『 虜(とりこ) 』

序章
ヒッタイトの王子イズミルは諸国をめぐり、自国の国益を図り、また己自身の知を磨き、武を磨いていた。
そんな旅の途上、国賓としてエジプトを訪れたイズミルはお忍びで出かけた市場で印象的な娘に出会う。金色の髪の毛、病的なまでに白い肌、光の具合で色調が千変万化する青い瞳。
彼女の名前はキャロルと言った。

エジプトのファラオ メンフィスの姉アイシスによって古代に引きずり込まれたキャロルだが、その白色人種特有の容貌はエジプト人から見れば異様で薄気味の悪いものだった。
─まぁ、あの髪の毛の色!妙に白っぽいような赤っぽいような妙な色!栄養の足りていない貧乏人みたいだわ!何で王宮にいるんだろう?虱でもたかっているんじゃないの、あの髪の色ったら!
─この娘、肌が死人のように白いよ。血の色が透けて薄気味悪い。病気じゃないの?
─あの目!何て気味の悪い色だろうか?青いよ?見えているんだろうか?黒目が浮き上がっているみたいで嫌だこと。邪眼だろうかしら?
何とかアイシスのいる王宮にもぐりこんだキャロルだが、外国人を見慣れぬ古代エジプト人は彼女を忌み嫌った。
最愛の弟メンフィスとの婚儀を控えたアイシスも彼女に冷たかった。結局、キャロルは王宮出入りの奴隷商人に下げ渡され、売りに出されることになったのだ・・・。


エジプトの市場はこの世のあらゆるものを売っているというのもあながち嘘ではないな、と思いながら目立たぬ装いのイズミルは市場を歩き回っていた。そのうちに奴隷商人の店に出くわした。舞台のような設えのその店では次々に奴隷が引き出され、競に掛けられていく。
(あまり見ていて気分のいい店ではない・・・)
引き出されるのを厭うて泣く幼い女の声を聞いてイズミルは秀麗な顔をゆがめた。きびすを返そうとした彼だが、力ずくで引きずり出された奴隷娘を見て彼はその場を動けなくなった。

引きずり出されてきたのはキャロルだった。金髪碧眼、白皙の肌の少女だが今は泥に汚れ、奴隷商人に手ひどく殴られ痣になった顔は涙で汚れている。
「何だ、あの奴隷は?!あの妙な色は?」
「頑固な性質らしいな、奴隷商人をあんなにてこずらせて!」
「ありゃ、女か?何と醜い!」
人々のざわめきをよそに奴隷商人は声を張り上げた。
「さぁさぁ、珍しい外国産の奴隷だよ!変わった色がウリだ。珍しいものが好きな方は是非!飾り物にしてもいい、慰み者にしてもいい、まだ娘だよっ!」
屈辱的な掛け声に、奴隷娘の瞳に激しい炎が宿り、大胆にも商人に手を振り上げたが・・・手ひどく殴られただけだった。それを見て見物人はまたひとしきり大騒ぎだ。
「さぁ、買って!値段を言ってくだせえよ!」


その金髪の娘を見た瞬間、イズミルは激しく心をかき乱された。見慣れぬ容貌のその娘。小柄な娘。
その娘の青い瞳に宿った白熱の炎を見た瞬間、イズミルは生まれて初めての激しい欲望を感じた。
(あの娘が欲しい!)

キャロルは自分に優しく手を差し伸べた背の高い秀麗な容貌の若者を戸惑って見上げた。
「おびえるな、娘。私がお前を助けたのだ。私と来い。そなたを守ってやろう」
金貨100枚という破格の値段でキャロルを購った青年の差し出す手をキャロルは怯えたように見た。
「大丈夫だ、そなたを痛めつけたりはせぬ」
イズミルはひょいと華奢な身体を抱き上げた。


