『 ライアンぐるぐる 』
(キャロルが現代にずっといる設定です。)


キャロルは変わった、とライアンは思う。ライアンの大事な金色のお姫様は、急に遠くに行ってしまったようだ。もう以前のようにまとわりつかない。以前のように甘えてこない。以前のように・・・。
ライアンはぼんやりと手のひらにのせた指輪を眺めた。ベルギーで買い求めたダイヤの指輪。古典的で繊細優雅な意匠がキャロルに・・・世界一大事な少女に似合うと思った。
「大事な方への贈り物ですか?ご婚約ですか?」
店員は如才ない笑みを浮かべながら、名の知られた名士であるライアンに問いかけたものだ。
「この僕が・・・ここまで意気地のない男だとはな・・・」
ライアンは自虐的に笑った。ライアンはキャロルの心が分からない。
キャロルを花嫁に、という正式の申し込みがラフマーン家からあったのは今日の午後のことだ。

ライアンを想い続けてここに留まるのは辛すぎる、とキャロルは思う。血のつながらない「兄」は遠い存在だった。以前のように屈託なく甘え、独占しようとあれこれまとわりつくことはできない。以前のようには・・・。
ライアンにドロシー・スペンサーが急接近しているのは知っていた。もしライアンとドロシーが結婚するなら、リード家とスペンサー家は強く結びつき、様々な利益を産み出すだろう。
「私は・・・もらわれっ子なのだから。ライアン兄さんを・・・兄さんと呼べるだけで幸せ・・・」
キャロルは静かに涙をこぼした。
一昨日のパーティーの時、アフマドがキャロルに求婚した。あなたを貰うためにおうちのほうに正式に申し込むことを許して欲しい、と言って。
黒い情熱的な瞳。ライアンと同じ黒い瞳。
(こんな私を望んでくれる。望まれるままに私は・・・嫁いだほうがいいかもしれない。兄さんのことも・・・皆忘れて。
アフマドの国は外国人の出入りに厳しい所。一度嫁げば・・・もう家族にもなかなか会えないかも。でもそうすれば・・・忘れられる。何もかも。そして私はアフマドを愛し・・・)


ラフマーン家の申し出を受ける、とキャロルに言われたとき、ライアンは驚きと怒りで口がきけなかった。
「何故?お前はアフマドの申し出なら受けるのか?急にどうした?お前の本心とは思えない!お母さんにも言ったのか?」
「いえ、まだよ。でも・・・こうするのがいいと思うの。私にはこんなことしかできない」
そういって身を翻して部屋を出たキャロルの背後にライアンが叫んだ。
「そんなこと許さない!この話はここだけのものだ。誰にも言わない!僕は何も聞かなかった!何もなかったんだ!」
(私にはこんなことしかできない、だと?キャロルは自分の生い立ちを知ってそれを負い目にでも思っているのか?何てことだ。キャロル、お前のしようとしていることを僕は許さない。兄として、家長として、そして・・・お前を想う男として!)

それから一週間。リード家とラフマーン家の縁談には何の進展もなく、キャロルは皆を心配させながら塞ぎ込み、やつれていった。
ライアンは葉巻の数がやたらと増え、自分を苛むかのように仕事に没入した。
だがどんなことをしても心はキャロルの面影を追い、心の悲鳴を感じたかのように胃と頭の芯がひどく痛んだ。


そんなライアンが過労で倒れ、会社からリード家にかつぎ込まれてきたのはリード夫人達がニューヨークに出発して3日目のことだった。
学校の都合で残ったキャロルは驚いて兄を迎え入れた。
医者よ、薬よの混乱が収まった真夜中。キャロルは久しぶりに凛々しい兄の秀麗な顔を眺めた。疲労の色の濃いその顔。苦しそうな寝息。
(兄さん・・・ずっと忙しそうだった。ずっと悩みがあるようだった。私、それを知っていたのに無視したんだわ。兄さんと顔を合わせるのが怖くて。兄さんと向かい合ったら・・・きっといつものように我が儘な妹になって甘えてしまうから。ずっと兄さんの側にいたいって・・・。
いいえ・・・兄さんのお嫁さんになりたいって。私だけを見てって。ドロシーのことなんか見ないでって。私、もらわれっ子だって知ってるのよって)
やがて。
ライアンがはっきりとした意識もないままに水を、と呟いた。じき夜も明けようかという薄明かりの時間。
キャロルは控えめに兄を揺さぶって起こして、水を飲ませようとしたがライアンは悪夢の中にいるのか苦しげに眉をひそめるだけだ。
キャロルはしばらく躊躇したがやがて意を決して、水を口に含んだ。
そのまま身体を傾け、ライアンの唇に自分の唇を当て、舌でそっと押し開きゆっくりと水を飲ませた。
(兄さん・・・・愛しているわ。愛しているわ。たとえ許されない恋でも私は・・・!)

