『クリスマス』by木登りブタさん



 

12月に入って久しぶりの休日。
今日は朝から、みんなでクリスマスの飾り付けをした。
風茉君と私。ママと寿千代君とさよちゃんと、鋼十郎さん。
ママったら、ずっと寿千代君とさよちゃんをからかってる。
「なんだか、ちょっと前の俺たちを見てるみたいだ。」
風茉君が私に耳打ちする。
ほんとだね。お互いに好きあってるのはわかるのに、なんていうか、ぎこちない。
「でも、風茉君の方が積極的だったよ。」
「そりゃ、俺はお前を振り向かせる自信があったからな。好かれてる自信はなかったけど…。」
ほら、その星てっぺんだろ、なんて言って手を伸ばす。
この数ヶ月間の間に風茉君の身長は急激に伸びた。
それに、表情も少年から青年に、なんていうか、引き締まってきた感じ。
初めてのクリスマスのことを考えていると、ポンと頭を小突かれた。
「おい、なにボォっとしてんだよ。疲れたのか?」
「ううん、確か初めてのクリスマスはここで一美ちゃんが乱入してきたなぁ…とか、思い出してた。」
ソファに座った風茉君が、隣を叩いて手招きする。
いつのまにか、部屋は私たち2人きり。
もしかして、気を利かしてくれたのかな?なんだか照れくさい。
私がソファに座ったとたん、風茉君が膝に倒れてくる。
膝枕。
「あー、明日からの出張めんどくさいな。なんで俺が九鉄の仕事振りを査定しなきゃいけないんだよ。」
「ふふ、仕方ないじゃない。一美ちゃんと叔父さん、お互いの妥協案だもん。最終審査なんでしょ?」
前はあんなに強がっていた風茉君が、私だけに甘えてくれる。
私も、前みたいに意識せずに、自然に受け止めることが出来る。
もちろん、逆のこともあるんだけど。
お互いのことを深く知ってから、本当に幸せ。
無理せず背伸びせず、素の自分を見せ合っている感じ。
ちょうど天秤がつりあっているような、パズルが出来上がったときのような、
すごくしっくり来る感じ。
こうなれたのも、九鉄さんと、一美ちゃんのおかげだな。
クリスマスに、何かプレゼントしようかなぁ、なんて呑気に考えていたら久々の台風がやってきたの。

□ □ □

血の気が引くって、こういうことを言うのかしら。
もちろん、過去のことだと割り切らなくちゃいけないのはわかってる。
でも、…でも、
どうして、こんな不安なときに追い討ちをかけるのよ。
どうして、すぐに弁解できるところにいないの。
…どうして、…どうして。
………………。
どうして、私は鉄と16歳も離れてるんだろう。
ダメよ、一美。
最高責任者がプライベートな問題を現場に持ち込んじゃ。
特に、この忙しい年末に、スケジュールを乱すわけにはいかないもの。
そうして、自分に言い聞かせてきたけど、もう限界。
鉄のところに言って、問い詰めてやりたいけどいろいろ可能性を考えすぎて、怖くなっちゃった。
わかってるの、私は弱虫だから自分のことは誰かに背中を押してもらわないと…。
お父様の提案でNYで社長業見習をしている鉄は、クリスマスに帰ってくる。
それまでに、気持ちを決めなきゃ…。
いろいろ不安な考えが頭を支配する。
誰かに、この気持ちを聞いて欲しい。
気が付くと、私は風茉の屋敷に向かっていた。
そこで見たのは、今の私の心境とは正反対の2人の姿。
5年前と変わらない、仲のよい風茉と咲十子ちゃんだった。
私に気づいた咲十子ちゃんの微笑をみた瞬間。
それまで必死にこらえていた不安が、一気に溢れ出した。