「離してよっ、嫌!離してったら!」
それまで観念したかのようにおとなしく王子に抱かれていた娘は、彼が王宮へ入ると見るや強硬に暴れ、逃げようとした。
「おとなしくいたせ」
面倒くさそうに答えながら王子は自室に引き取った。午睡の時間ゆえか廊下を行く召使たちも見かけない。
「イズミル王子様・・・!お戻りなされませ。おや、その者は・・・?」
ファラオ差し回しのエジプト人召使は、王子に抱きかかえられたキャロルを見て怪訝そうな顔をした。キャロルはその姿があらわにならぬよう、王子のマントを着せ掛けられていた。
「湯の支度を。この娘に湯を使わせよ。さぁ、娘。駄々をこねずこの者と一緒に湯殿へ・・・」
言いかけた王子は口をつぐんだ。マントに隠された小さな身体─王子の胸乳のあたりまでしかない小柄で華奢な子供─が、ぶるぶると震え怯えきっているのが伝わってきたからだ。
「・・・良い。湯の支度が出来たならそなたは下がれ。後は私が自分でする」
召使は異国の王子が気まぐれに拾ってきた女と戯れるものと勝手に決めてかかってか、準備ができるとエジプト人特有の慇懃無礼さで早々に下がっていった。

キャロルを抱きかかえて湯殿に入ろうとした王子だったが、小さな身体はまたしても頑健に抗った。
「離してくださいっ!私、一人で入ります。子供じゃありませんもの。離してください、早くっ!」
汚いなりをした奴隷とも思えぬ物腰に驚く王子。この娘は一体、何様のつもりかと。
「静かにいたせ」
王子は静かな、しかしこの上なく危険な口調でキャロルに命じた。が、不意にあるかなきかの微笑を頬に刻むと言った。
「好きにするがよい」


キャロルは黙って湯に入った。傷口に湯が染みて、温まったせいか痣は余計に色が濃くなったようだ。
(私、これからどうなるの・・・?)
キャロルは考えた。はしばみ色の髪の毛をした異国の若者のお陰で虎口を逃れたことは分かる。しかし若者は王宮に入り、ひどく贅沢な部屋に入った。並みの身分の人間ではないのだろう。
守ってやる、と彼はキャロルに言ったけれど、彼の周囲にはひどく冷たく、そして危険な雰囲気が漂っていた。
(あの人は私を助けてくれたわ。ここに来て初めての優しい言葉をかけてくれた。でもなんだか・・・怖い。それにここは王宮。逃げなきゃ。早く、早く。でないとまた・・・醜い嫌な者よとさげずまれ、辱められる・・・!)
悔し涙がこみ上げてくる。キャロルはそのままじっと湯の中にうずくまってむせび泣いていた。
(あの娘、いつまで湯殿にいるつもりか)
心配になったイズミル王子は湯殿に様子を見に行った。果たして先ほど買い求めた醜い娘は湯あたりでもしたのか、他愛なく倒れていた。
(世話の焼ける・・・)
王子は近寄って、キャロルの身体を湯船から引き上げた。白い身体は意識のないままに嫌々でもするようなそぶりを見せた。
「物堅い奴隷娘だ」
言いながら王子は手首を持ってつるし上げたキャロルの身体をざっと改めていった。
「痣が・・・多いな。あとは痕の残りそうにない擦り傷か。ふん、白い身体に白金の髪か。異形・・・だな」
王子の顔が哀しそうに歪んだ。
「異形・・・。誰とも同じでない。醜く忌み嫌われる存在。物腰は良家の子女のようであったが。奴隷に売られたのは何ゆえか・・・」
王子はこれまでの短い時間の間に、キャロルが決して卑しい生い立ちではないということを見抜いていた。


