『 妖しの恋 』 0 これまでのあらすじ(嘘) エジプト王メンフィスの即位式&アイシスとの婚約発表に出席したヒッタイトのイズミル王子は、ひょんなことから古代に引きずり込まれて難渋しているキャロルと知り合う。 実はキャロルは祝祭のどさくさに紛れて脱出計画のまさに決行中だった。自慢の金髪を黒っぽく染めてターバンにたくしこみ、肌も汚し少年のなりをしたキャロル。 早朝、キャロルは祝祭から一足早く帰国しようとしていた王子の一行にぶつかってしまう。王族の行列を横切ろうとした無礼者よと斬り捨てられるところであったキャロルを救ったのは王子その人だった。 「捨て置け。まだ子供ではないか。このような早朝からいきなり流血沙汰とは気分が悪い」 出発するヒッタイト王子の一行。キャロルは無謀にも王子の一行のしんがりに潜り込む。無論、メンフィスやアイシスの追跡を恐れてのことだ。だが当然、その日の昼過ぎには、さりげなく一行に紛れ込んだ(つもりの)この便乗犯はルカに見つかる。 「お願い、見逃してください。か、家族の許に帰らなければならないんです!迷惑はかけません。しんがりに置いてください。目的地の近くに着いたら離れますからっ!わた・・・僕は騙されてテーベに連れてこられたんです」 自身、戦災孤児として辛酸を舐めたルカはキャロルの話に丸め込まれ、彼女の願いを聞き入れてやる。そして名を尋ねる。キャロルはうっかりと本名、キャロルを名乗ってしまうが古代人には耳慣れぬ名前、女名前とは分からない。 「分かった、キャロル。だが誰にも迷惑をかけるでないぞ」 1 「キャロル、お前の家とはどのあたりなのだ?」 「もうじきです・・・。下エジプトのシュセプ・アンクのあるあたり」 陸路を行くイズミル王子の一行が今日の路程を終え、野営に入った時間。ルカとキャロルは物陰で静かに言葉を交わしていた。 ルカはなかなか面倒見の良い性格のようだった。自身がイズミル王子の信厚い側近で侍従であるらしいのに、キャロルのことも よく目を配ってくれている。無論、それは新顔のキャロルに対する警戒もあってのことだろうが、ルカの目には13,4歳の子供の ように映る小柄なキャロルに対する心遣いもあるに違いない。 「ルカ、いつも本当にありがとう。僕、どれだけありがたいと思っているか。本当にどうしてこんなに親切にしてくれるんです? 急に現れて一緒に連れていってくれなんて怪しいとは思わないのですか?」 「まぁ・・・何となくな。それに私は人を見る目はあるつもりだ。私にはお前は世間知らずの良い家の坊ちゃんに見えるな。 暗殺者や密偵であるならなかなか人目を欺くのがうまいということになる」 ルカはキャロルの黄昏の薄明かりの中でも際だって白い、労働や武術と無縁そうな手を見やりながら言った。 「良い家の坊ちゃん・・・ですか。それって馬鹿と同義ってことかな?」 「はははっ!お前はまだ子供だ。しかしどうしてテーベになぞ連れてこられた?」 「・・・言えません。でもそのことであなたに迷惑をかけることはありませんから安心してください」 「ふーん・・・。私はお前と同じ13歳の時に戦争で家族を失った。殺されかけたが今の主君・・・イズミル王子に助けられてな。 以来、お仕えしている。 初めてお前を見たとき、他人事とは思えなかったな」 ルカは遠い目をして言った。キャロルには彼の常日頃の警戒心を解く不思議な雰囲気があるように彼には思える。 2 ルカはアランヤ貴族の息子であった。幼い日、故国はヒッタイトに滅ぼされ、奴隷に落とされた彼はイズミル王子を殺そうと試みる。ところが当然ながら計画は失敗する。 「殺すなら殺せっ!どうせアランヤ戦で死に損なった自分だ。いつ死んでも惜しくはない命!卑怯者のヒッタイト野郎っ!」 返り討ちに合い、血を流しながら誇り高い目の光は失わず、自分を睨み据えるルカにイズミル王子は興味をひかれた。同じ年頃であろう異国の少年は何と強い光をその身から発することか! イズミル王子は少年に言った。 「よく申した、アランヤの男よ。だが私はそなたを殺す剣は持っておらぬ。どうだ?私に仕えぬか?仕えておればそのうちに私を殺す機会もまた巡ってこようよ・・・?」 