□ □ □

部屋に入ってくるなり、一美ちゃんは泣きっぱなし。
何か、話したいことがあるみたいだけど、言葉を発しようとすると嗚咽に遮られる。
「おい、なにがあったんだよ?仕事のトラブルか?親父と喧嘩したのか?」
風茉君がなだめても、首を振るばかりで、ついに、その場に座り込んでしまった。
私と風茉君は、顔を見合わせてただ事じゃない。と確認しあった。
そのとき。
風茉君の携帯がなった。
舌打ちした風茉君が電話にでる。
休暇であるにもかかわらず、携帯に連絡があるということはトラブルが発生したってこと。
しかも、鋼十郎さんが連絡せずに携帯に直接かかってくるということは事態は相当深刻なの。
状況を聞く風茉君の眉間に皺がよっている。
泣きじゃくる一美ちゃんを放って仕事に向かうことに躊躇しているみたい。
『私がいるから』
口だけで伝えて、にっこり微笑む。
仕方ないよね。風茉君たちは何万人の責任を背負ってるんだもん。
自分の気持ちを優先できないこともある。
すごく、心配そうな表情のまま風茉君は部屋を出かけていった。
きっと、一美ちゃんも同じ。
九鉄さんは遠くにいるし、子ども扱いされないようにいつも気を張ってるもの。
ここでやっと、本音が出せたんじゃないかな?
一番、聞いて欲しい九鉄さんが遠くにいるんだもん。
そう思うと、一美ちゃんの切なさがすごく伝わってきた。
そうだよ、いつも学校で接している中学生と一美ちゃんたちは同い年なんだもん。
そばによって、泣きじゃくる一美ちゃんを抱きしめる。

□ □ □
咲十子ちゃん、暖かい。
私が泣きじゃくる間、ずっと、抱きしめててくれた。
落ち着いてきたところで、あったかいミルクティーをもって来てくれた。
私、何してるんだろう。
こんな私だから、子どもだって言われるのね。
呆れられても、同情されてもいい。
この不安な気持ちを聞いて欲しかった。
そして、そんなことを話せる人は咲十子ちゃんしかいなかった。
「…今日ね、鉄の知り合いが訪ねてきたの。」
あの衝撃の瞬間を思い出しながら、ポツポツと話した。
その人はとても、綺麗で色っぽい人だった。
完全な女性という感じ。
取引先の社長令嬢で、そのブランドのデザイナーなので名前は聞いたことがあった。
実際のその人は、凛としていて、何か一本芯が通っているような印象。
かっちりしたスーツ姿なのに匂いたつような色気を感じた。
私が目指している鉄の隣にいても恥ずかしくない人のイメージにぴったりだった。
その人は、私を見ると、一瞬驚いた顔をして微笑んだ。
「はじめまして、九鉄さんの若紫さん。以前、九鉄さんに親しくしていただいたんです。
このたびはご婚約されたそうで、おめでとうございます。」
言外に匂う2人のかつて関係。
今まで鉄に恋人がいなかったなんて思ってはいなかったけれど、現実を突きつけられた気がした。
精一杯の虚勢を張る。
「ありがとうございます。残念ですけど、藤田はただいまNY支店へ行っておりますので…。
ご挨拶に来ていただいたことは伝えておきますわ。」
コーヒーカップをもつ手に金の鎖がゆれる。
一つ一つの動作に、心が乱される。
「いいえ、お気使いなく。ただ一美さんにお会いしたかっただけなんです。
彼、いいえ、藤田さん。があなたのことをよくお話になってたから。
私の想像どうり。藤田さん綺麗な黒髪がお好きだから、
きっとあなたも綺麗な黒髪の美少女だと思っておりましたの。
また、直接お会いしてご挨拶いたしますわ。もちろん2人きりでは会いませんので、ご安心なさってね。」
疑惑は確信に変わった。この人は鉄の恋人だったんだ…。
私の脳裏に、腕枕した鉄の手が、私の髪を弄る感触が浮かんだ。
―一美の髪って上等のシルクみたいだ。―
同じことを、この人にもしていたのだろうか。
彼女もまた、綺麗な黒髪の持ち主だった。
こんな、綺麗な大人の女性と私では、どうしたって私のほうが劣ってしまうにきまっている。
咲十子ちゃんに話を聞いてもらうまで、私を支えていたのは仕事に対する責任感だけだった。
まるで、自分は機会のように目の前にある仕事をかたづけていった。
心の中では、九鉄のことばかりを考え、不安になりながら…。

