)
 唸って髪をかきあげる。途端に目の前のスィンと目が合った。唸り声にか、怪訝そうな顔をしている。
「決まらないのか?」
「あ、いや……決まった」
「そうか」
 スィンはメニューを閉じる。決まっているのかと思ったが、フリックの注文するのを待ち、「同じものを」と簡単に頼んだ。
「決めてたんじゃないのか?」
「たまたま同じものだった」
 スィンは淡々と応えると、水差しから水を注ぎ、フリックに渡す。
 どこか嘘くさいなと思いながらも、言及するほどのことでもない。フリックは礼を言ってグラスを受け取った。
「まさかフリックから食事に誘われるとは思わなかった」
「ああ……」
 俺も思わなかった、とフリックはひっそり心のなかで頷く。
 もっと親睦を深めるべきだ。それは、当然だとフリックも思う。立場としては向こうはリーダー、こちらは副リーダー。上の不和は、軍全体の士気にも関わる。
「何か話でも?」
「いや、なんだ、……たまにはいいかと思ってな」
 誤摩化すように早口で応えると、スィンは肩を竦めた。「そうだな」
「マッシュも気を揉んでたみたいだし」
「え……っ」
「頼まれたんだろう?」
 そうだとも違うとも言えず、フリックはぱくぱくと口を開けては閉め、ぐたりと椅子に沈みこんだ。すっかり見透かされている。
 ビクトールなら、それこそもっとうまくやっただろうに。悔しいが、ビクトールのそういう立ち回りのうまさを、フリックは認めている。深く息を吐くフリックを見て、スィンはくすくすと笑った。
「それくらいは分かる。みんなに気を使わせて、申し訳ないとも思う」
「それなら飯くらいはしっかり食え」
「食べてる。食べなきゃ動けないと分かっているから」
 スィンは笑う。その顔を見ながら、痩せたなとフリックは思った。
 もともとそんなにまじまじとスィンを見たことがあったわけではない。一番しっかり見たのは、それこそ初対面の時ではないだろうか。帝国将軍の息子という肩書きに不安を覚えた。敵に回る可能性があるのなら、早くに対処すべきではないかと。
 けれどただの子供だった。帝国を追われ、騙されるようにして帝国に敵対する自分たちのアジトに連れてこられ、戸惑っているだけの子供。まだ幼さやあどけなさを残したまま、瞳は不思議な色をたたえていて、妙に敵意を削がれたのを覚えている。
(子供、か)
 あの頃のあどけなさは、時間が経つに連れて削ぎ落とされていった。特に何かが成長したというわけではないのだろうが、戦争が始まり、精悍さを纏っていった。武器を持たせれば、おそらく今の軍内では誰も敵うものがいないだろうし、誰もがもはや彼をリーダーだと認めている。――だからふと、忘れてしまう。普通の子供だということを。
 普通の。
(いや、)
 ソニエール監獄での出来事を思い出す。グレミオがひとり部屋に残った後、スィンは何度も扉を叩いた。誰も止められなかった。扉が開かないと――どうしても、助けようがないのだと誰もが悟ったとき、スィンは一際強く扉を殴りつけた。クレオが掠れた声で呼んでも振り返らず、強く扉に拳を押し付けていた。唇を噛み締め、青い顔で扉を睨みつけていた。
 ただひたすら、扉の向こう側を求めていた。
 助けが来たとき、マッシュがスィンの手袋が血に濡れていることに気づいた。何があったのか問う声に、スィンは「グレミオが」とだけ応えた。それだけだった。
 泣かなかった。
 残されたマントや斧を見ても泣かなかった。何かに責任を求めることもせず、何かを呪うことも弱音も吐かず、険しい顔で、拳を握りしめていた。
 そうして今も、変わらずに背を伸ばしている。
(普通、にできることじゃないな……)
 スィンは沈黙に疲れたのか、視線を横にずらした。もしかしたら、向こう側にしてもこちらとどうコミュニケーションをとったらいいのか分からずにいるのかもしれない。そう思うと、少しフリックの気が楽になった。そうしてふと、フリックはスィンが右手の甲を摩る仕草に気づく。
「痛むのか?」
「え?」
「手。けがをしてただろう」
 スィンは暫くフリックの顔を見つめた後、「ああ」と漸く問いかけを飲み込んだ。
「もう、とっくに。大したけがでもないのに、紋章まで使ってもらったから」
「そうか。――そういえば」
 不意に思い出して、フリックは再度スィンの右手を見た。「何か紋章を宿してるのか?」
 あのとき、助け出された後、クレオは悲痛な顔でスィンの手袋を脱がせて手当をした。手袋の下にちらりと何かしらの形を見たことを覚えている。
 スィンは少し黙り込んでから、低い声で頷いた。左手で右手を押さえている。
 雰囲気がおかしいことを不思議に思いつつも、フリックは何の紋章なのかを訊ねた。スィンは眉根を寄せ、何かを考える様子でフリックを見つめた。その視線の強さに居心地が悪くなり、フリックは身じろぐ。
「な……何だよ」
 「いや……」スィンはふっと軽く息を吐き、肩から力を抜いた。投げやりに椅子に背を凭れさせた。
「ソウルイーター」
「……聞いたことがないな」
「呪われた紋章だそうだ。あまり詳しいことは、僕も知らない」
 呪いとはまた穏やかな話ではない。フリックが顔を顰めると、スィンは右手に被せた左手の力を強くしたようだった。「最近分かったことが、ひとつ」
「? 何だ?」
「これは、人の魂を喰らって力を得るのだということ」
 スィンの視線が、すっとフリックの瞳を捕えた。フリックは軽い既視感に囚われた。この瞳の色を、何と表現したらいいのか。ただ黒というのも違う、懐かしさを覚える色。
 この色を、自分は知っていると思った。
「オデッサさんは、ここにいる」
「……な……に?」
 何を言われたのか。フリックは一瞬分からなかった。
(オデッサ……?)
 スィンは無表情で、フリックを見ていた。何を考えているのか分からない。そもそも自分のなかで言葉が整理がつかない。会話するようになどということはフリックの頭からとうに飛んでいた。むしろ少し黙ってほしいとさえ思った。
 けれども、スィンは再び口を開いた。
「ここにいるんだ」
 気がついたら、フリックはスィンの襟首をつかみ上げていた。
 周囲の驚きの声も、床に落ちたグラスの割れる音も耳には届かない。
 指の感覚はなかった。まるで首を絞めるように、強く力をこめていた。
 それでもスィンは、無表情のままだった。


2011.05.28


1のレストランてどこにあるのだろう……。

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