気が付けばキャロルは上等の薄絹を着せられて寝台の上に寝かされていた。
(嫌だっ!私、どうしてっ!)
「気づいたか?」
物憂い王子の声がキャロルを驚かせた。
「あ・・・私、湯殿にいたのに。どうして着替えてるの?まさか、あの・・・」
「そのような顔をするでない」
無論、彼女の身体を改め、衣服をつけさせたのは王子だが、彼はそんなことおくびにも出さなかった。
「召使に命じたのだ。女の着替えなどせぬよ、私は。安心したか?」
だが目の前の娘は安心するどころか、顔をくしゃくしゃと歪め、哀しそうに泣き出したではないか。
「私を誰かが見たのね?また・・・エジプト人が!どうしてそんなことしたの?なら裸でいたほうがましよ。見られるたびに自分がどんなに醜くて薄気味悪く思われてるか思い知らされるのよっ!
あ・・・あなただってそう思っているくせに!私を虱たかりか疥癬病みかくらいに思ってるくせに!
髪の色も皮膚の色も生まれつきよ!目の色だってそうだわ! 黒目黒髪がそんなに偉いの?」
王子は秀麗で無感動な若者の仮面を付ける事を一瞬忘れ、驚いたように目の前の娘を凝視した。
こちらが圧倒されるような生き生きとした感情の発露は彼女を内側からまばゆい光で彩るようだった。
それに湯を使って清め上げられた身体は。変わった色合いの見慣れぬ容貌の人間ながら、金属色を宿す髪も白すぎる肌も、青い瞳も、なにやらひどく印象的に─もっと言えば一種のユニークな美しささえ─感じられた。
「・・・賑やかなことだな。その醜い容貌を見られるはそんなにも厭わしいか、異形の娘よ。・・・哀れだな」
「! 私は異形なんかじゃないっ!そんな言い方しないで!」
キャロルは大胆にもイズミルをきっとにらみ返した。
「そんな同情したみたいな顔しないで。私は異形じゃないわ。私は・・・私よ!異形なんかじゃない!ちょっと見た目が違っているだけよ」


「イズミル王子よ、わがエジプトの市場で面白い生き物を手に入れられたそうだが・・・。
もったいぶらずに見せてはいただけぬか?」
エジプトのファラオ メンフィスの興味深げな視線の中に下卑た好奇心を感じて、イズミルは密かに顔をしかめた。
メンフィスは、王子のもとにいる文字通り毛色の変わった女奴隷を見たがっているのだ。
「そのうちに折を見て・・・。しかしエジプトの召使というのはまこと目ざとく、情報を広めるのに長けている。
ふふ、よい間者になりましょうな・・・」
王子の皮肉にさすがのファラオも視線を下にさげた。

イズミルはキャロルをずっと自室に閉じ込めるようにしていた。人並みの衣食住を与えられ、王子以外の人間に見られない
─自分は異形などではないと言い切ったキャロルだが、やはり容姿にはひどい劣等感を感じているのか、人目を厭うた─生活で
ずいぶん心も安定したのだろう。傷も癒え、とりあえず王子にだけは心許すようなそぶりも見せだした娘は、なかなか愛らしく見えた。
全体に色素が足りなさ過ぎる違和感は相変わらずだが、日に透ける金髪、白皙の肌は青い瞳、ばら色の唇と相まって作り物めいた美しさを
漂わせていた。
・・・目が慣れたせいだけかもしれなかったが、少なくともイズミル王子には少女は当初ほど醜くは見えなくなっていた。
だからメンフィスの言葉は不愉快だった。
図々しい召使が王子の留守中のある時、キャロルを盗み見て「醜い奴隷娘がこんなところに!」と大げさに騒ぎながら噂を広めてくれたというわけだった。


イズミル王子の元にあの薄気味悪い醜い奴隷娘がいるというのはもはや公然の秘密だった。
あの醜い娘と、秀麗な若者は一体何をしているのか・・・と皆が噂していた。
一度キャロルが見つかってしまうともう王子にも彼女を守りきれなかった。
心無い言葉や視線が容赦なくキャロルを責めた。どれほど大切に厳重に隠そうと、
そういったものは毒のある煙か何かのように入り込むのだ。

「明日、そなたを宴に伴う」
「え・・・?」
夕刻、部屋に戻ってきた王子は、書物に目を落としていた娘
─王子はこの娘が文盲でないどころか広範な知識を持っているらしいことに驚かされていた─
にぶっきらぼうとも言える口調で告げた。
「そのような顔をするでない。皆が好奇な目でそなたを見ている。
ならばいっそのこと姿を見せてやった方が良かろう。しつけの悪いエジプト人の召使に煩わされるのは嫌だ。よいな」

翌日は朝から大忙しだった。王子はエジプト人のお針子を呼びつけ、ヒッタイトから持参した布を簡単な指示書とともに渡し、
キャロルは風呂に入らせた。
「宴は夕刻からだ。迎えに来てやるゆえ、それまでに身じまいをいたせ」
「・・・いくらあなたの言うことでも私は嫌です。醜いと侮られるのは嫌。見られるのは嫌。私は・・・見世物じゃない」
未練がましく抗う少女に王子は冷然とした姿勢を崩さず命じた。
「そなたを見世物にするために伴うのではない。せいぜい侮られぬよう美しく身じまいいたせ。
泣きごとをいう暇があればそなたの矜持を見せてやれ。そなたの意思など聞いてはおらぬ、私はそなたを宴に伴う。
私に恥をかかすでないぞ」
王子の口調はキャロルの心に火をつけたらしかった。言葉の効果を目の端に確かめながら王子は出て行った。


