「僕、明日この本丸を発つよ」171209〜
・国広から別れを告げられた兼さんが追いかけてくる話

苦色の鳥打帽に日除け眼鏡、不織布製のマスク姿は年齢も性別も覆い隠しているようで。しかも女性とも男性とも言える背丈に唯一露出している耳朶には赤い耳飾りが光っているときては一見して何者かますます不明だ。
長袖から少しだけ覗く手の甲が僅かに射す日光に反応して腫れ上がってぷすぷすと音を立てている。
日傘が要ると思うと同時に外出自体に最早無理があるのだろうなと冷静に感じ、隠しきれていない両耳を塞いだ。
音を遮断した瞬間、背後から大きな影が自分を包み、不思議に振り返る。
「痛くねえのかよ、それ」
飾り気のない黒い日傘を差し出すかつての相棒が立っていた。
「よく見つけたね。驚いた」
口調とは裏腹に動揺する素振りは一切無かった。どれだけ振り払おうが離れられない性分であり関係なのは本人たちが一番よく分かっているのだ。
「高級老舗油揚げ百年分で買収した」
「えぇー、とんだ管狐だなぁ」
呆れながら笑って。堀川国広は自然と日傘を持ち直した。
奪い取られた形だが、元々堀川にやるつもりで持参していた和泉守は気にも止めず、ただ対峙する最愛の姿を見つめている。
「逢いたかった」
率直に告げた。全ての理由が、気持ちがそこにはあった。
「あんなので終われるなんざ、手前も考えちゃいなかったろ」

