『 流転の姫君 』 1 エジプト王家の呪いを受け、現代より過去へと流されたキャロルは、エジプトのファラオ、メンフィスと愛し合う仲となり、後は婚儀を待つ身となった。 だが婚儀の際に、キャロルを嫉妬し亡き者にしようと画策するメンフィスの姉、アイシスの陰謀にはまり大怪我を負い、再び現代へと帰る。 傷が癒える頃、またしても古代へと流されるキャロル。 そしてメンフィスの元へ行こうとするキャロルを、メンフィスの宿敵ヒッタイトのイズミル王子の画策によりキャロルはイズミル王子の下へと連れ去れてしまった・・・・。 2 下エジプトでイズミル王子の腹心の部下のルカにキャロルは救い出された折、丁度キャロルの捜索をしていたメンフィス王の忠実な家臣ウナスと合流するが白い肌黄金の髪ナイルのような青く美しい瞳を持つキャロルの姿は 見るものの心を奪い、強奪されようとする浮き目に会った。 ウナスとルカはキャロルを守ろうと奮戦する中、アラビア砂漠で落ち合う約束を交わしルカはキャロルを腕に抱き、その頃アラビア砂漠にて隠密行動をしている主君イズミル王子の下へと駆けた。 アラビア砂漠についたルカは予てからの打ち合わせ通り、暴漢に襲われ気絶した振りをしてる間にキャロルは王子の待つテントへと追いやられてしまった。 王子と再会したキャロルは否応なく、ヒッタイトへと向かう事となる。 王子は反抗的なキャロルをも面白がってからかいながら、やがて首都ハットウシャの王宮へと一向はたどり着いたのである。 女好きなヒッタイト王が「ナイルの姫をわしに寄越せ」と申し出を受けたイズミル王子は満場の王宮で「ナイルの姫は私の妃にする」と宣言する。 キャロルに興味の湧いたヒッタイト王は承諾しかねるが、歳の頃合もよくイズミル王子が宣言した限りは一歩も引かぬことをよく知っているヒッタイト王はしぶしぶ引き下がり、キャロルの身は「次期皇太子妃」として取り扱われる事となった・・・・。 3 暑いエジプトと違い、雪のちらつく様を窓からぼんやりとキャロルは見ていた。 ライオンに襲われた傷は、ライアンやロディが金に糸目をつけず、コネクションを使い呼び出した名医達によって整形され、今では傷も見当たらず、ほんのりとピンクがかった部分が白い肌に見える程度となりキャロルに損傷を与えたようには見せなかった。 だが長い療養を必要とする華奢な身体は、しんしんと冷え込むヒッタイトの気候には辛いものである。 また精神的にも自分の周囲には敵ばかりという状況は、精神的にもキャロルを酷く消耗させた。 イズミル王子の乳母であるムーラは、王子の命令なのでキャロルに何一つ不自由にさせるような真似はしなかったがエジプトのファラオであるメンフィスの寵を受けたキャロルのことを悪意を持つまでにはいかないが少なくとも好意的には思っていなかった。 キャロルにも意地があるので、ムーラや女官たちの前で泣いたりはしなかったが一人になる時間、夜毎にエジプトを思い、メンフィスを思って涙しない日はなかった。 逃げたくとも切り立った崖の上に作られた王宮は、橋を境に厳重な警備を敷かれたった一人で逃げようとしても無理な事は明白である。 助けを請うこともままならず、今はやっと傷の癒えたばかりの身ではできるはずもない。 それでもなんとか自らを奮い立たせようとするキャロルを王子は何も言わなかったが悠々と他愛ない話をしながら、キャロルを見守っていた。 キャロルの目に入らぬ所でルカだけが、王子の浮かべた笑みの意味を知っているように見えた。 4 未だ乙女らしいというよりは子供っぽいキャロルに王子は恋に恋する乙女の憧れるような求愛を、実に優雅にしてみせた。 この寒さのなか、どこからか調達した瑞々しく美しい花々を飾らせ、見事な衣装に装飾品を惜しげもなくキャロルに贈り、キャロルに触れるか触れないかの際どさでキャロルの興味の持ちそうな話、それは王子が旅した様々な国の話であったりヒッタイトの伝統的な行事などの話であったりしたが、キャロルを相手に話しをしつつ、さりげない一言でキャロルに愛を囁いた。 その度にキャロルは頬を紅潮させて「やめて!」と怒るのであるが、メンフィスのことを思いつつも悪い気はしなかった。 今のキャロルを、敵国の王宮の捕らわれの身であるという境遇に耐えさせているのは一途にメンフィスを愛し、メンフィスが自分を愛しているという想いだけであった。 エジプトを司どる、迸る情熱を隠す事もなく、荒々しく抱きしめたメンフィスだけがキャロルの希望の光である。 