□ □ □

もうすぐクリスマス。…か。
帰宅途中のイルミネーションがにぎやかだ。
世界中、この時期になるとクリスマス色に染まる。
思い浮かぶのは、日本にいる一美のことばかり。
高層ビルの最上階にあるペントハウスで1人きり、これまでの思い出を反芻してすごしてきた。
一美には寂しい思いをさせているし、今年のクリスマスは気張るかな。
イヤって言うほどベタベタに、レストランで食事をして夜景の見える部屋をとって…。
花と指輪の一つでも…。
指輪、、はちょっと、気が早いかもな。まぁ、アクセサリーの一つでも準備して、っと。
いつもに比べせわしない感じのする雑踏を車の窓から眺め、じわじわ沸いてくる幸せをかみしめる。
俺にとって、初めてのクリスマスだ。
思っている人と自分が同じ気持ちですごすクリスマス。
いままで、適当な相手と妥協した時間を過ごしてきたことを考えれば、天と地ほど違う。
耳に入るたびにいらついていた、クリスマスソングが今は気持ちを高揚させている。
まさか、この俺がこんな気持ちにさせられるなんてな。
やっぱりあいつはただものじゃねーや。
俺はすっかり純情少年に戻っちまってる。
クリスマスがこんなに待ち遠しいなんて、数年前では予想もできないな。
知らず知らず口ずさんでいたクリスマスソングに、一人テレながら、
無意識でマンションのオートロックを解除し、エレベーターに乗り込む。
このエントランスに入った瞬間から、俺の頭は期待に支配されている。
ペントハウスのドアをあけ、わき目も振らずにパソコンに直行する。
そう、一美から毎日届く画像メールを見るために。
だが、どういう訳か、今日のメールは届いていなかった。

□ □ □

「お客様、申し訳ありません。まもなく離陸いたしますので座席を元にお戻しください。」
浅い眠りから俺を起こしたのは、咲十子ではなく作り物のように整った笑顔の客室乗務員だった。
こいつも内心面白くないのに、よく笑えるよな。
俺はすごく腹が立っている。
それも当然だ。
ここのところの咲十子ときたら、毎日一美、一美で本当につれない。
しかも、秘密の話だか、特訓だか知らないが、鋼を使ってまで俺を遠ざけてる。
それもこれも、グループ総代表たる俺が、わざわざ!査定する人物のせいだ。
九鉄。
あいつの過去の女性関係がどうやら関係しているらしい。
俺の持論は、過去のことは過去のこと。そりゃあ、面白くはないが。
重要なのは、お互いを信じて思いやれることだと思っている。
だから、一美がこれしきのことで傷つくのも、
九鉄がこれしきのことで揺らぐほどにしか一美を安心させてやれてないのも、二人唐フ責任だ。
人事だから、そう思えるのかも知れないが、俺にとっての最重要課題は、咲十子がこいつらの問題に巻き込まれていることだ。
変なことに感化されてなければいいけど。
ため息と同時に飛行機が滑走をはじめた。
とりあえず、NYについたら九鉄にしっかり説教してやろう。そして、一美に大きなプレゼントを持って帰ってやるかな…。
この春の咲十子との一件では、借りがあるしな。
何より、俺と咲十子の時間を削られるのはごめんだからな。
しっかり、くっついておいてもらわないと。ほんとに世話の焼けるヤツラだ。
ピンポン♪本日は、日本航空000便をご利用いただき、ありがとうございます。
       機長は山口、客室乗務員は………。
機内放送を聞きながらシートベルト着用ランプが消えたのを確認してシートを倒した。
ここ数日の揉め事のせいで、寝不足だったので本当に沈むように眠りについた。
柄にもなく、心の中で咲十子におやすみ。といいながら。