ルカはこうして命拾いをし・・・自分の命を狙う若者を侍従にした変わり者の王子に仕えるうちにいつしか心酔し、その無二の忠臣そして友人となったというわけだった。 「ルカ・・・?」 キャロルの珍しい青い目が彼を心配そうに覗き込んでいた。 「何でもない、キャロル」 その時だった。にわかに背後の野営地が騒がしくなった。 「誰かっ!王子がサソリに噛まれたぞっ!」 その声を聞くやルカは立ち上がり、一散に主君の天幕に駆けていった。キャロルは呆然とそれを見送りながらそっとルカがかくまってくれている天幕に姿を隠した。 (すごく心配そうな顔をしていたわ・・・。主君と召使いの関係ってああいうものかしら?ルカはあの背の高い王子にすっごく心酔しているみたいだわ) 夜半過ぎに憔悴し、青ざめたルカが天幕に戻ってきた。 「ルカ!どうしました?ひどい顔色だ」 「王子が・・・サソリ毒のまわりがひどく早くて解毒処置が効かない!くっそう、傷が腫れ上がってもう・・・」 涙ぐむルカにキャロルは後先考えずに声をかけた。 「ぼ、僕、解毒の薬を持っています。どうかあなたの王子に使わせてください!」 3 (どうしてこういうことになったのやら・・・) キャロルは呆然と眼前に広がる地中海の青さを眺めやりながら、幾度と無く繰り返してきた自問自答の迷宮に沈み込んでいった。 イズミル王子がサソリに噛まれた夜。たまたまライアンに持たされていた解毒剤を差し出したキャロル。周囲の人々は見慣れぬ少年 キャロルの差し出す薬に強い不信感を露わにしたが、瀕死の主君を目の前にして背に腹は代えられぬと投薬を許した。 王子の側近中の側近とも言うべきルカが咄嗟にキャロルは自分の従僕であると言い繕ったのも大きかった。従者兼護衛とはいえルカ ほどの高級将校になれば身の回りを世話する従僕を置くのは当然だった。 サソリに刺され醜く腫れ上がった脹ら脛に口づけて、はや熱っぽく異臭を放ちはじめた膿を吸いだし、キャロルは王子の口の中に解毒剤 ―キャロルは解毒剤と抗生物質だと聞かされていた―を含ませた。そして改めて傷口にも手持ちの塗り薬をつけてやる。貴重な抗生物質入りの傷薬だ。 (ずっと持っていた薬が役に立ったというわけね・・・) キャロルはそっと腰につけた袋を撫でた。中には20世紀の薬や絆創膏、裁縫セット、濡れタオル、試供品のタルカムパウダー、のど飴、 ペン・・・といった細々したものが入っていた。モノをため込むのが好きなキャロルの面目躍如といったところだ。単に貧乏性だとも言えるが。 幸い、というか当然ながら、というか王子は快復した。薬慣れしていない古代人の体に20世紀の薬は劇的に効いた。 ルカの従僕キャロルは一躍祭り上げられ、王子の看護を任され―彼女の手当はガールスカウト仕込みの手慣れたもので、なによりも兵士が行う医術よ りもきめ細やかに優しかったのだ―、気がつけばシュセプ・アンクの側などとうに通り過ぎていた・・・というわけだった。 「キャロル、どうした?王子がお召しだ。包帯の交換を頼む」 兵士がキャロルに声をかけにきた。キャロルは無言で頷いて船室に向かった。 4 「包帯の交換をいたします」 キャロルは目を伏せて手短に言うと、王子が楽な姿勢で書見をしていたクッションの脇に跪いた。 「おお、キャロル。頼むぞ」 王子の側に控えていたルカが親しみを込めた声で言った。王子の周りにはルカの他に将軍をはじめとする高級将校達が控えている。 彼らは一様に好意的な目でルカの従僕キャロルを見つめている。 いつの間にやら、巧まずして得てしまった周囲の信頼、好意といったものがキャロルをがんじがらめにしていた。陰ひなた無くよく 動く小柄な従僕。主ルカの威光をや、王子の命を救ったということを嵩に着ることなく目立たぬように振る舞う姿。粗野な所など無く、 誰に対しても控えめで腰が低い。 まぁ、従僕とはよく働いて当然ではあるが、あのルカの従僕であるのだから―ルカがアランヤ貴族の子弟だということは知られていた。 召し抱えられたいきさつまで知っている人間はさすがにいなかったが―いずれ名のある家の子弟かも・・・とは皆が思っていることだ。 キャロルは皆の視線にひどく緊張していることを悟られまいと気持ちを強く持って、王子の傷を改めた。筋肉質の脹ら脛はまるで彫刻か人体模型のようだ。 