『 出逢い 』

1
ヒッタイトの王女ミタムンがメンフィス王の第二王妃となるべくテーベの都に乗り込んできたのはナイルの増水
もじき始まろうかという頃。年若く驕慢な王女に影のように付き添うのは兄王子イズミル。ヒッタイトの世継ぎ
であった。
ヒッタイトの一行を迎えて連日のように催される宴や遊び事、公式・非公式の会談。
ミタムン王女を意識してかファラオの姉にして第一王妃となるアイシスの仕掛ける様々な牽制、後宮の女らしい
企み事。それにいちいち反応するミタムン王女。
イズミル王子は妹を庇い、気遣いつつも女達の争いや、政治というデリケートな遊戯に倦み疲れている自分を自
覚していた。

王子をうんざりさせていることは他にもあった。じき婚儀を行うエジプトの若いファラオ メンフィスが実はある
娘に首っ丈、アイシスやミタムンを差し置いて迎えたい、とごねているらしいことである。おそらくは初めてだろ
う真剣な初恋に溺れる国首の我が儘は、宮廷を混乱させている。
(全く・・・どのような娘なのか。漏れ聞けば珍しい外見をしているとか言うが。しかしファラオともあろう者
が務めを忘れてまで溺れるような女なのか。その娘は側室にでもすればいいのだ。
・・・それとも・・・娘の方が高い地位を強請っているのだろうか)

王子はひそかにファラオの思い人を調査させた。するとさすがの王子も吹き出さずにはおれないような突飛な
報告が上がってきた。
何とその娘は、ナイルの女神の娘だという。無論、その生まれに相応しく美しく賢く、しかも優しい。
ナイルの女神がファラオに与え、ファラオはその娘を手中の珠のように大切にしまい込んでいるらしい・・・と。
(女神の娘だと?もう少しましな嘘はつけんのか)


ある夕暮れ時。
ミタムン王女とアイシス女王の鍔迫り合いにほどほど疲れ果てた王子は気晴らしに庭に出た。
夕暮れ時の庭園は涼しく美しく、いつの間にか王子は女達の住む奥宮殿の庭に入り込んでいった・・・。

「ナイルの姫!ベールをおつけ下さい。さぁ・・・」
苛立たしげな女の声に王子は我に返った。いつの間にか随分、歩いたらしい。好奇心に駆られた王子はそっと声の方に近づいた。
(ナイルの姫・・・?誰だ?)
女の声に応えたのは神経質に甲高い子供っぽい声だった。
「大丈夫よ、もう日差しは陰ったもの。ベールはうっとおしいわ、好きじゃないの」
「人目がございますっ!」
「あら、ここは奥庭よ。見られて困る人なんて入れないでしょう」
意地悪そうな侍女に応えているのは輝くばかりの金髪を無造作に垂らした少女だった。透けるような白い肌、それに・・・それに・・・白い顔の中でひときわ目立つ夏空の青の瞳、薔薇色の唇。
さすがの王子もしばし見とれるほどの少女だった。
(何という美しい姫だろう!メンフィスが・・・国主としてのつとめも忘れ、執着している娘とはかの姫か!)
軟禁同様に宮殿奥深くに閉じこめられたキャロルのあえかな姿は王子の魂を捉え、冷静な青年は一目で恋の奴隷に成り下がった。

召使いに付き添われていた金髪の少女―キャロル―もまたほどなく自分を見つめる王子の視線に気づいた。
(! 兄さん?!いえ,違う。誰・・・?綺麗な人・・・)
恋をろくに知らない少女は、おとぎ話の王子様のような容姿の若者から目を離すことができなかった
付き添いの侍女は急に立ちすくんだ少女の視線の先を確かめもせずに、早々に彼女を屋内に引っ張っていった。。


(ナイルの娘・・・か)
イズミル王子は暗い寝室の中で、夕暮れの邂逅を無限に反芻していた。
ファラオの寵姫だと思っていた。手練手管で男をたらし込む妖艶な美女だと思っていた。つまらない女だと思っていた。
胡散臭い女だと思っていた。
それが。
実際に見かけたのは妹ミタムンよりはるかに年下と思われる少女だった。同じ人間だとは思えない可憐な容姿。
女慣れした王子の目には無邪気で不器用な子供のように―ただしきっかけさえあれば大輪の花を開くつぼみだ―見えた少女。
(参ったな・・・。あんな少女だとは思わなかった)