□ □ □

今日から風茉君はNY。
結局、一美ちゃんを心配して出発を3日ずらして、それでも渋々空港に向かってた。
本当に優しいな。風茉君。心配で仕方ないんだね。
でも、この話は他の誰にも聞かれたくないもん。
一美ちゃんの話を聞くまで考えてなかったけど…。私も、一応、年上だし…。
クリスマスまでに色々、一美ちゃんに教えてもらってこれまでの挽回しなくちゃ。
一美ちゃんの告白を聞いた夜。
あまりの内容でくらくらしそうだった。そして、気づいたこと。
私。Hの時、風茉君に何もしてあげてない…。
一美ちゃんの赤裸々な話を聞くと、恥ずかしさもあるんだけど
自分が受け取るばかりだったことに気づいて呆然としてしまった。
「鉄は本当に私で満足してるのかなぁ?
…上になったときにね、好きに動いていいよって言われても、その、気持ちよすぎて動けなくなっちゃうし…。」
(何?それってなんで一美ちゃんが上になるの?)
「後ろからするのも恥ずかしくてイヤだって言っちゃうし、
全部見られちゃってるのに、いまだに明るいところは苦手だし…。」
(え?後ろ?明かりをつけたまま?)
「それにね、普通にキス、するだけでも、気づいたらされるがままになっちゃうの。
気持ちよくしてあげたいと思うんだけど、、すぐに夢中になっちゃう。」
(そんな、私、いつも、されるがまま…。)
「きっと、大人の女の人だったら、余裕があるから相手も気持ちよくさせてあげれるよね。
…夏に鉄のところに行ったときにね…、口でしてあげるって言ったんだけど、
『お前はそんなことしなくていい』っていわれちゃった。」
(そうなの?それじゃあ私、全然風茉君を満足させられてないの…。?!口??!!口でするって、、。)
「咲十子ちゃん、どうしたら私、鉄にずっと好きでいてもらえるのかな?
本当にこいつで良かったって思ってもらえるのかな…。
ただでさえ、婿養子とか後継ぎとか面倒くさいことがたくさんあるのに、…どうしたらいいの?」
あの、冷静な一美ちゃんが矢継ぎばやに言葉をつむいでた。
きっと内容なんて十分の一も把握してなかったと思う。
それでも、九鉄さんを大好きな気持ちと、だからこそすごく不安な気持ちは痛いほど伝わってきた。
でも、それよりも、私にとってはHの内容が衝撃的過ぎて、思わずトンチンカンなことを言ってしまった。
「一美ちゃんの方が、私よりよっぽど大人の女性だね。
私、まだ相手のことを考えて動く余裕なんてないもの…。」

□ □ □

今日は私が咲十子ちゃんに、クリスマスディナーの作り方を教えてもらう日。
泣き喚いた日から一週間。
もう少しで鉄が帰ってくる。
鉄がNYに行く前に使っていたマンションで2人きりで過ごそう。
私が鉄のために、頑張ったところを見てもらおう。
そう決めて、毎日咲十子ちゃんの特訓を受けてる。
私が喚きたてたことを受けて咲十子ちゃんが言ったこと。
すごく、胸に響いた。
『どんなに不安でも、どんなに辛くても相手のために頑張ろう、信じよう、自分を成長させようって
お互いに思えることが一番大切。ひとりよがりにならないためにも、ちゃんと話し合うことも大事。
きっと関係がダメになっちゃうのは、相手の行動が原因じゃなくて自分の気持ちが不安に負けるときだよ。』
確かに、そうかも。
ずっとメールでしか会えなくて不安だった。
鉄の声が聞きたかった。
過去のことで揺らがないように、ぎゅっと抱きしめて欲しかった。
欲しい、欲しい、欲しい、欲しい。
鉄にして欲しいことがたくさんあった。
自分も鉄にしてあげたい、私も鉄を喜ばせることが出来るっていうことを忘れていたような気がする。
嫌われるのが怖いから、じゃなくて、喜んでほしいから。
少しでも大人になった私を、見せたいって思った。
年が離れてるって言い訳にしていたのは、自分自身だったみたい。
相手のために自分を成長させたいのは、誰だって同じだもの。
咲十子ちゃんも、風茉のために顔を真っ赤にしながら、頑張ってるし。
私だって負けてられない。