ほんの一瞬、ライアンの唇の感触に恍惚とした気分を味わいながら、キャロルは身を離そうとした。
だが。
力強い腕がキャロルを抱きしめ、思い詰めたような声が耳に響いた。
「行かないでくれ、キャロル。これが夢でないなら・・・離れないでくれ、キャロル!」


驚いて声も出ないキャロルをライアンは強く抱き寄せ、深く唇を貪った。
「愛している・・・愛している・・・ずっとそうだった。でも言えなかった。どこにも行くな。ずっと側においで。愛している・・・」
うわごとのようなライアンの告白。
キャロルは最初、抗うようなそぶりを見せたがやがて体から力が抜け、素直にライアンの胸に体を預けるような形になった。
「兄さん・・・どうして?どうして?」
「どうしてだって?お前を失いたくないからだ。アフマドにもジミーにも誰にも渡さない。ずっと側にいてくれると思って・・・まだまだ子供だと思って油断していた。そうしたらお前は勝手にどこかに行こうとする。
お願いだ。側にいてくれ。僕を必要だと言ってくれ。僕はお前が欲しい。お前が必要だ・・・」
ライアンは熱に浮かされたように感情をむき出しにして、思いの丈を告白した。


「私は・・・この家の娘ではないわ。兄さんにふさわしくない」
キャロルはそれだけをやっと言った。瞳に宿る万感の想い。
(私はもらわれっ子。兄さんに何もあげられない。ドロシーみたいに。もしアフマドと結婚したらリード財閥のために・・・兄さんのために役に立てると想ったのに。やっと決心したのに)
「馬鹿なっ!」
ライアンはキャロルの肩をしっかり掴み、青い瞳を見つめた。
「お前はこの家の大事な娘で、僕の大事な女性だ。分かってくれ。僕はお前を愛している。妹なんかじゃなく・・・一人の女性として。かけがえのない僕のキャロル・・・」
キャロルの頑なな心が、深く封印してきた本当の気持ちが静かに咲き綻ぶ・・・。
「本当に・・・?
兄さんは本当にそう思ってくれるの?私は何も引け目に思わなくていいの?
私は・・・」
キャロルの唇がライアンに塞がれた。
「言っておくれ、キャロル。僕は・・・期待していいのかい?僕は・・・」
キャロルは静かに唇を離し、ライアンに囁いた。
「私・・・ドロシーに焼き餅を焼いて、兄さんを忘れるためにアフマドの言うことに反対しなかったの。
私の我が儘で迷惑をかけたくなかったの」
「我が儘?」
「私は・・・兄さんが・・・好きです。妹としてではなく・・・て、兄さんが好きです」
ライアンの力強い腕がキャロルを抱き寄せる。キャロルは素直に身を任せ、めくるめく喜びに酔った。
恋人同士の口づけを初めて交わす二人。夜明けの太陽が空を黄金色に染める・・・。


広大なリード邸は今、ライアンとキャロルの二人きりだ。
リード夫人はばあやを伴ってアメリカに渡り、ロディは過労で倒れた兄に代わり仕事を見ている。昼間、通ってくるメイドは食事や掃除・洗濯など最低限の仕事を済ますと帰っていく。
キャロルは心を込めてライアンの世話をし、ライアンは素直にキャロルに甘える。
心を確かめあった二人は穏やかに静かな喜びに満ちた世界の住人だった。優しく抱き合い、そっと口づけを交わす。甘い囁き、冗談めかした恨み言。
朝になれば、挨拶を交わし一日中、一緒にいて・・・そして夜になればそれぞれの寝室に引き取る。また朝に顔を見る喜びを期待しながら。
ライアンは深い喜びを覚えながらも、わざとなのか自然にそうなるのか、以前のように妹のように甘えてくるキャロルに歯がゆさを覚えるようになってきていた。
ライアンが少し大胆なことをしかけようとすれば、キャロルは軽く腕の中からすり抜け子供っぽい笑い声を響かせる。それとなく、すずろごとを言いかけてみてもまるで通じないような。とにかくただただ、無邪気に幼いのだ。
(まぁ・・・焦ってはいけないとは思うが、これじゃ恋人同士というより、やはり兄妹じゃないか。しかしキャロルだって16・・・もう男女のことを教えてもよい頃・・・)


明日はリード夫人達が帰ってくるという日。ライアンは夕食の後かたづけをして居間に入ってきたキャロルに言った。
「キャロル。明日は皆が帰ってくるね」
「ええ・・・」
「僕らのことを言うよ。いいね?」
「・・・ええ・・・もちろんだわ」
「キャロル。二人きりでいられるのも今日限りだ。僕は・・・お前に渡したいものがあるんだが・・・今晩、部屋に行ってもいいか?」
キャロルは真剣なライアンの視線の真意を悟った。本能的な恐れと愛しい人に求められたという喜びが彼女を混乱させる。
だが。
キャロルは頷いた。ライアンはそっとキャロルを抱き寄せ、幼い頃していたようにそっと頭を撫でた。