――あんなの

二週間前に遡る。
文句を言いながら畑仕事を終えて爪に詰まった砂と髪や体についた土埃を湯浴みで流し一息つくかと自室の襖扉を開けると、旅行鞄に寝巻きを詰める堀川と目が合った。
何をしているのか。和泉守が疑問に思うより先に堀川の微動だにしない表情から開いた口が制す。
「僕、明日この本丸を発つよ」
戦果でも報告するように淡々と確定事項を並べる堀川は締めくくりにこう告げた。
「だから僕ら別れよう。相棒も助手も解消。明日からは僕に気兼ねせず好きにしてよ」
咄嗟にふざけんなよと声を荒げたが、微動だにしない堀川の手が服の皺を伸ばして畳むのを繰り返すのが異様な問答を更に色濃くする。
数百年の途方も無い時間を「待たせたな」の一言で埋めあった二人はもう存在しないように。見えない厚い硝子板が二人を隔てているような、圧倒的な距離がそこにはあった。
和泉守は深呼吸をし、冷静に努めた。
自分が熱くなればなるほど相棒は冷えていく。理解しているのだ。
後ほど買収(という体で協力)した管狐は堀川の病について不治だと断言した。
電子機器すら侵されるように、人の身を得た代償なのか付喪神で在りながら病原体に感染した堀川は折れる時の一瞬の儚さとは違うじわじわと迫る明確な死を迎える準備の為にこの本丸を去る方針となったのだ。
そのような事情を話しもしない堀川と知りようがない和泉守の唐突に訪れた最後の夜。堀川の最小限の荷物は旅行鞄と手提げ鞄に収められ、残りは処分と書いた付箋が貼られた段ボールに詰めて廊下に置かれた。
夜が明けるとこの部屋から堀川に関するものが無くなり、堀川自身も居なくなり一人になる。
さり気なくいくつか跡を残していけばないのにオレの相棒は可愛げがない。最後だというのに愛想の一つも無く断ち切る決意だけを秘めた和泉守の最愛は机に向かい正座して、アルバムから自分が映りこんだ写真を念入りに剥がしていた。
物も記録も全て抱えて出て行くつもりらしい。
せめてここに捨てていけばいいのにと願ってしまうが、そう言えば数百年前の別離の際も行き先すら眩ませたような奴だったと堀川のらしさに笑ってしまう。
別れを告げた直後から今まで、無言で寝転んでいた和泉守がやっと見せた反応に堀川が少しだけ視線を向けた。久しぶりに目が合うと気まずそうにすぐにまた机に向かってしまったが、別離に向けて気を張った堀川の綻びを垣間見た気がして和泉守は安心し、立ち上がると壁時計を外した。どちらかの所有物というより部屋の備品なので堀川も置いたままにしていたそれを引き出しの中に伏せて仕舞いこみ、背中を向けた相棒になあと呼びかける。
「明日ってのは正子が来たらって事か?」
返事は無いが構わずに続けた。
「ま、こうやって時間も分からなくなっちまったわけだし、明け方って事にしようや」
跳ねた襟足、自分より一回り小さな背中、体格の割に肉がついた尻に正座する形で押しつぶされた足の裏。
何一つ反応の無い後ろ姿に手を伸ばす。
背後から腕を回して堀川の左肩を右手で抑えて自分に引き寄せると抵抗なく後頭部が胸に当たった。
二人で寄り添い映った写真が指からハラリとすり落ちて床の上で笑っている。
「跡形もなく消えるなんて事が出来たらオレたちはここに居ないんだろうな」
語り継がれた逸話が形作ったのが自分たちだ。
脇差としての堀川国広は現存していないと言われている。跡形も無いのだ。
何処かに存在するから居るのか、何処にも存在しなくても居るのか。
どちらにせよ刀剣男士堀川国広が今自分の腕の中に居る事実を無かった事には出来ないと和泉守は打ち明け、一つだけ、と人差し指を眼前に突き立てた。
「一つだけ、頼みたいことがあるんだが」
その時床に落ちた写真一枚含めて、翌日和泉守が目を覚ますと腕の中に居たはずの最愛も部屋の荷物も何もかもが旅立っていた。
再会は夢だったのだろうかと反転した自分の髪の跳ねる方向に懐かしさを抱きながら姿見を覗き込み、襟元をずらす。
「あー……。なんだ、あいつも可愛いとこあんじゃねえか」
鎖骨の下、左大胸筋にうっすらと鬱血した花びらの痕を見つけ、ほっとして綻ぶ。
他の誰にも見えないであろう位置に口付けの痕を残して欲しい。たった一つ、黙殺する相棒へねだった証がそこにひっそりと存在していた。
眠っている間に和泉守の開いた胸元に唇を寄せる堀川の伏し目がちな睫毛を想像する。
体を重ねる時にだけ見せた自信なさげで不鮮明な口付け、指の動き、視線の揺らぎ、それらが自然とこの痕を起点に再生されていく。
別れるならばせめて傷痕をと願ってはみたが、存外逆効果だった。
すぐに事情を知るであろう管狐の元へ和泉守は走っていく事となる。
そして、二週間。
問い詰め、事情を飲み込み、現状を調整して堀川が終末を過ごす療養所に駆けつけるまでにかかった期間は短かったのか長かったのか。
堀川は驚きもせず受け入れていたが。
「まぁ…ね、考えて無かったけどさ」
でも、と続ける。
「だって、ああでもしなきゃ貴方吹っ切れないでしょう」
「おい!あ、貴方とか言うなよ!」
わざと突き放した物言いをしているのは解っていても動揺してしまい、払拭するが如く分かってんだからなと連呼してしまった。
「他の人には会った?」
「いや、管理してるこんのすけくらいだな」
庭と呼ぶには余りにも広い敷地の森林から戻ると、玄関先で日傘を畳んだ堀川が振り返りありがとうと微笑む。去り際の徹底した別離への決意とは裏腹に追って来た和泉守を拒む気は無いらしい。
真っ白で病院のような造りの療養所は驚くほど人気が無いが、方々の本丸から同じ病を患った刀剣が集まっているらしい。
各部屋に掲げた札に見知った名前が並んでいる。