(あれは誰・・・?)
キャロルは寝台の中でいつまでも目を開けていた。夕暮れ時に見かけた男性。
真昼の砂漠のように輝く明るい色合いの髪。同じ色調の瞳。エジプト人よりは明るい肌の色。長身。整った容貌。
(一瞬、兄さんかと思うほどだった・・・)
キャロルはライアンに似た男性のことをいつまでも考えていた。

翌日。王宮全体が午睡を貪る真昼時。メンフィスの意を受けた侍女監視の目を逃れてキャロルはそっと水浴を楽しんでいた。
たった一人、一糸纏わぬ姿で水と戯れるキャロル。この上ない息抜きだった。

(!・・・ナイルの姫か・・・!何とまぁ・・・)
午睡の習慣には馴染めず、何とはなしに昨日の奥庭に入り込んだ王子は植え込みの影で密かに唾を呑み込んだ。
幼い顔立ちと釣り合う幼い体つき。だが白く華奢な身体つきは、やはり男心をそそるものだった。
手に入れてちょっと手を加えてやれば驚くほど美しく変貌してみせるだろう。
やがてキャロルは水から上がると、手慣れた様子で衣装をつけた。しばらくぼんやりしていたが、
やがて振り返って王子の姿に気付く。
(ま、まさか・・・全部見られた?!)
声も出ないほど恐れおののくキャロルにしかし王子は優しく話しかけた。
「また会ったな。午睡はせぬゆえ散歩に出てみれば、そなたを見かけた。そなたも眠れぬのか?」
王子はキャロルの水浴をのぞき見たことなど、おくびにも出さず言った。
「一人で外に出ることは許されておらぬらしいそなた。そっと戻れ。このことは口外せぬ」


次の日の同じ時刻。キャロルと王子は同じ場所で再会した。
「あ・・・」
出逢いを期待してやって来たのに、いざ王子を目の前にすると何もしゃべれなくなったキャロルに王子は親しげに話しかけた。
「また会えた・・・。逢いたいと思っていた。そなた、名は?どこから来たのだ?」
王子は同時に昨日、キャロルが落としていった造花の髪飾りを手渡してやった。白い手は、王子の手に触れるとみるみる桜色に染まった。
「あ・・・ありがとうございます。困っていたの」
(驚いたな、これは百戦錬磨の寵姫どころか世間知らずの小娘ではないか。男慣れしていないにしても・・・王宮にいればおのずと世慣れてきそうなものだが。
本当の箱入りか、私でも騙されるくらい上手なカマトトか?)
しかし辛辣なことを考えながらも王子はキャロルを観察するのを楽しいと思った。
王子は自分の正体を明かさぬまま、キャロルとの短い逢瀬を楽しんだ。優しく包み込むような王子にキャロルは親しみを覚え、急速に惹かれていき問われるまま、自分のことや故郷のことを語った。
「ふーん・・・。そなたは何だか王宮暮らしが楽しくないようだな。そなたくらいの年の娘なら華やかにときめいた王宮は天国のような場所だと思うが。
・・・あー、それに何というか・・・メンフィス王の側近くで仕えたいという娘が巷には溢れかえっているようだが」
「私は家族のところに帰りたいの。皆が皆、メンフィス・・・いえ、王宮で暮らしたいとは思っていないわ。華やかかもしれないけれど気が休まる暇もない窮屈な嫌な場所。私は嫌いよ」
キャロルはそう言ってから、さすがに言い過ぎたと思ったのか付け加えた。
「結局は人それぞれよ。王宮が向いている人から見れば私の言いぐさなんて鼻持ちならないと思うわ。どっちが正しいなんて言えないわ。人それぞれ、よ」
「ふーん・・・。面白い娘だな、そなたは。そなたのような娘は初めてだ」
奥庭での逢瀬は続いた。お互いに他愛ないお喋りを楽しむだけで、色めいたことなど何もない。キャロルは兄のように優しく話を聞き、珍しい旅の話などをしてくれるイズミルを慕うようになっていた。王子は頭も良く、立派に自分の話し相手を勤められる少女の機知や知識、言動の端々から窺われる穏和な優しさに、気付かぬうちに恋の病を深く患うようになっていった。