雄々しく炎のようなメンフィスをキャロルは信じている。 5 「・・・寒いわ・・・。」 王宮の屋上から周りを囲む山々を見ながらキャロルは呟いた。 寒いのは身体だけではない、メンフィスと離れ離れになっているキャロルの心も震えている。 いくら温かい毛皮を羽織っていても、キャロルの心は晴れない。 もう幾日経っただろうか? メンフィスは私が下エジプトに帰ってきたと聞いたのかしら? ウナスはメンフィスと連絡が取れたのかしら? 絶え間なく心の中で湧き上がる不安にキャロルがぶるっと震えた時、背後から暖かな毛皮をふわりと掛けられ、まるで小さな子をあやすかのようにキャロルを王子が抱き上げた。 「まだ身体も癒えたばかりだ、無理をしてはならぬ」 あくまでも口調は優しく、責めるわけでもない。 「ほんにそなたはすぐに無茶をする、目が離せぬ」とクスリと笑いながら、王子はキャロルを抱いたまま暖かな部屋へと連れて行った。 ムーラや女官たちに世話を焼かれ、熱いお茶で冷えた身体を温めたキャロルを王子は黙って見ていた。 キャロルは家族の愛情の中で、蝶よ花よと溺愛されてきた、繊細な花である。 優しい両親やライアンやロディに甘やかされ、素直に育てられてきた無垢な花。 荒野や野原では咲くことはできない、常に庇護され、丹精されなければその真価は出てこないであろう。 こうして優雅な部屋に、たくさんの女官に傅かれているその様子は生来持っていた気品と優雅さを匂うが如く漂わせている。 勿論それだけでなく、比類なき英知と深い思いやり、少し負けん気のあるおきゃんなところも王子は気に入り、王子の心をも虜にして放さなかった。 だが、この姫は未だメンフィス王を信じている、その絆を叩き壊し、私を愛させる。 その為には手段は選ばぬ・・・。 「姫よ、そなたはもう聞いたかな? エジプトは近々婚姻による同盟をリビアと結ぶそうだ」 静かな王子の言葉が終ると同時に、陶器の割れる音が部屋中に響き割った。 6 キャロルは手に持っていた茶器を落としたまま、呆然と王子を見つめていた。 婚姻による同盟といっても、メンフィスとは限らない。 執拗なまでにも弟を一人の男として愛する、美貌を誇る女王アイシスも諸国にその名を轟かせているからだ。 ただキャロルはアイシスがメンフィスに寄せる狂おしいまでに偏執的な愛情を知っている。 そう簡単にメンフィスを諦めるようなアイシスではない。 では誰が・・・・・? てきぱきと割れた茶器を片付けるムーラや女官たちを横目に見ながら、王子は「怪我などはしておらぬな?」とのんびりとキャロルの手を取り改めている。 「放して!それより誰が・・・まさか・・・」 一番信じているはずの名が口先からでてこない、いや出したくはないキャロル。 「・・・姫も今エジプトの国内では政情不安であることは知っていよう。 今やミタムンをエジプト側の陰謀により失った事で、我が国とエジプトとは一瞬即発の均衡を保っている。 周辺諸国もいつ飛び火があるか戦々恐々だ。 そこで真っ先に乗り出してきたのはリビア国王とカーフラ王女でな。 早速メンフィス王に謁見を申し込んだと聞いている。 メンフィス王には今正妃に当たる者が居らぬ、リビア王としては絶好の機会。 あの野心的なカーフラ王女もさぞ爪を磨いでいる事だろうよ。」 「嘘よ!そんなはずない!メンフィスは私を妃としたわ!」 必死に反論するキャロルを尻目に、落ち着き払った物腰のイズミル王子。 「そなたは婚儀の最中から姿を消したのでなかったか?婚儀を終了しては居らぬはず。 そなたが姿を消したことで、神のご加護がなくなったのではないかと、民衆は不安に陥っているそうだ。 リビアと同盟を結ぶ事で国に平安が訪れるならば、国を治めるものならば一考するであろう。」 王子の言葉はキャロルのたった一つの希望を打ち砕くものだった。 キャロルの目の前が暗くなり身体から力が抜けた。 周りが騒いでいるような気がしたが何も分からない。 誰かのがっしりした腕が自分を抱きとめたようだったが、そのままキャロルは意識を手放した。 私を裏切るの?メンフィス・・・・。 かすかなキャロルの呟きは誰の耳にも届かなかった。 7 王子のもたらした情報によって深く傷ついたキャロルは床についた。 メンフィス・・・私を愛してると言ったのにあれは嘘・・・・ 以前ヒッタイトに捕らわれた時に炎のように私を奪い返してくれたのにあんなにも私を抱きしめて、愛してると言ってくれたのは幻なの? いいえ、私はメンフィスを信じてるわ。 