ライアンが例の指輪の小箱を持って、キャロルの部屋のドアを叩いたのは10時過ぎのことだった・・・。


キャロルは薄青のゆったりとした部屋着を着てライアンを迎えた。金色の髪は無造作に垂らされ幼いかんじがする。
ライアンは後ろ手にそっと扉を閉じると優しくキャロルを抱きしめ、二人掛けのソファに座った。
「これを・・・」
ライアンが小箱を開ける。灯りに煌めく指輪。
「兄さん・・・これ・・・。あの・・・あの・・・まるでエンゲージリングみたい・・・」
「妻になる女性に贈る指輪。お前に受け取ってもらえたら、と。
・・・キャロル。この指輪を受け取って欲しい。僕の・・・妻になることを承知して欲しいんだ。
僕はお前に申し込もう。キャロル・・・僕の妻になることを承知してください。ずっとずっとキャロルが好きだった。妹としてではなく最愛の妻として僕の側にいて欲しい。
・・・ミス・キャロル・リード。僕の妻になってくれますか?」
キャロルの頬が燃えるように赤くなり、瞳は喜びに揺らめいた。信じられない幸せ。大きな喜び。キャロルはそっと頷いた。
「はい・・・。私はずっと兄さんの・・・大好きな兄さんの側にいたい」
「・・・愛している・・・!」
ライアンは指輪をキャロルの左の薬指にはめてやった。小さな薄紅色の華奢な手。ライアンの心を永遠に握っている小さな手。


「キャロル・・・お前は僕の妻だ。一生、お前を愛し、守ると誓うよ」
「兄さん・・・嬉しい・・・」
溢れるキャロルの涙をそっと唇で拭ってやるライアン。
ライアンはキャロルの華奢な左手の指を広げ、その間に自分の長くしなやかな指を絡め、手のひらを合わせた。反対側の手でキャロルの顎を持ち上げ、唇を合わせる。それは二人きりの愛の誓いだった。
「兄さん・・・愛しています。私は・・・兄さんだけ・・・」
ライアンは熱い眼差しをキャロルに注いだ。
「お前を・・・妻にして良いだろうか?僕だけのものだ、と・・・印をつけることを許してくれるだろうか」
「・・・!・・・兄さん・・・」
ライアンへの愛、男としてキャロルを求めたライアンへの恐れ、少女っぽい戦き・・・そんなものがキャロル青い瞳を彩った。
緊張し、すくんでしまった小さな柔らかな身体をライアンは抱きすくめた。


「まだ・・・16。ほんの幼いお前。今、妻にするのは酷かも知れない。でも・・・僕はもう待てない。お前を妻にすることを許しておくれ」
キャロルに拒否はできない。恐ろしいと思う気持ちの底から、ライアンと永遠に結ばれたいという強い望みが溢れてきて、キャロルの怖れを押し流す。
「兄さん・・・愛しているわ。私は・・・兄さんの・・・妻・・・になりたい」
あっと思う間もなくキャロルの身体は抱え上げられ、寝台の上に降ろされた。
じっとキャロルを見おろすライアンの熱い視線。

「お前を・・・僕だけのものに・・・!」
ライアンは優しく、しかし時に荒々しく情熱的にキャロルを愛した。
キャロルの全てがライアンの目の前に露わにされ、祝福の口づけが与えられた。幼い身体は怖れおののきつつも、愛しい人の巧みな技の前に花開いていくのだった。
「愛しい・・・」
ライアンはキャロルを深く貫き、愛をそそぎ込んだ。ライアンに穿たれ、裂かれ、苦痛に身もだえるキャロルの涙がライアンの心を揺さぶる。


やがて。
ライアンは腕の中で眠りに落ちた愛しい少女の顔を見つめながら囁いた。
「愛している。愛している。今日・・・僕のためにお前が流した血にかけて・・・僕の愛は永遠にお前のものだ・・・」

翌日。
久しぶりに帰宅したリード夫人を迎えたライアンとキャロルの顔は隠しきれない喜びに光り輝いていた。
ライアンがリード夫人にキャロルと自分の結婚のことを切り出したのはさらに翌日のことだった。先にライアンに話を聞いていたロディの援護もあってどうやらリード夫人は現状を受け入れ、祝福することができた。
「ライアン・・・キャロル。私はあなた方の結婚に賛成よ。
キャロル・・・あなたが色々なことで苦しみ悩んでいたのを知らなかったママを許してね。あなたは幸せになるのよ。誰よりもね。
ライアン・・・どうかキャロルを幸せにしてやってね・・・」


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