20代半ばを過ぎてまだ独身の若者と少女のおままごとのような語らいは始まって3日とたたぬうちに女王アイシスの知るところとなった。
(あれは・・・キャロルとイズミル王子?!何故にあの二人が一緒にいる?
・・・いや、これは良い機会じゃ。邪魔なキャロルを消すための、な)
アイシスは午睡の頃に庭に出る王子の心を見抜いていた。キャロルがまだメンフィスの心に応える気がないことも知っていた。
アイシスはメンフィスが熱愛するキャロルを遠ざけるために、イズミル王子にでも彼女を呉れてやろうと考えたのだ。
エジプトのために・・・ヒッタイト王子の酔狂をかなえてやるのだ。
そしてそれは自分自身のため・・・。
(メンフィスにはこれ以上、女人はいらぬ。私と・・・ミタムン王女で充分じゃ。いえ・・・メンフィスには私だけいればいい。
兄王子がメンフィスが寵愛するキャロルと通じていたと知れれば彼女とて大きな顔をしてはおられぬ。うまくいけば厄介払いできるではないか。メンフィスとて如何にキャロルを庇おうとも姦通は大罪・・・キャロルは死ぬ!)

「イズミル王子。そなたは金髪の娘が欲しいのでしょう?今宵、そなたを彼女の寝室に案内いたしましょう。後は・・・」
夜。小宴の席を下がって回廊を行くイズミル王子にアイシスは直裁に切り出した。
「知っておりますよ。私だけはね。そなたとキャロルが会っていることを」
「・・・そなた・・・アイシス・・・?」
王子を取り巻く生臭い思惑が、彼の欲望と理性を責め立てる。
王子は蛇のような笑みを浮かべるアイシスの黒曜石の瞳を凝視しながら素早く考えを巡らせた。
(なるほど。あの姫がファラオの寵を独占すればアイシスの地位が危うくなるは必至。アイシスはそれを見越して我が心を利用するか。
ファラオに熱愛されるあの娘がエジプトにあれば・・・第二王妃となる我が妹の立場はどうなる?それにあの姫はファラオを嫌っているらしい。このまま伏魔殿のようなエジプト王宮に置いておくよりはむしろ・・・。
我が願いは成る・・・か?あれほどまでに欲しいと思った姫はない。あの姫を我がものに!アイシスが我が心を利用する気なれば、操られてやりもしよう)
為政者としての冷徹な思考に紛らせながら恋に溺れる若者は自分の望みを叶える可能性に飛びついた。


「ふ、よかろう。そなたの茶番につきあってやろう。だが・・・女王アイシスよ!ヒッタイトの王子を愚弄するような真似は許さぬ!」
「全てはそなた次第じゃ。」
アイシスは冷然と言い、夜更けの回廊を先に立ち、王子をキャロルの寝所に導いた。

王子はそっとキャロルの部屋の扉の内側に歩み入った。月光と常夜灯に照らされた部屋は存外質素で殺風景だ。侍女の部屋のような、といえばいいだろうか。
メンフィスに執着されている神の娘とはいえ、宮殿の奥向きを司るのはアイシス。恋敵に何故、贅沢で心地よい居室を与えねばならない?
キャロルは最低限のものしか与えられていなかった。メンフィスに呼ばれたときに着る衣装以外は質素である。ほの見える今着ている夜衣もすり切れたような荒いリネンのもの。本当なら薄くしなやかな紗をまとうであろうに。

「誰・・・?」
人の気配を感じたキャロルが素早く身を起こす。月明かりに浮かび上がる大きな影。
「静かに・・・静かに。姫よ。私だ。私はそなたを・・・」
愛しているのだ、助けたいのだ。そんな言葉がキャロルの耳に届いたかどうか。
「そなたを迎えに来たのだ。そなたはここにいるのは辛いと申したな。私が・・・そなたを連れて行く!そなたを幸せにできるのは私だけだ」
私はメンフィスから愛する娘を奪って鼻をあかしてやるのだ、妹王女の恋敵を騙して奪ってやるのだ、と自分に言い聞かせていた王子。
だが薄明かりの中に白々と浮かび上がる小柄な姿を見て、完全に強がりの仮面は落ち、初めての恋にのぼせる若者に成り下がってしまった。
(あ・・・!この声!庭で会ったあの人!どうしてこんな夜更けに?何を言ってるの・・・?)
「いや!誰か・・・誰・・・か!」
王子は無遠慮にキャロルの寝台に近づき、少女を抱きしめた。