あれほど醜く赤黒く腫れ上がっていたのが嘘のように、今は綺麗なオリーブ色の肌に戻っている。小さな穴のような赤い点だけが死にかけた傷の名残だ。 キャロルは傷を洗い、残り少なくなった貴重な薬を塗るとまた包帯を巻いた。 「もう・・・痛みはありませんか?痺れるようなかんじは?僕は専門の医師ではないので詳しいことは分かりません。でも見たところ傷は綺麗に治って きているようです。帰国なさり次第、お医者様に見せてください」 声変わりもまだの少年は、高貴な王子に直接口をきく。最初は皆を仰天させたこの振る舞いも今は当然のものと認められている。何と言っても王子が直に 話すことを許したのだから。 「ふむ。そなたの薬のおかげであろうな。あの毒性の強いサソリに刺され脚を切り落とす羽目にならなかったのは」 深みのある声がキャロルを落ち着かない気持ちにさせた。イズミル王子の声を聞くといつもこうだ。彼女は気づいていないが頬は傍目にも分かるくらい 真っ赤だ。 5 顔を赤らめた少年のいかにも世慣れぬ純朴そうな様子に王子はあるかないかの笑みを片頬に刻んだ。 ターバンといつも控えめに伏せた顔のせいで、顔立ちもよくは見えないが整った顔立ちであることは分かった。 いや整った、では控え目かもしれない。少女じみた繊細さを王子は感じ取っていた。 (ルカはいつこのような心きいた従僕を召し抱えたのやら) 王子は考えた。ルカは王子同様、孤独を好む性癖があった。これまでだって従僕は持たなかった。兵舎住まいではなく、 王子の隠密を勤めることが多かったのでそれでも良かったのだが・・・。 (まぁ・・・いずれこの少年の身元は詳しく調査しよう。あのルカが手元に置いているのだ。胡乱な輩ではあるまいよ。 今のところ、私の手当もまじめにこなしているわけだし・・・) 体調の回復した王子は、小柄でいかにも非力そうな少年を値踏みするように見た。 傷の痛みと高熱に苦しめられている王子を手当したのはキャロルだった。サソリ毒に苦しめられながらも見慣れぬ小柄な 少年を遠ざけようとした王子だが、少年は実に巧みに彼の口の中に不思議な味のする薬を押し込んだ。 そしてそのバラのような唇―バラのようなと気づいたのはだいぶ後になってからだが―で傷口から厭わしい膿を吸い、ひんやりと心地よい感触の薬を塗ってくれた。 そして実に不思議なことながら手当が済んだ瞬間に王子は・・・心地よい快復への道を眼前に見たのである。無論、熱はあったし 傷のうずきもあった。だが脚の切断や、熱による不愉快で永続的な後遺症といった嫌な予感は霧散したのである。 そして・・・苦しく不快な何日間か目を開ければいつもあのキャロルと呼ばれる少年が付き添っていてくれた。心配そうに王子をのぞき込み、弱った体が受け入れられるよう食事にも心砕いてくれた。おそらくは貴重であろう薬も惜しげもなく与えてくれたのだ。 珍しい青い目がいつも王子を見守っていてくれたというわけだった。 6 王子もまたキャロルが気に入った。無論、口には出さないがキャロルがまるで女のように細々と王子の世話をするのを好きにさせておいた。構われるのがあまり好きでないこの人にしてはとても珍しいことだった。 王子は順調に快復し、人々はキャロルを自分たちの仲間として扱い始め、旅程は進み・・・一行は上陸しハットウシャを目指す。まだ体調が本調子ではないイズミル王子を気遣いつつ・・・。 「キャロル・・・。私はお前に謝らなくてはいけない。お前は言わないでいるが結局、お前は家族の許に帰れなかった」 「・・・仕方ありません、ルカ。あなたの主君があんなことになったんだ。僕だって放ってはおけなかったわけだし」 ルカの雑嚢を整理しながらキャロルは言った。その声が震えているのを気づかないルカではなかった。 「キャロル。今はまだ王子のお体のことがあるゆえ、お前を帰してやるわけにはいかない。でも王子ご本復の暁にはきっとお前をエジプトに帰してやろう。 そうだ、家族に手紙を出せばいい!」 「・・・・」 「どうした?」 「ルカ、手紙を書いても家族の許には届かないでしょう。僕の家族は・・・この世界の普通の人間には手の届かぬ場所に居て、僕を待っていてくれる。シュセプ・アンクのそばに僕の家が“ある”わけ じゃないんです。