――一◯七号室
一階奥から二部屋目の堀川の個室に通され、背嚢と風呂敷包みを降ろした和泉守は天井や壁はおろか机も椅子も備品すらも白で統一された室内に圧倒される。
「来客用の湯呑みも無いんだよねぇ。僕の使う?」
ニヤリと笑みを浮かべた和泉守が風呂敷包みから見慣れた湯呑みを素早く差し出す。はいはい持って来たんだねと受け取った堀川はやはり驚きもしない。
「いつまで居るの」
「ずっとに決まってんだろ」
「ずっとって…」
椅子代わりに寝台に腰掛けて緑茶を注いでいるのは誰の為かなど御構い無しに押し倒された堀川はポツリと危ないなぁと呟く。
「もう離れやしないって事だ」
外出時の着の儘である堀川の日除け眼鏡越しに映る大きく丸い蒼い電気石を見詰めながら和泉守が決意を口にすると、返事の代わりに瞬きのない眼差しがじっと注がれた。
「……。正直ね、あまり驚いちゃいないんだ」
姿見に映った自分の髪型を整えるように和泉守のこめかみから垂れる髪を耳に沿ってかけ、輪郭を包み込む。
「兼さんはあんな別れ方じゃ納得するどころか自ら突き止めてくるだろうなって、解ってた。分かってて…あんな風に突き放したなんて、我ながら未練がましいかな」
自嘲気味に微笑む堀川の額に和泉守の額がくっついて距離が無くなる。
「……互いに気が済んだか」
日除け眼鏡をずらされて、瞳を閉じた瞬間に唇と唇の隙間が埋まると強張っていた堀川の体の力が抜けていく。
「うん…。来てくれて、嬉しい」
素直に身を任せるその肢体は記憶より白く、血管と静脈が薄い皮膚に透けている。
「僕がつけた痕、気づいた?」
半襦袢、肌付きをするすると脱ぎ、ここだろと露出した胸板を指差すと満足げにうんと微笑む堀川は無邪気だった。
「僕も同じ痕が欲しいな。ねぇ」
つけてと甘えた声色でねだると、唇から首筋、鎖骨と舌先が伝って透明の跡が出来る。少しだけ膨らんだ乳輪の郭を舐めて中心の丸く充血した粒を舌に這わせたままじゅるりと喉奥まで飲み込む刺激を与えられると、甘い痺れが堀川の脳に響き体を震わせ、漏れ出る嬌声とわざと立てた水音が室内で混ぜ合わさり真っ白な内装が淫靡に染まる。
「自分じゃ見たことの無いようなところにもつけてやるよ」
甘美に弛緩した肢体を投げ出して、思考も放棄して、ただ囁きに耳を傾けて行く末を委ねる堀川は次第に意識が遠のいていくのが分かった。
――気持ち良くって、眠い。
気付いたら深い眠りについていたようで、ふと瞼を開けると寝巻きに着替えさせられて肩まで掛け布団を被せられていた。
兼さん?と上半身を起き上がらせると寝台にうつ伏せて寝息を立てる和泉守の顔が布団に沈んだ。
体勢は窮屈そうだが安らかな表情に起こすのを躊躇われて、肩に大判の膝掛けを掛けておやすみと口付けるとそのまま寝てしまうことにした。
目覚めても最愛が傍に居る幸福が二人を安寧で包んだ。
お前にはこれから千年奉公して貰うのだからと主は和泉守の背を押してくれたのだそうだ。千年のうちの数ヶ月、数年好きにしろと。
礼を述べると、だって止まらないだろうと笑われたがその通りだった。
あの時のような急な別れではないのだから、どこに居るか分かって居るならば、人の身を得た以上自分の足で探しに行く。当然の事だった。
朝になり薄っすら瞼を開けた和泉守は寝台が空なのに驚いて飛び起きたが、背後からおはようと暢気な声がして、同時に各部屋に配膳された朝食の匂いに腹がぐうと鳴った。
本来なら堀川が使っていたであろう椅子を借りて腿の上に盆を置いて食す姿に二人じゃ狭いよねぇこの部屋と堀川は呟く。
あんな別れを切り出されたものだから、押しかけたところで拒絶される覚悟もしていた和泉守はあっさりと二人で暮らす事を受け入れている堀川に拍子抜けする。
「でもよぉ、オレは病人でもねえし、部屋なんて借りれるもんなのか」
大丈夫大丈夫と笑う堀川が親指と人差し指で丸を作る。
「大体死ぬ前の願い事なら通るから」
軽く言っているがとんでもなく辛い条件下での自由だ。しかし堀川はしょうがないと割り切っている。
「審神者の力が宿った刀剣男士だけに流行る病なんて余りにも限られた対象だよね」
明太子を乗せた白米を海苔で巻いて口に放り込んだ堀川は咀嚼しながら悠長に病について語る。
便宜上病と呼んでいるその呪いについて。
遡行軍か検非違使か、政府と反する者が逸話により作り出された刀剣の記憶と記録を消す事で実体を存在出来なくする事に成功したのが始まりで、対象となる敵と戦った刀剣はある兆候をもって病を発症し、死に至る。
「僕はもう前の主について思い出せない」
自分の逸話の核となる、刀として振るわれていた頃の持ち主を記憶から失うのだ。
忘却。ただそれだけで審神者の与えた身はその姿を維持する事が出来なくなり死に至る。
「文献を見返したりしたのだけど、認識も出来なくてね。残念ながら僕はもう逸話の土台となる部分が崩れかかっている」
「……かかっている?」
「僕は現存していなければ出自もあやふやだけど、唯一確かな事があるからね。それが記憶から消えた時がきっと最期になると思う」
箸を置き、寝台の上で正座した堀川が自分に向いて両手をつきお辞儀するものだから和泉守の咀嚼が止まる。
深々と下げた頭を上げると柔らかな笑みを浮かべて。
「もし、来てくれないならそのまま終わっちゃうつもりだったけど。最後まで付き合ってね」
自分に残された唯一の証にお願いする堀川は晴れやかだ。
「おう、任せな」
堀川国広が堀川国広で無くなるその日まで、和泉守と堀川の長く短い二人の時間が再び始まった。