命がけで抵抗するキャロル。だが王子の力は何と強いのか。
急にキャロルの体から力が抜け、ぐったりした。驚く王子の耳に切ない哀しみに満ちたすすり泣きの声が届く。
「い・・・や。何故、こんなことするの。何故、私にひどいことするの。どうして私ばかりひどい目に遭うの?ママ、兄さん、助けて・・・助けて。
お願い、私を放って置いて。行って。嫌い・・・怖い・・・。何かしたら死にます」
王子も我に返り、キャロルの上から身を離した。そして誠心誠意かきくどく。今更、おめおめ逃げ出すような真似もできない。

「泣かないでくれ、姫。私だ・・・庭で出会った・・・いつもそなたと話をしていた私だ。・・・そなたが嫌なら無体はせぬ。
私はそなたを弄び、汚すためにここに来たのではない。初めて逢った時から惹かれて・・・愛しくてだから・・・」
キャロルは無言ですすり泣くばかり。王子はキャロルの細い肩を抱いた手を緩めない。
「そなたは私に言ったな。ここは辛い、と。自由がない、と。私がそなたを連れだしてやる。私を信じてくれ。いい加減な気持ちでそなたの許に来たのではない・・・」
「嘘よ。信じられない・・・。私はあなたが誰かも知らない・・・」
キャロルは彼が王宮にやって来た外国人か留学生くらいにしか考えていなかった。
「・・・私は・・・イズミル。ヒッタイトの王子、ミタムン王女の兄」

7.5
キャロルはそれを聞いて身を強ばらせ、小さな声で、しかし鋭く囁いた。
「王子・・・ですって?あ・・・私を侮辱しに来たの?」
キャロルだってバカではないので、てっきり王子はヒッタイトの国益に反する自分を辱め、必要なら殺すのだろうと考えたのだ。
「違う、違う、姫。私はそなたを初めて見たときから愛しいと思っていた。ファラオの寵姫と聞き、一度は諦めようと思った。でもそなたと話して、そなたがファラオを厭うているを知り、そなたを救いたいと思ったのだ。
身分を明かさなかったのは悪かった。でも明かせば、そなたは怖がって逃げてしまうと思ったのだ」
「嫌・・・嫌・・・恥ずかしいの。見ないで。怖い・・・」
王子の優しい言葉を聞いてか聞かずかすすり泣くキャロル。惹かれていた男性の無体な訪問、粗末ななりを好ましく思っていた男性に見られたという羞恥、王子の身勝手な、でも真摯な告白。全てが彼女を混乱させおののかせる。


長い長い時間。王子は静かにキャロルを抱きしめていた。ただそれだけ。粗末な身なりの小さな娘を。殺風景な部屋の中で肌を粟立たせる少女を。
いつしかキャロルも泣きつかれ、黙って、でも身体を強ばらせたまま王子の腕の中にいる。

「姫・・・」
「・・・」
「じき夜が明ける。でも私は・・・ここにこうしていようと思う」
「!」
「私はそなたに指一本触れぬ。私はそなたを心から欲しいと思っているから。
私はそなたが私を憎からず思っていてくれたことがあるのを知っているから。
姫・・・こんな気持ちになったのは初めてだ。私はそなたの心が欲しい。
そなたが家族の許に帰りたがっているのも、メンフィスを嫌って寄せ付けないのも人づてに聞いた。いつも故郷に帰りたいと言っていると。
でも私はそなたを帰したくない。私が・・・そなたが失うもの全てのかわりになりたいのだ」
キャロルはただ混乱している。全くこの男性は強引なのか、それとも優しいのか。夜に人の寝所に忍んできて優しい口説で夜を明かす・・・。