キャロルは生まれて初めてといってもいいような熱心さで、長い時間をかけて身支度をした。無論、一人でだ。
香料入りの湯に入り、肌を磨き上げ、髪を洗った。それが終われば念入りに肌に化粧水を擦り込み、髪を梳いた。
そして化粧にかかった。
眉の形を整え、指先でそっと瞼を彩る。でもエジプト人のようにはしない。20世紀風の淡い色をのせるやりかた。
頬紅は使わなかった。久しぶりに化粧をするという心弾みゆえか頬はばら色に輝いていたのだ。口紅は淡く。
ようやく満足できる化粧ができたかと思う頃に、新調の衣装を持って王子が戻ってきた。
「・・・ほう。なかなかよく出来たな」
王子は内心の深い満足と・・・感動のような感情を巧みに押し隠して言った。
女を素直に賞賛するような習慣にはなじみが無かったのだ。
「ではこれを着るがいい。できたら出かける」
キャロルは紗の寛衣の上に赤いマントのようなガウンを着た。それはヒッタイト風の衣装なのだろう。
身体と肌を慎ましく覆う形がキャロルを安心させた。

「これでいい?・・・でもベールがあればいいのに。髪の毛・・・目立たないもの」
入念に化粧し、美しい衣装をつけたキャロルは生き生きとした美しさに満ちて見えた。
(この娘・・・。醜いなど、とんでもない勘違いなのではないか?)
「ふん、美しい黄金の髪をわざわざ隠すとは変わった娘よ。そなたは美しい。自信を持つのだな」
「・・・・今夜は・・・信じられるわ、その言葉」
小柄なキャロルは王子に手を預けて明るい広間に向かった。王子は醜い子供よと侮っていた小柄な少女の変身振りに驚いたが・・・自分でも気づかぬほどの心の奥底では考えていた。
(まこと私の思ったとおりだ。この異形の娘は美しい。丹精次第でこの上なく美しく開花して楽しませてくれる。私の望むとおりに・・・。恐れや劣等感の殻を取り除けば、きっと・・・)
王子は異形よと侮られながらも強い光を失わないキャロルに急速に惹かれていった。ほとんど狂気じみた喜びと欲望を感じながら。その強い感情の理由を王子は誰よりもよく知っていた。


「おお・・・!ヒッタイトの王子が伴っているのは」
「あれはキャロルとかいう奴隷ではないの?」
「あれが!まぁ、あの奴隷娘があんなにも・・・!」
「何とまぁ・・・美しい娘だ!まことあれが奴隷のキャロルと同一人物か?」
人々のかしましいざわめきをイズミル王子は心地よく聞いていた。神経質そうに細かく震える小さな手をしっかり握って王子は客人のための席についた。
キャロルはおどおどとした様子は微塵も見せず、優雅な動作で王子に従った。それでも衆目にさらされるのは強い緊張を伴うのか手は氷のように冷たかった。
宴の灯火がキャロルの金色の髪を輝かせ、白い小さな顔は薄暗い光のせいか浮き上がって光を帯びているような不思議な魅力を見せていた。エジプト風の顔のめりはりを強調するのではない薄化粧は珍しくたいそう似合っている。
「これは驚いた。王子が秘蔵なされるわけだな!」
メンフィスは無遠慮にキャロルを覗き込んだ。手は金髪を弄びながら、青い瞳をじっと凝視する少年王の図々しさにキャロルは竦みあがる心地だった。
「・・・まことに珍しい色合いの娘だ。それに・・・不思議に美しいな。見慣れぬ美しさだ。
醜い奴隷娘だとばかり聞かされていたが、きっとそれは嫉みが入っての言葉だな。娘、酒は飲めるか?」
「メンフィス王、この娘はまだ子供。酒は飲めませぬ」
王子はキャロルの唇に押し当てられた杯をずいと押し返した。