□ □ □

ついた早々、坊ちゃんはイラついている。
そもそも、この査定って、副社長の秘書かなんかが来るんじゃなかったっけか?
おそらく、一美と親父さんがやりあって、中立の立場の坊ちゃんが引っ張りだされたんだろう。
この年末のくそ忙しい時に、申し訳ない気もするが優秀な鋼十郎がどうにかしてくれるだろう。
とっとと、査定して俺を日本に帰してくれ。
ここのところ、一美のメールに画像がついていない。
何かあったのかと、ずっと気になっているのだが、時差を考えると電話もかけづらい。
いつか、咲十子ちゃんには、相手の迷惑を顧みてちょっと強引に。なんていったけど、
なんだか、嫌な予感がした。
「おい、九鉄。お前の元彼女らしき人物が一美のところに宣戦布告に来たらしいぞ。」
これか、嫌な予感。
「あの取引先の社長。お前と娘を結婚させる気だったらしいぞ。わざわざ、お前らが付き合ってるときに俺に挨拶に来た。
それで言いふらしてたらしい、和久寺の腹心と親戚になれるってな。」
あの、箱入りのお嬢さん。何でもお父様にお話してたのか。
「ま、ところがどっこい、お前は一美と婚約しちまうし、親父が言いふらしてたおかげで娘は縁談こないしで、踏んだり蹴ったり。
その腹いせに一美にちょっかい出したんじゃねーか?」
そこまで子どもじみたことをする女には、見えなかったんだけどな。
「お前らしくない、失敗だな。この件はこの前のカリでチャラにしてやるよ。しっかりフォローしろよ。」
確かに、あのころの俺って最悪の男だったからな。
一美の身代わりに何人もの女を使ってきた。
その報いを一美が受けてしまったと聞いて、胸が痛む。
我ながら本当に最悪な男だと思う。
その胸の痛みは、彼女達への罪悪感ではなく、一美の不安を心配するあまりに起きているから。
一刻も早く、日本に帰りたい。
一美を抱きしめて、安心させてやりたい。
今まで抑えてきた気持ちが、堰を切って溢れ出した。
きっと泣きはらした顔を見せないために画像を送らなかったのだろう。
文句も言わずに、いつもと同じように元気付けるメッセージを送ってくれた一美が愛しい。
もう、何も迷うことはなかった。
ブレスレットは取りやめにして、至急、指輪を用意してもらおう。
ここまで、ベタにするつもりはなかったんだけどな…変更の電話のコール音を聞きながら苦笑した。

□ □ □

NYで何が嫌かっていうと、この部屋の高さだ。
どうして広い部屋を1階に作らないのか、理解に苦しむ。
全員が全員、街を見下ろして喜んでいるとでも思っているのだろうか。
鳥が自分の足元を飛んでいる光景なんて、気味が悪い。
もちろん、ガキのころのようにわめいたりはしねーけど。
仕事に集中すれば部屋の広さも、窓の外の風景も気にならなくなる。

ただ、いつのまにか考えているのは咲十子のこと。
こんな面白くない部屋だって、咲十子が一緒ならきっと喜んでくれたんじゃないかと考える。
家にいるときは感じないが、出張などで一人になると見るもの全てが咲十子に結びつく。
作り笑いの人の群れにいると、咲十子の顔がたまらなく恋しく思う。
一ミリも偽りのない、笑顔。あまりに無邪気で本当に先生なんて出来ているのかと、疑ってしまう。
パソコンの液晶で疲れた目を抑えながら、広いベッドにうつぶせに倒れこむ。
糊の利いた清潔なシーツ。
完璧なベッドメーキングにぬくもりなんてない。
目を閉じて大きく息を吸い込んでも、咲十子の匂いはしない。
シーツを握り締めたところで、あの咲十子の暖かく柔らかい体はない。

