『 ヒューリアの初恋 』


身体の回復を助けるために何か運動を、と侍医に言われたヒューリアはそれでは剣術を、と即答した。
長い幽閉生活に健康を蝕まれていた年若いアマゾネスの世継ぎの王女はエジプト王妃キャロルの尽力でようやく人並みの立ち居振る舞いができるまでになった。
「まぁ、それでは激しすぎませんかしら?いきなり剣術とは。エジプトの風土はお国のそれとは違いますわ。もう少し・・・」
ヒューリアの恩人である小柄な少女は穏やかに反対した。
「さようでございますなぁ・・・。しかしながらヒューリア王女様はもとより頑健なご体質とお見受けいたします。少しずつ、暑い真昼時を避けてなら許可いたしましょう」
侍医の言葉に当然とばかりに頷いて見せたヒューリアを、キャロルはなおも気遣わしげに見ていた。
「ご心配いただきありがとうございます、ナイルの王妃。しかしながら自分の身体のことは誰よりもこのヒューリアが弁えております。無理はいたしませぬよ」
ヒューリアは涼やかに笑って見せた。キャロルも戸惑いながら笑い返す。
凛々しい若い男性のようにも見える美貌が際だつ容貌。それでいて男性のむさ苦しい荒々しさが無いのだから、王宮の侍女たちの中にはこの年若いアマゾネスに惹かれる者も多い。
(こうしてみると私と同じ生き物とは思えぬな、このナイルの王妃は。小柄で骨細で頼りない。美しく愛らしく、丹精されねばたちまちに枯れる花のようだ・・・)


ただ美しいだけの詰まらない女であったら、いくら命の恩人とはいえヒューリアもここまで興味は覚えなかっただろう。
だが長く過ごすうちにキャロルの内面−無邪気に優しいだけでなく、毅然とした強く意志的な部分も持つ−を知るようになり、ヒューリアはいつしかキャロルに尊敬の念すら抱くようになっていった。
(ナイルの王妃は私とは全く違う育ち方をした方だが、やはり生まれながらの女王、人を自ずと従える方だ・・・)
アマゾネスにとって美しく心映えの良い女性というのは宝であった。そのような女性の血を一族に取り入れることが出来れば、アマゾネスの栄えはいや増すであろう。
男性が美しい女性を望むように、アマゾネス達も美しい女性を望む。生涯の連れ合いとして。
そして男性は、アマゾネスが子を産むための道具、であった。血を残すのに必要であるから交わる。だが心を交わすことはない。男は男。野蛮な彼らは決して女性にはなれぬのだ。

ヒューリアは選ばれた兵士と剣の稽古を始めたが、じきにもっと強い相手を求めるようになった。ついにはウナスが召し出され、ミヌーエ将軍も相手をさせられた。
「エジプトにはもっと強い男はおらぬのか?皆、相手にならぬ!」
うすく汗ばんだ肌を太陽に晒してヒューリアは笑った。ミヌーエ将軍やウナスは苦笑している。半ば社交辞令で負けたのだが、あとの半分は間違いなくヒューリアの大胆な剣に翻弄され追いつめられたのだ。


ヒューリアはキャロルと共に中庭を見下ろすメンフィスに呼びかけた。
「ファラオ!かくなる上は御身と手合わせ願いたい!」
人々がざわめいた。アマゾネスの王女は何と大胆なのか!
メンフィスはまともに取り合う気にはなれぬとばかりに微笑している。キャロルも心配そうにメンフィスの腕に縋っている。
「どうされた?私の相手はしていただけぬか?ナイルの王妃よ、御身の夫君は女の挑戦を受けられぬ腰抜けかっ?」
見え透いた稚拙な挑発だったが、メンフィスを怒らせるのには十分だった。
「メンフィス、やめて!あの方、病み上がりよ?お相手の兵士達だって手加減はしていたのでしょう?」
キャロルをふりほどき、わざと怒った声でメンフィスは言った。
「あのような雑言を聞き捨てたとあっては私の名折れだ!ふん、私ならば身分を慮っての遠慮はいらぬ。そなたの大切な預かりものの王女だが、少し躾けてもよかろう!」
メンフィスは剣を取り、マントを脱ぎ捨て腰衣だけの軽装になると中庭に降り立った。
「いざ、お相手つかまつろう、アマゾネスの世継ぎよ!」
「おお!」
人々の心配を余所に鋭い剣戟が繰り返される。