「お願い・・・もう私を困らせないで。本当に私を大事に思ってくれるなら。
こんなことが他の人に知れたら・・・私もあなたもどうなるの・・・?
皆が私を見張っているの。本当に何故、あなたはここに来られたの?」
「私を気遣ってくれるのか?」
見当はずれの喜びに微笑む王子。だが王子はまじめな顔になって言った。
「私は・・・手引きされてここに来た。ふふ・・・そなたを欲しいと思う心に負けてこのような真似をしたのだ」
「て、手引き?」
「そう・・・アイシスが私に申した。そなたを得させてやると。そなたの寝所に通してやる、と」
「アイシス、が・・・」


絶句するキャロル。
(アイシスが私を憎く思っているのは知っていたわ。メンフィスから私を引き離そうとこんなことをするなんて。あの人が私を古代に引き込まなければ、私はメンフィスなんかと顔を合わせることもなかったのにっ!
いきさつはどうあれ、メンフィスは私が彼を裏切ったと思って・・・怒って・・・殺すかも知れない。王子だってどうなるか。
アイシスは私を殺そうとして・・・!)
王子は淡々と言った。
「ファラオの執着するそなたが夜に男を引き入れたとなると、そなたも私も無事では済むまい。アイシスはそなたがメンフィスに成敗されてしまうことを期待しているのだろう。
メンフィスからそなたを奪った私も・・・どうなるかな。メンフィスの第二王妃の兄だとはいえ斟酌されまい。アイシスもなかなかやる。きっと部屋の外もアイシスの手の者に見張られていよう。
どのみち我らは明るくなるまで外には出られぬ」
「そんな・・・!ひどいわ。私たち、何もしていないわ。
ア、アイシスもアイシスだわ。私が憎いなら何故、現代に帰してくれないの!
どうして王子、あなたを巻き添えにするの?王子だって・・・そこまで分かっているならここに来ることはないじゃない?」

「言ったであろう。私はそなたを得たいから・・・このような酔狂な真似をしたのだと」
王子はにっこり笑うとキャロルを軽々と抱え上げた。驚くキャロルを抱きかかえ、そのままナイルに面した窓の外に飛び込む王子。
水音が朝靄のナイルを一瞬乱した。
「さぁ、息を吸え。潜って私の部屋の下まで行こう!まさか川伝いに逃げるとは思っていまい」
こうして王子はうまうまと大事な娘を盗んで自分の部屋に帰ったのである。

10
「さて、と。すっかり濡れてしまったな。隣が湯殿だ。湯は冷めておろうが少し清めて参れ。さっぱりする。
どうした?そんな顔をして。今更、後戻りはできぬぞ。しばらくは私の言うことを聞くのが得策だ」
王子はさも愉快そうに磊落に笑って言った。キャロルは知らないが、普段の冷静沈着な彼からは想像もできない笑顔。王子はかなり浮かれていた。アイシスの裏をかき、キャロルを得たのだ。
王子はキャロルに、自分の寛衣を貸してやった。腰帯で腰を絞り、丈を調節するとどうやらキャロルにも着られそうだ。やがて布にくるまったキャロルが戻ってくる。
「今度は私が湯を使おう。着替えは一人でできるな」
王子はキャロルが心おきなく着替えられるように、わざと席を外した。
ぬるい湯に浸かり、王子はキャロルの裸身を想像して愉しんだ。
「あんな子供をすぐどうこうするほど私は倒錯してはおらぬ。まずは私に慣らさねば。それから・・・」
王子は上機嫌で、半ば自分に言い聞かせるようにひとりごちた。あれほど欲しかった娘が今は自分の手許にあると思うだけで、新しい玩具を手に入れた子供のように心弾むのだった。

「あ・・・王子・・・」
手でしっかり胸元を押さえたキャロルは困ったように部屋の隅に移動した。
王子の衣装はやはり大きすぎた。丈は腰帯で調節しても、肩幅がありすぎて胸元が大きく空いてしまう。袖も長すぎて手が出ない。
「何とまぁ、そなたは小柄なのだな」
王子はくすっと笑うと手箱の中からブローチを取りだし渡してやった。
「これで胸元を留めよ。袖は・・・こちらの留め金を」
王子は狩りの時などに袖をまくって留めておく金具も貸してやった。どちらも王子の身分に相応しい黄金づくりだ。
キャロルは高価な品を差し出され、驚き戸惑ったようだがとにかく当面の必需品ではある。ありがたく拝借してカーテンの後ろに隠れるようにして衣装を整えた。

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