『 琥珀と水晶 』 41 「お・・・じ。苦しいったら。離して。病人がこんなことしたら・・・!」 キャロルは真っ赤になって王子から逃れようとした。癇癪は霧散し、今は恥ずかしさと喜びと戸惑いがない交ぜになった心持ち。 「愛していると言ってくれ、姫。そなたは一度もそう言ってくれたことがない。馬鹿な男に言ってくれ、愛していると。そうしたら・・・離してやるから」 王子はからかうような口調で言った。キャロルの狼狽えぶりを面白がるような皮肉っぽい微笑。 素直に感情を表すことができなくて、素直にキャロルの愛の言葉を請うのは気恥ずかしくて、遊び慣れた男の仮面を被ってしまう。でも何気ない声の調子や仕草の中に・・・キャロルにしてみれば見え見えの真摯さと臆病さが隠しきれない。 「姫・・・」 ―お馬鹿さん。お母さんの気を引こうとする小さな子供みたい。 ―本当に不器用な人。人の心を請う術を、言葉を知らなくて、自分の想いとは正反対のことをしてしまう天の邪鬼。 ―子供みたいな人。賢くて冷静で申し分ない大人の男の人なのに、肝心のことは何も分かっていないのね。 ―私が気付かないままだったらどうしたのかしら?本当にこの人は・・・。 キャロルの瞳の中に暖かい微笑の灯りが灯る。 「姫・・・?」 「呆れた人。何も分かっていないのね。言わなきゃ分かってくれないなんて。 ああ、王子・・・」 碧水晶の瞳がまっすぐに琥珀の瞳を覗き込んだ。 「愛しているわ」 42 その晩、王子とキャロルは抱き合って同じ寝台で眠った。 天窓からのぞく秋の星を数え、月が動いていくのを見守った。 互いのぬくもりが心地よく、相手の息づかいが安らかな気持ちを呼び起こし、時折、指先に触れてはまた離れていく肌の暖かさが懐かしかった。 とりとめのない話。秘密めいた小さな笑い声。お互いの髪を、頬を、背中を優しく撫でる手。 「ああ・・・とても暖かくて心地よい。今までよく離れて眠っていられたものだ。もう・・・独り寝はできぬな。姫、もし嫌でないなら添い寝を・・・許してくれるか?これから・・・」 「ええ・・・」 やがて二人は眠り込んだ。広すぎた寝台は初めて居心地の良い場所になった。 王子はキャロルよりは少し長く起きていて、キャロルの寝顔を飽きず眺めた。 これまで好きな女と一緒に居るときにはいつも感じた、あの刹那的な欲望は不思議なほど感じなかった。 ただ腕の中の小さな身体が愛しくて大切で、その暖かな存在が自分の腕の中で安心しきって眠っているのが嬉しかった。 枕の上に王子の茶色の髪と混ざり合って広がる金髪。薔薇色の唇はほんのりと開き、安らかな吐息が漏れる。眠れば余計に幼く見える顔に今は一点の曇りも憂いもなく、ただ安らかだ。 キャロルのその寝顔は、イシュタル女神の与えた恩寵のようにも感じられ、一種宗教的な感動が王子の胸に広がっていく。 「・・・イシュタルよ、感謝いたします。この娘を与えたもうたことに。この娘の心を私に与えたもうたことを。願わくば・・・この娘に能う限りの幸福を与える力を我に・・・」 王子はキャロルの額に口づけると、そっとその白い腕を自分の腰にまわさせた。大事な存在と抱き合うような姿勢で王子もまた眠りについたのだった。 43 穏やかに日々は流れて。秋は深まり、また冬がやって来た。 冬の朝日が優しく射し込む寝室。冷たく冴えきった冬の月が玲瓏たる光を投げかけていた昨夜とはまるで違って見える寝室。 王子の目には何もかもがまるで真夏の光を受けているかのように輝いて見えた。 (それはきっと私が姫を愛したからだろうな。そして姫も私を・・・) 王子は幸せな笑みを浮かべていた。傍らにはキャロルが子猫のように眠っている。初めて一糸纏わぬ姿で抱き合って眠った夜。飽くことなく求めあい、尽きることなく与えあった夜。 キャロルは羞じらい、そして恐れていた。自分が大事な娘の心に負わせた傷のあまりの深さに、王子は戦きつつ心を込めてキャロルを愛した。 「そなたを愛することを許してくれるか?そなたが嫌がることはしないと約束するから・・・それでも恐ろしいか?いやならば・・・何もせぬ」 「王子・・・。恐ろしいのは本当。でも私は・・・あ、あなたに愛されたい・・・。でもやっぱり・・・恐ろしいのは嫌・・・」 「そなたを慈しむ幸せを私に与えてくれ。大丈夫だ。誰がそなたに恐ろしい思いなどさせるものか。そなたを私に与えてくれ・・・」 王子は優しく花嫁を慈しみ、情熱の滾りを押さえて大切に大切にキャロルを愛し、今度こそ少女時代に別れを告げさせた。 やがて目覚めたキャロルは恥ずかしそうに笑った。かつては厭わしくて仕方のなかった行為。でも今は・・・王子に愛された自分が誇らしくて幸せで。 「今日は床を離れたくないな・・・。もっともっと、そなたを知りたい」 本当なら恥ずかしい格好でいるのに、凛々しい恋人に接吻を求められる嬉しさが羞恥を遙かに凌駕する。 微笑み交わす二人。室内に深く差し込む日光が、お互いを見つめ合う恋人同士の瞳に暖かい光を添えた。 終わり |