『 陽炎のごとく 』

21
キャロルの周りを風が取り巻き、それはキャロルを包んでいるかのようだ。
そしてその気配は彼女がよく知っている、イズミル王のそれだった。
キャロルは立ち上がり空を見上げ、嬉しさと戸惑いを含んだ表情を見せた。
キャロルの目には別れた頃の雄々しく逞しいイズミル王の姿が見えている。
自分を見る時に、微笑むと目尻に小さな皺のよる、愛しい愛しい表情で。
「・・私を待っていてくれたのね?・・ずっと・・私とあなたが愛したこの土地で・・・。」
キャロルの胸は、長い年月を経ても色褪せることなく自分を思い続けてくれたイズミルを思うと嬉しさと愛おしさでいっぱいになり、頬には静かに涙が伝っていく。
「・・あの子達は・・・?私とあなたの子供達は?」
『・・・天命を全うしたのだろう・・・。私の方が早く逝ったのでな・・・。
 魂だけでも我が下へ戻って参るとの言葉を信じて・・・・ただここにいた・・・。
 さあ、我が妃よ・・。』
イズミル王はキャロルに右手を差出したので、キャロルもそっと自分の右手を近づけた。
「そう・・・約束したわ・・・。魂だけでもあなたのところへ帰ってくるって。」
キャロルの顔は幸せそうに微笑んだ。
イズミル王とキャロルの指先が触れ合ったかのようにキャロルの眼に移った次の一瞬、長い年月を耐え忍んできたものが何かの衝撃で一瞬にして塵となって崩れ落ちたのかのように、キャロルの身体は掻き消えたのである。
「・・キャロル?どこへいったんだ?隠れん坊かい?」
広い遺跡跡を見渡してたアフマドはキャロルがいた辺りに目を向けたが、キャロルの姿はなかった。
隠れるような遮蔽物のない場所なのに、キャロルの姿はない。
キャロルのいた辺りに足を向けるがそこはキャロルなどいたような痕跡は見当たらず、ただ古の文化を残すだけ・・・。
そしてアフマドは足元に光るものを拾い上げた。
自分がキャロルに贈った大粒のサファイアの輝く婚約指輪を。
風がアフマドの頬を撫でた時、「ごめんなさい・・・。」とキャロルのか細い声が聞けたような気がして、アフマドはもう一度辺りを見回した。
そしてアフマドはキャロルがいなくなったことを悟ったのである。
「キャロルー!キャロル!何処だ!」

22
付いてきた爺やボディガードなども総動員し、キャロルの捜索にあたり、警察にも連絡を入れ、大掛かりな捜索が行われた。
リードコンツェルンの総裁の妹で、大株主であり、またアラブの名門ル・ラフマーン家の嫡子の婚約者ともなれば身代金目当ての誘拐かとも目され、世間を騒がせたのであった。
だが何の手がかりのないまま、日は過ぎていきいつしかキャロルのことを取り沙汰する人も減っていった。
ライアンやロディにも大きなショックを与えたが、二人の心には「いつかキャロルがいってしまう」という予感があったのか、アフマドを責める真似はせず、ただキャロルが失踪直前まで幸福に過ごせたことをアフマドに感謝した。
そしてライアンは思い出深いカイロの別邸を手放すことを決めたが、なるべくキャロルのいなくなった当時のままにしたいと、アフマドはカイロの別邸をライアンから譲り受けることにした。
キャロルがいた頃とは変わらない屋敷の中を歩き回りながら、アフマドはキャロルを思い出してみる。カウチに座っていた姿や自分を両手を広げて出迎えてくれた姿が、今にもそこから出てきそうな気がするのに、あまりの存在感の薄さにアフマドも呆然としてしまう。確かにいたはずなのに、自分が見ていたのは陽炎であったかと思えるほど、その存在感は薄かった。
「アフマド様、お別れのご挨拶に参りました。」
振り向くとそこにはかつてこの屋敷を切り回していたばぁやがきちんと身づくろいして立っていた。
長い間ここにいてキャロルを世話していた彼女にとってはここを離れることはさぞ辛いことだろうと、アフマドは思いやりのある言葉をかけた。
潤んだ目をしながら短い言葉で礼を返したばぁやも最後に屋敷を一瞥するとアフマドに別れを告げた。
今後はどうするのか、といった問いには「ライアン様とジェニー様が、小さなキャロル様の面倒を見て欲しいとのことですから」と
ばぁやは答えると待たせていた車に乗り去っていった。
自分が愛したキャロルは本当にいたはずなのに、こうして忘れ去られてしまうのだろうか?
幾度そう問い掛けても、手の中で光を放つ大きなサファイアの指輪は何も答えなかった。
窓からは心地のよい風が吹き込んで優しくアフマドの頬を撫でた。
終わり

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