「ナフテラ、どうしましょう?ヒューリアに何かあったら・・・。あの方、強いのよ?」
「大丈夫でございますよ、キャロル様。ほら、メンフィス様はご冷静でございます。手加減をなさっておいでなのがお分かりになりませぬか?ほら・・・」
言われてみればメンフィスは真剣勝負と言うより剣舞でもしているような身のこなしだ。それはヒューリアにも分かったのだろう。
「メンフィス王、御身まで私を愚弄されるかっ?」
「ふふ・・・」
メンフィスは優しい笑みを浮かべた。キャロルを幾度と無くうっとりとさせてきた笑みだ。
そして次の瞬間。
甲高い金属音と共にヒューリアの剣は高くはじき飛ばされ、はずみで仰向けに倒れたヒューリアにメンフィスは馬乗りになり、首筋に剣をつきつけた。
「・・・・・私の勝ちだ・・・・」
全く身動きのとれないヒューリアは生まれて初めて男に負けるという屈辱を味わったのである。


メンフィスはにやりとアマゾネスに笑いかけると手慣れた仕草でこの美しい敗者を助け起こしてやった。
「私は女などに遅れは取らぬ。だが・・・まぁ・・・あなたの勇気と剣技を賞賛することにはやぶさかではないな」
「くっ・・・!」
ヒューリアは年若いファラオを睨み付けた。彼女とて武術の心得ある身。
メンフィスの圧倒的な強さは認めざるを得なかった。
メンフィスはひやひやと成り行きを見守っていた人々に聞こえるように言った。
「これは・・・御身の真剣さと強さに思わずこちらも熱くなってしまった。ヒューリア殿、なかなか手応えある手合わせであった。本復された御身と刃を交えるようなことはしたくないものだ!」
ヒューリアに恥をかかせまいとするメンフィスの心遣い。
だが誇り高いアマゾネスの世継ぎは、その心遣いがまた口惜しく、気がつけば衆人環視の許、涙で目を潤ませていたのである。

「・・・ヒューリア。どうかあまり無理はなさらないで。今日だって本当にどうなることかと思いました。あなたに万が一のことがあれば私、女王にどのように申し上げればよいのかしら?ね、ヒューリア。お願いだわ・・・」
心配そうに囀るキャロルを手で制して、ヒューリアは笑った。
「無理など。私は大丈夫。久しぶりに身体を動かせて心地よい汗をかいた」
「メンフィスのこと、悪く思わないで下さいね。メンフィスは・・・」
キャロルは誇り高い女戦士の顔を心配そうに見た。ここに来る前にすでにメンフィスとちょっとした喧嘩をしてきているのだ。


「メンフィスったら!今日のことはやりすぎだわ。ヒューリアは女性で病み上がりなのよ。それをあんなコテンパンにするなんてひどい!」
「何を申すか。あの女傑に妙な手加減などしてこそ無礼というもの。私はエジプトのファラオであり、ヒューリアに何の遠慮もいらぬ身分と立場を備えている。大丈夫だ、身体に触るようなきつい打ち込みはしておらぬし。それに病み上がりであの強さだ。本復してより後の腕は推して知るべしだな。ふーむ。ヒューリア殿がそなたと同じ女性とは思えぬ。あの強さ・・・」
メンフィスはまだぷんぷん腹を立てているキャロルを抱きすくめた。
「そなたは柔らかく華奢だ。強いと言ってもそれは心根のこと。まことこの身体は儚げでたおやかで私が存分に愛することにすら耐えられぬらしい。・・・・ヒューリア殿に鍛えてもらうか?あの一族の・・・・は凄いらしいぞ。男は天国を味わうそうだ。かの一族に己の精を分け与えるとき・・・」
メンフィスは最後までは言えなかった。
怒ったキャロルの白い手が口をつねったからだ。メンフィスはその罰に白い手を掴み、その持ち主に苦しいまでの愛撫を加えた・・・。

ヒューリアは先ほどのことを思い出して頬を淡く染めるキャロルに言った。
「そのような気遣いこそ私にとっては屈辱だな、姫。私に真剣に挑み、高慢の鼻をへし折ってくれたメンフィス王はまこと見上げた男性よ。あのように強く素晴らしい男性がいるとは・・・」
「え?」
「うん、私は男など身勝手で馬鹿でくだらないむさ苦しい生き物だと思って生きてきた。実際、その通りなのだしアマゾネスは男を卑しむからな。だが・・・メンフィス王は違う。まるで」
考え考え喋るヒューリアにキャロルは無邪気に言った。