***
再会した国広は視力の低下、日光への免疫反応を見せていた。
わざわざ皮膚を爛れさせる道理も無いだろうと、結局その日から荼毘にふすまでこの真っ白な療養所の中で過ごしたわけだが、施設は整っていたし不自由した記憶は無い。
特に交合う為の専用の部屋があるのには仰天した。
刀剣で在る為に欠かせぬ事から順に失っていく事を心得ている国広は忘れてしまうその日までは、と毎日剣を振るい稽古をつけていた。助手としての心構えだよと笑って。
今日は突きの稽古でもするかと話しかけた時にえ?と首を傾げた国広の真ん丸な瞳が朝日に照らされた海面のように煌めいていて、酷だと思った。
国広は隙あらばオレに好きだよと繰り返し伝えてきたが、それは単なる甘い囁きではなく今日を生き延びた証で。
国広はオレの胸に、オレは国広の自身の視界に入る事もオレ以外の他者が垣間見る事も無いであろう場所に唇の痕を上書きし、その色を日に日に濃く重ねた。
覆りそうに無い現実に対して二人で向き合った結果死後の話をした際に、国広はその時に心変わりしてないならと前置きをした上でオレに我が儘という名の願い事を託した。
「物が付喪神となるまでの百年。再び形作る為の逸話として僕の事を紡いで欲しい」
顕現してから重ねた思い出ごとオレが語り継げば国広はまたその記憶を持ったまま蘇る事ができる。などと勝手な憶測、いや、期待願望渇求…都合の良い拠所を作り上げているだけだろうが、しっかり者と評されるオレの相棒は我が儘なんぞ死ぬまで口にしないと思っていたからどうだって良い。
「任せな。百年と言わず千年でも待っててやるぜ」
叶うかどうかではなく、叶えてやる事がオレには出来るのだから。
言い切ったオレの襟元を背伸びして引き寄せた唇が頬に触れる。本来したかったであろう口付けを屈んで改めてすると碧い輪郭がじわっと滲んで落涙した。
「嫌だよ、忘れちゃ嫌だよ兼さん。僕たちが愛し合った事を無かった事にしないで」
お願いと胸元に縋り付いてきた体が想像より小さい気がして動揺した。
正しく記憶し、留めて伝えていく事の難しさを抱えて、それでも待ち続ける。やり遂げなければならないのだから、意を決してその体を再び確かめる。
狼狽えるな、狼狽えるな。
悟られないよう頭の中で唱えながら、目で耳で口で舌で手で指先で皮膚で確かめる。
自分の全部を伝えるために晒け出す国広の弱いところもすべて掬って、忘れないように愛し尽くした。
内側の熱も全て出し切った国広は翌日おはようと呼びかけたオレを真っさらな眼で不思議そうに見つめると首を傾げた。幼い仕草だった。
「オレの名は和泉守兼定」
告げてはみたが認識出来ないようで反応は無かった。だよなぁと苦笑いするが、その心理が悲しみか諦めか安堵か何なのかはよく分からなかった。
ただ、あっ!と声をあげた国広がオレに手を伸ばしてきて。
「怪我してますよ、大丈夫ですか?」
胸元の証にそっと指を沿わせた時、自然と涙が溢れた。
「良いんだよ、それはそのままで」
お前が必死につけた痕だから構わないと言いたかったが、言葉と裏腹に泣いているオレの顔を凝視する国広は眉を訝しげにひそめる。
「すみません。でも…うーん…なんだか、貴方のことが心配です」
一瞬はっとして、すぐ吹き出した。
泣いて笑うオレに国広は困惑していたが、だってこんな、忘れてしまってもオレの事が放っておけないなんて、笑ってしまう。
一頻り笑って、ひとつ深呼吸をして。
改めて向き合う時は上手く表情を作れていたと思う。
「安心しな。つぅか、貴方とか言ってんじゃねえっつってんだろーが」
きょとんとしてる国広はきっとよく分からないだろうが、頭をぽんぽん叩いてそのまま肩を引き寄せて抱きしめたが嫌がりはしなかった。
少しでも嫌がったらやめようと思って寝台で国広をあぐらの上に座らせて後ろから抱きしめて過ごしたら、ちっとも嫌がりやしないので結局それから用を足す時以外その体制で寝食を共にした。
訳の分からない奴に抱きしめられたままよく平気だなとも思うが頭の記憶よりもっと原始的な体に刻んだ本能のようなものが気を許させるのか。
オレの事は終ぞ思い出せなかったようだが、腕の中でうとうとする頭を撫でるとふわぁと欠伸をしコロンと転げて野生を忘れた猫の子のように安らかに寝付いた。
そして、忘却から四日目の朝。
自身の肩から胸に掛かったオレの三つ編みをぎゅっと握った後、ぼんやりとした瞼がゆっくりと閉じて国広の生体反応は途絶えた。
遊び疲れた幼子のように安らかな寝顔の最愛の硬直した指を一本ずつ剥がす時に耐えていたものは火葬した後に骨の代わりに現れた一振りの脇差を見た時に崩壊して、自分がこんな風にぐちゃぐちゃに泣いたり出来るだなんて知りもしなかったし、国広も知らないまま逝ってしまったから、再会した時には教えようかとも思ったが、やはり格好が悪い気がして伝えられないだろうか。
案外見てたよなんて悪戯ぽく笑うかもしれない。抱えた脇差の刃に反射した自分の顔と目が合い、こんな不細工な面を見られちゃ堪らないと顔を拭き身なりを正した。

