『 踊り子の呟き 』 11 私は務めを果たした。 宴は一層賑やかになり、殿方の囃し声も飛び交った。 王子は私が大広間に入っていった時、少し驚かれたように、ほんの少し眉を吊り上げられたようだったが、静かに杯を傾けていらした。 異国の形をしたのがミノアからの客人なのだろう、しきりに褒美の言葉を私に下さった。 「少々幼いかと思うたが、充分に美しい、しなやかな手足、よく伸び、通った歌声、感嘆したぞ。」 大げさなまでに褒めたのは、国王がいる手前だと私は感じていたが、それだけではなかったらしい。 「年はいくつになるのだ?」と問われ、私は12だと答えた。 国王は客人が酷く私を気にいったのに目を止め、よければ手土産に、と上機嫌に言い放ったのだ! 客人は喜び、訳を国王に語りだした。 ミノアの王は14になられるのだが、今病の床にあり、退屈をしのがせるものを求めている。 この娘の歌や踊りはきっと王の気晴らしになるだろう、と。 私は信じたくなかった、このようなやり取りなど! 遠いミノアへ連れ去られてしまうのだ、王子から離れて! 私はただ仕込まれたように礼を述べ、体が震えようとするのを必死で我慢した。 だが王妃様にお仕えするミラ様のお顔に、酷く満足げな、意地の悪そうな笑みが浮かぶのを私は確かに見たのだ。 明日の出発の事を上機嫌に話す客人の声を聞きながら、私はひっそりと大広間から抜け出した。 私の頭の中には、ただ王子から離れてしまう、そのことしか思い浮かばなかった。 12 私がミノアへ行くことを、ムーラ様をはじめ、側仕えの方々は、別れを惜しんでくれた。 けれども私はミタムン王女に仕える為にここに来ていたのだから、王女のいないここでは用がないものだったし、今度は年齢の近い少年王にお仕えすることのほうが遥に相応しいと、別れを惜しむ一方で、それはとても光栄なことなのだと褒めた。 そして相応に衣装などをまとめてくれるとムーラ様は請合い、早く休むよう取り計らってくれた。 私は割り当てられた寝所で、窓から見える月を見ながら決意を固めていた。 私の命を救って下さった王子、名を与えて下さった王子のために私は生きていた。 あの涼やかなお声の届かぬ遠いミノアの地で、私は生きていけるのだろうか。 廓にいただけに、目鼻立ちの整った女の行く末は嫌になるほどよく知っていた。 それに自分の顔形が殿方の目を引かぬわけにはいかないことを自覚できないほど、私は愚かではなかった。 王子も「そなたが大きくなればさぞや人目を引くだろう」と幾度も話されたことも覚えていた。 自分のために香を焚く等考えたこともなかったけれど、今私はそうしなければならなかった。 しかも自分の知る限り、特別効果の高いものを。 それがどれほど自分に不似合いなのかも分かりすぎるほど知っていた。 貧弱な体、細すぎる手足、薄い胸、頼りない腰つき。 豊かな胸や括れた腰つきの姉様方や、後宮の方々の体つきをこの時ばかりは羨ましく思った。 いつもはそうなりたくないと思っていたのに・・・。 自分がやるべきことをもう一度胸のうちにつぶやくと、私は立ち上がり、闇に紛れて忍んで行った。 そこへいくのは初めてだった、胸の鼓動が体中に響き渡るようだったけれども何とか落ち着いた声が出るように、一つ大きく息を吐くと頭をしゃんともたげて言った。 「ライラでございます、王子、お別れのご挨拶に参りました。」 13 常夜灯の灯りの下でいつになく王子は美しく逞しく見えた。 私が訪れたことを驚かれたようだったが、私が王子の下へ行くのをお許しになり、「そなたがここに居ないのは、さぞかし寂しいだろうな」とあの涼やかなお声で仰った。 