僕はただそこに行けば何か元の世界に帰る手だてが見つかるんじゃないかって・・・」 キャロルは涙ながらに、切れ切れではあるが自分がこの世界とは違う世界から来てしまった人間だということを話した。疲れと心細さが臨界に達していたキャロルは誰かに自分の秘密を話さずにはおれなかったのだ。 ルカはキャロルのいつにない涙と饒舌に驚きながら話を聞いていた。違う世界から来た・・・とは? 「では、お前はエジプト人じゃないのか・・・?」 キャロルはこくんと頷き、ターバンを外した。すり切れたターバンの下から零れた金色の髪の毛をルカは驚いたように凝視するばかりだった・・・。 7 「キャロル、明日はいよいよハットウシャ入城だ。これをやるから今日はもう下がって休んで良いぞ」 ルカは髪を染めるのに必要なクルミの渋の入った小瓶をキャロルに渡してやりながら言った。 「ありがとう、ルカ。あの・・・」 「礼はいい。そんな顔をするな。言っただろう、お前が帰れないのなら私が面倒を見てやるのは当然だ。 お前は私の王子を救ってくれたのだからな」 ルカは淡々と言った。 あの衝撃の告白の夜からもう幾日たったか。旅路の道すがらルカはキャロルから少しずつ身の上を聞き出すのに成功していた。 異世界としか言いようのない世界で生まれ育った「少年」。ルカは未だキャロルのことを金髪の少年として認識している。 話は信じられないことばかりだったがキャロルが袋の中から薬やペンライトといった20世紀の小物を出してみせるに至って、話を受け入れざるをえないようになっていった。 キャロルはなかなか頭の良い行動力のある人間のようだった。そのキャロルがルカと一緒に話すうちにやっと認めたのは ・・・「自力では故郷には戻れそうにない」ということだった。 ルカはある種の神官や能力者が、神々の世界と呼ばれる神秘な所や遠く離れた場所からモノを引き寄せたり、取り出したりしてみせることを知っていた。現にヒッタイトの先々代の王妃はそういう力を持っていた半神であったというではないか。 隠者と呼ばれる人々が神仙界に遊ぶという話も聞いたことがあった。異世界からの客人が人界に恵み、あるいは厄災をもたらしたといった類の話は本当に身近なものであった。もちろん信じるか否かは別だが。 (キャロルもまたそういう存在なのであろうよ・・・) ルカはそう結論づけた。少なくとも彼の目にはキャロルは狂人や嘘つき、企みを持った悪人には見えなかった。 (キャロルは私の王子の恩人だ。私と同じ天涯孤独の身だ。王子が私を守ってくださったように、私が彼を弟分にして守ってやろう・・・) 8 「お兄さまっ、お帰りなさいませ!お怪我はいかがですの?」 大広間で国王夫妻に帰国の報告を済ませて奥宮殿に戻って来た王子を嬉しそうに弾む声で出迎えたのはミタムン王女だった。 髪を縮らせ、きらびやかに着飾った王女は芳紀15歳。イズミル王子と同腹の妹で王位継承順位は2位である。 「ミタムン様、もっとお静かに遊ばせ。王女のご身分におわしますのに・・・」 王子の信厚いムーラがそっとこのやんちゃで歳より幼い王女に声をかける。だが9歳も歳の離れた兄に甘やかされ慣れている王女は頓着しなかった。 「本当に心配いたしましたわ。でも無事なお姿が見られて嬉しいっ! エジプトはいかがでした?お話を聞きたいわ。私も行きたかったのに連れていってもらえなかったんですからね。 メンフィス王はどんな方?」 王子はにこにこ笑いながらミタムンに手を引っ張られるまま部屋に入った。 「ルカもお入りなさいな。遠慮することないわ。お兄さまの一番の家来はあなたですもの。あなたの土産話も楽しみにしていたのよ。 ・・・あら、ルカ、その小さい男の子は誰?」 ミタムン王女はてきぱきとお茶を入れ、兄王子に席を勧めながら賑やかにしゃべった。口も手も同じようによく動く活発なたちの女性らしかった。 「お前は見かけぬ顔ですね。ルカの召使いか何かなの?」 ミタムンは隅に遠慮勝ちに引っ込んでいたキャロルをそば近くに引っぱり出した。 「答えよ、私が直答を許すわ。歳はいくつ?出身はどこですか?ルカに仕えてどれくらいになるの?」 妹に甘い兄とその忠実な臣下はお茶をたしなみながら困った王女を眺めていた。