「あら、メンフィスは特別よ、ヒューリア。
そりゃ、我が儘な暴君で本気で腹が立つこともあるけれど、とっても優しいし、いつも私を守ってくれるわ。むさ苦しくもないし。さっきはあなたに意地悪だったと私は思うけれど、でも本当は公正で素晴らしいファラオなのよ。少なくとも世の中にはくだらなくない男の人もいるの」
親友に大好きな恋人のことを惚気るような調子で話すキャロルにヒューリアは微笑を誘われた。
「姫はメンフィス王のことが好きなのだなぁ。我が儘勝手な暴君呼ばわりしてもそこがまた良いのであろう?」
「やだっ、ヒューリアったら!」
キャロルはくすくす笑った。
「そうね、私はメンフィスのことが大好きだわ」
ヒューリアは素直に夫君への恋情を語るキャロルを眩しく見た。
(本当に何と素直で愛らしい姫君であろう。このような人がいつも側にいてくれたのなら毎日はさぞ楽しいだろうな。この姫君はどのような子を産むであろう?賢く優しく人々の心癒す女神のような美しい姫か・・・それともまっすぐな気性の文武両道の姫?)
ヒューリアは美しい女性を伴侶に求めるアマゾネスの視点でキャロルを値踏みするように凝視した。やがてその瞳には妖しい炎が萌すのである。

「おや、キャロルは?」
ヒューリアの私室に姿を現したのはメンフィス王その人であった。室内にキャロルが居ないのを確かめるとメンフィスはヒューリアに手を差し伸べた。
「先ほどは失礼した、ヒューリア殿。あなたに恥をかかせるつもりはなかったのだ。だが不快に思われたのであればお詫びする。どうか許されよ」
ヒューリアは凛々しい青年の言葉に不思議に心乱れた。
「よ、良いのです。そのようなこと。自分より強き相手に負け、己の未熟を知ることは恥辱でも何でもありませぬゆえ」
ヒューリアは言葉を切り、自分より力溢れる英明なる王に我知らず赤面した。
「まこと・・・あなたはお強い。ヒューリア、感じ入りました」
その不器用な恋の告白に気づくメンフィスではなかった。ヒューリア自身、男などに膝を屈して、少しも屈辱を感じぬ自分に驚いていた。


「わぁ、ヒューリア!すごいわ、まるでイルカのよう・・・」
王宮の奥庭に作られた細長い人工の池。熱い日光を厭う二人の貴人が水浴に興じていた。
「何のこれくらい・・・。しかしナイルの姫は水練が苦手か!水の女神の御娘の名折れではないか。手を貸してご覧!私の手につかまって脚を動かして!」
ヒューリアは恥ずかしがるキャロルの細い腕を掴むと、小さな子供に泳ぎを教えるように引いてやった。
池の周りでは侍女たちがキャロルとヒューリアの「水練」を面白そうに見守っている。
(水遊びにお誘いしたのにいつの間にか水練の時間になってしまったわ。ヒューリアが元気になったのは嬉しいけど何だか・・・)
キャロルは自分の手を引いて泳がせてくれる背の高い女性を困ったように盗み見た。
アマゾネスの習俗とて泳ぐ際には腰布しか纏わない―片方の乳房を落とすとは俗説であるようだ―ヒューリアは引き締まった凹凸のしっかりついた見事な身体つきをしていた。
浅く焼けた肌、誇らしげに突き出され揺れる乳房、細い腰に、しっかりと張り出した腰。女のキャロルが目のやり場に困るほどの色気がある身体。
「ナイルの姫、顔を下に向けない!しっかり私の顔を見て、脚はまっすぐに動かして膝を曲げない!」
ヒューリアは命令し慣れた軍人の声音と口調でキャロルを叱咤激励する。
キャロルは腰布の他に胸に厚みのある布をしっかりと巻き付けて泳いでいる。エジプトでは腰布だけか、何も着ないで泳ぐのが普通なのだがキャロルはそれを嫌がって、こればかりは我が儘を通した。
(まこと子供のような身体つき。何と細く厚みのない身体だろう。水しぶきにも折れてしまいそうではないか)
ヒューリアはばた足をするキャロルの身体を見下ろした。
ほっそりとしたたおやかな身体。どこもかしこも細くて男心をそそる凹凸には乏しい。分厚い布で女の身体のもっとも魅力的な場所を隠しているけれど、だが幼い凹凸はヒューリアをそそった。
透き通るほどに白い肌に浮かぶ華奢な肋骨や鎖骨が未熟な美しさを強調してみせる。
(何とも魅力的な身体だな。布で隠した部分が気になる事よ・・・。何というか・・・・・抱きしめてみたくなる身体つきだ。もし姫がサッフォーの風儀(註:女性同士の恋愛)に通じているならば興深いことだが)