ミノアからの客人とは、ミノアの大臣であり、ミノアはヒッタイトにとっては重要な国交相手なのだから、国王も無下に扱わぬのだと、王子は私に分かりやすく話された。 ミノアの少年王は病弱で王宮から出ない生活だそうだから、そなたの存在は重宝されるだろう、と。 王子の口から出る言葉は、聞きたいものではなかった、いかにあの私のお慕いするお声であろうとも。 震えそうになる手を必死に固く握りしめ、私は王子のお顔を見つめて言った。 「どうか、どうかただ一つのライラの願いをお聞きください。あなた様に救われて以来、私は何も望まないよう過ごして参りました。 命と引き換えにしても構いませぬ。どうか今宵、ライラをお召しください、どうぞ、お情けをこのライラに・・・。」 「・・私には子供を抱く趣味はない」 「精一杯お勤めいたします!どうか・・・どうか、お願いでございます、王子・・・。」 実際にしたことはなかった、でも姉様方から殿方への閨の技を教えられていた、姉様方がどのようにするか見ていた。 王子のお顔を見ないように、王子の側へ寄り、王子の纏われた寛衣の胸元を震える指で広げ、奉仕しようとした。 あれほどなりたくないと思っていた、したくないと思っていたことしか、結局私は知らなくて、それ以外に自分のできることなどないのが胸が締め付けられるほど辛かった。 王子の匂いがする、ぬくもりを感じるこんなお近くにいるのに、喜びよりも辛く感じられるのは何故なんだろう・・・。 「もうよい、ライラ、よいのだ」 私の頭がすっぽりと包まれるほど大きな掌が、優しく頭を撫でる感触に顔を上げると、少し哀しげな琥珀色の目と合った。 「無理にせずともよい、そなたが辛いのは分かるゆえ・・・。」 体が引き寄せられて王子の膝に抱きかかえられ、私の身体は温もりに包まれた。 それは私が初めて知った温かさだった。 14 そのお手は私が知ってるどんなものよりも温かく優しいものだった。 初めて知る下心のない、私を慰め癒すもの。 私の名を呼ぶ、私の頭の上から響く低くて甘い声音はずっとそのまま聴いていたいものだった。 あなた様から離れてどうして生きていけましょう。あなた様があの時兵を止めなければ私は死んでおりました。 何も欲しいと思いませんでした、ただあなた様のお声の届くところにさえ居れさえすれば・・・・。 大きくなんてなりたくない、子供のままであなた様のお側で歌っていたかった。 身に余る大それた願いだとは分かっております、でも私にはあなた様に差し上げるものが何もないのです。 あなた様に救われた命と名以外には・・・・・。 頬を濡らすものが何かわからなかった、目の前がぼやけて、王子のお美しいお顔がはっきりと見えない。 王子の指が頬を拭い取り、やっと私が泣いているのだと思い当たった。 物心ついて以来泣いたことなど覚えがなかった、泣けば殴られ余計に邪険にされたから、泣かないようにしているうちに、私は泣き方すら忘れていた。 でも今王子が私を呼ぶ声を聴きながら、広い胸のうちに抱かれて泣いているのは何故だか心地よく安心できた。 「可愛いライラ、そなたを妹のように思っているのだ、ミタムンは乙女のまま早く死んだのだ、ミタムンの分もそなたに生きよと願うは、私の我侭か?」 なんて勿体無いお言葉をこの私にかけてくださったのか。 でも私は生きたいと思っていなかった、この王宮をでたら、山々を縫って進む一行から離れてこの身を投げようと決めていた。 旅の最中、行方知れずになったり、浚われたりするのはよくあること。 王宮で命を絶てば、王子に、ムーラ様に、ご迷惑がかかる、だから死ぬなら、王宮を出てからだと決めていた。 生きていれば、姉様みたいにしなければならない、そうせざるを得ない、あんなふうになりたくなかった。 