メンフィスは照れ隠しのように豪快に笑った。
「これはこれは・・・!ふむ、真珠のように色白き姫君よ、無礼を許されよ。御身はきっと奴隷に身をやつした高貴の姫なのだろう」
メンフィスが唇をキャロルの手に押し当てた。キャロルは全身をばら色に染めて恥らった。その様子は男ならば誰でも欲望を覚えるほどの光景だった。イズミルはメンフィスの行為に自分でも驚くほどの腹立ちを覚えた。
「イズミル王子!どうであろう、この娘を私に譲っていただけぬか?御身のお望みどおりの対価を差し上げよう!後宮よりすぐりの美姫も差し上げる。この美しい子供を是非!」
ファラオの声に覆い被さるように高い,やや神経質なものを感じさせる女性の声が響いた。
「まぁ、色の白い珍しい奴隷とはその娘ですか。メンフィスといいイズミル王子様といい、殿方は珍しいものに目がないこと!まこと見慣れぬ色合いの奴隷よ。
メンフィス、そのような娘放っておきなさい。イズミル王子様、その生白い娘に映えるよう漆黒の肌を持った奴隷を進呈いたしましょうか?つがわせてごらんなさいませよ!」
それは自分から人々の関心が逸れて久しいことを不興に思った女王アイシスの声だった。
屈辱的なアイシスの言葉にキャロルは思わず立ち上がった。
「私は奴隷ではありません!私が助けたこともあるあなたが一番よく知っているくせに。どうして?あなたは私を見殺しにするの?」
アイシスに直答した娘の大胆さとその言葉の重さが居合わせた人々を驚かせた。

10
「か,疥癬病みの奴隷娘めが・・・っ!」
アイシスはぎりぎり歯がみして呻いた。女王の声に唱和するように侍女や貴婦人達が騒ぎ出した。
「何と無礼な奴隷娘。見てごらん,あの薄気味悪い目の色!」
「死体のように薄気味悪いのに図々しくも化粧して」
「見てはだめ,あんな気味悪い人間・・・」
王子の傍らに崩れるように座り込んだキャロルは先ほどの燃えるような大胆さや生気はどこへやら、手ひどい言葉にひどく打ちのめされていた。
「・・・私・・・気分が悪いので・・・これで・・・」
キャロルは人々の驚きを尻目に子鹿のようなすばしっこさで広間を駆け抜けて行った。
「これは・・・何と、とんだ興ざめ。あの奴隷娘は・・・」
メンフィスは白けた顔で言った。だが。
「メンフィス王、女王アイシス。口を慎んでいただきたい。かの娘は私がこの席に伴いたる連れの者。その娘をよってたかった奴隷呼ばわりとは無礼にもほどがあろう!」
「で,でも王子様。お心をおしずめ遊ばせ。あの娘は王宮にいた病持ちの奴隷に違いない。あの肌の色など・・・」
「女王アイシスともあろう方が不勉強な。かの娘は異国の出身。北方には色素の薄い民も多いこと,よもやご存じ無いわけではあるまい?
王宮にいたとかいう奴隷娘は、私も見かけたがもっとみすぼらしく汚らしかったはず。何を以て私の連れを奴隷呼ばわりされるかな?身分卑しき召使い,臣下のものと一緒になって!」

王子はそれでも最後まで宴に、この上なく居心地悪いものとなった宴席に最後までつき合って部屋に戻った。
あの後、キャロルを奴隷呼ばわりする度胸のある者はさすがにいなくなったが王子の酔狂を不審に思わぬ者はいなかったのである。

(私としたことが・・・。あんなに熱くなるとはな。異形の者をあげつらい,さげずむは世の習い。人は異質なる者、異なる外見の者には冷たいものだ。)
王子は吐息をついた。彼の手で美しく変身したキャロル。だが彼女は怯えきり、逃げ去ってしまった。
(何故、もっと強く振る舞えぬか?あの娘はもっと強いと思ったが。単に私が彼女に幻想を重ね合わせていただけか。ただの奴隷娘ではないなどと)
王子自身がキャロルにこの上なく執着していた。身元も知れぬ娘、しかも異国人かはたまた人外の者のように姿形の異なる娘を。
(何故に私はここまで・・・)
王子は自問した。しかしその答えはとっくに彼の中で出ていた。彼はただ、その答えを言葉として思考の上にのせることを自ら避けていた。

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