「キャロル、そこにいるのか?」
ヒューリアの好色な物思いはメンフィスの声に破られた。
「部屋で待っているものとばかり思っていたに!私に断りもせずに・・・。おや!ヒューリア殿。今度は水練か?キャロルがあなたの相手になりますかな?」
大股に灌木の陰から現れたメンフィスは、キャロルを抱くように水中に立つヒューリアを見て眉を顰めた。大柄で凛々しい容貌のヒューリアは鍛え上げられた身体を持ち、中性的な男性にも見える。
(おやおや、お妃を箱の中に閉じ込めてしまいたいほどに執心して熱愛しているという噂はまことか)
ヒューリアは腕の中のキャロルの耳朶に囁きかけた。
「夫君がおいでだ。私は下がらせて頂く」
「え?」
ヒューリアはひょいと水から上がった。彫刻じみた見事な身体から水が滑り落ちる。
アマゾネスは自分の身体を隠しもせずに堂々とメンフィスの前を通って消えていった。

(何とも大胆な女人よ。男など見下して眼中にないとはまことか)
メンフィスは一瞬、見事な胸乳に腰に見とれて苦笑した。
(あれで大人しやかな可愛らしい性格であればなぁ。男が放って置かぬ美姫であるに)
「メンフィス?」
キャロルが池の中から声をかけた。メンフィスが見れば、その白い幼い顔に嫉妬の影が萌している。
女のキャロルですら見惚れるヒューリアである。メンフィスの男の視線くらいすぐ分かる。
「そなた、嫉妬でもしておるか?ヒューリア殿はそなたの患者、水練の師ではないか」
メンフィスはするすると腰布を解くと、水に飛び込んだ。侍っていた侍女たちはそそくさと下がっていった。
「そして私はそなたの夫ぞ。夫の心を疑うのか?私は断りもなく外に出た妻を捜して炎天下を歩いてきたというのに」
メンフィスはすいっとキャロルの傍らにやってくるとあっという間に胸を隠していた布を解いてしまった。押さえつけられていた小振りなふくらみが真昼の光の中にまろびでる。
「やだっ、メンフィスったら!やめてちょうだい。恥ずかしい!」
「何を申すか。解いて取り去って欲しいから、あのような窮屈なものをつけているのであろう?可哀想にこの私の大切なる身体をあのような無粋な布で締め付けるとは」
メンフィスは素早く胸の頂きに接吻し、キャロルが狼狽えたスキをついて腰布も取り去ってしまった。

10
庭木の陰からヒューリアは密かにファラオ夫妻の戯れを見ていた。
白い身体を強引に弄ぶように抱く浅黒い肌の男。
華奢なキャロルの身体は撓り、薄紅に染まって惜しみなく与えられる愛撫の快楽を物語る。
男は逞しく大柄な体躯で女を組み敷き、征服し、痛みに近いほどの激しさで女を愛おしんだ。
ヒューリアは、キャロルが高々と腰を持ち上げられ、真昼の太陽の下で濡れたその脚の間をすっかり露わにして暗赤色の男を呑み込む瞬間まで見ていた。
アマゾネス達の中で、男女の交わりなどある程度は見慣れていたヒューリアだが、水の中で繰り広げられる睦まじげな男女の交合には我知らず身体が熱くなる思いだった。
(ナイルの姫が・・・・・あの楚々としたナイルの姫があのように声を上げて、身体を捩って、涙さえ流して。何とまぁ、そそる光景だな。ファラオも逞しく雄々しき男よ。あのような男の胤を我が一族の中に入れることが出来たならいかばかり・・・・)
その時、悪戯な小鳥が盗み見のアマゾネスの無礼を咎めるように側を掠め飛んだ。ヒューリアは苦笑して今度こそ戻っていった。

部屋に戻ってもヒューリアは妙に頭の芯が火照ったような具合で、落ち着かなかった。先ほど見た光景のせいだった。
(あのたおやかに美しいナイルの姫を私の側近くに置いておけたらよいのにな。頭のいいあの姫はきっと私の良い相談役になるだろう。そして夜は・・・私の伽など勤めさせて・・・)
きわどいハーレム衣装を着けたキャロルの姿を想像してみるヒューリア。
(あの姫がファラオと離れがたいのならば、ファラオも一緒に来ればいい。あの炎のような若者の体の見事さよ!きっと女達に素晴らしい子を生ませるに違いない。私を負かせた男、傲慢で女など軽んじる男。その許し難き男を思う様、罰して翻弄し、子種を我が身の内に取り込んで・・・!)

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