キャロルは、元々恥ずかしがりで人見知りなところもある。 勝ち気な美しい王女は苦手なタイプだ。 「王女様、その者は私の従僕でキャロルと申す者。最近さる伝(つて)を頼って召しだしました。 まだ世慣れぬ不器用な子供でございますゆえ困っております。キャロル、ご挨拶を」 ルカが言葉を添えたのでようやくキャロルは優雅に礼をし、玲瓏たる声で答えた。 「お目通りの栄に浴し光栄でございます、ミタムン王女様。僕はキャロルと申します。エジプトでルカ様のお召しを受けお仕えしております。 まだまだ慣れぬことばかりの若輩者でございます」 9 居合わせた人々は小柄な少年が少女のような声で礼儀正しく話すのにひどく驚いた。ミタムン王女もその育ち故に上品に美しかったが、キャロルのほの見せた振る舞いからは何とも言えない優雅さが匂い立つのだった。 ミタムン王女もまた驚いて頭を下げて挨拶した少年を見つめた。肩に軽くかかる明るい茶色の巻き毛、浅黒いオリーブ色の肌は庶民的な育ちを思わせるが、目鼻立ちは相当整っている。ヒッタイト風のゆったりした地厚の羊毛地の上着とレギンス(タイツ状の細身のズボン) に隠されているが、その体つきもほっそりと優雅であろうことが伺える。 ミタムン王女は無遠慮にこの少年の顔をのぞき込み、驚きの声をあげた。 「まぁ、何てこと!お前の目は青いじゃないの、キャロル!初めて見たわ」 キャロルは大慌てで顔を伏せ、金茶色の王女の瞳を避けた。ルカには金髪を見られ、この元気の良すぎる王女には碧眼だと言いはやされた。 この地では珍しすぎるであろう自分の容姿を自覚しているキャロルは冷や汗をかいた。とにかく目立ちたくはないのだ。 「ミタムン、控えぬか」 イズミル王子の声がした。 「その少年は異国の出身だと申しておるではないか。異国には青い目をした者もいるぞ。キャロルとやら、私もそなたの碧眼には気づいていた。そなたは北方の出なのではないか?」 「は・・・」 「ミタムン、そのキャロルは私の命の恩人ぞ。まだ子供だ。他の者にするように無遠慮なからかい方をするでない。 見よ、ルカも困って居るではないか」 「まぁ、お兄さまをサソリ毒から救ったのはこの子なのですか・・・」 ミタムン王女は何故か真っ赤になってぼそぼそと言った。 「それは悪いことをしましたね、キャロル。ルカも・・・許してください。悪気があってではないのです」 10 「お前は今日からこちらで休むといい」 独身のルカは王宮内の敷地に居室を賜っていた。主の趣味を反映してか質素で高級将校らしからぬ住まいだ。 ルカがキャロルに示したのは、簡単な台所を形ばかり幕で仕切ったこじんまりした一室。すぐ側は居間やルカの寝室だし、壁を隔ててすぐ人の行き交う通路だ。 だがキャロルはようやく部屋が持てたことがありがたく、心からルカに礼を言った。 「何、お前は私の従僕だ。主が従僕の面倒を見てやるのは当然だからな」 ルカは素っ気なく言っただけだった。 翌朝からキャロルの従僕生活が始まった。ルカはもともと自分のことは自分で済ます方が好きな質らしく、性格も穏やかであったので仕えやすい主人だった。 キャロルはルカに給仕をし、洗濯をして、室内の整理整頓・清掃を行い、身の回りの品々を揃え持って彼の行く先々に従った。練兵場、王子の執務室、馬場・・・。 ルカが仕事なり訓練なりを終えるまでキャロルは他の従僕達と一緒に主を待っていた。小柄なキャロルが理不尽にいじめられるようなことがなかったのは、キャロルの如才のなさと、古代人から見ればとぼけた言動の数々、そしてルカの庇護によるところが大きかった。 一度、大柄で年かさの従僕がキャロルを女のようだと嘲笑って辱めるような真似をしたが彼は怒ったルカに殴り倒され、顎を砕かれた。従僕の雇い主も常識人であったので、自由人身分らしいキャロルをあざけった奴隷出身の自分の従僕の非を全面的に認め、謝罪した。 この雇い主や他の従僕が、キャロルを逆恨みすることもありえたわけだが、キャロルが顎を砕かれた従僕をこれ以上傷つけてくれるなと庇ったに至って、その可能性は完全に消えた。 「ちびさん」と親しみを込めて呼ばれるようになったキャロルは皆から面白がられ、かわいがられてハットウシャに馴染んでいった。ルカはたいそう安心した。 |