―咲十子を、抱きたい。―

あの春の日以来、体を重ねるたびに咲十子は変わっていった。
俺しか知らない、咲十子。
絡みつく腕も、汗に濡れる髪も、甘い悲鳴も、潤んだ瞳も、俺しか知らない。
いつもはみんなのために頑張る咲十子が俺だけのものになるとき。
早く、俺だけの咲十子にあいたい。

遠く離れれば、遠く離れるほど咲十子を思う気持ちは強くなる。
時差ボケのための寝不足と、仕事で疲れた脳みそが記憶の断片を再生する。

□ □ □

いよいよ明日、風茉君と九鉄さんが帰ってくる。
風茉君の査定に合格すれば、九鉄さんは春から日本勤務になるみたい。
会社の経営形態について一美ちゃんが説明してくれたんだけど、私には難しくてわからなかった。
でも、一美ちゃんの表情を見るだけですごく嬉しい事だっていうのはわかった。
そうだよね、今まで離れ離れだったんだもん。
不安な気持ちよりも、久しぶりに会える喜びのほうが勝ってるみたい。
お料理も上手になったし、準備万端。
あとは、2人が帰ってくるのを待つのみ。

「あ、咲十子ちゃん、ちゃんと秘密のプレゼント作ったよね?きっと風茉すっごく喜ぶよ。」
そのことを考えると、思わず頬が熱くなる。
「絶対、風茉はムッツリだもん。…きっと新たな一面が見られるよ。落ち着いてね。」
私のほうは、あんまり自信ないんだけど、風茉君の為に頑張ろう。
「ねぇ、咲十子ちゃんも明日、空港にお迎えに行くんでしょ?空港に出かける前にこっちに寄ってもいい?
服とか、メイクとかチェックして欲しいの。」
久しぶりに一美ちゃんの弾んだ声を聞いて、嬉しくなった。
服やメイクなんて、私よりも一美ちゃんの方が詳しいのに。
嬉しい気持ちが、空気中に充満してる。

ただ、私のクローゼットで眠っている秘密のプレゼントの存在がすごく場違いな気がしてた。

□ □ □

成田空港。
色々な人種の人がひっきりなしに行き交ってる。
でも、私が探している人は1人だけ。
ざわめきよりも、自分の鼓動が大きくなる。

きゅうに、握り締めていた携帯が鳴った。
なに?こんな時に。今だけは仕事を優先できない。
有無を言わさず、電話を切る。
するとすぐにまた、携帯が鳴る。すぐに切る。
また、すぐに携帯が鳴る。もう、一体誰なの?
着信の表示には、『鉄』。
急いで電話に出る。
「もしもし、鉄?どこからかけてるの?」
きょろきょろとあたりを見回しても鉄の姿は、見えない。
「ただいま。やっと出てくれて良かったよ。てっきりもうメモリから消されてたのかと思った。」
「どうして、そんな冗談いうの?咲十子ちゃんも待ってるのよ。早く出てきて。」
私の様子を見てキョトンとしていた咲十子ちゃんも、事態が分かってきたみたい。
小さく、くすくす笑った。
「おい、一美ぃ、お前が騒ぐから咲十子ちゃん、笑ってるじゃないか。ま、咲十子ちゃんの王子様はすぐ返却するよ。」
「私達のこと、見えてるの?ねぇ、なんで出てこないの?」
すぐそこに鉄がいるというのに、会えないなんて…。
「なぁ、家にまっすぐ帰らずに、ちょっと2人でドライブしないか?」
「でも、車ないじゃない。鉄の車はマンションのガレージでしょ?」
あっ、咲十子ちゃんが風茉を見つけて走り出した。
「内緒で手配しておいたんだ。歓迎会も嬉しいけど、それより2人で話したい。ずらかろうぜ。」
心臓がドキンと跳ねる。
「うん。」
「じゃあ、2人に見つからないようにワシントンホテルのバスに乗ってって、ロビーで待ってて。」
鉄に会える喜びと、話の内容への不安が胸の中で混ざり合って、すごく苦しくなった。


2へつづく


 

戻る時はブラウザの【戻る】で戻ってください。

 

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル