『 虜(とりこ) 』 31 「何故にそのようなことを言う?そなたを誰にも渡したくないのだ、私の銀の髪を初めて見せたそなたを! 誰にも渡さぬ、そなたは私だけのものだ、私だけのものなのだ!」 「いやっ・・・・!」 だが王子の圧倒的な力と・・・・それ以上に強い言葉の力がキャロルを動けなくした。 「他の男になどいい顔をするな。他の男にその身を触れさせるな。そなたは私にだけ微笑みかけてくれればよい。 ・・・・・・強引に抱いたのも・・・・嫌がるそなたを幾度も奪ったのも・・・そなたを失いたくなかったからだっ! 身体を奪って、一番酷いやり方でそなたを我がものとしたは全て・・・・そなたを・・・私と同じ仲間のそなたを、初めて私の心を語り聞かせたそなたを失いたくないからだ」 「・・・・・同じ?・・・・あなたの銀髪よりもっと目立って醜い外見の私・・・だから・・・?嘲って哀れんで?」 キャロルの心がまた冷え切っていく。 「違うっ!」 王子は乱暴にキャロルの肩を揺さぶった。 「金貨のことなどどうでもよい、髪の毛や肌の色など些細なこと。 初めて私の銀髪を見て・・・初めて私の話を聞かせて・・・それでも私の髪の毛を美しいと言って笑ってくれたそなたを、私のことを知っているそなたを・・そなたの心を失いたくない。そなたが私以外の者に心惹かれるのは許せない、我慢できない」 この上なく優しい孤独な魂と、身勝手な独占欲の権化たる魂。相反する二つの貌(かお)を持つ青年は冷静沈着、英明な若者の仮面を捨てて矛盾した心の丈をキャロルに語った。 「・・・・・王子・・・・・・」 「そなたの全てが欲しいのだ。そなたを側に置いておきたいのだ。私をこれ以上、苦しめないでくれ。そなたがいなければ私は駄目だ。 そなた以外の女など欲しくない、愛せない」 32 それは初めて王子が人に見せた弱い姿、醜態であったのだろう。王子の真摯さがキャロルの心を不思議に波立たせた。 (あんなひどいことをされながらも心のどこかで、この人は私を想っていてくれているのではないかって馬鹿なことを考えていたわ。最初に私に見せてくれた優しさが忘れられなかった。 ひどく矛盾した人。身勝手な人。優しさと酷たらしさ、強さと脆さ、男らしさと卑劣さ。 そして愛を知らない人。愛されたことも愛したこともない人。だからどうしていいか分からなかった可哀想な人。 ・・・・・・・・私が人の心の不思議を、愛し愛されるぬくもりを・・・教えてあげられるの?) 「姫、何か申せ。何故、黙っている?」 「可哀想な人・・・・ひどい人・・・人の心を少しも知らないのね」 キャロルを見つめる王子の目は少し濡れているようにも見えた。それは光の悪戯にしかすぎないのか? 「あなたは私にひどいことをしたわ。私を侮辱して傷つけたわ。許せない。 ・・・・・・・でも私はあなたに惹かれている。あなたの優しさが忘れられないの。あなたの心は一体どうなっているの?冷酷で・・・優しい。愚かな私は何も分からない」 「私は知っている。私はそなたを失いたくない。どんな手を使っても。そなたを側に置きたいのだ、そなたがどんなに厭うても。 そなたとて私の側でしかおられぬ。そうだ、そなたは私の虜だ。虜はどのように抗おうとも主の元でしか生きられぬ」 33 キャロルは冷たい王子の頬に触れた。 「お願い、人の心を取り戻して。あなたはひどく未熟だわ。愛を請いながら、その愛を壊している乱暴な子供だわ。私を滅茶苦茶にして・・・・」 しばしの沈黙。 「でも・・・・私はあなたから離れられない。あなたがひどい人だということを知っているわ。でも、でもあなたが優しい脆い人だということも知っているの。お願い、愛や優しさは強引に奪うものでも強要するものでもないの。請うもの、与えるものなのよ」 王子の傲慢で冷酷な仮面の下から、自覚のない初恋に戸惑う少年の顔が現れた。 「そなたのいうことは・・・・分からぬ。そなたは私の側に居ればよいのだ。悪いようにはせぬ。きっと幸せにしてやろうと申しているのだぞ? そなたのいうことは分からぬ。私はどうすればよいのだ?」 キャロルはじっと王子のはしばみ色の瞳を見つめた。怜悧で、でも人間らしい優しさや暖かさ、思いやりを本当には理解していないはしばみ色の瞳を。 そして。 キャロルは自分から王子の頬に口づけた。 「私にも心があります。意志もあります。忘れないで。ひどいことをされながらも・・・どこかであなたが初めて見せてくれた優しさを忘れられなかった私の心を忘れないで」 王子は呆然と罰であり恩寵でもある頬への接吻を受け入れた。 「そなたの・・・・心・・・・」 言葉として昇華されることのない様々な思考が王子の脳裏を去来する。その思考の奔流はただ王子に告げていた。目の前の少女を腕の中から永遠に離すな、と。お前にはそれが必要であり、また恋物語に憧れるような幼い年頃の少女もそれを望んでいると。 34 「私はそなたを望んでいる。そなたを側から離したくない。そなたの優しい声を聞き、そなたが私に示してくれた様々な心遣いを望んでいる。 そのかわり、そなたを幸せにしてやろう。望みを叶え、大切にしてやりたい。 ・・・・それではいけないのか?それがそなたの、女たる身の望みではないのか?」 キャロルは困ったように首を振った。 「それだけではないの。それだけではないのよ。人には心があるわ。尊厳があるわ。それを知らない、ただ愛情を傲慢に投げ与えるだけの人をどうして信じて愛せるの? あ、あなたは私の身体を手に入れたわ。私の心まで手に入れてしまって・・・その後は?私はどうなるの?捨てられるの?あなたが見てくれるのをただ犬のように待つだけなの?」 イズミルは頭がクラクラした。この娘はおとなしい性質だと思っていたけれど、どうしてなかなかよく囀る意志的な娘ではないか?後宮で彼を待つどの女とも違う。 王子はキャロルのもたらした驚きに圧倒された。だが今更、後には引けない。猛烈な独占欲を伴った屈折した愛情が彼の中に根ざしていたから。 「・・・・・では、私がそなたに詫び、そして改めて愛を請う許しを求めればよいか?娘よ、私はそなたの言うとおり何も分からぬ。そなたが教えてくれ」 人の心を誑かす傲慢な口調。声音。 だがキャロルには分かっていた。愚かしくも、王子の言葉のその底にある孤独と不器用な子供の戸惑いを見捨てられない自分を。おそらくは彼を慕っている自分を。 キャロルは王子に接吻した。二度と引き返せない一歩を踏み出したのだと心を波立たせながら。 35 「あれがハットウシャの城壁だ、姫よ」 王子は馬に同乗した小柄な娘に教えてやった。金貨100枚で購われた醜い貧弱な娘はいくつかの偶然と王子の企みによって今は「ナイルの姫」と呼びあがめたてられる娘になっていた。 現金なもので今はキャロルは美しいと形容され、奴隷に似合わぬ賢しらぶりよと嫌がられた20世紀の知恵も神の娘の英知ということにされている。 だがキャロルは扱いの激変ぶりを冷笑し、嫌がった。 「人の心の頼りなさと醜さだわ。私が美しい神の娘ですってさ!」 銀の髪を隠した若者は答えた。 「人の心の醜さ、頼みがたさを知ったそなただ。次はよく注意して信頼に足る者、使える者を見つけ、選び出すのだな。どうやら、そなた奴隷どころか人を心服させ、使う部類の人間であるらしいわ」 キャロルは問うた。 「・・・・・・あなたはどうなのかしら?」 「・・・・・・・・そうだな」 王子の片頬に皮肉な笑みが刻まれた。 「そなたは私の虜であろう?そなたは私から離れられぬ。そなたは囚われる甘美さを知ってしまった。そうではないのか?」 キャロルの背中がぞくり、とした。優しく賢い恋人は、同時に冷酷な看守でもあった。 「そうね・・・」 キャロルは呟いて目を伏せた。王子は満足そうに歓呼の声渦巻く城門の中へと彼女を誘った。 (虜・・・・。確かに私は自分から王子の腕の中に捕らえられたわ。 でも・・・・虜は永遠に囚われの身に甘んじるわけではないのよ,王子。 いつか私の方こそあなたを虜にしてみせるわ。きっとできるわ。王子、あなたの方こそ囚われの奴隷なのよ) キャロルはそっと青年の大きな手に自分から触れた。 終わり |