でも今なら王子のことを思ったまま、そのまま幸せに死ねるのだ。 「全くもって、そなたもかの姫も、よく似ていることよ、一途で真摯で・・・。 私を惹きつけてやまぬ。」 そう話す王子の声に、私は王子のお顔を見上げた。そのお顔はなにやら困ったような笑みを浮かべてらした。 15 かの姫、というのはナイルの姫君の事だとは察しがついた。 王子のお手が私をあやすように頭や肩や背中を幾度も滑っていくのを心地よく思いながら、王子の静かなお声を私は聞いていた。 自分の手のうちにありながら、エジプトのファラオに寄せる激しいまでに一途なその様子に、自分に靡かぬ女などいなかった王子には信じられなかったのだと。 好奇心が旺盛で、深い慈愛の心を持ち、よく表情の変わる姫と、子供ながらに落ち着き払った見据えた目のそなたとは一見似ていないようだが、その一途に思う目の光は同じなのだと。そして自分を惹き付けた。 そなたは美しく利発なのだ、そのような悩ましい香が誠に似合う頃には、そなたを愛しく思う者を捕らえて離さぬだろう。 私もかの姫をわがものとするのに努力しよう、だからそなたも生きよ、と。 そう仰る端整なお顔を見ているうちに私の涙もいつしか乾き、幾分か落ち着きを取り戻したようだった。 王子が私に生きよと願われるなら、生きなければならない。ミタムン王女の分も生きよと仰るならばそれも運命なのかもしれない。 でも生きていけるのかもしれない、この夜を、この温もりを忘れない限り。 「私の褥で何もせずに終らせたは、そなたただ一人よ、ライラ」 私が暇を告げるとき、王子は笑いながら仰った、それは私がただ一人特別扱いの待遇を受けたのだという意味だった。 王子と別れるのは辛かったけれど、胸の奥が暖かいもので満たされたような不思議な感覚はずっと残っていた。 ほんの少し、大人になるのが恐くなくなったような気すらしたのだ。 16 ミノアの方々は私を大事に扱ってくださった。 少年王ミノス様は、線の細い方で、自由にならぬ体のために大層癇が強くなっておられ、その様子は廓にいた気まぐれ姉様やミタムン王女の我侭振りを思い出させた。 自分より年かさの者ばかりが仕えるところで、年少の私がお仕えするのは気に食わなかったのか、ミノス王は無理難題を突きつけてみたり、気まぐれなことを言ったりして困らせようとしたけれども、私がそのようなことに慣れていることや、あまり自分の命に執着がなく、神殿に捧げるという脅しも効かないのがわかると、かえって私を側に起きたがり、日がな一日私を放さなかった。 それに香の調合ができるのが役に立った。 加減して調合すると眠りに誘う香もできるので、気の高ぶって眠れない時など、王はよく私を呼び、香を焚かせ、私は小さな声で歌を歌いながら、眠りに落ちるのを見ていることも多かった。 今、王は回復なされ、まだまだ線の細さは残ってはいるけれども、体つきが大きくなられた。 政務にも就かれ以前のような病弱な影は消えた。 私は相変わらずミノス王の元にいる、ミノス王の寵を受けるのかもしれない。 王のことは嫌いではなかった、王と過ごす時間も好きだった。 私の身体は女らしくなった、あれほど嫌がっていたはずなのに、胸は豊かになり、腰つきも張り出した。 でも王が私の身体も、声も、全てが好きだと仰られて以来、そう厭わなくもなってきていた。 そう変わった自分のことを考えると、いつもイズミル王子を思い出す。 あのお方が居なければ私は生きてはいなかった、それだけはいつも感謝している。 王子がナイルの姫君と幸福に過ごしてくださることを、この美しい海に囲まれたミノアから、あの岸壁に聳え立つ王宮を思い出しては、祈っている。 あの夜の、私を呼ぶ低く甘い響きのお声を思い出しては・・・・。 終わり |