この目で確かめるまで、王子の言葉なんて信じない。 ムーラに世話を焼かれながら、病床で途切れることなく思うキャロル。 キャロルが倒れてからも、王子は望みうる最高の恋人のように足しげく見舞い思いやりのある言葉をかけた。 女官たちから見れば幸せな二人である。 実際メンフィスの事を除けば、王子は実に博識でキャロルとは話もあった。 端整で凛々しい顔立ち、武術によって鍛えられてはいるが、ただ無骨なだけでなく優美さといった雰囲気を纏い、メンフィスとは違った王者としての風格。 その王子が優しく言葉をかけるのに、キャロルの脳裏にはメンフィスのことばかり浮かぶ。 気鬱となるキャロルを見ながら、王子はタイミングを計っていた。 8 倒れてから幾日経ったろうか? 見舞いに訪れた王子に、ムーラは配慮し、女官たちを外させ、二人きりにした。 ムーラの配慮に内心気分を害したキャロルに、王子はのんびりと口を開いた。 「エジプトはリビアとの婚姻による同盟を結ぶ事を正式に公布したぞ。 今婚儀の準備でテーべは大賑わいだそうだ。」 「嘘よ!私が、私がここにいるのに・・・。」 キャロルは寝台に起こしていた半身が衝撃のあまりに倒れそうになったが王子がしっかりと自分の胸の中に抱きとめた。 そしてキャロルの耳元で囁く。 「今更エジプトに戻ったところで、カーフラ王女が既に妃となっている。 リジアとの兼ね合いもあるがゆえ、メンフィス王もそなたをもろ手をあげて歓迎するとは思われん。 ここで私の妃となれ、私がそなたを幸福にしてやろう。 私を愛すればよいのだ、のぅ、姫よ」 キャロルは王子の胸にしがみつき、涙にぬれた青く美しい瞳で王子を見つめ言った。 「お願い!私をエジプトに帰して!私の心はメンフィスのものなの!メンフィスの愛しているの! おねが・・・。」 最後まで言わせず、王子はキャロルの唇を奪い、力任せに寝台に押し倒した。 「いやぁぁぁぁぁぁ!」 キャロルの悲鳴が王子の嫉妬心を更に刺激する。 9 「まだ申すか!私の前でよくもぬけぬけと・・・。」 王子の手はキャロルの着ていた夜衣を裂くかのごとくずり下げ、あらわになった白い胸。 「いや・・いや・・・」 恐怖に震えるキャロルの声を聴きつつ、王子の唇は転々と白い胸に紅い花を咲かせていく。 「私を愛すればよい!私だけをな」 ふと顔を上げると、恐怖に目を見開いて恐れ戦くキャロルの目とあい、王子は一つ息を吐くと微笑を浮かべ、キャロルの身仕舞を直し、きちんと寝台に入れてやった。 涙の跡を拭いてやりながら王子はいつものとおりの静かに話した。 「恐がらせたな、だが私は謝らぬ。愛しい女を欲しがるのは男の性ゆえ。」 そう言うと何事もなかったかのように悠々と王子は出て行った。 寝台の中ではキャロルがしゃくりあげていた。 「ごめんなさい、ごめんなさい、メンフィス・・・。 もう私にあなたの側に行く資格はないの?メンフィス・・・。」 胸に残った跡をメンフィスはなんと言うだろう? こんな事になるなんて、ここには居られない。 なんとか逃げられないものだろうか? キャロルは泣きながらも必死に逃亡策を考えている。 10 夕刻前の場内の慌ただしい時刻。 しゃくりあげているキャロルの元にそっと忍んで来た一つの影があった。 「姫君、ご無事でいらっしゃったのですね、ようございました」 「ルカ!あなたこそよく無事でいたわね!よかった・・・。」 ヒッタイト兵に紛れ、ずっとキャロルに忠実な家臣のルカが生きていたのだ。 キャロルの哀しみの涙は嬉しさの涙に変わった。 ルカがいるのだ、なんとか逃げ出す事ができるかもしれない。 ルカはてきぱきとキャロルの衣装を探しながら言った。 「姫君をお連れする準備に手間取りまして申し訳ありません。 さあ参りましょう、王宮と取引する商人になりすまして逃げるのです。 荷台を用意しております。 窮屈だとは思いますが、どうかご辛抱願います。」 ルカは周りを見渡し、キャロルも適当に衣装を着込むと二人して王宮内の隙を伺って脱出した。 夕闇の中、王宮を結ぶ橋を渡って行く商人に扮したルカの姿を窓から王子は見ていた。 「じゃじゃ馬め、だが自分の目で確かめなくては納得せぬだろうよ。 手のかかる娘よ、ふふふ」 酒を口に含みながらうっすらと王子は笑みを浮かべた。 「ふん、すぐに私の手の内に戻ってくるともしらずにな・・・。」 |