後、百年。
この脇差をオレが語り継ぐ。
あいつが迷わず、またオレの元に辿り着けるように、忘れずに目覚められるように。

***
「ひぇー困りましたぁ」
春の息吹が漂う本丸で新米の管狐の涙声に気づいた最古参のこんのすけは油揚げを頬張りながらどうしたと手入れ部屋の前に駆けつける。
「手入れをさせて頂いたのですが、傷が消えないのです。私が未熟だから力が及ばないのでしょうか」
どれどれと入室者の名を確認し、ああと合点がいった古株は大丈夫と新米の肩を叩いた。
「胸の痕だろう?あれは外傷ではなく、自ら刻んだものだから消えないよ」
「そうなのですか。お詳しいのですね」
それ、と口の中の油揚げを指差して。
「そう言えば仲が宜しいのでしたね。その老舗高級油揚げを頂く関係だとか」
「ああ。しかしそれも今月で終いなのさ」
「へぇ、それは…残念ですね。美味しそうなのに」
「いや、そうでもない。私も彼もこの時を待っていたからね」

――百年。

短いか、長いか。
手入れ部屋でうたた寝する和泉守にとってはどうだったのか。
遠征中も自室に残した脇差の様子をしきりに気にしていた彼は今や旧知の仲である管狐に何度も状態を確認させる傍ら、部隊員に昨日のことのようにその脇差の勇姿、愛らしさを語っていた。
顕現して間もない新入隊員はへぇと関心を示すが古参たちは食傷気味に黙って遠くを見つめながらも止めはしない。
人も、物も、現世から忘れられた時に真の死が訪れるという。
常に語られ、誰かの心や記憶に生き続ける事の難しさは刀である彼らは誰より了知しているのかもしれない。
それでも和泉守は容易かったというだろう。
この本丸で再会するまでの数百年でさえ忘れた日など互いに無かったのだから。
寝息を立てる和泉守の長い睫毛が一本、ひらりと抜けて?に落ちる。
それを掬うように指を這わせると涙を拭う仕草のようで。
あの時もこうしてあげたかったなどと思いながら。
「……もう少し、見てていいかな」
目覚めたら百年、千年。もう離れやしないのだから、と久方ぶりに得た体で横に並んで、最愛は悪戯ぽく笑った。

【了】


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